Philipoctus de Caserta: Medee fu_ fol.24v, Medee fu en amer veritable (ballade)/ Tetraktys
(CD, Tetraktys: Codex Chantilly 1, Etcetera/ Olive Music, KTC 1900, 2008, Netherlands)
(CD, Tetraktys: Codex Chantilly 1, Etcetera/ Olive Music, KTC 1900, 2008, Netherlands)
「引きこもりの美学」・・・13世紀までの中世ヨーロッパ音楽は、単旋律のクレゴリオ聖歌を基礎としながらも、吟遊詩人や地方王侯貴族、騎士道による社交界の恋愛の歌が花開いて、まさに黄金時代であったと言える。録音されているものは、残された文献や挿絵などから研究された結果であるが、キリスト教・イスラム・民衆の歌という三つの大きな要因がそれぞれに入り混じってこの時代の音楽の生き生きとした活力を今に伝えてくれているように思われる。なんといっても、グレゴリオ聖歌の単旋律のメロディの、なんとも言えぬ情緒は病みつきになる。時代が下るにつれ、その間に様々な歌曲が挟まれる形でバリエーションが増えていくのが楽しい。さらに間奏として挟まれる器楽合奏の、なんと繊細で緻密で、儚くも美しいことか・・・それらのバリエーションを聞くと、単旋律聖歌と多声歌曲は古くから両立していて、単旋律から多声へ一方的に発展したと言い切るには戸惑いを感じるのてある。アジアやアフリカの伝統音楽にも素晴らしい多声音楽がたくさんあり、ヨーロッパになかったと考えるのは不自然だ。むしろ、キリスト教典礼音楽の歴史を紐解いていくと、たびたび聖歌としてミサに使うことを認める音楽を整理している。つまり、多声の響く楽曲や、リズムを持つ音楽を、聖なるものではなく、俗なるものとして忌み嫌ったかのような記録がある。したがってむしろ、単旋律のグレゴリオ聖歌が当時の典礼音楽として確固たるものがあったのは事実だが、庶民の歌や踊りとして、多声音楽やリズムを持った踊りの音楽が広く分厚く底辺に生き続けていて、教会としても布教の必要からこれに近づき、そこに作曲や演奏の需要が生まれるとそれに携わる者が現われ、やがて彼らが教会音楽をも手がけるようになったのではないか。一方で、教会の権威をいただこうとする世俗勢力、すなわち王侯貴族や騎士団などによって社交界ができてくると、彼らの嗜みとしての舞踊や音楽が重く用いられ、それがのちの宮廷音楽への道を開いていったのではないか。その底辺には依然として庶民の歌や踊りがあって、それらは作曲家の着想や変奏の源泉を供給し続けた。このようにして、歴史的な考察の対象になりうる時代には、すでに教会音楽・宮廷音楽・庶民の歌という三層構造の原型ができつつあったものと思われる。これらが互いに影響を及ぼしあって、現代まで続く西洋クラシック音楽の大きな潮流になったのではなかろうか。
実際には、教会としては典礼音楽を正しく決める必要があった。まずは正しい聖歌を歌うために、詩編の文句の上に、ルビのように音程の抑揚が書き入れられた。やがて布教の必要性から典礼劇その他のバリエーションが現れると、台本とともに歌が記録され、自ずから学士が集まって合唱や合奏が行われた。原曲つまりグレゴリオ聖歌の一部や、おそらく当時流行していたであろう名もない歌の一節などを基本に変奏が行われたはずである。多くの録音された典礼音楽を聴くと、単旋律のグレゴリオ聖歌のミサ通常文を歌い終わった後、多声による変奏が延々と続くからである。そこに音楽家の活躍の可能性があり、様々な楽曲の発展があったのであろう。要求される複雑な技法を伝達するために、音の記譜法が改良された。最初は音の高低やその度合い、動き方を示すだけのものだったが、やがて音の長さ、小節の分割という形でのリズムの表現方法ができてきた。大きな特徴は、音の長さを厳密に書き留める方法ができてきたことである。