2019年02月28日

20190228 Japan's Secret Shame

https://www.facebook.com/masazumi.sugimoto/posts/1603374509761928

この記事もノー・コメントでシェアしたものだが、やはり気になって仕方がないので、再びシェアするとともに私の思うことを書いておきたいと思う。この動画は、なぜか日本ではFacebook上でしか視聴できず、人づてにシェアするしか方法がないようだ。内容は伊藤詩織さんがジャーナリストの山口敬之氏にレイプされた事件についてBBCが制作したドキュメンタリー作品「Japan's Secret Shame」日本語字幕版である。ぜひ見て欲しい。

 今日あらためて全編視聴したのだが、つくづく人類には男性と女性しかなく、私は男性に違いないので、まったくここでこのような言葉は不謹慎なのだが、彼女に性的魅力を感じざるを得ないというのが本音である。そんなことは絶対にありえないことなのだが、もし私が山口敬之氏と同じ立場であったなら、同じことをしただろう。この事件について社会的に何らかのコミットメントをするとなると、この衝動を抑えつつ抑えつつ言葉を選ばなければならないというのが正直なところである。

 はじめに告白しておくと、私は男の欲望をきちんと制御して、女性に嫌な思いをさせずに、社会人として立派に生きてこられたかというと、実はそうではない。これ以上、具体的なことはお許し願いたいが、取り返しのつかない心の傷を負わせてしまったことは複数回ある。今となっては言い訳に過ぎないが、当時はそのことがそんなに深刻なものとは考えていなかった。では、今は深く反省してことの深刻さを痛感し、きちんと制御できるかというと、これも心もとない。心では反省しているのだが、様々な状況の中で、つい欲望を抑えきれずに行動してしまうことはありうる。この問題は性差を越えて本当に理解し合うことが難しい。アタマでは解っていてもカラダが言うことを聞かないからである。幸いにして私には金も地位も権力もなく、ありがたいことに性欲も減退しているので、最終的に取り返しのつかない段階にまで到達したり、繰り返し罪を重ねることが、そもそもできないだけのことだ。私が性犯罪に手を染めずに済んでいるのは、理性が強かったり人徳が高いからではなく、精力が弱いからに過ぎない。

 この問題については、発表以来、様々な側面で語られて来たように思う。しかし誰も現場に居合わせていないので、全ての論評は憶測の域を出ない。男性から見た印象、女性から見た印象。セクシャル・ハラスメントの諸問題、日本社会の後進性、山口敬之氏が安倍首相に近い人物であることから、政権に対する立場の違い、それにとどまらずイデオロギー論争や人種差別、国籍問題にまで発展して炎上状態になり、現在彼女はイギリスに亡命を余儀なくされた状態になっている。

 人類に中性という存在があれば、物事はもう少し穏やかに解決するのではないかと期待するが、それができない以上、どんな結論に至っても必ず違和感が残る。しかし真実は一つしかない。

 ヤッたのか、ヤラなかったのか。ヤッたのである。もうこの時点で大多数の男性は冷静でいられなくなり、あのような絶世の美女が自分の手の届くところにいて、なにもしないなんてことは絶対にありえないことを直感し、手を出してしまったことにうなづき、それがためにジャーナリスト人生を棒に振りかけた山口敬之氏の危機感を理解するのである。それが良いといっているのではなく、男の生理としてありえないといっているのだ。こんなことをSNSに書くこと自体、既に私は社会的信用を棒に振っている。まあこないだのアンテナ・プラグくらいの短い棒に過ぎないが・・・

 で、どのようにヤッたのか、ヤッた後どうなったのか、その先が問題になっている。で、この動画はもっぱら伊藤詩織さん側に立ったドキュメンタリーであるので、ここではその立場からの印象しか語ることができない。全く公平な視点で山口敬之氏に取材したドキュメンタリーがあれば、かなり議論は整理されると思う。

 事実が密室に封印されている以上、全ては状況証拠の積み重ねと、映像を見た印象から判断するしかない。結論だけ言うと、この動画を見れば、誰でも伊藤詩織さんが正しいと思うにちがいない。女性であれば男性中心の社会に対する不満の代弁者を応援する意味合いで、男性であれば本能的に美女に肩入れしたくなる衝動的な意味合いで、くりかえしになるが私はそれで良いといってるのではなく、男なんてそういう生き物だと言っているのである。そのくらいこのドキュメンタリーは、女性からも男性からも、等しく支持を得られるように、慎重に効果的に作られている。特に冒頭に挿入された、彼女が着替えるシーン・・・もちろん裁判に向かうために身なりを整えているのだが、あのシーンを冒頭に持ってくることで、世の中のほとんど全ての男性を味方につけることに成功している。

 ひとつ、動画の中で不可解な発言があるのは、彼女が意識を取り戻した時に、山口氏が「合格だ」と言ったというエピソードである。これはほぼ唯一、双方がその発言の存在を認めている部分で、彼女には意味不明とされているが、山口氏の側からすると、合意が事前にあった唯一の証拠となるものである。なぜなら、山口氏にとってみれば、彼の欲望に彼女が十分応え得たという意味で、それは彼女が同意していたという前提の上に成り立つからである。しかし彼女によれば、これは抵抗している最中に意味不明に語られたことになっており、この部分だけが、唯一このドキュメンタリーの中で違和感のある箇所といえる。

