新名神高速橋桁落下事故、一夜明けた現場は、規制線は張られているものの、落ち着いていました。現場を北側から見る。右が神戸JCT.、左が高槻方面。この下を有馬川が流れ、両岸に国道とその旧道が並走する。
手前が国道176号の旧道、対岸が本道、右手が三田方面、左手が大阪方面で、いずれも交通は規制され、右手の山の向こうを並走する有馬街道へ迂回することになる。
その遠景、右端が現場。奥に見えるのは六甲山。
道場町日下部、国道と有馬街道の分岐点で迂回の指示が出されている。
私の畑からも目と鼻の先。
新名神高速橋桁落下事故、一夜明けた現場は、規制線は張られているものの、落ち着いていました。現場を北側から見る。右が神戸JCT.、左が高槻方面。この下を有馬川が流れ、両岸に国道とその旧道が並走する。
手前が国道176号の旧道、対岸が本道、右手が三田方面、左手が大阪方面で、いずれも交通は規制され、右手の山の向こうを並走する有馬街道へ迂回することになる。
その遠景、右端が現場。奥に見えるのは六甲山。
道場町日下部、国道と有馬街道の分岐点で迂回の指示が出されている。
私の畑からも目と鼻の先。
新名神高速橋桁落下事故、一夜明けた現場は、規制線は張られているものの、落ち着いていました。現場を北側から見る。右が神戸JCT.、左が高槻方面。
この下を有馬川が流れ、両岸に国道とその旧道が並走する。
手前が国道176号の旧道、対岸が本道、右手が三田方面、左手が大阪方面で、いずれも交通は規制され、右手の山の向こうを並走する有馬街道へ迂回することになる。
その遠景、右端が現場。奥に見えるのは六甲山。
道場町日下部、国道と有馬街道の分岐点で迂回の指示が出されている。
私の畑からも目と鼻の先。まあこういうのんを野次馬というんでしょうな。
新名神高速道路建設予定地の神戸JCTから道場町までの間の谷である。道場町平田という。見えにくいが高圧電線が見える。このあたりはだいたいこれに沿って進むようである。画面奥が西方向で神戸JCTに至る。山を越えると、イチゴで有名な二郎 (にろ) である。
その背後、東にも山があって、それを越えると、名勝「百畳岩」や「鎌倉峡」を擁する谷に出る。いずれも山が侵食を受けてでき上がった景観である。いぜんは、この間を割って入るような計画線が描かれていたが、さすがに名勝を壊すわけにはいかなかったのだろう。計画線は、これをいくぶん北寄りに外れたところを通る。
上の写真は、関学の神戸セミナー・ハウスから見た「百畳岩」である。この角度から見ると、俺のたくましいジュニアのように見えるぜ・・・
さて、その北側を少し入ったところに、件の高圧電線が通っていて、その保守用の小径を行くと、すぐ鉄塔の下に出る。そこから東を見ると、向かいの山を切りとおして建設が進められている。左に見えるのはJR道場駅付近の集落。この向こうが道場町生野。
「新名神高速道路」建設予定地。JR道場駅から武庫川下流に向けて、東へ山ひとつを越えた川の曲折部に武庫川上流浄化センターがあって、道路はその脇をかすめるように川を越えて東進し、JRの線路 (トンネル) を越えて、川下川ダムへ至る。
武庫川は、左奥が上流で三田側、右 (東) へ流れ下る。
武庫川右岸より東を望む。
そのJR福知山線は、かつては単線の非電化路線で、今のルートとは違って武庫川沿いを這うように通っていた。これは武庫川右岸に残る踏切跡。
地元の道はこの後左岸に渡って、福知山線の廃線跡の石垣を右手に見ながら下流に向かって東進する。「新名神高速道路」は、撮影している私の背後の山を通るはずである。
ふりかえると、かつて何かを補給したものであろうか、或いは貨物列車に木材でも積み込んだのであろうか、廃虚となった施設が見える。JR福知山線の旧線跡地は、道場駅から武田尾駅までは、「新名神高速道路」建設のためのアクセス道路として立ち入り禁止になっている。武田尾駅から生瀬駅までの区間は、非公式ではあるがハイキング・コースになっている。特に照明設備のないトンネルはトーチ必須で迫力がある。
さて左岸の道路は川筋を離れ、宝塚市の水源になっている川下川ダムに向かって登る。「新名神高速道路」は、そのダムの鼻先を高架で跨ぎ越える。