これによって、拍子やリズムを記録することができるようになって、それがさらに複雑な演奏を可能にした。このようにして聖歌や一部の世俗歌曲は、手書き写本の形で残された。写本の多くに世俗歌曲が多いことは、すなわち教会以外での音楽の演奏も、同程度かまたはそれ以上に重要だったこと、写本として残すに値する需要、すなわち演奏の機会が多かったことを意味している。逆に、写本の歌曲の多くに同じメロディやテーマと思われるフレーズが繰り返し現われるが、恐らくそれが庶民の歌を反映しているのであろう。それそのものとして書きとめられることがなかったか、あるいはできなかったのかもしれないが、滲み出しているのを見ることができる。
音楽というものは、発せられた瞬間に消え去る運命を持つ芸術である。それを書き留める方法や動機は、このようにごく限られた人や機会にしか存在しなかっただけだと考える方が自然だ。記譜法の改良という大きな技術的進歩の功績は大きく、それらは複雑な多声音楽の、それぞれのメロディの絡み合いを克明に記録する可能性を示唆した。最初に現れた傾向は、単旋律聖歌の一つの音を長く引き伸ばしたところに、別の旋律で別の言葉を小刻みに乗せていく「オルガス・・・失礼・・・「オルガヌム」という手法である。歴史的な流れで言えば、パリに完成したノートル・ダム大聖堂を拠点に活動した「ノートル・ダム楽派」に属する作曲家たちの作品群が挙げられる。これはひとつの中世ヨーロッパ音楽の到達点だと思う。これを題材に演奏された作品は多く、それ以前のものを題材にしたものとの違いや、その良さはわかる。しかし、いまのところ、私の頭をぶっ飛ばしてくれるような演奏には出会ってない。でも面白そうなので、今後の探求分野になるだろう。しかし、これにはカネがかかりそうだ。
音楽が技術的に複雑になっていく過程と、それを書き留めて演奏に反映させようとする努力は、互いに関連し合いながら進んでいく。14世紀のフランスで、さらにそれが推し進められた。「アルス・ノーヴァ」すなわち「新しい技法」と呼ばれる音楽の流れである。これは1320年頃に出版されたPhillippe de Vitryの理論書のタイトルが、そのまま音楽楽派の名前になったものである。この時代、西ヨーロッパでは、絶対的な精神的支柱であったローマ教会が二つに分裂し、ローマと、南フランスのアヴィニョンに分かれて対立した。このことは当時の人々にとって天が二つに割けるほどの衝撃であっただろうし、絶対的価値観というものが揺らいで多様化していく重要な過程でもあった。また、時代が相前後するが、この時代に全ヨーロッパを含む西アジアから北アフリカまでの広い範囲で、ペストの感染爆発が起こり、社会不安などという生易しい言葉で現象を語ることができないほどの崩壊、精神的にも物理的にも悲惨な状況が長く続いた。この頃、おそらく厭世観や終末思想から、極端に先鋭的で技巧的な形式を有する一連の音楽の動きが、そのアヴィニョンで発生した。「より繊細な技法」(artem magis subtiliter) を意味する「アルス・スブティリオル (ars subtillior)」である。
その最も重要な曲集とされる「シャンティイ写本 (codex Chantilly) 」に収められた120曲もの世俗歌曲を、おそらく全部演奏してしまおうと考えているグループがある。 ≫Tetraktys ≫・・・後頭部を思いっきり後ろからはっ倒されたくらいの衝撃。出会った曲のタイトルがわからず、同じメロディを持つ曲をしらみつぶしに調べて突き止めた。リーダーの名前を調べて直接連絡を取って確認した。手軽にここでその音の素晴らしさを聞いてもらいたいのは山々だが、流出しているものはなく、著作権の関係でもめたくないから、勝手にアップロードするのはやめておく。mp3データでしか手に入らないが、iTunesでわずか\255なので、ぜひダウンロードして聞いてほしい。迫力が全然違うので調べてみると、ピッチそのものが全く違う。「a」が、なんと523Hzとされていて、現代の440Hzと比べると1音半も高い。さらにどの演奏もテンポが極端と言えるほど緩いので独特の情感がある。