2018年10月14日

20181014 Uyghur-Pamir '17

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 去年の中国からパキスタンへの旅の日記を清書し終えて、改めて思い出深い旅だった。実際の旅程を以下に記す。出費は、国際航空券のみネット購入のクレジット・カード払いで、行きと帰り合わせて8万ほど、出発時に関空で10万円の日本円を中国人民元と米ドルに両替して持ってゆき、ほぼそれを使い切って足も出なかったので安く上がった方か。中国新疆の外国人政策がもちっと緩ければ万単位で安く上げられたはず。好きな写真で、ざっと旅を振り返ってみましょう。18日間で、全く異なる4つの世界を縦断したことになります。

2017.05.09 (Tue.) 日本出国 (departure from Japan)

Kansai (KIX) 20:25~ 成都Cheng Du (CTU) 0:10 (+1) (四川航空 3U8088)

 中国入国 (entrance into China)
10 (Wed.) 成都Cheng Du (CTU) 18:00 ~ 乌鲁Urumqi (URC) 21:40 (四川航空 3U8841)
11 (Thr.) 乌鲁Urumqi (URC) 9:30 ~ 和田Hotan (HTN) 11:25 (中国南方航空 CZ6853)
和田Hotan - 于田Yutien
12 (Fri.) 于田Yutien - 和田Hotan
13 (Sat.) 和田Hotan 8:23 ~ 莎Yarkent 12:31 (中国鉄路7555次)
14 (Sun.) 莎Yarkent 17:57 - 喀什Kashgar 20:14 (中国鉄路 T9525次)
15 (Mon.) 喀什Kashgar
16 (Tue.) 喀什Kashgar
17 (Wed.) 喀什Kashgar ~ 塔什尔干Tashkurgan (by Bus)
18 (Thr.) 塔什尔干Tashkurgan (中国出国departure from China)
 ~ Sust (巴基斯坦入国entrance into Pakistan) ~ Passu
19 (Fri.) Passu
20 (Sat.) Passu ~ Karim Abad
21 (Sun.) Karim Abad
22 (Mon.) Karim Abad ~ Gilgit
23 (Tue.) Gilgit ~ Rawal-Pindi (by Bus)
24 (Wed.) Rawal-Pindi ~ Lahore (Pakistan Railways)
25 (Thr.) Lahore (LHE, departure from Pakistan) 23:40
 ~ Bangkok (BKK) 06:10 (+1) (Thai Airways TG346)
26 (Fri.) Bangkok (BKK) 08:25 ~ Kansai (KIX) 15:55 (Thai Airways TG672)
 日本帰国 (entrance into Japan)


 中国へは、以前からとても行きたいと思っていた。なぜなら、隣国でありながら社会体制が異なり、理解しがたい情報ばかりが目につくからである。私は1960年生まれなので、リアルタイムに毛沢東が生きていた。物心ついた頃に聞き知る中国・・・当時は「中共」といった・・・は、破壊と暴力と殺戮と、けたたましい論争に明け暮れている印象だった。世界中が西と東に分かれて罵り合っていた。西でもちょっと東のことを口にすると咎められるので、東に関しては清廉潔白であると演じなければならなかった。なにがどうだからそうなのか、子供には全く分からなかった。万博でソ連館へ行ったと言っただけで職員室に呼び出され、長時間の詰問を受けた。光り輝くソ連のパビリオンと、光り輝く白人のねーちゃんの美しさが強く印象に残っている。

 それは、いい大人になった今も、実は変わらない。事実上社会体制が変わった今でも、やはり中国という国はわからない。わからないけれども隣国なのだ。いや、それ以上にわからないのは、なぜ多くの日本人が中国を嫌うのか、個人的に恨みを持ったことのない人までが、なぜ中国を悪し様に言うのか、中国製品は粗製濫造の産物だというが本当か、中国人は平気で往来で用を足すというが本当か、そんな国民・・・中国風に人民といおうか・・・が支えている国は、社会は、街は、農村は、一体どうなっているのか、それを是非見てみたかった。

