2017年05月12日

20170512 Kerya

Uyghur-Pamir 2017.05.12.1 Kerya

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 いろいろあったが望みの街でとりあえず一泊、中国のホテルのシステムはちょっと変わっていて、宿泊料の数倍程度のデポジットを「押金」といってチェック・インの際に支払わなければならない。これはチェック・アウト時に、ホテル側が部屋を点検して、粗相やミニバーなどから消費したものがあれば差し引く仕組みだ。したがって、一様にチェック・アウトに時間がかかる。中国のホテルには必ずといってよいほど部屋に湯沸しポットがあって、いつでも熱い茶を飲むことができる。ホテルだけでなく、駅や列車、バスターミナルなど、旅行者が必要とする場所に大抵熱湯を供給してくれる設備があって、しかも無料である。これは世界的にも珍しい。私は夜のうちに近所のスーパーへ行って、なかなかしっかりした保温ボトルを買った。これには、取り外しのできる茶漉しがついていて、店のねーちゃんが言うには、これは中国では当たり前のことで、中に茶葉を入れて、そこらで湯を注ぐと、大変旅行は楽しいものになるといって、店にある茶葉をいろいろ勧めてくれた。そこで薄荷茶 (ミントティー) と砂糖を買って部屋でじんわりと温まってみた。ねーちゃんの言う通り、これは、その後の中国の旅で何度も繰り返された職務質問や身柄拘束に耐える心の杖となった。

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 さて早朝にケリヤの街を散歩してみる。昨日拘束された一角に行ってみると、なにやら人だかりがあって、何台かのワンボックスのワゴン車にウイグル人が群がっている。日雇人夫の寄せ場とみた。漢人の手配師と思われる人相の悪い男たちがたむろしていて、私を認めると手で追い払う仕草をする。やがて警官が数人駆け寄ってきたので、私はそれを避けて手前の路地へ入った。そこは、テーマパークのようになったエリアの内部へ通じており、なんと検問所は無人だった。その後わかったことだが、検問所は、北京時間の9時前は無人であることが多い。こうして、昨日時間切れで彷徨い損ねたケリヤ北側のウイグル人旧市街を、存分に散策することができた。この風情は、全く涙の出るほど貴重な体験だった。そこは「尔班小鎮 (Kurban Town) 」という名の区画であった。むろん尔班」とは、ホータンの団結広場にあった、例の毛沢東と握手をしている像の主である。彼がケリヤ出身であるため、この街にウイグル人居住区の風情をテーマ・パーク化するにあたって、その象徴しとして名付けられたものと見える。

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 中国政府がケリアにおいて、伝統的な旧市街である「老城区」のどの区画を保存し、どの区画を再開発するのかは明確にされていて、現地のウイグル人たちはそれに従うしかないようだった。そのまま自分たちの勝手にはさせてはくれないのだ。「平安家庭」と題された表札が入口に掲げられた家があって、おそらく主人の顔写真とともに、政府からの許可証と思われる銘板や文書が掲示されている。いわば文化財として保護するという名目で、ケリアの場合、却ってこれらを過剰装飾し、テーマパークのように美しく設えて、「景観区」のような観光資源にしようとしているかのようだった。その有様は、チベットのラサのポタラ宮の前に派手に遊園地を建設した中国的なセンスに通じるものが感じられる。しかし、それでもなお、ここにはウイグルの「血」がひしひしと感じられたのである。整備された景観区においても様式の中に彼らの美的感覚が詰め込まれていたし、そこから外れた村の佇まいにも、もちろんポプラや胡の並木道を行くロバの荷車の軋む音にさえ、つまり麦畑から土壁、天空を舞う細かい砂塵、要するにそこにある全てがウイグルだった。私はその中に埋もれていた。その匂いや音や光は、全く私の感性と共鳴して揺さぶった。羊の皮下脂肪のようにこってりと分厚く濃厚なものだった。これほど確かで確固として変えがたいものでも、中国という力は、これを侵食し尽くして飼いならすのであろうか。長い歴史の中でもアイデンティティを失わなかったウイグルは、これだけの残り香を持ちながらも、中国と慣れ親しんで取り込まれていくのであろうか。それが歴史的必然という大きな流れなのだろうか、それは幸せなことなのだろうか・・・私一人の胸の内を語ったところでどうしようもない、非力な自分が、蚊の泣くよりもか細い声で、「時よとまれ、美しい」と叫んでみたところで何にらなる ?? あまりのことに、ただただ戸惑うばかりであった。

