2020年07月03日

20200701 半夏生

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 自然農の先達、Morning Dew Farmの中野さんの田んぼの田植えにお邪魔しました。田んぼの作り方、田植えの仕方・・・私は人に教わることなく体当たりで田んぼを借り、いきなり農作業の循環の中に身を置いてしまった。あとは、ひたすら作物の成長と季節の移り変わりに追われて、走れるだけ走り続ける日々・・・考える余裕も、人様の考えを取り入れる時間もなかった。ある意味、自分のアタマで考えたことしか実行できない、聞く耳を持たない性格は生来のものだ。その結果、集落で対立し、謹慎処分状態にあって、いわゆる農家資格剥奪の危機にさらされている。自業自得だ。この、私の置かれた状況について、深く考えさせられる良いチャンスをいただいた。

 田植えの仕方、田んぼの作り方・・・それだけをとってみても、土台から考え方、実践に至るまでの一貫した哲学が、中野さんの田んぼと田植えには、しっかりと息づいている。しかも、毎年、時間・季節・仕事に追われながらも、ブレることなく連綿と続けておられる。それを人に伝えようとする気迫が違う。人徳という言葉があるが、私はそれを見せてもらったような気がした。だから彼のところには人が集まるのだ。私は、自分がまだまだ甘いなと思い知らされた。行動でしか物事を考えることのできず、きちんと学ぶことをしてこなかった私の欠点だ。人に伝えることができないから、人と対立してしまう。その結果が、今シーズンの私である。

 私が今シーズンの謹慎を強いられたのは、村人の陰謀ではない。そうせざるを得ないように、私が持っていってしまった結果である。私が田圃を借りて、周囲と違うやり方を始めたとき、周囲に理解されるように努力したか。百姓を始めたことをネットで言いふらして人が集まってきたとき、周囲とトラブルになることを予測しなかったか。ここで暮らすということは、心を開いて村の一員になるということだと思って移住してきたのか。すべて「No !!」ではないか。だから村人は不安を抱き、その不安を取り除くために法に縋った。それを、法を盾に自分を排除しようとしていると解釈した私は、法を以て対抗しようとした。法理論上は、私を排除することはできない。しかし、人の心は理論で動くものではない。だから、村の顔役と激しい口論の直後、その人が死んでしまった原因を、持病ではなく、私との口論にあったと解釈するのは、心情的に理解できる。法を盾に取れない以上、嫌がらせするしか、残された方法はなかったはずだ。そこまで彼らを追い込んだのは私だ。いくら理論上は正しくても、やって良い時と場所を弁える必要があったのだ。だから、このような仲介がなされたのだ。

 もし私にしっかりとした哲学があれば、理論ではなく、心のこもった正しい生き方の哲学があれば、必ずや理解は得られたはずである。私はここへ移住してきてからの13年間、間違った道を来てしまったようだ。正しい道があったはずだが、それに全く気づかず、自分の不遇ばかり嘆いていたのではないのか。そのようないじけた心で田圃を作り、田植えをするから、私の中途半端が田んぼに映し出されるのであろう。それをプロの百姓が見抜くから、村人は不安になるのであろう。正面突破したなどと粋がって、その実、自分の都合の良いようにしか農作をしてこなかったではないか。だから結果が出ないし、足りない分を経済のせいにする。ダメだこりゃ・・・

 それが証拠に、私の田んぼは、形だけは自然農風であるけれども、生物多様性の循環の中に作物が組み込まれているわけではない。稲苗の植え方もまちまちである。それより、私自身が、土や水の状態を、よく把握できていない。結果として、収穫量が低い。これでは「農」とはいえない。
posted by jakiswede at 00:11| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2020 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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