 中国人民の名誉のために、先にこの部分だけに答えておく。決して彼らのほとんどはそんな人たちではない。短い旅ではあったが、公の場所で用をたす人を私は一人も見なかった。中国製の子供のズボンの股は排便のためにあらかじめ開けてあるというのは嘘だ。それより、そんなものを目ざとく見つけてネットに載せる日本人、それを格好の攻撃材料にする日本のネット難民の性根の方が情けないと思う。むしろ中国人民の個人個人はとても親切で、右も左も言葉もわからないこの旅人の手を取ってわざわざ目的地へ向かうバスを探して運転手に伝言してくれ、周りの人たちもそれを聞いていて降りるべき場所が来たら、まるでお輿にでも乗せるかのように降ろしてくれ、行くべき方向を念入りに指し示して教えてくれるほどの人たちだった。物を落としたら拾って手渡してくれるのも日本人と変わらない。危険があれば注意を促してくれるのも普通だ。つまりどこの国とも変わらない。

 しかしそれは例えばバスや建物の中という、閉鎖的な空間の場合である。往来のように、誰が見ているかわからないような場所では、確かに彼らは極端に無表情になり、できるだけ人と関わらないようにする。そのギャップに当初は戸惑うのだ。何事においても几帳面な傾向のある日本人とは違って、まあいろいろと大雑把ではあるが、街も社会も秩序立っていて整然としているし、平時においては特に混乱はなく治安は良く保たれている印象だ。もっとも、これは、もういやというほど書いたが、極めて強力に管理され、監視されている社会だからそうなのであって、公共の場所では声を潜めてそそくさと通り過ぎるのが彼らの法であるようだ。それはある意味、致し方のないことなのかもしれない。そう、そのへんが中国のわからないところだ。

 初めての中国旅行にしてはディープな旅程であることは承知している。私の初めての海外旅行がザイールであったのだから、これはどうしようもない。新疆ウイグル自治区・・・要するにシルクロードへの憧れである。もちろん私がこれに興味を持つ直接のきっかけとなった「NHKシルクロード」の時代から40年近くが経とうとしているので、そこに映し出されたバザールや人々が、そのままの姿でそこにあるとは思っていない。しかし、やはりそこが古のシルクロードであり、その残滓でも伺えるのではないかと期待したことが、この旅の重要な動機となったことは事実である。この部分の結論も一言で片付く。それはまさに残滓であった。詳しくは、これも、もういやというほど書いた。

 日本人にとっての憧れのシルクロードは、中国にとっては民族問題を抱えるナイーブな地区である。同じひとつの新疆ウイグル自治区が、両者にとって全く正反対の意味を持つ。それが、この旅を極めて困難にする要因になった。ここも結論だけを先に書いておこう。私の訪問したカシュガル以外の西域南道に関しては、ここを安全に旅するには、現地の旅行代理店のツアーに参加するか、少なくとも現地人、できれば漢人のガイドをつけた方が良い。しかし、そうすれば莫大な費用がかかり、おまけにこちらの意図とは無関係に、現地地方政府お抱えの観光施設を巡って散財させられる。それが嫌だといって単独で行動すると、絶え間ない検問と身柄拘束の面倒を被り、短距離の移動すらままならず、旅そのものが困難になる。おそらく自治区の他の地区でも同じようなものだろう。

 中国政府や地方政府は、自治区の民族問題が外国人に知られることを嫌う。外国人が政府のコントロールのない状態で、一般のウイグル人と接触することを嫌う。一般のウイグル人も、そのような状態で見知らぬ外国人と接触することを恐れる。どこで誰が監視しているかわからないからである。同様のことは、当然チベットにも当てはまる。チベットは、現在単独での入境すらできない。全てツアーという管理旅行でなければ不可能だ。そこでは宿泊するホテルから食事、アトラクションに至るまで、すべて管理されている。しかも高額だ。歴史的にモンゴルを失ってしまった痛手があってか、中国は国内の民族問題に極めて神経質だ。そのことは、情報として聞き知ってはいたが、実際どのように管理されるのかまではわからなかった。それを痛いほど経験できたことは、今回の旅の収穫であったと言えるだろう。

