2018.05.26は、前回の旅から帰って一年目である。一年経ったのに、まだ旅の記録の半分もまとめられていない。情けない限りだ。旅人の中には、旅の最中に、リアル・タイムで旅日記を挙げている人もある。尊敬に値する。私の旅ときたら、たいてい準備不足その場限りで、ズタボロ、荷造りもそこそこに、とりあえず持てる限りのものを持って、走れるだけ走って、疲れ切って毎日を終わるのが常だ。それを見かねた現地の人が、優しく手を差し伸べてくれる。それに十分答えきれたかどうかもわからずに、旅の恥はかき捨てとばかり、そそくさとその地を後にする。そして帰国した後、インターネットを通じて、旅先で世話になった人たちからメールやメッセージが寄せられる。あまりにひどい状態だったので心配したのであろう、「ちゃんと日本に帰れたか ?? 生きているのなら返事頂戴ね。」そうなのだ。大抵旅から帰ると、旅の間滞ってしまった日常の復元作業が待っている。それに忙殺されている間に、彼らに対する不義理はおろか、どんな旅をしたのかということさえ忘れてしまって、ついに旅の痕跡すら記憶の中を探してもあやふやになる。それでも友たちは、中国から、パキスタンから、アメリカから、ブラジルから、南アフリカから、コンゴから、エジプトから、ポルトガルから、そしてトルコから、また古くはウズベキスタンから、フランスから、ベルギーから、スイスから、イタリアから、イギリスから、「最近の書き込みを見ると、どうもいろんなことがうまく行っていないらしいが大丈夫か ?? もし苦しかったら私のことを思い出せ、どうしても耐えられなかったらこっちへ来い。また会おう。」などと書き送ってくれる。なんという心の優しさであろう。彼ら自身、決して楽に生きているわけではない。私以上に追い詰められ、苦しみ、生きるか死ぬかの崖っ縁の細道をしがみつくように這いずっているのだ。他人のことより自分の命さえ危ういというのに、わざわざ日本語の書き込みを現地語に自動翻訳し、度重なる書き込みを総合的に判断して、然るべき時まで待って、落ち着いてメッセージを送ってくれるのだ。私の子供と言ってよいくらいの若者なのに、決して落ち着いていられるような状況でないのに、なんと大人びたことだろう。それに引き換え、私なんぞ、彼らの親たる威厳どころか、なんと子供じみたことだろう。旅をして良かったと思うことは、彼らの身近に不幸な事件や情勢の悪化が伝えられたときに、現地の風景が、音や匂いとともに蘇り、彼らとその周辺の多くの人々のみの安全を思わずにはいられない気持ちになること、その積み重ねによって、世界が平和であってほしいと願う気持ちが確かに自分に芽生えることである。どうか、彼らの身に平安あれ、そして不義理な私を許したまえ・・・
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