2019年05月04日

20190504 高槻ジャズストリート肥大化

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 高槻ジャズストリート肥大化しすぎ。今年は郊外にも会場が増え、富田にも会場ができ、茨木音楽祭とも合流したか・・・招待アーティストにも目玉や斬新さはなく、あまりにも雑多な顔ぶれで、中にはもはやジャズと言えないものまで・・・ホールなどでのコンサートは当然まともなものが見られるものの長蛇の列。本来の姿であるストリートはけたたましいだけの轟音の渦で耳を塞ぎたくなるばかり、カフェや小店で聞こうとしても入り口で必ずワン・ドリンクは要求され、これが結構高い。しかも入ってみると、お前ら人前でやる前にちゃんと練習しろやと怒鳴りたくなるほどの有様で、なんで客が拍手するのかげんなりの連続。結局、無難無難に野外ステージへ足を運ぶことになるも、執拗に投げ銭迫られ、そこも逃げ出す始末。カネカネカネカネ高槻ジャズストリート、始まった頃の初心に帰ってほしい。ちょっと歩けばグッと引き込まれるような演奏に巡り会えた。バック・ステージから奏者の手元足元を凝視することで得られるものも多かった。ジャズの原点に戻ってくれ頼むから。あの頃の厳しい音源審査徹底してくれ。良い演奏であれば、言われなくてもチップ置いていきますよ。地域活性化か何か発信したいんか知らんけど、このままでは豚みたいに膨れ上がって吐く息のくっさぁぁいグロテスクなモンスターのどんちゃん騒ぎになってまうで。もうなってるかも。今回の救いは、師匠に会えたこと。40年近く前に師匠と共に活動しておられたピアニストに救いを求めて並んでる最中に出会えた。演奏が始まると、ただひたすらに音が紡ぎ出され、すべてスタンダードな名曲でありながら、即興が空想的にどんどん広がっていく。伴奏者との掛け合い想像に満ちていて、その場その場で繰り広げられるやりとりが実に新鮮でスリリングだった。余分なMC一いなく、曲が終わったかと思いきやそのまま次の和音に導かれ、新たな世界が始まる。最後にお辞儀をして去って行かれた。これこそジャズ。ロビーに出て、連れの用足しを待っている間にご本人が出てこられ、真っ直ぐ私の方に向かってこられた。驚いたことに私のことを覚えておられたのだ。私は当時その人の主催するスクールでドラムの師匠に手ほどきを受けていたのだが、自己流わがまま放題が治らず破門されたのだ。それが印象に残っていたらしい。と、そこへ師匠も合流され、しばしゆっくりと移動した。次の現場、師匠が一曲だけゲストで叩かれた。私はその手元を埴輪のようになって凝視していた。師匠の黄金の左手は健在だった。師匠のスティックは、まるで射精中のちんぽのように生き生きと跳ね回るのである。プレス・ロールもダブル・ストロークも、一切音が潰れないし流れない。一つ一つの音が綺麗に立っている。師匠の黄金の左手、別名「闇の左手」・・・それを見られただけで涙がにじんできた。毒気の塊のようなリズムだ。降りてこられて曰く、「毒気も色気もない演奏なんか何がおもろいねん」70歳超えてこの台詞。しかもジャズスト発祥のメイン・ステージの主催者の目の前で臆面もなく豪語するこの老人。若い時にこの人に出会っていて本当に良かったと思う。で、私は結局ジャズには進まなかったのである。なぜかというと、要するにジャズがそんなに好きでなかったことと、ほかにやるべきバンドが出来はじめていたからである。ジャズの世界で活動していくには、ロック・バンドのように、気の合ったもの同士でエイ、ヤア、とはいかない。一定の人脈、一定の店の派閥の中に入り、上下関係を重んじつつ、人間関係を構築していきながら、先輩から学び、鍛えてもらったり、後輩の面倒をみたり・・・私には絶対できない団体行動の中でやって行かなくてはならない。ロック・バンドは解散してしまったらたいがい終わり、ミュージシャンは、そのバンドでしか通用しない奏法しか身につけていないので、ジャズのように開かれた世界では通用しない。改めてその世界に入ろうとすると一からやり直しになる。そのかわり、この体育会系的な人間関係の中で耐え忍べば、末長く音楽を続けることができる。・・・まあ私がそうならなかったのは、そうならないように生まれ育ってきたからであって、一度に複数の人生を歩めない以上、これは致し方ない。私はジャズを演奏できないので批判するしかない。師匠は、そして老ピアニストは、演奏を以って、巷の腐った演奏に対するアンチ・テーゼを行ったのである。素晴らしき師匠達・・・

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 変態的音楽遍歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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