所用で宝塚の実家へ戻ることになり、途中、気が向いて新名神高速の建設現場を経由してみた。これは、宝塚市の切畑という集落と猪名川町の広根という集落を結んでいる細道で、緑の向こうには猪名川町のニュータウンが見えている。この道は私が子供の頃、よく自転車で走り回ったルートである。生瀬から十万辻を越えて長尾連山の北に入り、西谷の集落の入口から東へ進路を取るとここに出る。私はここが大変好きであった。なぜかというと、この先、道は穏やかな田園風景から一変して、深い緑に包まれた森の中の小川に沿って進むのだが、上の写真で道が途切れるように見えるところから急な下り坂となり、自転車は速度を上げながら薄暗い森の懐へ吸い込まれて行く。その感覚がたまらなく好きだったからである。
小川に沿ったこの谷は、新名神高速道路の建設予定地である。大型車など行き交う事の出来なかった小道を山を切り通して拡幅し、一般車と工事用車輌が行き交う。それでも離合困難箇所が至る所にあるので、区間を区切って片側交互通行となり、通過車輌は区間ごとに警備員によって管理されている。従って風景をつぶさに眺めている心の余裕はない。緑の懐に吸い込まれるようだった下り坂も、このような有様であった。
谷間には小さな田畑が点在していた。その間を流れる小川もあった。世間から打ち捨てられたような空間で、車どころか人もほとんど通らない道だった。私は自転車を止めて川に降り、木漏れ日の瞬くのを見、光が様々に映し出してくれる草花の有様を楽しんだものだった。
「新名神高速道路」の建設が近所でも始まっている。その予定地がどのように破壊されて行くか、写真によって記録して行こうと思って、ブログ上にひとつのカテゴリを立ち上げる。記録する区間は、おもに神戸JCT.から高槻第一JCTまでの間である。上の写真は2011年6月のものであるが、神戸JCTからイチゴの名産地で有名な二郎 (にろ) をひと山東に越えた、神戸市北区道場町平田である。詳細な図面が得られないのであくまで憶測であるが、この高圧電線の直下か近くを通るはずである。
JR道場駅の西の高台から建設予定地を遠望する。「百条岩」など奇岩で名高い風光明媚な生野高原を切り通して進む。
その山を越えると武庫川渓谷に至る。採石場の入口が、工事用車輌の入口になっている。右に予定地を知らせる看板が見える。
兵庫県の武庫川上流浄化センターの真上を通るはずである。
武庫川渓谷沿いに道場と西谷方面を結ぶ細い道が工事用車輌の通路になっている。それすなわち、かつての国鉄福知山線の廃線路に並行する。「立入禁止」の看板の下は、かつての踏切の名残、舗装される以前は、レールも残されていた。
2011年2月の写真であるが、古い石垣の下にかつての線路敷があり、それをアクセス道として、その上の山を開削している。ここは鉄道の歴史を今に残す遺跡が、長い年月を経て渓谷美と見事な調和を重ねて来た場所でもある。
その東にある川下川ダムを跨ぐ巨大な橋梁の建設が進んでいる。予定地はこの先、武田尾の渓谷や集落、山を利用した畑を破壊して貫通し、宝塚の奥、西谷の集落を過ぎて、猪名川町へ向かう。
さて、特に今になってこのカテゴリを立ち上げようと思ったのは、ここ宝塚市切畑から猪名川町広根までの区間が通行止めになったからである。この先、鬱蒼とした森の中へ飛び込んで行くかのように、道は細い路地となって下りながら渓谷に彷徨い込んでゆき、点在する集落や見事な梅や桃の畑を過ぎ、小さな流れのわきに現れては消える生き物草花や、木漏れ日を受けてそれらが笑い、小川の水に乱反射する光の乱舞を見ることができた。おそらくその頃の経験が、私の今の写真心を培ったものであろう。ここが通行止めになったということは、現在その命の楽園は、徹底的な破壊を受けているということである。ここは、子供の頃から私の遊び場であった。自転車を手に入れて行動範囲が広がってからは、近所のしがらみを絶って自然の中に埋没する歓びを覚えた。待ち伏せと裏切り、情け容赦のない徹底的な誹謗中傷に疲れきった心は、ここの小川の水で癒された。数年前、手に入れた高速道路の予定地情報を地図に落とし込んでいて事実を知った私は、それから足しげくここへ通ったのだが、つい最近まで何の変化もなかった。が、いきなり封鎖されてしまった。解除されるのは、来春とのことである。もはや、あの光に再会することはないだろう。
封鎖区間の西側、宝塚市切畑である。関西電力の変電所があって、ここは雷がよく落ちるのだ。下の写真は、東側の猪名川町広根である。
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