Uyghur-Pamir 2017.05.19.2 Passu
Passu Innの主Nasserさんは、地元のガイドも引き受け、トレッキングのインストラクターも務める。料理の腕も良い。また、このPassu Innは村の中心・・・といってもPassu Innと数軒の食料品店があるだけだが・・・にあり、K.K.H.を通過する車が立ち寄ったり、スクールバスの停留所があったりして、いわば地域のコミュニティ・センターの様相を呈している。朝夕には子供たちが、昼時には仕事などで往来を通過するドライバーが、それ以外にも地元の村人たちが三々五々、集まってくる。居ながらにして現地の人と触れ合うことができるのがとても良い。
朝食後、前庭でくつろいで居たら客があり、ともにミルクティーを飲む。彼らがGulmitへ向かうというので便乗させてもらい、足を伸ばしてみることにする。K.K.H.沿いでは、北はSoustから南はGilgitまで頻繁に車の往来があり、ほぼ全ての車に便乗可能である。車のない人には便利な足、車を持っている人には良い小遣い稼ぎになっているようだ。道路も整備されていて問題なくこの区間を数時間で通過できる。
Gulmitの村に通じる橋のたもとの検問所で簡単に村への訪問の意向を告げると、近所を歩いていた高校生をガイドにつけてくれた。彼は英語が堪能で、彼の家に帰るまでの道すがら、村の中を道道案内してくれた。Gulmitの村は、K.K.H.がHunza川を渡った対岸にあり、2010年1月の大規模な地滑りの後、2年前までは陸の孤島だった。地すべりは5kmほど下流のAtta-abadで起こり、Hunza川がせき止められて、春から夏にかけて雪解け水が流れ込んで増水し、広大な湖ができた。Sarrat・Atta-abad・Ainabad・Shishkatの一部が水没し、Gulmitは水没を免れたが、ちょうど村のすぐ北の橋が流され、上下をアクセスするK.K.H.がGulmitとSaratの間で不通になった。果樹園や農地も水没し、住民は高台に避難した。その後、村人は新しい村を建てたり疎開したりしたが、平地が少なく、農耕にも適さないので、多くは観光業に就いた。2年ほど前に中国の資本でこの区間を跨いだりトンネルを通したりしてK.K.H.が再建されたが、その間は今いる場所のすぐ北に船着場があって、そこからSaratまでは小舟で一時間以上かかった。その頃からGulmitかPassuのGojar地方 (Upper Hunza) の観光開発が盛んになって、中国からの観光客が増えた。開通してからは南部からも観光客が来るようになった・・・と、こんな説明をしてくれた。
村は斜面のゆるやかになった部分にできた森に抱かれるようにあって、山から流れる水を各家庭の敷地や畑にうまく分散して流している。これは生活用水、農業用水になるのだろう。家庭は石塀で区切られていて、そんなに高くはない。背伸びすれば覗ける程度だ。道は舗装されておらず、集落の中までは車では入れない。ほとんどすべてが上下の狭い石道で、塀と塀の間や塀の中を村人が横切る姿が見られる。彼によると、この村は居住用で、多くの人はHunzaなどの観光地やGulmitから北の観光客用ホテルやレストランに働きに出たり、トレッキングのガイドやシェルパなどをする人もあるという。村のはずれの別の斜面から連なる扇状地に村の農地があって、主に女性や老人が農業に従事している。山が脆くて時々崖崩れがあるが、それ以外は静かだという。寡黙で口数の少ない子だったので、あまり対話は弾まなかったが、共に歩いて心地よい時間を過ごせた。
Gulmitから徒歩でPassuへ戻りがてら、辺りを散策することにする。乾燥した天候、植物の少ない鉱物の世界、フンザ川の雪解け水の激しい流れ、脆い岩石の斜面・・・非常に危ういバランスの中で、この景観と人々の生活が長年守られてきた。今でこそ舗装道路が首都から中国まで貫通しているが、ほんの数十年前までは、ジープはおろか、徒歩かラクダでないと入れなかった地域である。斜面に細々と続く、道とも言えぬほどの人の踏み跡がそれを物語る。それが、所々の斜面の崩れによって寸断されている。いまでも断崖絶壁を伝っていかないと渡れない橋がある。道路が寸断されていた頃のの船着場と思しき場所へ降りてみた。小さな船しか使えまい。人も物流も、一度に運べる量はわずかだっただろう。その苦境の中でも、細々と人と物の往来は続いたのである。振り返ると反対側の斜面が大きく崩れた痕跡が目前に迫っている。足で触ると非常に脆い。そう、あたり一帯、どこもかしこも脆いのだ。それにもかかわらずというべきか、それだからこそというべきか、この風景、この人情、この空気が守られたのである。私はそこに浸りながら、自分がそれに耐えられるだろうかという疑念から逃れられなかった。
そんなことを考えながら数時間をかけてPassu村まで歩いて戻った。Gulmitのひとつ上流の隣村Husainiの段々畑は、どこか日本の棚田を思い起こさせる。村の中は生活道路、村を通り抜けると自動車道一本道を歩いたので、途中何度も「乗らないか」と誘いを受け、同じ車が用事が済んで引き返して来るのに出会ったり、ヘアピンの坂道の途中でに掘っ建て小屋でチャイハネを営んでいる哲学者に引きずり込まれたり・・・そこには先客が三人いて、いずれも大学教授だった。私が入ると皆英語に切り替えてくれ、この辺りで信仰されているイスラムの一つの宗派「イスマイール」のことについて語ってくれた。Passu村の対岸の壁面に「Hazir Imaam」と大書されているのを見たが、彼がその宗派のGojarを代表する指導者だという。Gojarは、イスマイール派の慈善活動によって多くの恩恵を受けている、と彼らは言う。この山岳地帯が、どこか異郷の地のように感じられるのは、そのためかもしれない。さらに行くと、ボロボロのジープで「氷河を見に行こうぜ」と誘ってくれたじいさんがいたり、申し訳ないが私は歩きながら沈思黙考したかったので自分の道を歩んだのだが、それに対しても深追いせず・・・イスラムの人の善意は時として限りなくおせっかいになりがちだが・・・しかしなんとなく見守られているような安心感のある数時間であった。
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