2020年05月02日

20200502 阪急3000系全廃

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なんとまあ、コロナ騒ぎで外出を自粛している間に、我が懐かしの阪急3000系が密かに引退していたらしい。北海道のローカル線が廃線になったことはニュースで知っていたのに、大手私鉄の黄金時代を飾った阪急3000系列の廃止が報道されなかったのは、全くもって不公平だ。怒りを禁じ得ない !! 伊丹線で余生を送っていた3000系最後の3054Fは、なんとか自分で写真に収めることができたのでよしとしよう。なぜならこの編成の下り側3003号車は、私が幼稚園へ通っていた頃に、清荒神駅の踏切を渡りながら、試運転で停車中のピカピカの新車としてびっくりした記憶があり、それ以来、阪急の新車といえば3003号車を思い浮かべるからだ。

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私は1960年生まれ、この3003号車は3000系の初期ロットで1964年生まれ、私が5歳の時に竣工して宝塚線で試運転されていたものと思われる。その後神戸線に配属になって姿を見なくなったのを寂しく思ったものである。もっとも、竣工時にこの3003号車が含まれていた編成は3052Fであって、当初は大阪方から4両 + 2両の6両編成であった。編成表示は大阪方から表記するので、阪急3000系の付番ルールからすると大阪方先頭車にモーターとパンタグラフがなく、それらは神戸・宝塚方の先頭車にある。これは2000・2100系から始まったことで、その理由はラッシュ時に車両を増結する際に、まだ当時は1両ずつ増結することを想定していたのだが、作業は大阪方で行われるのが普通なので、大阪方にパンタグラフがあると、増結車の向きによってはパンタグラフが近接して架線を押し上げてしまうので、それを避けるためである。実際には、その後の開発経緯で、阪急では最小編成を2両単位とすることになったのでその心配はなくなり、5100系から従来通り、ほとんどの編成で大阪方先頭車にモーターとパンタグラフが配置されるようになった。

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というわけで、この神戸・宝塚方先頭車の3003号車には、まだ銀色に光り輝くパンタグラフが設置されており、その発車時には2000系とは全く異なる繊細で洗練されたモーター音が鳴り響いたのをはっきりと覚えている。先頭にパンタグラフを振りかざして居丈高に疾走する2000系もかっこよかったが、パンタグラフのない先頭で静かに滑ってくる3000系は魅惑的ですらあった。だからこそその引退を知らなかった自分に腹がたつ !! その後、私の中学生時代に輸送力の増強から7両編成に組み替えられるにあたって、整然とした付番ルールに基づいた編成に混乱が生じることとなり、3003号車の大阪方先頭は3054号車となって、それ以来紆余曲折を経て4両編成に短縮されて伊丹線で余生を送るまで、中間に挟まれていた相方を次々に見送る形でこの組み合わせは残ったのである。このように私は、阪急電車における車両番号のつけられ方と、それらの変遷、パンタグラフの配置に、幼少の頃から並々ならぬ興味があって、高校時代までは、すべての編成のすべての車両番号とその順列を記憶していた。ところが近視であった私には、走ってくる編成の先頭車の番号が読めないので、友人に頼んでその番号を読んでもらい、それによってその編成が何両編成か、また冷房付きかを言い当てて、扉の来る正しい位置を示すという下校時の日課を思い出す。この3054Fの最後の編成は3000系初期ロットの同窓生のみで編成されたが、その直前には3100系の付随車と隣接し、また過去には2000系や2171系と隣接したり、8両編成で神戸線特急の主力の座を誇っていた時期から、割と早くに6両編成化されて今津線普通に格下げされたかと思うと、数年後には8両編成化されて神戸線特急に返り咲くなど、全くその生涯に紆余曲折があった。ちなみに去っていったすべての3000系・3100系を通じて、阪急の主力であったにも関わらず純粋にそれぞれの系列車両のみで編成された8両編成はついに存在しなかった。常に旧型車の余剰車両を間に挟み、窓配置や寸法や性能の違いによってぎくしゃくしながら50年余りを走り続けた。美しくしとやかに登場したにも関わらず、その半生のほとんどをなりふり構わぬ姿で疾走した姿は、鉄道車両としては長い生涯がいかに多難なものであったかを物語って共感を覚える。

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参考文献: https://raillab.jp

 https://toyokeizai.net/articles/-/344141

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これは主に神戸線で活躍していた編成ですね。中学に上がった頃の京都戦は、まだP-6; 100系が走っていてびっくりしました。主力は、特急が2800系で、徐々に6300系が入ってきてました。急行と普通は2300系で、それにまじって本来神戸線用の2000系が7両編成で急行で走ってました。小学校の頃、長らく2000系を見なかったので再会できて喜んだものでした。京都線の3300系は、万博に合わせて製造されたので、今回話題の3000系より新しく、まだ走ってるはずです。さて、阪急の最高齢車両ということになると、いま能勢電に残る1700系がありますが、これらは旧2000系の改造車で、外観はほぼ、モーター音は全く同じものです。「それにまじって本来神戸線用の2000系が7両編成で急行で走ってました」と書きましたが、その時に使用されていたものが今も使われています。つまり、彼らのほとんどは、阪急の神戸・宝塚・京都戦を走破した挙句、今も能勢電で山を毎日上り下りしていることになります。彼らの初期ロットは1960年製ですので、我々と同年齢です。

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https://www.youtube.com/watch?v=5Axp-iiMs04

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 鉄道少年の夢 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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