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 ホテルに戻って朝食バイキングをいただいた後、今度はケリヤ川へ行くことにした。通りを東へ向かうバイク・タクシーに頼んでみたが、誰も乗せてくれないので、仕方なく歩くことにした。町外れに検問所があったがノーチェックで通れた。だだっ広い車道を一人徒歩で行く姿はあまりにも奇異に映ったのであろう、沿道や車からの視線を感じざるを得なかった。公安警察のパトカーが数台、減速しては通り過ぎ、やがてUターンしては戻ってきた。明らかに監視されている。しかしそんなことを気にしても仕方がない、私はケリヤ川を目指して歩き、ようやくその畔に立った。川は大掛かりな造成工事が行われていて、この地方の風光の目玉ともいえる胡の森は全く見ることができなかった。あまりにも監視がきつくて、そこから脇道へ私を乗せて行ってくれそうな車を探すことなど、全く不可能だった。仕方なく、元来た道を戻り、フリーパスで出してくれたウイグル人の警官の導きで街に入った。

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 今日は、この街で週一回の農民バザールが開かれる。街に戻って、おそらく旧市街の中心であろうと思われる辺りを伺っていると、事実、次から次へと、農産物を積んだ三輪バイクがやってくる。それらが吸い込まれていく鉄門の検問所で、私はバザールを見たいから通してくれと掛け合ってみたが警官は首を横に振るばかりだった。その脇でナンを売る爺さんがいたので、柵越しにそのナンを売ってくれと身振りで示したが、爺さんはすまなさそうに両手をこちらに向けて私を制止する仕草をした。どうもやりにくい。

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 ホータンに戻ることにし、チェック・アウトのためにホテルに戻った。ホテルには、門とロビーに数人ずつ警官が配置されていたのだが、昨日と同じ顔ぶれで、お互いにこやかに会釈を交わし合う程度にはなっていた。早朝散歩に出たときは、彼らはその場に突っ伏して寝ていた。ある者はパイプ椅子で、ある者は縁石で、ロビーのソファを使えるのは、おそらく上役の者だろう。様子から見て大してもらってないと思われる。仮眠続きの疲労感と苛立ちが表情に表れている。チェック・アウト後、バス・ターミナルへ向かう前に、門の詰所にいる警官とタバコのやり取りをして別れを告げた。砂漠を走る高規格道路、巨大物流センターに取り囲まれた街、破壊された伝統的旧市街、管理される農民、日雇仕事にあぶれて縁石に座り込む労働者、疲れ切った警官・・・甘い香りのするミントティー・・・しかし、まさに、たしかに蠢き起き上がろうとするウイグルの魂・・・それが私がこの街で体験した全てだった。この街で起こったことを、どう解釈してよいかわからないまま混沌とした気持ちで、バス・ターミナルに入った。もちろん交通機関の停留する建物の入り口では保安検査がある。身柄は通ったが、荷物の中のライターは目ざとく見つけられた。思えばウルムチの空港でライターを見つけ出されて以来、ライターを持ったままでの保安検査は初めてだ。飛行機を降りて以来、初めての宿泊地がケリヤだったからである。朝食後にどうしてもタバコを吸わなければ排便できない私にとっては、ライターは必需品だった。ライターはこの街で昨日買い、今朝一回使っただけで没収された。中国の法律がそうなっているのだから、それは仕方がない。守ろう。それに配慮してか、ライターは1元 (約18円) と格安だ。許そう。しかしね、「らいたー !! らいたー !! 」と、ニホンゴまくしたてて他人の購入したライター没収しといてやね、そのライターで、あろうことかバス・ターミナルの施設内でスパスパとうまそうにタバコ吸うとんのはね、おいこらお前ら、どーゆーシンケイしとんかねお前ら答えんかいこら !! ゲート脇の段ボール箱にはうず高くライターが投げ捨ててあって、どうせこれらは転売されて奴らの余禄になるのであろう。叱られなければ何やってもOKなんだこの国は。

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | Uyghur-Pamir 2017 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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