2017年05月17日

20170517 Tashkurgan

Uyghur-Pamir 2017.05.17 Tashkurgan

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 タシュクルガン、ウイグル語で「يېنگىيېزىق」、タジク語で「Тошкйрғон」、発音は、ほぼ同じで「タシュクルガン」、中国語で「塔什尔干 (Tăshìkù'ĕrgàn)」と音写されているが、ペルシア語およびテュルク系言語で、ほぼ同じ「石の城」を意味し、町の象徴である「石城 (shítóuchéng)」を指したものである。東西トルキスタンには、同じ語頭や語尾を持つ地名があり、かつてのウズベキスタンの旅で最初に降り立った首都の「タシュケント (Tashkent) 」はテュルク語ですなわち「石の町」、その第二の都市「サマルカンド (Samarkand) 」、今回の旅で捕まった「ヤルカンド (Yerkent) 」の、これら三つの語尾は、すべて「町」を意味している。新疆ウイグル自治区の南西の最果ての地、「タシュクルガン・タジク自治県」という名のごとく、ここはもうタジク人の世界。しかし歴史を紐解くと、中国西域の入り口から西はギリシヤにまたがる広大な、二千数百年にわたる多数の民族の興亡の結果、その末裔があちこちに置き去りにされた証である。

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 タシュクルガンは、ほぼ東西に「塔什尔干路」、南北に短く「紅其拉甫路」という道路が交差していて、その周囲に東西に長く一本ずつの通りが周回しているだけの、ごく小さな町である。ちなみに紅其拉甫」とは、中国とパキスタンの国境がある峠の名前「Khunjerab Pass」の音写である。まったくわからんねここまでくると。ちなみにカシュガルを発してその紅其拉甫路峠に至る国境街道は「国道314号」、通称「中巴友公路」といい、「巴」は「パキスタン (巴基斯坦) 」を指す。これを含み中国のカシュガルからパキスタンのラワルピンディを結ぶ街道を「カラコルム・ハイウェイ (K.K.H.) 」という。ここへきてようやく、町の道路名が「団結路」・「人民路」・「体育路」・「文化路」・「建設路」などという、中国特有の共産党的スローガンから解放され、国境の町であることが実感された。ウザいねんこんな名前。バス・ターミナルは、その交差点の少し東にあり、パキスタンへの国際バスに乗るためには翌朝9時に来いと言う。まだ北京時間の午後3時、つまり現地感覚では昼過ぎなので、ゆっくりこの小さな街を観光すべく、「塔什尔干路」の東の果ての絶壁に綺麗なホテルがあったので入ってみた。タシュクルガンでも、外国人に対する監視の目はほとんど感じなかった。おそらく安ホテルにも泊まれただろうし、中心部の広場にはY.H.もあった。しかし、なんとなくこの町、寂れているというだけでない独特の情緒があって、中国最後の宿泊でもあるし、気に入ったところに泊まってみようと思ったのである。フロントのねーちゃんもごっつい別嬪やったし、部屋からの眺めも最高だったので、ここに決めた。常に崖ッ縁゜走り続けてるんでね、絶壁好きなんよね。

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 早速「石城」へ行ってみた。ところが、もうこれさすが中国、ラサの「ポタラ宮」は言うに及ばず、今回の旅で目にしただけでも、成都の「黄溪」、ケリヤの尔班小鎮」、カシュガルの「高台民居」が観光テーマ・パーク化され、そしてこの「石城」も目下鋭意大改造建設工事中のため閉鎖されていた。外壁から窺い知るに、観光バスを多数収容できる広大な駐車場を備え、数々のモニュメントに彩られた遊歩道が巡らされ、おそらくその内部にも周囲にもみやげもの店や遊園地などが建設されて、この独特の情緒ある寂れた街も大いに活気づくであろう。固く閉ざされた入口から延々と連なる高い防音壁に沿って通りを歩きながら、私は旅の不毛、人類の欲望、経済の不条理を痛感するのであった。「塔什尔干路」は坂道を下り、東に広がる低地湿原へ解放されている。事前の調べでは、町は断崖を隔てて湿原に降りられるようになっていたはずだが、今ではこれも整備されて、街を取り囲むように立派な周回道路ができている。横断歩道を渡ると、ウッド・デッキの設えられた湿原展望ご休憩コーナーがあり、その先には、なんとフリーマーケットやコンサートが開けるほどの巨大ステージがあった。いやあこんなところで京劇の公演なんか大音響でやったらすごいでしょうね・・・ああ ??

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 湿原の彼方には、タジク人遊牧民のユルタ (フェルトのテント) が見え、あちこちに放牧された羊の群れがある。湿原の中は小川が流れ、晴れていれば草原の緑と空の青、山の雪の白さが際立つ絶景が広がっていたことだろう。しかし、微妙に曇り時々雪交じりの霧雨あるいは砂嵐、でもまあこれはこれで光の具合が様々に変化するので貴重な体験とはいえる。やがて放牧の群れの一つがこちらへ近づいてきた。羊飼いは、朴訥な表情の、いかにもタジクというプライド感溢れる精悍な男であった。前回ウズベキスタンの旅の中にあって、ブハラのキャラバンサライで大変世話になったタジク人夫婦を思い出す。姿形でホレますねえ、この簡素にして剛健な姿。十分散策して、寒くもなってきたし、中国での最後の晩餐は敢えて辺境に於ける中国料理で、と考えて、鳩 !!

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 翌朝、寝過ごしてしまった。とはいっても9時には余裕はあったが、7時半からの朝食サービスは断ってチェック・アウトせざるを得ず、フロントの別嬪のねーちゃんが申し訳なさそうにしていた。いやあ、一日伸ばそうかなあ・・・とりあえず駆け足で昨日の湿原を一回りして、急いでバスターミナルへ・・・毎日走り続けてるんでね、絶壁好きなんよ。

posted by jakiswede at 00:12| Comment(0) | Uyghur-Pamir 2017 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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