 男の側から見ると、山口敬之氏の主張は一貫している。自分は社会的にも地位の確立した著名なジャーナリストである。そこへジャーナリスト志望の若い美女が接触してくる。誘いをかけたら簡単に乗ってきた。引き摺り込もうとしても抵抗されなかった。ウブやネンネじゃあるまいし、そうしてまでなりたいのであれば望み通りにしてやる。絶世の美女とともに取材活動をする明日の自分がイメージされる。さらに自分のステータスは上がるだろう。彼女は全てに応じた。だから「合格だ」と・・・

 この時点で山口敬之氏に違和感はなかったはずだ。全ては密室で滞りなく行われ、首尾よく終了し、次のステップに進むはずだったのだ。まさか、ことが公けにされるとは思ってもみなかったに違いない。それは言いっこなしでしょ・・・と言ってみても始まらない。明日の自分どころか、人生が崩壊するかも知れないのだ。自分は社会の慣例に従ってヤッたまでだ。こういうときはヤルもんだ。据え膳食わぬは男の恥という諺もある。その社会的な暗黙の了解の責任を、なぜ自分一人が負わなきゃならないんだ ??

 私にも似た様な状況でヤッたことも、ヤラなかったことも経験がある。ヤレばヤッたでもめたし、ヤラなければヤラなかったで「女に恥をかかせた」と、あらぬ噂を撒き散らされた。どっちみちトラブルになるのならヤッといた方が良いのである。こういう状況でヤラなかった男性を紳士と思う女性など、私の経験や見聞上、皆無だ。そんな情けない男を誰が慕うであろう。そんな男からはヤラズにボッタクるのが相応だ。それが社会の暗黙の了解というものだ。

 ああ、人類に中性というものがもし存在するのであれば、物事は少し違った展開をするかも知れない。ドキュメンタリーは、この様な常識が蔓延るオトコ社会のなかで生きる女性から見て、社会がどう見えるかを見せてくれる。合意があったかなかったか、日本の法律には規定がない。合意などなかったのである。自分は何かを飲まされて意識不明になり、気がついたらホテルの部屋にいて、山口敬之氏がのしかかっていた。強姦である。ドキュメンタリーで語られる彼女のストーリーも一貫していて、全く違和感はない。雲の上の人と思っていた人が、自分の志望を受け入れてくれ、時間を取ってくれた。しかし、仕事の話にはならずやがて酒の場に導かれた。ヤバイとは思ったが遅かった。その時には何かを飲まされていた・・・「合格だ」??・・・なにが ?? しかし、唯一の汚点と指摘できる、薬物混入について、現場を取材したかどうかについては、全く触れられていない。

 この言葉と、もう一つ私が不自然に感じたのは、ことが起こった後、彼女がどのようにホテルを出たか、その後山口氏と連絡を取り合ったか、取り合ったとして、どのようなやり取りをしたのか、その辺が全く語られていないことである。前後不覚になる程傷ついたのか、そうかも知れないが、そこは記録として言及されるべきだったと思う。それが彼女の身の潔白を補強することになるからだ。

 警察の捜査手法についても女性の視点から問題提起されている。警察署に女性が圧倒的に少ないこと、全国的にこのような被害を届け出る窓口も圧倒的に少ないこと、そして、現場検証にあたり、捜査員である男たちの前で、等身大の人形を使って、あの瞬間をつぶさに再現しなければならないこと・・・しかも、どちらがどう体を動かして、どちらがどう反応したかまで・・・これは「セカンド・レイプ」とまで言われるほど、女性にとっては辛い体験なのである。

 このように一般に知り得ない事実を検証しようとする試みの場合、提出された限られた情報の中で判断する以外になく、その信憑性を問うことが非常に難しい。このような場合、事実を語る当事者の顔の表情を見るとか、語られている内容が論理的に矛盾していないかとか、そもそも正しい言葉で語られているかなどという、本質に付随した要素で判断するくらいしか方法がない。

 それでいくと、よほどの芸達者でないかぎり、伊藤詩織さんの表情に嘘はなく、全体として不自然さが見られないのに対して、山口敬之氏のが出てくる映像からは苦しい弁解が垣間見られる。そもそも身の証を立てるならばもっと露出されてしかるべきなのに、ほとんど顔が見えないのである。民事裁判の初審を欠席した事実も不利に働く。

 しかし降りかかる火の粉を払うのは当然のこと、あらゆる手段を尽くして戦いに応じるのは当たり前のことだ。その点で、山口敬之氏の主張は一貫しており、男の目から見て当然の成り行きである。その後の推移を見る限り、これは力を持ってしまった男の精子・・・失礼、生死を賭けた戦いであり、絶対に負けるわけにいかないのである。勝つためにはどんなことでもやる。社会から抹殺してやる。思い知らせてやる。それがオトコ社会というものである。安倍フレンズの団結の中で司法をも巻き込んで事実を隠蔽し、彼女を日本から叩き出すことには成功した。しかし、彼女も黙ってはいなかった。現在もまだ係争中である。彼女は相手が潰れるまで徹底的にやるだろう。当然、露出すればするほど相手は不利になる。人口の約半分は女性である。それに対して、何の対策も打たなかった、では当然済まされない。少しずつかも知れないが、世の中の認識は変化していくはずだ。そこから国が開かれていくのだと思う。

https://www.facebook.com/masazumi.sugimoto/posts/1603374509761928

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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