2016年08月15日

20160815 もうええかげんに

 私は、誰がいつなんどき靖国神社を参拝しても良いと思う。公人であれ私人であれ、思想信条の自由が保障されているからだ。それについて懸念を抱くことも自由だし、批判することも自由だ。またそれに反論することも自由だ。だから、政治家であるなしを問わず、その人の思想信条に従って行動すればよい。その結果「みんなで」参拝することをよしとするならば、それはそれでよいと思う。ただ、靖国神社に参拝することの意味するところは多岐にわたり、公人が参拝することは、そのすべての意味合いにおいて責任を問われることもまた当然である。たとえば日本の政治家が参拝したことを説明する場面で、靖国神社に祀られている「英霊」が「日本の繁栄の礎を築いた」というならば、その繁栄のかなりの部分に、アメリカ、朝鮮半島、ベトナム、その他特に東南アジアにおける紛争や戦争の特需があったことが考慮されていなければならない。また、当然のことながら、日本が行った侵略戦争によって他国の人々が犠牲になったことは事実であるにもかかわらず、旧日本軍戦没者のみを祀っている宗教施設に、政教分離を国是とする日本の政治家が参拝することは、公平性を欠く行為と考えざるをえない。だから、日本の政治家が靖国神社に参拝して日本の繁栄について感謝の気持ちを表するというのであれば、同時に、日本の政治家はそれらの国々の戦没者の慰霊施設をも訪問して同様の行動をとるのがよいと思う。そうすれば、その政治家は立派な人物として近隣諸国から評価尊敬されるだろう。天皇陛下はそれを実行しておられるから諸国から尊敬されているわけだし、私もそれゆえに尊敬している。外交以前に、それが人として当然の感覚ではないか。

posted by jakiswede at 16:39| Comment(0) | NO MORE ABE !! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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