複雑に絡み合いながら進行するメロディ、どこでどう切れてどう繋がっていくのか予測できないリズム、不協和音へ落ちそうで落ちず、混沌に引きずり込まれそうでいて全体が穏やか・・・こんな実験的で美しい音楽がこの世に存在するとは思わなかった。この曲集の楽譜も残されているが、最早それは楽譜ではなく一幅の絵のようで、とてもそれを演奏することなど不可能ではないかとさえ思われる。そして彼らの急進性は、ルネサンス初期以降、ヨーロッパ音楽の和音の基調となる「四つの声部」の確立へと導いたのだが、それは単純化されて解消し、彼らが目指したであろう精神的な緊張感は受け継がれることなく消えた。
キリスト教典礼音楽は、その後々の現代に至るまで西洋クラシック音楽の大きな基盤であり続けた。一つの宗教音楽が、これほどまでに文化的なレベルで多彩に受け継がれている例は、他の文化圏では見られない。その「聖なるもの」の観念が、多声音楽とリズム、すなわち澄んだ音に対する濁りを忌み嫌った傾向も、また現代に受け継がれているように思われる。そしてルネサンス初期における音楽の混沌を最後に、ヨーロッパ音楽は単純化される方向に向かい、むしろ精緻で構造的な美を求めるような傾向が見られる。しかしその大半を占める主題のない形式的な宮廷音楽など、私には単なる阿諛追従のグロテスクな塊としか感じられない。それがまさに「クラシック臭さ」なのではないかと思うのである。
実際には、教会としては典礼音楽を正しく決める必要があった。まずは正しい聖歌を歌うために、詩編の文句の上に、ルビのように音程の抑揚が書き入れられた。やがて布教の必要性から典礼劇その他のバリエーションが現れると、台本とともに歌が記録され、自ずから学士が集まって合唱や合奏が行われた。原曲つまりグレゴリオ聖歌の一部や、おそらく当時流行していたであろう名もない歌の一節などを基本に変奏が行われたはずである。多くの録音された典礼音楽を聴くと、単旋律のグレゴリオ聖歌のミサ通常文を歌い終わった後、多声による変奏が延々と続くからである。そこに音楽家の活躍の可能性があり、様々な楽曲の発展があったのであろう。要求される複雑な技法を伝達するために、音の記譜法が改良された。最初は音の高低やその度合い、動き方を示すだけのものだったが、やがて音の長さ、小節の分割という形でのリズムの表現方法ができてきた。大きな特徴は、音の長さを厳密に書き留める方法ができてきたことである。これによって、拍子やリズムを記録することができるようになって、それがさらに複雑な演奏を可能にした。このようにして聖歌や一部の世俗歌曲は、手書き写本の形で残された。写本の多くに世俗歌曲が多いことは、すなわち教会以外での音楽の演奏も、同程度かまたはそれ以上に重要だったこと、写本として残すに値する需要、すなわち演奏の機会が多かったことを意味している。逆に、写本の歌曲の多くに同じメロディやテーマと思われるフレーズが繰り返し現われるが、恐らくそれが庶民の歌を反映しているのであろう。それそのものとして書きとめられることがなかったか、あるいはできなかったのかもしれないが、滲み出しているのを見ることができる。
音楽というものは、発せられた瞬間に消え去る運命を持つ芸術である。それを書き留める方法や動機は、このようにごく限られた人や機会にしか存在しなかっただけだと考える方が自然だ。記譜法の改良という大きな技術的進歩の功績は大きく、それらは複雑な多声音楽の、それぞれのメロディの絡み合いを克明に記録する可能性を示唆した。最初に現れた傾向は、単旋律聖歌の一つの音を長く引き伸ばしたところに、別の旋律で別の言葉を小刻みに乗せていく「オルガス・・・失礼・・・「オルガヌム」という手法である。歴史的な流れで言えば、パリに完成したノートル・ダム大聖堂を拠点に活動した「ノートル・ダム楽派」に属する作曲家たちの作品群が挙げられる。これはひとつの中世ヨーロッパ音楽の到達点だと思う。これを題材に演奏された作品は多く、それ以前のものを題材にしたものとの違いや、その良さはわかる。しかし、いまのところ、私の頭をぶっ飛ばしてくれるような演奏には出会ってない。でも面白そうなので、今後の探求分野になるだろう。しかし、これにはカネがかかりそうだ。
