2020年04月19日

20200419 Thibaut de Champagne

Thibaut de Champagne: Chançon ferai, que talenz m'en est pris

 「引きこもりの美学」・・・中世ヨーロッパのキリスト教会で用いられていた聖歌のほとんど大部分はグレゴリオ聖歌だが、その発祥の紆余曲折や議論については無視したうえで、きわめて乱暴で大雑把にいうと、それは単旋律で詩篇を朗詠し定型句をひたすら繰り返すだけの退屈なものであった。それが退屈であったからこそ、そこにいろいろな工夫が生まれ、異なる要素を取り込んで複雑化することは自然であった。異なる要素とは、地域による差異、民族や宗教、身分などによる差異が挙げられる。当時の多くの人々は文字が読めなかったので、彼らに教義を伝えるにあたって、それをわかりやすく面白おかしく語って聞かせ、やがて演じて見せたことが、のちのバレエやオペラにつながる。その過程で、様々な地域の庶民に広まっていた歌が取り入れられ、また洋の東西を越えて往来する吟遊詩人の影響も取り入れられた。なにごとも、混ざりはじめが面白いのである。熟成された味というものは、好き嫌いが分かれる。そういう意味で、13世紀頃までの古楽はとても面白い。当時はまだ現代用いられている五線譜は存在せず、音の抑揚を記しただけの様々な譜面が断片的に残る。これらのほとんどはリズムが明確でなく、メロディ・ハーモニー・テンポという考え方もない。使う楽器も指定されていないし、そもそもどの音域のものかもわからない。全てが厳密に指定された現代の楽譜音楽とは全く異なるアプローチが必要になる。どんな響きが飛び出してくるか驚かされることが多い。演奏家によるところも多いが、元々の楽曲の良さが今に伝わるものも非常に多い。という点で、きわめて宗教的であり才能の塊であったドイツのHildegard von Bingenと同時代に、フランス南西部大西洋側のイベリア半島に近いアキテーヌ地方 (ボルドーが中心) が大きな役割を演じる。その領主であったアキテーヌ公ギヨーム9世 (Guillaume d’Aquitaine, 1071-1126) は最初の抒情詩人として世俗音楽と当時の典礼劇の即興に影響を与えたと言われ、その孫娘のアリエノール (Aliénor d'Aquitaine, 1122-1204) は自ら芸術を愛し自らも吟遊詩人として活動した。この時代にベルナルト・デ・ヴェンタドルン(Bernart de Ventadorn (1130?-1200?) など中世を代表する作曲家が多く庇護されて世に出ている。この後、彼女は姻戚関係からフランス王妃、さらにイングランド王妃にまでなり、このときイングランドはフランスの半分を領有して、のちの百年戦争、薔薇戦争へとつながることになる。これによって吟遊詩人の芸術が北フランスに伝わり、当時勃興しつつあった騎士団すなわち武装勢力と結びついて、ルネサンス期の宮廷音楽に代表されるフランス音楽文化の基礎となる。ただ、そっち方面へ行くとだんだん「クラシック臭く」なるので私は関心がない。そうなるずっと前、アリエノールが亡くなる数年前にフランス北東部に生まれたシャンパーニュ伯ティボー4世、Thibaut de Champagne (1201-1253) も姻戚関係によって、アキテーヌ地方の南西、ピレネー山脈を隔てる形で隣接するナバラ王国のテオバルド1世となるが、彼自身も吟遊詩人であり、この時代にしては珍しくその作品が多く残されていて、旋律のつけられたものもある。この後、14世紀に入ると少しずつ音楽の性格が変わってくる。教会音楽から派生して、自由な施策と作曲が出始め、それが熟成しつつある安定期として、これらの土地や人物を追うのもまた一興と思われ・・・

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 変態的音楽遍歴 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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