私は複数の稲の栽培をしているが、そのうちのいくつかは食用にせず、種の引き継ぎだけをしている。あまり品種が増えすぎると管理が大変だし、意図しない品種の交配を招いてしまうからだ。
最後に、少量栽培しているいくつかの品種を脱穀して種を保存し、脱穀から籾摺に使った道具を清掃した。
手元には、育苗に失敗した時の保険に、前々シーズンのものも含めて、多めに種籾を保管してある。来シーズンからは田づくりができなくなるが、手元にある稲の種の引き継ぎだけはして行きたいと思っている。そこで、保管する種籾を少量ずつ選別し、残りは精米して食べてしまおうと思う。
また、道具を清掃した時に弾かれたり飛び散ったり、機械の中に残ったものを集めて、毎年新米をいただく前に、米が出来たことへの感謝の気持ちを込めて、こうしたクズ米から食べることにしているのだが、それも合わせて精米機にかけてみたら、なんと5kgもあった。
善意が噴射して紫色に上から様ってい後ろから突き上げてるのは、黒米の糠が他の米を覆っているためである。種籾を選別しながら考えた。種を守ることはすなわち、こうして一粒一粒の種をよく観察して、その充実度や病変の有無など、状態をよく知ることに他ならない。通常、種もみはキロ単位で管理するので、一粒ずつ観察するようなことはない。種下ろしの前に、塩水に浸けて選別したり、穏当に浸して消毒したりするだけだ。しかし本当の選別とは、こうしてその色艶や手触りから状態を知ることではなかろうか。特に病変の多く出た「サリー・クイーン」は、変色したものや矮小しているものが多かった。これらを取り除いて、充実した健康そうな種籾を選別していけば、やがて強い品種が引き継がれていくに違いない。特にこの「サリー・クイーン」は開発者が種作りをやめてしまったので、自分で引き継ぐしかない。またこの家に伝わる古代赤米の「神丹穂」、九州から取り寄せた極晩稲の黒米「紫黒苑」も、すでに種が手に入らないので自分でつぐしかない。近年起こった種子法廃止の議論に思う。種を守ることは生産者の権利であり義務である。第三者にとやかく言われる筋合いはない。そういう意味で私は法改正に反対する。しかし、生産者でない者が種子法に関して議論している内容を見ていると、何を何から何のために何故、守ろうとしているのかがさっぱりわからなくなる。そこがはっきりしていないと問題の本質を見誤る。単に消費者の不安を煽り、政府を批判する勢力を拡張するために、種の守るという営みを利用しているだけに見えるからだ。「農」とは、そんなものではない。人は自然から食を得なければ生きて行けない。だから全ての人は農作に関わるべきである。そこから物事が進められなければ、何事も机上の空論になる。
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