 つまり、それが中国の実態であり現状であり、要するに中国はロシアと同じく、多数の被支配民族を抱え込んだ、事実上の帝国主義国家だからだ。イデオロギーが共産主義であろうが、被支配者にとっては帝国主義のなかで生きており、支配者はそう振る舞わざるを得ない。それは、まったくイデオロギーとしての共産主義の価値観と相容れないものだが、そうしないと国家体制が立ち行かないのだ。だからかつては鉄のカーテンで遮断して自分たちの裏庭を作り、既成事実作りに汲々とした。その結果、今があるわけだ。奇しくもそれを目の当たりにできたのは貴重な体験だったと言えるだろう。しかし普通の観光旅行としては、決して楽しいものではない。

 新疆ウイグル自治区に関していえば、そこはすでに憧れの対象たるシルクロードではなく、中国の将来の食い扶持を賭けたあらゆる資源、すなわち観光・物流・工業生産の拠点としての実に広大で不毛な開発現場である。それは、未だ市場開拓が十分に進んでいない、西に隣接する広大な中央アジアやロシアを向いている。極めて大規模に、急ピッチで開発されており、そのための労働力は中国内陸部の開発途上のエリアから次々と送り込まれている。私の搭乗した国内航空便は、そんな労働者たちで満席だった。新疆ウイグル自治区は辺境にあるため、出稼ぎ労働者の賃金が最も高いのである。中国は、開発主体に対しては気前よく資本主義を適用するが、開発される側すなわち現地の農民など土地所有者 (??) に対しては共産主義を適用して・・・いやいや、もともと中国政府としては私有財産を認めていないのだから、これを没収して開発に供与するのは当然である。実際に農地をブルドーザーで潰すのは、遠方から送り込まれて来た漢人労働者であって、当然のことながら現地のウイグル人との間で衝突が起こる。それを防止するために膨大な数の警官・・・というか、これも遠方からリクルートして来た貧困な人民に制服を着せ武装させて、町の辻ごとに配置してこれにあたらせる。その光景の異常さについては、これももういやというほど書いたが、騒然・緊迫・異様・異常・恐怖・威圧・・・要するに厳戒態勢であった。

 そんななかでなぜウイグル人が結果的に黙っているかというと、これは私も全く考えが及ばなかったことだが、ウイグル人は中国国籍を持っていながら、漢字の読み書きがほとんどできないからである。漢人との間で簡単な会話はできるが、書かれた文書は、ほとんどこれを理解できない。従って極めて単純な労働にしか就くことができず、いかに誇り高い羊飼いであっても、いかに有能な農夫であっても、経験豊かな職人であっても、牧地を奪われ農地を壊され、家を潰されて財産も没収されて、極めて単純な労働という生活手段だけを与えられ、粗末な集合住宅に押し込められたり、縁もゆかりもない遠方へ送られたりして、社会から浮浪してしまう。私が見たものは、開発の手が伸びてこないエリアで牧畜と農業にしがみつくウイグル人の怯えた目、それらが奪われ、その日の仕事にもあぶれて路上にたむろするウイグル人の死んだ目、運良くありついた警官の仕事で同胞を取り締まらなければならない、あるいは取り締まられなければならないウイグル人たちの麻痺した目、であった。

 西に向かっては以上のようにして、中国は己が生き延びる可能性を探っている。そして南や東に向かっては海洋進出、すなわち南沙諸島や尖閣諸島の問題も、これと全く同根にある。中国人民自身が言っている。尖閣諸島の領有権なんて、後になって言い出したことだと。彼らは百も承知だ。だが撤回はしない。できないのだ。なぜなら国の存立、人民の存立がかかっているのだから。いまや世界の人口の5人に一人は中国人である。つまりこれは地球全体の問題であって、二国間の領有権の問題では済まされない。中国をどう「解決」するのか。世界全体で真剣に取り組まないと、本当に地球が壊滅してしまうだろう。彼らはフェアな取引などしない。すでにケツに火がついているので死に物狂いだ。それほどの勢いで、もう回りはじめている。いや、とっくにそうなっていたのだろう。目の当たりにするのが遅すぎたのかもしれない。

