多分、これは私の推測だが、日本の社会や経済もこの先あまり明るくなくて、国際情勢も緊迫してて、何事もこれまでのんびりと平和だったような状態はではなくなりつつある、という現状認識は大方の人が共通して持っていると思う。そこをどう切り抜けるか、様々な階層で意見が分かれて、複雑な対立構造になっているのが、今の日本の世論だと思う。問題の整理が必要だ。伊丹のくせに偉そうなこと言うな、なんて言うな、みんながやればいいんだ。
世界は多様な方が良い。モノカルチャーは破滅する。特定のイデオロギーや信条が強すぎる社会では生きていけない人が出る。だから政治体制は寛容な方が良い。国内的にも国際的にも厳しい世の中になったことは認める。武力をもって武力を抑止するという考え方も、一定の厳しい制限の元で認めた方が良い場合もあることは理解する。しかし人間は弱い。力を手にすると暴走することがある。武力を持った人間が暴走すると無辜の市民を巻き添えにする。だから戦争反対というスローガンができる。私は軍事的な抑止力を、国際紛争の解決方法として用いる考え方を全否定するつもりはない。ただ現状において、世界中の武力を軍事的に抑止できるだけの中立的で信頼できる統制力を持った文民組織がないから、この考え方に反対しているのである。したがって、日本の集団的自衛権の行使容認や、軍事力の拡大へと向かう憲法改正には反対する。
もう少し説明したい。世界中の国家を中立的に統制できるような組織がこの世にあるなら、その文民統制の許での集団的自衛権の行使は認められるべきだと思う。しかし国連にしても、その他の国家連合にしても、その主要なグループの利権を温存するための組織であるので、そんな役割を果たしていない。だから現状としては、すべての国の集団的自衛権の行使は、実情として紛争を解決する手段になっていない。その段階で、軍事力の拡大へと向かう憲法改正について議論することは、特定の利権を温存するための行動であり、国民の側から見た国益に反しているので、私はこれに反対する。
問題は、愛国心や国防という切り口で国民の心情を味方につけ、実は特定の利権の温存を図ろうとする別の動きに、それが利用されようとしていることである。このようなトリックは安倍政権になってから多く見られるようになった。例えば原子力発電所の安全性をいくら議論しても核物質を自然に戻すことなどできないにもかかわらず、原子力発電の全行程の一部にすぎない発電所の安全性の議論を以って、原発再稼働の論拠とするなど枚挙にいとまはない。つまり、普遍的な一般論で国民の合意を取り付け、そのうち政権に都合の良い部分だけをつなぎ合わせて自分たちの有利な向き、すなわち独裁に向かって政治を進めている。
独裁が始まってしまうと永年にわたってそれは維持される。国民の多くは自由の制限された状態に置かれ、思考停止し、独裁体制によって利益を得る人は保身に走り、自分の有利な方へ駒を進めることによって生き延びようとする。ごくわずかな恩賞をありがたがり、結局、社会全体としては小さなコストで大きな労力を動員できるようになる。それは実に巧妙に、徐々に、洗練された方法で行われるので、気付かれにくい。しかし、文化の多様性は確実に失われるので、より大きな変動に耐えられるかどうかはわからず、社会としては極めて脆弱なものになる。
独裁の過程で、国民の団結を維持するために、しばしば共通の敵が設定される。外国であったり、国内のマイノリティであったり様々だ。独裁者は、何度もなんども執拗に新たな線引きをして、体制に忠実な者を選りすぐり、より効率的に体制を安定化させようとする。その陰で多くの命が犠牲になり、才能が流出したり消えて無くなったりする。これらの損失も、社会を次第に脆弱にしていく。こうしたことは、歴史上イヤと言うほど繰り返されてきたことであり、その都度破滅を招いてきたのである。安倍政権が、これと全く同じ轍を踏んでいることは、その口から実際に吐き出された欺瞞に満ちた受け答えを聞くだけで十分だと思う。要するに、厳しい状況を切り抜けるために本能的に身を軽くして、身内だけに利益を集中して生き残りを図っているとしか思われない。つまり多くの国民は、いざとなれば切り捨てられる。右も左もない。国のために命を捧げるという模範的国民の本望通りになる。
だからこそ、そうならないために、全く別の世界観が必要ではないのか。厳しい状態は、要するに経済発展の余地がなくなってきたことに起因する。好むと好まざるとにかかわらず、不都合な真実を認めなければならない。経済発展どころではない。いかに痛みを和らげつつ縮小していけるかだ。究極的には、ほぼ原始的な生活にまで帰着することを想定して、人類の英知の全てを結集し、人類そのものがめでたく自然界に帰ることができるようにロードラインを模索するべきだ。それはできるだけ緩やかであってほしいが、地球環境の状態と、人類が製造したすべての人工物を自然に戻すことのできる速さとの関係を、全く利権に左右されることなく、純粋に科学的に割り出さなければならない。あるいはもう間に合わないのかもしれないし、全人類が合意することなど、これも不可能に近い。しかし、何世代か後の我々の子孫が、人類と地球環境の悲劇的な破滅を味わうことを思えば、少なくとも議論を始める勇気だけでも持つべきだ。
私は現在、一切の動力やケミカルを使わずに営農し、自給生活をしているが、日本経済の30分の1程度の経済規模しかないので、社会生活が破綻寸前である。残念ながら、あと一年余りで破産する見込みなので、一旦農業から撤退し、資金を作り直してから再挑戦する。本来、こんな目に会うこと自体、間違った社会だということを痛いほど感じている。しかしそれが現実だ。
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