2016年09月19日

20160914 直前の悪夢

 「摩耶アコースティックピクニック」と「リュックサックマーケット」には、今後参加しないことを決めました。お客様には大変申し訳ございませんが、やむを得ない判断です。直接の原因は、「リュックサックマーケット10周年記念ピクニック」のトークライブが「アコースティックピクニック」のステージと一体化して行われることがわかったからです。誰が決めたのでしょうか、私はなにも聞いておらず、私たちは自分たちのイベントを自分たちで決めて良いはずでした。でもそうではなかった。私はこういうことが一番嫌いです。自由にやって良いというならば自由にやって良いはず、端で見ていて美味そうになったら横取りする、こんな百姓みたいな根性が私は大嫌いです。

 「リュックサックマーケット」というのは、もともと「六甲山カフェ」のプロジェクトの一環で、芦屋の高座の滝のたもとにある「大谷茶屋」周辺で始まったものです。「カフェ」と名のつくとおり、これは飲食の提供を伴ったものでした。私は途中からこのプロジェクトに賛同して活動に加わりました。「山にカフェを持ち込む」ことにより広範に山を楽しむきっかけ作りは広がりを見せ、摩耶山においてはmayasan.jpにもあるとおり、様々な活動に発展的解消を遂げていきました。その時点で、「リュックサックマーケット」は「六甲山カフェ」の手を離れて公的な運営主体に委ねられました。

 一方、大谷茶屋を拠点にした飲食提供を目的とした実店舗の「六甲山カフェ」は、「日替わりマスター」制を敷いて定期的な活動を続けており、途中参加の私がその代表を務めることになりました。しかし「洞窟カフェ」として人気が出た反面、湿気や漏電、衛生管理状態など多くの問題があって、苦情が相次ぎ、警察・保健所・消防署から行政指導を受ける羽目になり、その対応に追われました。

 最も厳しい指導は保健所のもので、そのうちの一つに「六甲山カフェ」という屋号が「大谷茶屋」の営業許可の要件を逸脱しているから使用しないようにというものがありました。活動を続けるには、一時的に「六甲山カフェ」を名乗ることをやめなければなりませんでした。そのうえで、合法的かつ安全に、しかも「六甲山カフェ」の名称を復活させるために私は様々な努力をし、排水設備や電気系統を改善したり、知り合いの厨房を借りて製造許可を得る努力をしたりしました。また、事故が起こったとき、現状では責任はすべて大谷茶屋が負わなければならなくなっていたのを、資格を修得して私が負えるようにしました。こうした努力で、法的要件を満たしながら「六甲山カフェ」の名を守るめどが立ったのですが、日替わりの各マスターにも、彼らが担当するメニューに応じた資格をとってもらわねばならず、そこで猛反対にあいました。

 その後、何度も話し合いをし、理解を得ようと努力したのですが、ついに意見はまとまらず、私は「六甲山カフェを潰した男」として退場せざるをえなくなり、復活した「六甲山カフェ」では「大谷茶屋」で許可されていないナマモノなども堂々と販売され、代表者として私の連絡先が公表され続けたために、苦情や指導はすべて私の元に寄せられるようになりました。こちらから何度も改善を申し入れましたが現状は変わっていません。つまり、彼らは自分たちのやりたいことを実現するためには手段を選ばないのです。

 その中心人物が、「リュックサックマーケット10周年記念ピクニック」のトークライブに名を連ねている面々です。そしてこれは同窓会なのです。そんなステージには、私は死んでも立ちたくありません。私はmayasan.jpにも問い合わせましたが、人脈が繋がっているので当然ですが、これらの活動は「六甲山カフェ」との一貫性を失ってはいなかった。しかも、「六甲山カフェ」のブログにも、これを期に「リュックサックマーケット」へも積極的にコミットしていくという意思表明がなされており、主催者もその通りという方針を述べられた。

 もちろん反論して戦う方法もあります。しかし、何の関係もないお客様の前で論争なんてできないし、主催者側で決まってしまったものを、私の個人的意見で変えさせることもできない。しかも彼らはエリート中のエリートで頭脳の出来が私とはかけ離れていて、限られた時間で私が彼らを論破することなど到底不可能だと思います。情けなく、残念なことですが、私が退場するしかないのです。

 まあ大体そんなことです。いろいろ楽しかった。感謝してます。次なる活動の場を見つけようと思います。ありがとうございました。

posted by jakiswede at 16:29| Comment(3) | 音楽活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
あの人達とどういう接点がある人なのか摩耶山で知ってそうなのって僕くらいでしたね。。。
てか、あの人達があっちではじめたのが、リュックサックマーケットですもんねえ。

ステージの場所的には演奏と座談会は別けられてましたが、伊丹さんの書かれてることベースにしたら確かに同じにはされたくないですね。

まあ私は摩耶山の方は初回から居ましたけど、あの人達とは顔は会わせてますがほとんど交流も無く知り合いって言えるほどのこともないのでどうにもどうこう言いようもなく、只伊丹さんと接点のある場所を失って残念な気持ちで一杯です。
また何かお会いする機会が御座いましたら、よろしくお願いします。
Posted by こまつ at 2016年09月22日 23:34
へえ、ステージは分けられてたんですか。発表されたタイムテーブルによると、11時演奏開始、14時座談会・・・となってましたので確認を入れたのですが、主催者は「同じ場所でやります」と言ってました。私が「タイムテーブルはこちらで決めてある」と反論しましたが、「主催者はこちらです」・・・以下、議論の応酬になりましたので、まあよくわからん人たちですわ。プロジェクトの趣旨は素晴らしいと思うのだが、アクション・プランがなってないよな。
Posted by itaminho at 2016年09月23日 23:25
ありゃ?
それは。。。何なんですかね??

僕のイメージ的にはアコースティックピクニックとかDJ組とかイベントごとに各自お任せでやってるものだと思ってたんですがねえ。。。主催者かぁ。
その主催者ってのが、慈さんだとしたらそんな感じで言うとは思えないんですがねえ。。。
んー、何か齟齬があるような気もするんですが、どうなんですかねえ。

てか、元々リュックを始めた人達に、摩耶初期の浮浪者が酒持って上がって飲んだくれてるみたいなスタイルが余り受け入れられてないみたいな話を慈さんから聞いてて、お洒落な人達は違うなあというのがあの人達のイメージで、それで止まってますね。
Posted by こまつ at 2016年09月24日 00:55
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。