2019年02月28日

20190228 EXPO '70

私は1960年生まれなので、1964年の東京オリンピックの頃は物心がつかず、ただ毎日見ていた白黒テレビから流れるファンファーレと競技の実況の音声と、浮かれる世間の人々やその空気を覚えているに過ぎない。しかし1970年の大阪万博の時は小学校4年生、当時の文部省が、万博へ行くために学校を休んでも出席とみなすと発表したおかげで、何度か学校をサボって、親に無断で千里万博公園まで見にいった覚えがある。たしか、阪急電車も万博へ行くといえばタダ、入場料や各パビリオンの入館料をどうしたのか、今となっては全く記憶にないが、おそらく大人に混じって潜り込んだものに違いない。当時の私の家庭は壮絶な家庭内暴力、家の周囲は団地で、同学年の子供といえばその団地の子しかおらず、必然的に村八分状態、さらに学校では生意気で理屈っぽい性格が災いして教師から殴る蹴るの暴行を受け続け、周囲は敵ばかり、自分の心身とアイデンティティを守るためにコミュニティから脱出せざるを得ず、家出を繰り返しては匿ってくれた被差別部落のあばら家に入り浸るという少年時代を過ごしていた。外へ出たいという願望が吹き上がる頃、万博がやってきた。「世界は一つ」「世界の国からこんにちは」・・・1970年の日本は、まだまだ木と土の世界、夜は暗く、木造民家の土壁や柱の根から饐えた匂いがプンプンしていた。そこにあらわれた、あまりにもきらびやかに光り輝くクリスタルな世界・・・夢としか言いようのない・・・ああ、もうやめとこう。私はそれを知っている。知っているからこそ、2020年のオリンピックは混乱の続くイスタンブールで開催してもらいたかったし、2025年の万博はアゼルバイジャンのバクーで開催してもらいたかった。それがどれほど彼らを勇気付けるか知れなかったし、2025年には私は65歳となってバイト先を定年退職する。それを記念して中国からカザフスタン・タジキスタン・キルギス・アフガニスタンを経て、イラン・アゼルバイジャン・トルコへと、人生最後の放浪に出るのも悪くないとさえ計画していたくらいだ。しかし、ともに開催国は日本と決まった。しかも、ともに前回と同じく東京・大阪の組み合わせ、しかも5年ほど間隔が空いている。1960年代に戦後の好景気に拍車をかけた二つのイベントの再来を、日本政府が夢見たことは想像に難くない。そんな金があれば、もっと他に使い道があるだろうという意見も理解する。東京のことはわからんが、大阪については、むしろ私は全く個人的な事情から、この開催を積極的に利用したいと思うのだ。まずなによりも、いながらにして世界中の国々と直接接触できるのだ。こんなチャンスは一生に二度とない。それまでに調べ上げるだけ調べ上げて、万博が始まったら何度も乗り込んで片っ端から人間関係を作って、それを元に旅に出てやる。


https://www.youtube.com/watch?v=iMxrL7pQEu0&feature=share&fbclid=IwAR2d-vAmh6zLvxBAoUcAX5HBqUUka6bA8LebbJZQZT2Uo1TYMn2EGQkHLkI

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: