このように取るに足りない私が命がけでやっているバカなことがもう一つある。それが「カーリー・ショッケール」というバンドであって、これほどバカなこともおそらくないのではないかと思う。
というのは、このような音楽をやっているのは日本に二つしかなく、もう一つの方も最近またメンバーが集まって再結成したらしいのだが、そっちはまだ良い。
なぜなら、オリジナルに敬意を表してリンガラ語で作曲して歌っているのだから。これはコンゴ人にも、コンゴ音楽を愛する世界の人々にも通用し、実際に世界的に紹介されたこともある。
しかし「カーリー」は違う。自分たちの言葉は日本語だから日本語でしか歌えない。しかしこのジャンルの音楽はほとんど日本人にアピールしないのだ。
スタイルはコンゴのものを土台にしているが、それを聞いていた1980年代後半で時計が止まってしまっているので、今のコンゴ人でさえ呆れてものも言えないくらい古臭い歌い回しやダンスを、そろそろ老境にさしかかろうかというおっさん連中が青筋立てて合奏している。
確かにかつての彼の国の国民的大スターたちと共演した栄光の時代はあった。しかし日本で八代亜紀や北島三郎がいかに国民的大スターであっても、若者がそんなものを聞くだろうか ?? 側から見ててこれほど無様なものもない。
ミュージシャンを標榜しながら、誰も楽譜の読み書きすらできない。自分たちの曲は自分たちにしか通用しないルールに従って展開されるので、ほかへの応用が全く効かない。
ましてや芸術的価値なんて皆無だ。なぜこんなものを始めてしまったのか、さらに再結成なんてしてしまったのか・・・どうせなら、もうちょっと気の利いたジャンルの、もっと広い人脈の中で通用する、開かれた音楽に命をかけるべきではなかったか・・・
そう思って、「カーリー」が解散した後に、手持ち無沙汰のあまりブラジル音楽に接近したことがあった。
いまだから白状するが、あれは全くの下心からだった。なぜならブラジル音楽ファンにはキレーなねーちゃんがたくさんいたからだ。
しかし私はそんな世界でヤッてイケるような人間ではなくなっていたのだ。「カーリー」をやっていたおかげで・・・音楽の奈落の底と自分自身の生の事実を見てしまったからだ。
もうこうなってしまっては我が道を行くしかない。私が生きた証として、世の中にふたつとない「日本語によるリンガラバンド」を、命ある限り、無様であろうが、途中で野垂れ死にしようが・・・
あのパパ・ウェンバのようにステージでずっこけて死ねたらモォォォォッサイコーッ !! ・・・そんとき「やりきった」と笑って死ぬため、ただそれだけのために、俺はやるぜ。
こんなバカなことを命がけでやるなんて、ほんまに意味のないことですが・・・もうちょい待ってください。5/26 (日) ・・・おっとっと・・・まだ発表できませんですが、お待たせしました。フルバンドでたっぷりやりまっせ・・・日曜日なんで空けといてください。
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