 日本とは、日本人とは全く異なるのだ。同じような顔をしていながら・・・言い方は悪いが、極端に言って、彼らはほんの30年ほど前までは、普通に人民同士、些細なことで殺し合いをしていた。そこへ改革開放政策が持ち上がって、イデオロギー論争よりも経済発展に集中するようになった。歴史的に、集中するとやりまくるのが中国人の特質であって、一方へ振れはじめたら、レッド・ゾーンを振り切るまで止まらない。しかも、今は資源が豊富にあって、人力をはるかに超えた規模で破壊が進んでいる。戦後70年の長きにわたって、安定して成熟した社会を営々と築き上げることのできた、ほぼ単一民族国家の日本とは全く異なるのだ。ある程度共通の常識を持ち、社会が手に届くほどの適当な規模である日本とは違って、中国では、国家は遥か雲の上の存在だ。もはや概念でしかなく、現実のものではない。「有 (ヨウ = あるぜ) !! 」と言って商品を出してくるときの誇らしげな顔、「没有 (メイヨウ = ないよ) 」・・・だってしょうがないだろ、という、きまってやるせない感じと、開き直った、ちょっと怒りのこもった目でそう言う彼らの表情が、なんとなく全てを物語っているような気がするのだ。そうだ、しょうがないんだ、本当に、だって、国家はずっと雲の上にあるんだから、俺にどうしろっていうんだ・・・だから、すくなくとも、私には中国人民を悪し様に言うことはできない。

 そして中国製品を、経済効率を優先して安く買い叩こうとするから、彼らは粗製乱造に走るのであって、ちゃんとしたところへ行けばちゃんとしたものがある。なぜなら、彼らと共に食事をしてみるとわかるのだが、安飯屋でさえ極めて豊かで民族色が濃く、実にバラエティに飛んだ美味しい料理が出てくる。日本のように加工食品の組み合わせでお茶を濁したようなものはない。それに、なにより彼らは我々が常用する漢字だけで会話をしているのである。文字数は二千文字強で、日本語で使う常用漢字とあまり変わらないらしいが、とにかく純度100%、仮名文字のようなツナギが一切入ってない十割そばを常食しているようなものである。膨大な漢字に囲まれた街で過ごしてみると良い。思考回路の層の厚さを実感する。これだけの文字を一つの論理体系の中に落とし込んで文法化されている言語は他になく、それを日々操って生活している民族も、おそらく中国人を於いて他にあるまい。このことだけを見ても、中国人民の頭脳の洗練さを示す証左であると私は思う。

 それにひきかえ日本人は、この中国の漢字を借りて来て、一部は漢語として、それに収まりきらないものは音写して、さらにつなぎにひらがなやカタカナを交え、なんとか「日本語」を形成している。まるで補助輪をつけなければ自転車にも乗れない子供みたいなもんだ。これほど混乱した文法体系を持つ言語も世界にまたとなく、それを理解して日々会話している民族もまた特異な存在であろう。そんな借り物文化で自己のアイデンティティを如何の斯うの言う民族の末裔が、この大陸の超大国で数千年を生き存えてきた民族の末裔に対して、何を物言えるだろうか・・・

 彼らの一人とでも友達になってみればわかる。日本人同士の中で醸し出される平和で平板な単純思考と、彼らとの間で交わされる、さまざまに重層化された思慮深さと慎重さの決定的な違い。複雑な思考の同時進行。彼らは数千年の歴史の中で、支配したりされたりする立場の変遷が血に刷り込まれている。単一民族でそのような歴史の激変の経験に乏しい島国の日本人とはワケが違う。彼らが日本人 (リーベンレン) を「小さい」と感じるのは当たり前のことである。国土といい人口といい、日本は中国よりもはるかに小さいではないか。それを「小さい」と言われて腹を立てているようでは、まだまだ子供だ。補助輪をつけなければ自転車にも乗れない子供だ。その子供が、乏しい自分の経験をもとにちょっとひらめいたアイディアを、不器用に中国人に押し付けて物を作らせ、買い叩いたら粗悪品しか出てこないのは当たり前のことである。彼らは日本人のように一本気に努力すれば必ず報われるなどとおめでたいことは考えない。叩かれれば叩かれてもやっていけるように手を替え品を替えて生き延びるだけである。その手心を積み重ねてノウハウを蓄積し、その宝を集めて今、大きな勢力になっている。それを盗まれたなどとほざくのは寝言である。敗れても敗れても動かぬ勝者、それが中国であるとすれば、勝っても勝っても走り続けねばならない敗者が日本の姿のように思われてならない。

