2017年05月13日

20170513 Yerkent

Uyghur-Pamir 2017.05.13.2 Yerkent

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 シルクロードの歴史の好きな人には「ヤルカンド」という日本語が定着しているが、現地では中国語で「莎」(Shāchē、シャーチェーと聞こえる) 、ウイグル語で「يەكەن」(Yerkent、人によって発音は異なり、主にイェケン・イェルケントゥ・ヤーケンなどと聞こえる)。「莎」は、漢の時代にこの付近に存在したオアシス都市国家の名前で、漢に服属したり背いたりしていたが、やがて西方の疏勒 (現在のカシュガルを中心としたオアシス都市国家) に服属するようになる。以後、この国名は歴史に浮上しない。漢人は、いまもこの街をイスラム以前の名称で呼んでおり、たとえば鉄道の切符を買う際などには、この名前を使わないと通じない。一方、「ヤルカンド」は、主に16-17世紀にこの地に存在したハン国の名称で、トルキスタンに於けるスーフィズムの発生と展開に大きな役割を果たしている。この街もケリヤと並んで、中国人とウイグル人の間で呼び名も意味するものも全く異なる街であるが、特にこの街は、イスラムの歴史を避けて通ろうとする漢人的感覚と、尊重するウイグル人的感覚の対立が顕著に表れている。中国政府は日本に対して「歴史を直視しろ」と言うが、おのれの裏庭では、直視どころか歴史も文化も破壊し葬り去る暴挙を繰り返している。現在進行形のその有様を、短いこの街の滞在中に垣間見ることになった。

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 南疆では、私は地区の大都市であるホータンよりもケリヤとヤルカンドを重視していた。ケリヤへの訪問は幻のダリアブイに少しでも近づきたいがために、そしてヤルカンドはウイグル人の音楽的ルーツである「ムカーム」に少しでも近づきたいがためだった。ホータンを早朝の一番列車で発ったのは、ヤルカンドの最も大きなモスクでの午後の礼拝に間にあわせるためであった。礼拝の前には必ず「アザーン」という呼びかけの声が聞かれる。これは宗派によって、また流派によって異なり、特にヤルカンドの「アルトゥン・マザール」では、他ではあまり聞けないナクシュバーディというトルコ系スーフィズムの流れを汲む流派の肉声のアザーンを聞くことができる。それを主眼に、ムカームの都といわしめるこの街で、そんな一風景にでも出会えたらと期待したのであった。

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 駅を降りてすぐ前の広場にいくつかの系統のバスが止まっていたが、アルトゥン・マザールへ行くにはどれに乗るべきかわからなかったので、声をかけて来たタクシーの運ちゃんに頼んだ。するとこいつが非常によくわかってくれて、まさにどんぴしゃの場所で私を降ろしてくれたのである。交差点の北側に公園が広がっていて、そこは歩行者天国になっていた。実に美しく整備された観光名所である。見事なイスラム建築に囲まれた一角は、規模こそ違え、ウズベキスタンのレギスタン広場を彷彿とさせる。サタールを弾く女性の彫像のたもとに英語で説明があったので、「Welcome…」から読みはじめたところで、肩をポンポンと叩く者があった。振り返ると、黒い制服姿の「特警」三人に取り囲まれて御用となった。ケリヤのテーマパークと全く同じパターンである。あんたらウェルカムなのかそうじゃないのか・・・まあそんなこと言うてもしゃーないんで、おとなしく護送車に乗せられて警察署へ Go !! (;_;)

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posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | Uyghur-Pamir 2017 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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