阪神淡路大震災で避難所にミネラル・ウォーターを運んでいたとき、ふと感じたことがある。この水は、平時に大量に消費されていなければ、今この時に手に入れることはできなかったのではないか、と。私は食品流通業に長く携わっているのでよくわかる。茶が飲みたければ茶葉を水道水で沸かせば良い。しかし現実にはペット・ボトル入りの茶が大量に流通している。その重さ、運ぶコストを思えばこんな無駄なことはない。しかしこの無駄な消費のおかげで、災害時に安全な飲料水を容易に確保できるとしたらどうだろう。私は、世界の経済が今の1/50くらいにならなければ、人間が走るスビードが世界経済に追いつかないのではないかという、漠然とした疑問を持っている。これは必要条件である。しかし充分条件については、全く見当もつかない。その、経済規模が今の1/50になった世界はどういうものなのか、どんな社会が可能なのか、そこにどのくらいの人口が生存しうるのか、そこに至るまでにどんなプロセスを経るのか・・・何不自由のない今の平和な日本で、これは杞憂であろうと思っていた。頭ではその可能性について思慮しながら、本心では遠い空想の産物に違いないと考えていたのだが、もしかしたら、もう目の前に、しかも急転直下、墜落するように、きりもみしながら、人類はそこへ落ちていくのかもしれない。
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