2020年11月21日

20201121 私は性懲りも無く

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 人間関係もそうだが、何かを始めるときは勢いもあるし弾みもついて、うまくいくことが多い。しかし終わらせるとなると厄介だ。別れ話がどうにかまとまって、やれやれせいせいしたと独り祝杯をあげながら夕食を作る・・・しかし、つい、いつものように、二人分作っている自分に気がついて・・・ジワーーーッと涙が溢れて止まらなくなったことも一度や二度ではない。百姓も始めるときは意気揚々として希望に燃えて怖いもの無しである。根性さえあればプロの百姓でさえ怖がってできないことも難なくやってのける。制度や法律を熟知し、ムラ社会のシガラミなんてブッチ切゛って正面突破する。百姓の始めかた続け方、苦労話は枚挙にいとまがない。しかし百姓の辞め方となると殆ど情報がないので書いておくことにしよう。通常、ここで百姓を始める辞めるというのは、農家でない人が新規就農したが続けられずに辞める場合を想定しているので、つまるところ借りた農地の返し方ということになる。

 これは地方自治体によって異なるだろうが、神戸市の場合、写真のような三つの書類を揃えて、農地の登記簿とともに提出しなければならない。今回の乗っ取りの場合、本来ならばその不当性を訴えて損害賠償を請求するのが筋であるが、そうしたところでトラブル続きの元の木阿弥。ここは争わず、極めて事務的に、契約期間の途中解約に双方が合意して、私が借りていた農地を地主に返却しますという届けを出すことにした・・・事務手続きは、このようにさほど問題はない。しかし、農地という、歴史的に様々な謂れもあり、持ち主の農家に先祖代々受け継がれてきた産物を、新規参入者が使わせてもらっていること、そのありかた、地主の想い、借りている間に蓄積されていく、地主や周辺農家、すなわちムラ社会の葛藤を、どのように精算するかが最も困難な問題である。これは、法律や事務手続きでは割り切れない立場や考え方、汲み取れない想いが交錯し、平穏無事に明け渡すということが、大変困難なのである。

 結論から言うと、借りたものは原状回復して返さなければならない。では「原状回復」とは何か。「もとの状態」とはどういうことか。食の安全を求めて新しく農家になることを志す人は、できるだけ農薬や化学肥料、動力機械を使わずに出来る方法を模索するであろう。それは正しい。しかし、おそらくほとんどの農地は、その人が借りる直前までは、そのようには使われていなかった。つまり農薬で雑草を抑え、化学肥料で増産し、動力機械で耕すための、無機的なスポンジのような地面だったはずである。そこを「地力の回復」などとほざいて草だらけにし、刈り取った草を積み上げて害虫の卵を量産し、不耕起とやらで田んぼをじゃじゃ漏れにされてしまっては地主は堪ったもんじゃない。しかし法律は地主を守ってくれないのである。使用者は正式な手続きを経て、合法的になんの落ち度もなくそこを使用している。耕作放棄したわけでも、捨て作りしたわけでもなく、水路や共同部分の管理も行き届いている。しかし、地主にとっては、先祖代々の農地が、まったく違うものに変えられてしまうのである。黙って見ていては取り返しがつかなくなる。法律が裁かないのであれば自ら手を下すしかない。ムラ人同士であればすぐにわかるこの感情の機微が、都会から来た空気の読めない原理主義者には全く通じないのである。「耕さず、草や虫を敵とせず」土の中の循環によって少しずつ恵みをもたらしはじめた農地は、地主にとってはもはや「原状回復」の不可能な土地になりつつある。このようにして私の借りていた農地は乗っ取られたわけである。

 従って、その農地の「現状」を「原状」に戻すために掛かる労力と費用と時間は、借主が補償すべきであるというのが、地主の尤もな考えである。しかし法律はそこまで規定していない。ここに深刻な問題が生じる。私から見れば、家賃を取って部屋を貸しておいて、留守中に家財道具を勝手に処分されたようなものである。しかし地主にとっては、居住目的で貸した部屋を勝手にライブハウスに改造されてしまったくらいの怒りである。双方の見え方が全くかけ離れている。お互いに、こうなるまでになぜ気がつかなかったのかと思う。地主は、ことあるごとにサインを送っていたようである。私は全く気がつかなかった。たしかに、ビニール・マルチの代わりに稲藁でマルチングしたときに、風で飛ぶから抑えときやと言われた。代掻きをせずに溝を切って田んぼを始めたときに、耕運機ならいつでも貸すでと言われた。炎天下に茹で蛸みたいな顔をして田んぼの草と戦っているときに、そっと「白い粉」を差し出してくれたことも覚えている。私はそれらを全て無視して作り続けてきた。そして一定の成果とノウハウを得た。しかし地主との信頼関係は、完全に失われた。

 おたがいの立場の違い、考え方や感じ方の違いをすり合わせて共生していくことは非常に難しい。物事を始めるとき、困難を乗り越えて進もうとしているときは、意識は目的に集中している。つまり周りをよく見ていないことがある。しかし周りの人は、実によく私を見ていたのである。私が進む方向や、目的を、彼らが理解していないのではない。それどころか、そうしていけば、私が予想していないどんなことが起こるかを、克明に知っている。知っていて言わないのではない。彼らにとっては、相手を傷つけないギリギリの線で、相手が察するであろう明確さを持って、私にその都度伝えてくれていたのである。私もそのいくつかの記憶はある。しかし私はそういう意味にとらなかったばかりか、往往にしてそれに敵意を感じ、対抗姿勢をとったのである。その積み重ねが今の私である。これを解きほぐすことは、おそらく不可能に近い。できたことは、なんとか双方に他意のないことを僅かに確認し得たことくらいである。これが、私がここに住んだ13年の結果である。

 ちなみに、私は性懲りも無く百姓を続ける決意であることに変わりはない。

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2020 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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