吉野から熊野へ、大峯奥駈道と並行する車道を下り、気がついてみたらカリーナの導きに従って日本の聖地を巡る旅になっていた。思えば仕事でこの地を訪れていた頃には、自分の通っている道の何たるかさえ知らなかった。カリーナは、まだ私たちが若かった頃、何も見ずに失踪した道の意味を、今改めて我々にふさわしい歩調で辿り直して見せてくれようとしているのかもしれない。
熊野本宮大社。わが心から尊敬する博物学者の南方熊楠氏の特別展をやっていたので、参拝を後回しにしてこれを見る。なんといっても圧巻は彼の直筆の著作ノートである。その細かい字、几帳面な筆跡、複雑な構文を一発で書き記していること、何より教訓、とにかく筆写する、筆写して覚えてしまうやり方は、私も子供の頃からよくやった。多言語を操る。彼の逸話の多くが頭に叩き込まれているので、一つ一つの展示物が生き生きとした実体を持って迫ってくる。
本宮前の観光目抜通り、辺りを散策してみたが、まあ特に感じるものはなかった。巨大な神社の駅前商店街なんて、まあこんなもんだろ。
宝物殿の中に展示されていたイベリア半島様式のタンバリン、装飾とジングルのハンマリングの妙、独特の淵の加工など、おそらくここからチューナブル・タンバリンの発想が生まれたのではないかと思わせる造作である。詳しいことはわからない。もしかしたら西アジアの方が先かもしれない。
熊野川に沿って海に向かいつつ気のついたことがある。川沿いの山肌に、道路の高さとは別に一定の高さで樹木の色が異なる帯が見られるのである。これはもしかしたら、5年前の紀伊半島大水害の爪痕か、水がこの高さまで上がった可能性は十分考えられる。とすれば本宮の宮前目抜通りの不自然な広さや建物の新しさ、人気のなさも頷ける。以前訪れた熊野那智大社や那智の滝周辺の、凄まじい破壊の様相を思えば、おそらくそうだろう。
熊野速玉大社、この河原屋敷のように、いざとなったらパタンと閉じて、大八車一つで夜逃げできるほどの身軽さが望ましい・・・海・・・太平洋・・・
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