2016年07月01日

20160501 6年前の恩返し

KIF_2501.jpg


 2010年の世界一周旅行では、ブラジルのヘシーフェでカルナヴァルを見ようと思って計画を立てていたのだが、期間中は旧市街は閉鎖されて宿泊できるところがなく、遠く離れたBoa Viagemというリゾート地のボッタクリドミトリーか、隣町のOlindaでベンサォンを借りるかしか方法がなかったので、ヘシーフェのカルナヴァルは無理かと半ば諦めかけていたところ、現在の家主さんが天理教の教会長さんであって、知り合いの方がヘシーフェで教会を営んでおられ、常時100人くらいは寄宿しているから一人くらい潜り込んでも問題なかろう、なんなら口をきいてやっても良いぞとおっしゃるので、藁をもすがる思いでお願いしたところ快諾を受け、旅先ではそのご好意に甘えて有意義に滞在させてもらったのであった。

 天理教というのは誠に寛容な宗教であって、私のような不信心者であっても、助けを求めて門を叩く者は全て信者であるといって、嫌な顔ひとつせずに迎え入れてくだされ、目的があってきたのであろうから一切口出しはせぬ、好きなように過ごすが良いといって、なんの詮議もなく門の鍵と部屋の鍵を渡してくだされ、カルナヴァルの期間中夜通し遊び呆けて日も高くなる頃に帰り着いてもなんのお咎めもなく、見てきたこと聞いてきたことを面白そうに聞いてくださる、なんというか、この人がおられなければ、私のブラジル滞在は成功しなかったであろう。心からの感謝の気持ちをいつかお返ししたいと常々心がけてきたのであったが・・・

 その教会長さんがブラジル人の信者さんを10人引き連れて天理に滞在しておられるという。天理教は世界宗教であるので、世界中から聖地巡礼として、人生のうち一定の期間を天理で過ごすことになっているのだが、多くの場合、日本の炊き出しの食事が口に合わず、留学生は苦労する。わが家主さんはブラジルに移民されたご家族があり、やはり天理教の信者であらせられるのだが、来日して天理に滞在して一週間もしないうちに、食事が合わずに恐慌を来してしまい、近隣のブラジル食材店で売られている缶詰を食べるだけでも涙を流して喜ぶという。ならば私が舌で覚えたフェイジョアーダをお届けすればさぞかし喜んでくださるだろう、ああこれでやっとご恩返しができると喜んでガッツリ作ってみました。いやあやっぱり俺もこれがええわ。太陽の加減もスルドク夏日和やし、インディカ米も香気を盛大に放っとるし、こーゆーのんガバッと食うて畑に出て、力強く野良仕事をすんのが幸せや。ありがたいこっちゃ。



posted by jakiswede at 14:39| Comment(0) | ザイール・ヤ・バココ第三の旅2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: