SEALDsが解散するという。率直に言って、なぜだかわからない。学生が主体であれば、次の世代に引き継いででも活動すべきだと思う。政治的な主張を掲げて示威行動をしたのであれば、その時点でその主体は公的な性格を帯びる、いわば社会的存在になったと考えるのが普通だ。彼らはそれを望んでいたはずだ。政治活動を含めた社会的な運動は、半ば恒久的に継続されるべきものだ。なぜなら社会問題は無くならないから。SEALDs KANSAIが解散に当ってのステートメントを出しているので読んでみたが、やはりわからない。メンバーは、個々の活動に移っていく決意表明のようなものが読み取れるのだが、なぜ彼らの一代限りで解散するのかの、明確な論拠が見出せなかった。甘いと思う。
SEALDs KANSAIが主催した集会に一度参加したことがある。そのとき、主催者の中心的と思われる人物に質問してみた。私はもちろん (当時の) 安保法案に反対しているが、あなた方が反対する根拠と、その反対の先にあるビジョンについて聞きたいと申し出た。つまり、反対するのであれば、その反対の先にどのような世界が広がっているという何らかの展望が示されなければ、現状の中で不満を持ってはいても、変化に不安を感じる人たちの、広範な支持が得られないのではないか、という疑問だ。驚いたことに、これに対して彼らは明確なビジョンを持っていなかった。「とりあえず止める」、確かにあの時点ではそれも必要なことだった。その効果や社会に与えたインパクトには、敬意を表する。しかし、反対の先にどのような未来を思い描いているのか、最後まで見えなかったこと、そのまま解散してしまうことは、非常に残念である。
反対の先にあるもの、安倍政権の独裁を止め、あらゆる利権と戦ってそれらを解体し、富の偏在を正してそれを再分配し、本当の意味であらゆる人が地に足をつけて再出発すること、そこから出直す社会には何が待っているか、不都合な真実の全てと向き合って、それらを自然に戻す社会とはどんな社会か、そのなかで人々はどのように生きられるのか・・・この反対の先にあるものを示すことは、今の繁栄した日本社会で享受してきた当たり前のことのほとんどを手放さなければならないことを意味する。誰もがそれを恐れ、そんな主張を掲げて支持が得られるわけがない。だから、誰もそこまで突っ込んで主張しない。
その点、三宅洋平氏は正直だ。産業利権を解体すれば、自給的社会しか残らないことを率直に認めているからだ。要は、そこへどのように、今の高度に文明化された社会をソフト・ランディングさせていくか、そのビジョンについて、広範な意見交換なり議論なりがほとんどなされていないことが問題なのであって、それを言わないままに反対を表明することは、私は無責任だと思う。SEALDsは解散するかもしれないが、なんらかの受け皿が必要だ。私は安倍政治に反対する。その反対の先にあるものは、残念ながら暗い。その暗い未来をどのように見れば明るく見えるのか、それが広く人々に受け入れられるようになるのか、そのことをフランクに話し合える場が欲しい。