5/26 Karly Chockers live @ Fandango Juso
生存確認同窓会ライブ的な側面もあるのだが、Karly Chockersにとっては夢にまで見た再結成ライブで、この再結成が果たして意味のあるものなのかどうか試されるくらい重要なものと位置づけております。Karly ChockersはFandangoが産まれた1987年に結成され、事実上1995年の阪神淡路大震災をきっかけに活動を継続できなくなって尻切れとんぼで終わった感がありました。その後、メンバーは別々の人生を歩み、やがて一人二人とこの世からいなくなってしまうのを見て、もういちど、きちんと自分たちの音楽をやり尽くしたいという思いで集まった。ピリピリが亡くなったときと、Fandangoの30周年記念イベントに呼ばれた時に、急ごしらえで集まったが、そのときは、まあ懐かしく楽しめたらええか、くらいでその場限りのつもりでやったのだが意外に結果が良く、20年のブランクを経てもなお、自分たちの中にKarly Chockersの血が脈々と流れていることを感じたので、せっかくここまでできるのならもう一度・・・と本格的再結成を決意したのでありました。しかし中心メンバーはすでに50代半ば、フロントはともかくリズム・セクションは還暦間近という状態で、若かった頃の体力がない。また選曲も、全盛期のような長時間の複雑な構成を持つ大曲をこなすだけのスタミナがない。むしろ初期の頃の、シンプルでストレートなロックに無理やりリンガラ・ポップスのダンスをくっつけたような曲しかできない・・・というのが却って幸いして初心に帰ることができたような気がします。動画は、なぜかアルバムに収録されなかった初期の代表曲「Kinshasa Rhapsody」・・・イントロはPapa Wembaの名曲「Analengo」のものをそのままパクリ、無理やり歌に続ける。著作権問題が心配といえば心配だが、まあ本人の前で演奏して本人が歌うたこともあったしええやろ・・・歌詞が良いです。
「冷たくされて僕は、星の降る路地を、チンピラみたいに、ただ歩く・・・」
6曲やります。全部は紹介しきれんのですが、まあうちのやりたかった思いを言葉に変えて、当日の楽しみの足しにしてもらえたら幸いです。
5/26 Karly Chockers live @ Fandango Juso
Karly Chockersは1986年に結成されたが、その経緯は少し複雑だ。もともとピリピリがやってたOrchestra Pili-Pili (初代) から発展したNonstop Caïmanに在籍していたメンバーは、大体三つのグループに分かれていて、一つは現在リーダーを務める福丸和久とその兄などの若手 (当時の) 、いまひとつは後に河内家菊水丸や大西ゆかりなどのバックを務めることになる河内音頭系グループ、もうひとつはラテン音楽に傾倒した音楽教師などアカデミックなインテリ・グループであった。それを首謀たるピリピリが酔った勢いだけでなんとかまとめてたものだから、演奏内容は実に雑多というか大雑把で、今聞くとこれが音楽かと耳を塞ぎたくなるものも少なくない。そんな状況に嫌気がさしたピリピリ本人が、リンガラ・ポップスを軸に自らの信じるアフリカ音楽路線を究明すべく、上の後者二つのグループを排除して、もっと気の合ったメンバーとともにバンドを結成したいと密かに考えていた。それとは別に、関西の最も前衛的なオルタナ音楽レーベル「かげろうレコード」のViola Reneaというバンドに在籍していた冨依と大西と私の三人は、その解散後、毎週のように集まっては名もない即興演奏を延々と繰り返し、録音を重ねていた。こちらもReggae・Jazz Funk・Juju Music・リンガラポップスの真似事など雑多に入り混じった名もない演奏を続けるうち、よりしっかりとした核を求めるようになっていた。このふたつが1985年ごろに接触する。ピリピリは、Nonstop Caïmanと並行して、そのメンバーに我々三人その他を加えた編成でNonstop Caïman New Lookを結成し、現在大阪ミナミのアメリカ村Big Stepの敷地にあった南中学が取り壊される前のお別れイベントに出演している。その後、ピリピリは3度目のアフリカ旅行へ旅立ち、KinshasaでPapa Wembaと夢のテレビ出演を果たし、当時のザイール全土にピリピリの名が知れ渡った。ところが日本では、ピリピリ不在のNonstop Caïman New Lookのメンバー全員が福丸和久をリーダーとして造反し、ピリピリとは別バンドとして独立してしまった。こうしてKarly Chockersが誕生し、ピリピリは自分を欺いたメンバーのバンドに、ギタリストとして参加することになる。
さて、この動画は「ワニの王国」という曲で、冨依と大西と私の三人が果てしなくセッションを繰り返していた時期におぼろげながらできつつあった曲なので大変古い。曲は多数の楽章に分かれた組曲のようになっており、これは彼の作風である。楽章が複雑でもっとも長かったのは「ナゼダカ」という曲で、完成した当初は通して演奏するのに実に45分を要した。あまりにも長いので強引に三分の一に縮めたものがCDの冒頭を飾っている。この「ワニの王国」も紆余曲折を経ているのだが、曲想の源泉は萩原朔太郎の「およぐひと」である。これは「かげろうレコード」時代によく一緒に共演した「He Was」というユニットで、演奏、というか朗読に楽器音をひたすら通奏する形でやったものだが、詩の一つのフレーズを果てし無く繰り返す中で派生して来るイメージを言葉にしたものを連ねて行ってひたすらにかきくどく。だから彼の作る曲の歌詞には繰り返しがほとんどなく、延々と口説きが展開するのである。そんな曲を我々は下痢するほど練習するので、すっかり覚えてしまうのである。この曲も短く整理されたものがCDに収められているが、今回のライブでは、体力の限界からさらに短くしたものを演奏することにしている。
「夜の海に出でて、くりかえしくりかえし、寄せては返す黒い波のようなお前を呼ぶ。波の間をしなやかに舞う、透き通るようなお前のからだ、ななめにのびてさまよいながら、月の光を優しく乱す。」
これは歌詞のほんのワン・フレーズだが、こういう詩の世界が延々と続くのである。音楽は表現である。バンドは演奏という形で思想を具現する。人の営みは単純ではない。複雑に重なり絡み合った思想を表現するに、リンガラ・ポップスという形式は我々にとって全く格好の器になった。だから我々はこれを演奏しているのである。だから我々は別にアフリカ音楽を演奏しているわけではない。だから我々の音楽を「アフリカでもなんでもない、大阪そのものだ」と評した人があるが、それは全く正しいし、それを誇りに思うのである。Karly Chockersというバンドは、リンガラ・ポップスを演奏しているのではなく、我々の音楽はリンガラ・ポップスという様式でないと演奏できないのである。これは、ややもすると見過ごされてしまいがちであるが、非常に重要なことである。
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