2021年は、これまで13年かけて上り詰めてきた山道を踏み外して谷底に転落し、両手両足が折れたも同然でのスタートとなった。クソったれめ。昨年末に連鎖的に起こった事実を整理すると概ね次のようになる。どうか、これから百姓を目指して農村に住もうと考えている皆様、どうか、私と同じ轍を踏まれることのないよう、十分な上にも十分に注意して、周囲の安全を確認の上にも確認を怠らず、一挙手一投足、細心の慎重さをもって望んでもらいたい。私はすでに農家ではない。従って新たな農地を借りることもできず、母と妹を呼び寄せて三人で暮らすという計画も絶望的となった。私が農業者に戻るには新規就農研修から始めなければならず、それにはおよそ三年の年月がかかり、所定の複雑な手続きと、恣意的に運用される審査に合格しなければならない。そもそも研修機関が私のような老人を受け入れる可能性は低い。なぜなら研修機関といっても指定された農場であって、都合の良い労働力としてタダ働きさせられることになるからだ。研修機関は遠く、夕方からのバイトなんてとても無理だ。生活が成り立たない。こんなことになったのは大体次の三つの事情が複雑に絡み合った結果である。
ひとつめの事情。昨年の9月に、借りていた農地が乗っ取られたあと、本来は賃借権の確認を求めて地主と争うべきところを、それを取り戻してもまたトラブルが続くことに嫌気が差し、農業委員会の出先機関に相談した結果、身を退いて合意解約の手続きを取ることにした。同時に、前から付き合いのあった別の農家の農地を借りる合意を取り付け、そちらに借り換える手続きを取ることで、農家資格を継続させようと考えた。11月に、従来の農地を解約する書類と、新たな農地を契約する書類を持って、地元の農業委員会の出先機関を尋ねた。応対した指導員に事情を説明し、農地契約が連続するようにと念を押した上で、二つの手続きを同時に依頼した。なぜなら農地契約に空白期間が生じると、私は農家資格を失うからである。しかし指導員は、おそらく話を聞いていなかった。解約手続きの書類を本庁に送り、その返事を待ってから、新たな農地契約の手続きに入ったからである。その結果、解約書類を本庁が受理した段階で私の農家資格は喪失し、本庁はその後に届いた新たな農地契約を、資格なしとして却下した。農地解約の確認書は一週間ほどで私の元に送られてきたが、その時点で私は農家資格が失われているとは思わなかった。合意文には12月末で明け渡すと明記してあったからである。農地契約に関する書類が来たのは12月の中頃のことであった。迂闊なことに、私は三人で暮らす家を買う手続きを知るのに忙殺されていて、その中身をよく確かめなかった。しかしそれは、この農地契約は無効であるとして返送されてきたものだったのである。それに気がついたのは、家の件で市役所を回ることにした12/25だった。農家物件を購入するために農業者資格証明書を得ようとして、その申請をしたときに係員から告げられたのである。私は直ちに不服を申し立てたが、本庁でも出先機関でも決定を覆すことはできなかった。出先機関では「言った」「言わない」の応酬となって、指導員は頑として自分の非を認めなかった。周囲の職員も事情を知っているはずだが、誰も呼びかけに応じなかった。
ふたつめの事情、母と妹を呼び寄せて三人で暮らす計画実現のため、市街化調整区域にある中古住宅を私が賃借したり買い取ったりできるかどうか、できるのであれば具体的な手続きの詳細について、11月後半から調べにかかった。その複雑なことはプロの不動産業者でさえ手を出さないほどのもので、これを一般人が正しく理解することは非常に難しい。いくつもの法律が絡み合っており、それぞれに優先順位がある。それらを管轄する役所の部署も多岐に渡り、机上やインターネット上の調査では限界がある。自分で出来ることを調べ尽くした上で、建築確認書や不動産登記簿の原本を閲覧するために役所回りをしたのが12/25であった。現在市役所は建て替え工事中で、関係部署はバラバラに市中の雑居ビルに散らばっている。