 さて、とはいっても中国は複雑怪奇で、体良くウイグル人を支配下に置いているのは紛れもない事実である。新疆ウイグル自治区は、果たして「中国」なのか・・・私は表通りから外れて、まだ取り壊されていない、「老城区」と呼ばれるウイグル人の旧市街居住区をさまよい歩いた。それらの多くは、すでに取り壊し予定のために柵で囲われていたが、その中に入ると別世界であった。光も音も、街外れにある麦畑から渡ってくる風の匂いも、羊やロバの糞の匂い、ポプラ並木が延々と続く情景、三輪バイクトラックやロバ車を扱うウイグル人たちの様子・・・それは全く中央アジアの風景であって、そこは明らかに中国の風景ではない。ここは中国ではない。しかし、では歴史的にこの辺り、そして今ウイグル人と呼ばれている人々、さらに彼らの居住するエリア、要するに東西トルキスタンは、歴史的にどういう民族分布をなしてきていたのか・・・私は学者ではないので、俗説に基づいた結論しか出せない。要するに混沌である。

 中国歴代王朝は、周囲の遊牧民の勢力を利用して、敵対する遊牧民や異民族の征服王朝と戦った。シルクロードを往来する商業利権を争った歴史である。中国は漢の時代の昔から、すでにこの地区を支配しては破られ、また支配してきた。そういう意味で、ウイグル人が歴史的に居住してきた東西トルキスタンは時々中国領であった。「誇り高きウイグル人」、「国なき民」などというが、現在のウイグル人と、古代遊牧帝国であった東突厥を滅ぼしたウイグル帝国とは直接的な民族的連続性はなく、「ウイグル」を冠する民族国家は、ごく小規模短命ないくつかの勢力は別として、その後歴史に登場しなかった。現在「ウイグル人」と呼ばれている人たちは、第二次世界大戦末期に共産主義的再編がこの地でも行われたときに、中ソの民族別支配の枠組みを作るために復活した名称であって、実際、同じ「ウイグル人」でも、明らかにモンゴル系の顔をした人から、縮毛のコーカソイド、碧眼の白人までおり、彼らに生物学的な基準における統一性はないといえる。あるとすれば、漠然と「トルコ系」というくくりになるが、それとても、彼らの風習や伝承つまり民俗学的分類からすると、むしろイラン系のソグド人の血を受け継いだと考えられるグループも存在する。

 つまり、「ウイグルの復興」という言葉があるが、実体として何を復興しようとしているのかが、素朴にわからないのである。まあ、部外者である日本人が「ウイグル人」の民族性に関してモノを言うことは差し控えるべきと考えるが、ありもしない民族的アイデンティティを、さもあるかのように仮定して、そこへ特別な感情を注ぎ込むのもどうかと思う。「ここは中国ではない」などと言って中国の支配する現状を批判するのはお門違いだ。「漢人」と「ウイグル人」という二極の対立があると考えると事実を見誤る。ここにあるのは、数千年にわたる民族興亡がもたらした混沌の結果であって、表現は適当でないかもしれないが、現状「ウイグル人」が「漢人」に事実上支配されているのは、歴史的な帰結と考えるべきである。もちろん私は「ウイグル人」を卑下しているのではない。支配されていろと思っているわけでもない。彼らに古くから伝わる多くの音楽をこよなく愛するからこそ旅に出たのである。しかしそれを現状の「ウイグル人」の音楽という枠の中で捉えると、それぞれの伝承のルーツを見誤る。今回の旅でも多くの旋律に触れることができたが、尚一層「ウイグル人」という概念の曖昧さを実感したので、このようなことを書いたまでである。

 「ウイグル人」が、その名のもとに独立するのではなく、もっと普遍的なレベルでの中国からの分離独立が実現しないと、結局のところ新たに細分化された民族紛争をこの地に持ち込むだけのことになるのではないかと危惧するからである。だからといって中国が支配し続ければ良いというわけでもなく、全くわからないというのが本音であって、実に大陸的で巨大な混沌を前にして、それに恐れおののいたというのが正直なところである。中国は混沌。

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | Uyghur-Pamir 2017 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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