2020年09月10日

20200910 決断

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 来シーズンに向けてそろそろ準備を始めたいのだが、状況は一向に好転しない。そもそもの原因は「水」である。百姓は、今も昔も「水」で揉める。もともと、家主の家は大庄屋で (あったらしく) 、私が借りている屋敷周辺のほとんどの農地を所有していた (らしい) 。それが農地改革や宗教の関連でかなり手放すことになって、今では数反を残すのみになっている。

 今回のトラブルの発端は、写真の農地である。右手の田んぼの方がわずかに高くなっているが、もともとこれは左の農地を含めた一枚の田んぼであって、何十年も前に何らかの事情で半分だけ切り売りされたものである。その後の運用の加減で、自然に高低差がついてしまったものと思われる。左手の農地は家主が使用し、右手の農地は隣家が所有しつつも、一昨年までは農協に作業を委託、去年からは近在の篤農家が使うことになった。ところが、この農家は畔の始末が不十分で水が周囲に漏れ、わずかな高低差が原因で、左手の田んぼの脇で作られていた畑が水浸しになってしまったのである。咋シーズンから畑の作物が全て根腐れするようになった。

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 さて本来ならば、その篤農家と話し合って畔の水管理をきちんとしてもらい、周囲への水漏れを防ぐべきである。ところが現実はそうはならない。水漏れ問題は放置して、水浸しになった畑の代替地を、地主の持っている他の農地に移すことによって、問題を回避したのである。その結果、家主が貸している農地をたらい回しにして、複数の借り手を巻き込んだ挙句、結局私の来シーズン使える農地が確定しないのである。おまけに私のメインで使ってきた農地は、村からの自粛要請に従って草刈りしかできない状態であるにもかかわらず、いつの間にか畑に整地されていた。法律上は、これらのたらい回しとメインの農地は、私が利用権を設定し、農地台帳に正式に記載されているものである。ムラ社会にはもはや法律さえも有効でない。

 なぜこうなるのか。結局のところ、村の顔役である篤農家と地主との力関係、その篤農家なくしては村の農業が成り立たない実態、そして土地に関する地主の執念などが、ちんぷんかんぷんに入り乱れてしまって、もはや法理論などが入り込む余地がない。しかし日本は法治国家であるから、トラブルが起これば、行政が追求してくるのは法的な利用権の設定者、つまり私、ということになる。ムラ社会には暗黙の序列がある。それは往々にして合理主義を退ける。義理が通れば道理が引っ込むのである。そしてその序列に従って、一部は不承不承でありながらも、一同の「腑に落ちる」落としどころが謀られた結果、村の「和」が保たれる。

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 さて、私は決断をした。もはや、このようなゴタゴタに巻き込まれて無駄なエネルギーを浪費することには耐えられない。農地法上の契約期間すなわちあと2年ちょいを表向き勤め終えたら、ここを出る。もうだめだ。

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2020 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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