事実を確認するだけでも難航に難航を重ねた。各部署の相矛盾する見解を糺し、市街化調整区域内に立つ未登記の農家住宅であっても、登記された土地の接道している道路が建築基準法上の「道路」要件を満たしていなくても、農業者が営農するために居住することが証明できれば、開発許可も必要なく、賃借や購入することになんの問題もないことが分かったので、希望に満ちた気分で、最後に農業委員会の事務局を訪れた。先に述べた、農業者資格証明書の申請をするためである。その場で、私は11月に農家資格を喪失していることを知らされて愕然となった。持参してきた新たな農地契約書を開いてみせた。そこに「不受理返却」という旨のメモが添えられていたのを発見して呆然となった。直ちに不服を申し立てたが相手にされなかった。全ては自分で手続きしたこと、確かに書面ではそのようになっている。反論の余地なし。そのまま年末休暇に入って時間切れである。
三つめの事情、件の中古住宅の家主との交渉はとんとん拍子に進んだ。11月末にそれまで荷物を置いていた人が全ての荷物を片付けたので、私は建物に入ることを許された。屋根裏から床下まで調査し、プロの業者にも見積もりを頼んだ。建物は、少しシロアリの被害があるだけで、大きな補修工事の必要もなく十分使用に耐えるしっかりしたものだった。費用の概算が出たので、12/23に直接家主と会って具体的な詳細を話し合うことにした。近隣の住人達も歓迎してくれていた。空家対策になるし、遊休農地は解消されるし、独居老人ばかりなので安心にもつながるし、地域の活性化にもなる。これまで村に存在しなかったタイプの家族が生まれるのだ。ところがその直前になって、隣家の娘から「待った」がかかった。この娘の嫁ぎ先は、あろうことか、私が13年前にここへ移住してきた後、三年の研修を経て新規就農の手続きをしようとしたときに、それを徹底的に妨害した元農会長の親戚である。もちろんそんなことを私が知る由もない。その家は、昔は功なり名を遂げた家柄であるが、今では過去の栄光を笠に着る厄介者になり果てていた。様相は一変した。一人として近所に住んでいる者がないにも関わらず、少なくとも5つの「親類」が現れて私の移住に反対しはじめた。そもそも、なぜ隣家の娘が我々の取引を止めるのか、さっぱりわけがわからなかったが、家主はその意向を無視できなくなった。交渉は彼らに優先権が与えられた。12/26のことである。私は理解に苦しんだ。あの住宅を使う予定のない者が購入したところでどうなるものでもない。農家は農家住宅を複数持つことができないので、あそこを購入できるのは、家を持っていない農業者だけである。厳しい立地条件から、壊して更地にしたところで開発許可も降りない。つまり、放置するしかないのだ。その後、噂を聞いた村人達の話から、その元農会長が、自分に断りもなく村の土地を買うとはけしからんと言っていることがわかった。家のない者に家を世話してやったというのであれば、さすが立派な人だ立派な家柄だと称えられるであろう。しかし、纏まりつつあった商談を横取りしてしまうとは、全くいただけない話だ。しかし村の有力者の決定である。誰も手が出せない。家主も動けない。交渉は先送りされたまま年を越した。やっぱりこの村はクソなのか・・・
この三つの出来事が、もし仮に巧妙に仕組まれた罠だったとしたら、実に見事なお手並みという他はない。私には、もはや打つ手がない。今の家主と対立している以上、立退を要求されれば農家資格のない私は退去するしかない。ここは市街化調整区域の農用地内である。法的に対抗できないのだ。なんということだ。私は百姓でありたい。たったそれだけのことが、なぜこうなるのであろうか。13年もゴタゴタばかり続くのはなぜか。私が悪いのか。この村はやっぱりクソまみれなのか。他の新規就農者は、なぜあんなに幸せそうにしているのだろうか。どうすれば、次の一歩を踏み出すことができるだろうか。突然のことで気持ちの整理がつかず、まだ解決の糸口が見出だせない。