音楽が技術的に複雑になっていく過程と、それを書き留めて演奏に反映させようとする努力は、互いに関連し合いながら進んでいく。14世紀のフランスで、さらにそれが推し進められた。「アルス・ノーヴァ」すなわち「新しい技法」と呼ばれる音楽の流れである。これは1320年頃に出版されたPhillippe de Vitryの理論書のタイトルが、そのまま音楽楽派の名前になったものである。この時代、西ヨーロッパでは、絶対的な精神的支柱であったローマ教会が二つに分裂し、ローマと、南フランスのアヴィニョンに分かれて対立した。このことは当時の人々にとって天が二つに割けるほどの衝撃であっただろうし、絶対的価値観というものが揺らいで多様化していく重要な過程でもあった。また、時代が相前後するが、この時代に全ヨーロッパを含む西アジアから北アフリカまでの広い範囲で、ペストの感染爆発が起こり、社会不安などという生易しい言葉で現象を語ることができないほどの崩壊、精神的にも物理的にも悲惨な状況が長く続いた。この頃、おそらく厭世観や終末思想から、極端に先鋭的で技巧的な形式を有する一連の音楽の動きが、そのアヴィニョンで発生した。「より繊細な技法」(artem magis subtiliter) を意味する「アルス・スブティリオル (ars subtillior)」である。
その最も重要な曲集とされる「シャンティイ写本 (codex Chantilly) 」に収められた120曲もの世俗歌曲を、おそらく全部演奏してしまおうと考えているグループがある。 ≫Tetraktys ≫・・・後頭部を思いっきり後ろからはっ倒されたくらいの衝撃。出会った曲のタイトルがわからず、同じメロディを持つ曲をしらみつぶしに調べて突き止めた。リーダーの名前を調べて直接連絡を取って確認した。手軽にここでその音の素晴らしさを聞いてもらいたいのは山々だが、流出しているものはなく、著作権の関係でもめたくないから、勝手にアップロードするのはやめておく。mp3データでしか手に入らないが、iTunesでわずか\255なので、ぜひダウンロードして聞いてほしい。迫力が全然違うので調べてみると、ピッチそのものが全く違う。「a」が、なんと523Hzとされていて、現代の440Hzと比べると1音半も高い。さらにどの演奏もテンポが極端と言えるほど緩いので独特の情感がある。複雑に絡み合いながら進行するメロディ、どこでどう切れてどう繋がっていくのか予測できないリズム、不協和音へ落ちそうで落ちず、混沌に引きずり込まれそうでいて全体が穏やか・・・こんな実験的で美しい音楽がこの世に存在するとは思わなかった。この曲集の楽譜も残されているが、最早それは楽譜ではなく一幅の絵のようで、とてもそれを演奏することなど不可能ではないかとさえ思われる。そして彼らの急進性は、ルネサンス初期以降、ヨーロッパ音楽の和音の基調となる「四つの声部」の確立へと導いたのだが、それは単純化されて解消し、彼らが目指したであろう精神的な緊張感は受け継がれることなく消えた。
キリスト教典礼音楽は、その後々の現代に至るまで西洋クラシック音楽の大きな基盤であり続けた。一つの宗教音楽が、これほどまでに文化的なレベルで多彩に受け継がれている例は、他の文化圏では見られない。その「聖なるもの」の観念が、多声音楽とリズム、すなわち澄んだ音に対する濁りを忌み嫌った傾向も、また現代に受け継がれているように思われる。そしてルネサンス初期における音楽の混沌を最後に、ヨーロッパ音楽は単純化される方向に向かい、むしろ精緻で構造的な美を求めるような傾向が見られる。しかしその大半を占める主題のない形式的な宮廷音楽など、私には単なる阿諛追従のグロテスクな塊としか感じられない。それがまさに「クラシック臭さ」なのではないかと思うのである。
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