2019年08月19日

20190819 memento mori

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 今井健夫 (享年53) ・・・岡山から単身大阪へ出てきたところ結成当初の「カーリー・ショッケール」に捕まり、多分これで人生を棒に振った。幼友達の話のまた聞きでは、彼は子供のころ神童と呼ばれ天才だったという。確かにその片鱗は彼の感性と行動に表れていた。私のように理詰めでやっと物事にたどり着くのではなく、直感一発で本質を見抜く鋭い洞察力を持っていた。そしてご多分にもれずロマンティストであった。外見はどちらかというと地味だったが、独特の人間的な表情があった。

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バンドでは歌手を務め、独特のくぐもった声で中音域とアニマシォンというダンスの掛け声を担当していた。自身の曲も、確か2曲あった。弱さをさらけ出すタイプ・・・そして事実、弱かった。職場の人間関係に悩み、トラブルになったことが原因でバンドを辞め、岡山に戻っていた。

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家族の話は聞いたことがなく、どこでどうして暮らしているのかもよくわからなかったが、その後バンドが解散し、20数年が経過する間に、仕事の都合でリーダーが岡山に赴任したことがきっかけで交流が始まった。

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亡くなった当時、河川敷で練習していたというバンドは我々ではない。いわゆる「スピリチュアル系」の文化に交流があって、そのようなイベント、そのような人間関係に身を置いていたが、やはりご多分にもれず一通りのものには手を出して自身を顧みなかったため、やがて身を持ち崩し、ついには健康も定かではなくなっていた。

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岡山の音楽シーンでも、やはり好き嫌いがあって、まあ色々と噂が立っていたらしいのだが、リーダーがこのままではせっかく我々と一緒に活動した彼がくすんだまま潰れてしまうと危惧して、ちょうどFandangoの30周年記念イベントに呼ばれたのをきっかけに、彼をギタリストとして鍛え直してバンドを再結成するという、当時の我々からすると、とても実現不可能としか思われなかった難行に着手することになった。

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事実それは困難な道のりだった。何しろろくにギターを弾いたことはなく、チューニングもおぼつかなかったからだ。しかし持ち前の感性は見事に開花して、これまで在籍したどのギタリストにも出せなかった音色とフレーズで、カーリーの音楽を蘇らせることに成功した。化けた、のである。もちろん、実際に音楽を演奏する具体的な場面ではトラブルを連発した。しかしまあそれは、かならずファンの前でしか演奏しないというマネージメント側のコントロールでなんとか乗り切った。

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そして十三Fandangoのラスト・イベントでの演奏で、ダンサーも交えた往年のスペクタクル・ショウ的な演出の足がかりをつかみ、これを発展させて、我々にしかできないダンス。ミュージックのあり方を創造しようという具体的なリハーサルを固めつつあった矢先の訃報だった。・・・いまだに心は虚無である。喪失感はあまりにも大きい・・・川に佇んで彼の死を悼んだ後、リーダーと私は、彼が出没していた場所を巡った。くしくもそこは私の本家のあるまさにその場所でもあった。そしてよく自然との合体を目論んでイベントをやっていた山にも登った。そのあとリーダーの部屋で酒を飲んで彼の話をたくさんした。

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・・・これで日常に戻ろう・・・翌日、私はいろいろの場所を回って夏の観光気分を味わい、心にけじめをつけることにした。友達が死ぬといつも思う。彼らには、もうこのような景色を見ることはできないのだと・・・それがなんとも理不尽な思いがして仕方がないのだ。

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 音楽活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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