2019年01月23日

20190123 つくづく考えるに・・・

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 震災の記憶のどん底からどうにか這い上がってつくづく考えるに、災害や紛争や病気のために死の淵を彷徨っても、なおかつこのように生きていられるのは、たぶんやるべきことがまだ残っていると自分で思い込んでいるためだろう。そんな気力も失ってしまったら、私のような根無し草はとっとと枯れてしまうに違いない。

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 そういう取るに足りないこと、私にできることの一つに百姓という仕事があって、これは本当に金にならないので、仕方なく昼間はなるべくこれをやりながら、夜を中心に週40時間も労働しているわけだが、考えてみたら1日8時間労働を週5日やってるわけで、私は百姓で食っているのではなく労働で食っているわけである。

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 労働で食う分を、もし農業収入で賄おうとすれば、私の作る米が1kg一万円で売れなければならず、つまり1合すなわちどんぶり飯一杯が\1,500なにがしかの計算になるのであって、これに見合う牛丼を考えてみたら一杯\3,000ほどになるであろう。それも原価である。

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 これをもとに商売するとなると、安くても\5,000程度で右から左に売れなければならず、その価格が消費者物価の基準の一つとなるはずだ。ところが現実には、市販されている米は、だいたい1kg五百円、上の想定の1/20である。牛丼一杯が\250になるので、まあ日本の物価水準にほぼ合っていることになる。

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 私が人力で作っている米が、玄米換算でおしなべて年間150kg程度、つまり私の一年間の血と汗と涙の結晶すなわち年収は、いいとこ7万5千円ほどということになる。まあこれにエロエロ工夫をしてもうちょい上乗せをしても所詮やれることは知れている。

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 そんなことに体力と精神力のほとんどを使い果たした上で、週休二日とはいえフルタイムで毎日8時間の労働に勤しまなければ生活が成り立たぬ。これが現実である。さらにそんなバカなことを逐一Facebookなどに投稿して恥の上塗りをする。なんということだろう。

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 しかし・・・とバカな私は考える。こうして毎年毎日日々を記録してみなさんに笑われているとはいえ、いずれ日本や世界の経済が破綻して自給生活を基礎に置かざるを得なくなったとき、米の作り方ひとつわからんようでは飢え死にしてしまう。

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 そう考えた人の中から、ごくわずかでも私の毎日の投稿から、それがいかに苦しくともかけがえのないものなのかを想像していただくことができれば、それは世のため人のためになっているのではないだろうか・・・現在の日本人の大半は米の作り方ひとつ知らぬ。しかし米は日本人の主食であるという。こんなバカな話があって良いわけがない。

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 私の投稿を毎日読んでいれば、少なくとも米作りや百姓仕事の一つ一つを追体験できる。全くわからないのではなく、ちょっとだけでもわかってくる。今できなくても、どうしてもやらなければならなくなったとき、他の人よりは具体的にわかるようになっているはずだ。この違いは計り知れなく大きな潜在的価値を持っている。

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 もしそうだとすれば、私のこのバカな投稿の連続も、そう遠くない将来の人類の役に立つのではないか。それが、とっくに死んでいても不思議でないのに生き延びてしまった私に与えられた「やるべきこと」なのかも知れないと思いつつ、米糀の蓋を開けたり閉めたりしながら気を揉んで寝付けない夜を過ごすのである。まあ、まだ精神が元に戻っていないようでありますな・・・

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posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2019 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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