2017年02月06日

20170206 阪急3054F

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 ある日の阪急伊丹線。残り少なくなった阪急3000系である。この「3003」という車両には思い出がある。母に手を引かれて幼稚園へ通いだした頃、宝塚の山の手の住宅地から、今の新176R (当時はバイパス) の宝塚警察のすぐ裏手の幼稚園まで、子供の足だと裕に一時間はかかったであろう。その途中、清荒神の駅の踏切を渡る。そこに、真新しい「新型」車両が止まっていた。塗料の匂いが漂ってきそうなほど何もかもピカピカでびっくりした。それが、この「3003」号車だった。今でもその姿は目に焼き付いている。思えばこれが私の鉄道への趣味の始まり、まさにこの車両こそ、そのきっかけを与えてくれたものである。


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 銘板に「昭和39年」とある。阪急の高性能車の奔りは2000系 (以下、2021系と2100系を含む) であって、これは「ローレル賞」を受賞したのだが、3000系 (以下、3100系を含む) というのはそれに次いで製造されたグループである。鉄道、というか、電車への関心、まず最初に惹かれたのは「方向板」といって車両種別や運転区間を客に知らせる標識板が前面に掲げられていて、そこにか書かれている漢字、とくに「急行」や「特急」と書かれた字体だった。上の銘板にある「ナニワ工機」 (現在の「アルナ車両」) という字体もそうだが、力強さを形に表現した独特の雰囲気を持っている。子供心に、そこから垣間見える社会、大人の世界、世の中の勢いを肌で感じ取っていたのかもしれない。ちなみに、その銘板の下に車両諸元が掲示されているが、かつてはここに整備記録票が挿入されてあり、製造年月日と、最新の整備年月日がわかるようになっていた。


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 さてその次に関心を持ったのは、私の場合パンタグラフの配置である。何両かある編成にどのようにパンタグラフを配置するか、これにはその鉄道会社の美学哲学が反映しているように思われる。上り側前方から見ても下り側前方から見ても先頭に見えるように配置するようにしている会社もあれば、一方が先頭で他方が終端というイメージで配置する会社もあり、両者をうまく融合させたり、それをわざと混乱させることによって力強さを表現しようとしていると思われる会社もある。阪急の場合は、500系という非常に古い系列のごく初期のものを除いて、長らく梅田側を先頭として、すべてそちら向くように配置されてきたのだが、2000系・3000系・5000系・5200系はそれが逆転しているのである。ちなみに京都線の兄弟系列の2300系・2800系・3300系は、他のすべての系列と同じく梅田寄りを先頭としている。なぜかという疑問が子供に解けようはずがない。しかしその解けない例外的ルールというものが、社会の複雑さや混沌を教えるきっかけになった。3000系の場合、冷房化のときにパンタグラフの付け替えが行われたので、どちら向きというニュアンスは無くなってしまったが、車両番号にその遍歴が残る。つまり、大阪側にモーターがないのである。


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 そう、車両番号も子供にとって不思議でならなかった。最初に覚えたのは、宝塚線を走っていた3100系のもので、そのトップナンバーを含む3150Fのものであった。3150-3600-3650-3100=3151-3101という6両編成 (竣工当時) だった。順番につければ良いものを、なぜこんな並べ方をしているのだろうと子供心に思った。そして乗っているうちにモーターの音のする車両としない車両があり、音のする車両にはパンタグラフが付いていることに気がついた (当時の3000系の編成の場合) 。そしてその6両編成は、途中に運転席のある車両があって、そこで4両と2両に分割できるようになっていることに気がついた。やがて、車両番号の下2桁が50未満のものからはモーター音がし、50以上のものからは聞こえない。百の位が0と1のものには運転台があり、5と6のものにはなく、百の位にそれ以外の数字がないことに気がついた。それを上の編成に当てはめると、Tc-M-T-Mc=Tc-Mcと分類でき、当時の同じ系列の6両編成には、すべてこの法則が当てはまることを知った。子供心に、分析と綜合という概念をつかんだのである。したがって、上の車両番号は、製造時系列につけられたものではなく、形式別に分類されたものであるということを知った。こうして病みつきになった。いうまでもなく、5300系の登場時点までなら、阪急の全車両の編成を諳んじていた。


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 この3054Fの場合、最大8両編成で運行されていた。3054-3502-2079-3004=3053-3530-2088-3003であった。上の3150Fが整然と並んでいるのに対して、この編成には乱れがある。そこには大変深い物語があるのだが、いまはちょっとやめておこう。この編成は、8両編成で運用されていた黄金時代が終わって主力から外され、分割されて支線運用に回されるにあたって、前後4両ずつに分割されたのではなく、中間車両を抜かれたり他の編成から持ってきて4両編成を組んだのである。現在3054-3502-3551-3003という編成で走っているが、なぜここに3551が入っているのかと、子供心を残した私は疑問に思った。


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 そんな思いで3054Fを見送った後、3052Fが回送で入ってきた。おお、これぞまさしくその3551が入っていた編成ではないか、確か私の記憶が正しければ、3052Fは、3052-3501-3551-3002=3057-2029(2179)-3518-3007であったはずだ。その先頭と終端の関係は維持されている。しかし3両目すなわち3551のあるべき位置に連結されていたのは、・・・


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・・・なんと3651だった。これにはびっくりした。3651というのは3152Fに編成されていた3100系の付随車であって、その3100系は先日全廃されたのである。ということは、これは現存する3100系唯一の生き残りではないか。なんのめぐりあわせか、いつの時点の運命のいたずらか、3152Fから3651が外され、それをわざわざ3052Fから3551を外した後に組み込み、その3551は3054Fに組み込まれているのである。なぜそのようなたらい回しが行われたか、そこであらためて3054Fの8両編成を思い出してみる。そうだった、3000系はもともと6両編成で登場し、7両編成になった時に車両が足りなくなって、一部の編成に当時孤立していた2021系を電装解除して組み込んだ。さらに輸送量増加に対応するために8両編成化された時に決定的に足りなくなって、全編成に2000系を付随車に改造して組み込んだのである。つまり、純粋な3000系3100系だけの8両編成は存在せず、編成の中に1両か2両の2000系を含んでいた。2000系を2両含んだ3000系の編成には3000系の付随車が存在しなかった。3054Fもそのひとつで付随車はすべて2000系だったから、他から借りてこざるをえなかったのである。2000系というひと世代前の系列と、老朽化の進んだ3000系の車両を淘汰する中で、たまたま3054Fの3両は残されることになったが、4両編成にするためにはどこかから付随車を持ってこなくてはならなかった。そこで淘汰されつつあった3100系3152Fがバラされたのを機に、その付随車3651を3000系支線運用編成に編入することになり、工事のタイミングか何かが原因でたらい回しが行われることになったのであろう。久しぶりにコーフンするもと鉄道少年であった。

 ちなみに3000系は現在、伊丹線に4両編成4本、今津線に6両編成3本が残る。伊丹線には3000系トップナンバーをかつて含んでいた3050Fが、そして今津線にはラストナンバーをかつて含んでいた3083Fが残っている。また、能勢電には3120F (旧3156F) の4両編成が一本残る。


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posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 鉄道少年の夢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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