2017年02月03日

20161116 能勢電1700

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 たまには鉄道少年に戻ってみる。男の子は多かれ少なかれ電車が好きだと思う。大きくて硬くて力強いものに憧れるからだ。しかしなぜか、おおっぴらに電車が好きだとはなかなか言いづらい空気がある。それはたぶん、「憧れる」ということは「持っていない」ことを認めることになるからであろう。昼間っから電車の写真なんか撮っているのは、世間からお呼びのかからない暇人であって、男として後ろめたいという思いがある。でも本心は堂々と、好きな電車を心ゆくまで撮ってみたい。その電車が最も美しく力強く格好よく映える撮影スポットを探し出し、何度も通い、季節や天気や光の具合を待って、ベスト・ショットをものしてみたい。しかし現実にはそんな時間などありはしないのだ。で、仕方がないから駅のホームで電車を待つ。狙い通りの車両がすぐ来てくれれば良いのだが、大抵そんな時に限ってなかなか来ない。もしかしたらその日は運用に就いていないかもしれない。何本も電車をやり過ごしていると、それがラッシュ時なら駅員や学生バイトに見咎められはしないだろうか、普通にも特急にも乗らなかったことをたまたま見ていた客に怪しまれないだろうか、いやいやもうやめよう、今日は諦めようなどと、なにも悪いことなどしていないのに、つい萎縮してしまうのである。


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 そうして私は数多くの取るべき車両を取り逃がしてきた。阪神淡路大震災から生活を立て直すゴタゴタの1995年秋に阪急京都線の特急専用車2800系がさよなら運転して廃止になったのを知らなかったことは致し方ないとしても、能勢電に移っていた旧1010-1100系が2001年まで残存していたことを知らず、近くは京都線で最も車齢の古かった2300系が2015年に廃車されることは知っていたが動けず、能勢電に移って1500系となった元宝塚線専用の旧2100系が2016年5月に廃車されたことを知らなかった。生まれ育って毎日のように乗っていた宝塚線の主力車両3100系の写真は幾つかあるが、つい先日全廃になった最後の姿は見なかった。残念至極断腸の思いであるが興味のない人にはわかるまい。今は神戸線の同期3000系が伊丹線に余生を送るが、これはこの冬の間になんとか収めておきたいと思っている。


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 さてこれらの写真は能勢電で今も残る1700系すなわち阪急の旧2000系である。その弟分である旧2100系すなわち能勢電1500系よりも車齢は古いが現役である。銘板にもある通り昭和35年すなわち1960年つまり私と同い年、なんと56年の長寿なのである。しかも、この1734号車は旧2000系のトップ・ナンバー「2000」である。ひとつの系列のトップ・ナンバーがなぜ中間車なのか ?? 良い質問だ。阪急の2000-2100系は全く不思議なことに、それまでの阪急の編成内の車両の並びに反して、梅田側先頭車にパンタグラフがなく、あたかも神戸・宝塚側が先頭であるかのような編成になっている。しかし編成を車両番号でくくる時には梅田側を基本とすることから、編成美的感覚としては神戸・宝塚側が先頭であるにもかかわらず、編成系統は梅田側から順列にするので、例えば2050Fは、2050-2000-2051-2001の4両ユニットとなって、トップ・ナンバーが中間に来てしまったのである。ああ、ここで前もって阪急2000系以降9000系までの車番のつけ方のルールを説明せんければ、なぜそうなるのかがわかってもらえんのだがまあええやろ。


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 この2000系は車両間通路にドアがなく、しかも幅広なので、冬は風が吹きすさんで寒かった。幅広は改良されたとはいえ、昔の名残を残しているのは懐かしい。で、1枚目の1701号車であるが、実は阪急の旧2044で、これはもともと2114だった。つまり宝塚線用に設計変更された2100系の電動車としてはラストナンバーであり、この車両は神戸線が昇圧された時に改造された2000系の余剰機材を試験的に積み込んだ2162Fの先頭車であって、この編成だけはそのまま2000系の仲間入りをして混用され、神戸線はおろか京都線にも移籍して、私の中学高校時代には強烈なモーター音と金属的なブレーキ音と焦げ臭い匂いと激しい横揺れと、しかも非冷房で主に急行に使われていたものであった。当時の編成は、2162-2112-2113-2164-2114-2058-2009であって、京都側にパンタグラフ一丁を掲げ、片方はもぎ取られたままの姿で轟音を立てて驀進する姿は、まさに荒鷲をイメージさせるものであった。ではなぜ2114が2044に付番されたかというと、いれ以前に、昇圧工事の関係で2000系を改良した2021系という系列があって、それが運用上孤立したグループになり、電装解除されて3000・5000・5200系の付随車に転用されていた。その際2021系は改番されて2171系となり、2021-2041が欠番となっていた。つまり2021系は廃止された後だったので、2021系の追番でも支障なかったのである。そこで、2162Fを2000系に編入するにあたり(当時すでに2162Fはバラされて編成をなしていなかったが) 、2162-2112-2163-2113-2164-2114を、2092-2042-2093-2043-2094-2044に改番した。で、この車両はそのラストナンバーというわけである。それがさらに1701に改番されて能勢電を走っている。ということは、この車両は支線運用はなかったはずなので、宝塚・神戸・京都の阪急本線のすべてを走破した上に能勢電まで走っているという強者なのである。同じ2162Fからはもう一両、1733 (旧2042←2112) が生き残っている。

 阪急で最初の高性能車である旧2000-2100系のトップナンバーとラストナンバーが、同じ能勢電のレールを今も行き交っている。阪急の旧型車両には、開発の経緯から生い立ち、運用、境遇に至るまで、いろいろな変遷をたどったものが多い。年下の弟たちが先にばらされちゃったのに、運用という時の計らいで生き残った同い年の車両たちを見ると、つい愛おしさを感じてしまうのである。


 (この車両は映画「片道15分の奇跡」で使われ後々まで愛されたものです)


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posted by jakiswede at 00:33| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2016 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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