2013年12月31日

20131231 自然に沿って生きる

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20131230 冬季湛水

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 今年最後の農作業は、冬季湛水のための畔の重ね塗り。土手の高さいっぱいにまで塗り上げるには、下手な鍬使いでは一旦半分まで塗り上げて日にちを措いて固め、その上に上乗せする必要がある。上の写真は塗り上げ翌朝、下は満水状態のもの。


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20131223 丹波の黒豆脱穀

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 もうあんまり説明の必要もないと思うが・・・今年は生産調整して例年の約半分。ほっときゃできる丹波の土に感謝。

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20131222 冬至

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 六甲山が冠雪している。
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2013年12月28日

20131228 今シーズン総括

 今シーズンの農作業を総括する。昨年の12月に川口さんの主催する「赤目自然農塾」へお邪魔し、その後これについてよく考えて、それまでの私の作り方との違いを検証し、今シーズンは全面的に川口さんの提唱されるやり方に切り替えることにした。その結果について簡単に言えば、米作りはかなり失敗したが、野菜作りはかなり成功した。


 米作りについては、切り替え前に種籾の手配を終えていたという事情もあったが、品種による特性について一切考慮しなかったことがおそらく原因で、「良食味米」の代表であるコシヒカリを不耕起栽培して全滅させてしまった。しかし、餅米・黒米・赤米・インディカ米など、より固定種に使い品種のこぼれ種は同じ環境下でも良く育ったので、来シーズンは、より固定種に近い品種に変える。現在のところ「日本晴」で再挑戦したいと考えている。インディカや赤黒の古代米と糯米については、小麦の跡地を耕さずに植え付ける予定である。今シーズンの顛末の詳細については、下記を参照されたい。


 http://jakiswede.seesaa.net/article/382215443.html


 野菜作りについては、ジャガイモとピーマンの栽培に失敗し、ともに全滅であった。ジャガイモについては、冬野菜が枯れしぼむと予想して、それらを取り除かずに種芋を植え付けたが、アブラナ科や芹などが春から初夏にかけて旺盛に棟立ちし開花結実するに連れ、ジャガイモの葉が黄変し枯死する現象が見られた。跡地には季節外れに芽を出した種芋や子芋が転がり、これらは秋に発芽して一定の収穫を得た。ピーマン、シシトウ、ピリピリなどは、数年前からその兆候はあったが、植え付けた苗の大きさのまま夏を越して秋を迎え、初霜とともに枯れ落ちた。種取りも出来ないほどだった。原因はわからないが、土壌の酸性化と関係があると言われているので、来シーズンは場所を区切って、草木灰を施しつつ検証してみたい。圃場の場所一帯は有馬温泉に近く、元々土壌が酸性傾向にある事や酸性雨の影響があるのかもしれない。また、「塩田」という当地の地名があらわすように、泉源に近い事からくる土壌塩分の高さも原因の一つかもしれない。田にイグサが多く生える事もその影響かもしれない。今後の研究課題である。その他の野菜については、もともとあまり熱心に耕す方ではなかったので、特に例年と変わらず収穫できた。もっとも、自給目的と割り切っているので、収穫量はプロの出荷量とは比較にならない。あくまで野菜を買わずに済むという程度である。ジャガイモの失敗例については、下記を参照されたい。


 http://jakiswede.seesaa.net/article/382221608.html


 以上の失敗の原因は、自然農法や不耕起が原因というよりは、自然農法や不耕起を実践するにあたって、目的とする作物の周辺の植生について熟知していなかったことによると考えられる。常に循環している多様な植生の中で、どのタイミングで何処にどんな作物を植え付ければ良いかを見極めるには相当な経験が必要になるだろう。要するに、外的要因に強い作物は例年通りの収穫を得たが、弱い作物は淘汰された。自然の中に置いた当然の結果である。


 陸上の生物は、その誕生以来、土から生まれたものを摂取して生存している。だから土には全ての生物が必要とするものが過不足なく用意されている、という考え方には一理ある。自然農法ではここに結論を置いて、土をできる限りあるがままの状態に保全しながら、目的とする作物をほんの少し土からおすそ分けいただく、という栽培方法をとる。耕さない、草や虫を敵にしないというポリシーはここから生まれ、納期と物量を指定される農業とは根本的に異なる。私は米と野菜は自給しているが、一年中好きなときに好きな野菜を食べているわけではない。そのとき畑にあるものをやりくりして食べているだけのことだ。特に端境期にあたる春先から梅雨入りにかけては、畑に充分な作物が育っていないので、畔や土手に生えている草のうち食べられるものを食べている。たまに肉や魚の切れっぱしを買ってきて喰う。たぶん主食の米がしっかりしているためか、この食生活でここ7年ほど風邪ひとつ引かない。収穫を目的とした作物が単位面積当たりどの程度収穫出来たかという意味での生産性は、隣近所のプロの農家の畑と比べるまでもなく、見ただけでわかる。ケタ違いに低いと考えて良い。しかし借りることの出来る圃場の単位は一反からであるので、これを適当に転がしながら、男一人が食べている状態である。一反あるので、作物は私の消費量の何倍も余る。一頃はそれを加工して現金化しようとしたが、いろいろあって今は辞めて、作つけを減らして調整している。この程度で推移するのであれば、放任に近いずぼらなやり方でも余程のことがない限り糊口を凌ぐことは可能である。


 土を観察してきてわかったことは、ひとことで「土」といってもおそらくその性質は千差万別であって、どれひとつをとってみても同じものはない。それどころか、その差異は驚くほど大きい。ところが、巷で売られている園芸書や、種の袋の裏に書いてある説明によると、土にある程度の肥料を与えて耕して種を蒔いて水をやれば収穫出来ると書いてある。私も初めはその通りにやってみたり、その後は肥料だけを省いてみたり、一度に何通りもの異なる条件で7年間様々な品種を育ててきた。そのうえで感じることは、つまり以下のようなことである。あくまで私の観察から得られた直感であるので、科学的根拠などない。


 自然農法のいうように、土には多分、全ての生物が必要とするものが過不足なく用意されているであろう。しかしその分布には大きな偏りがあって、そのときその人が栽培したいと思っている作物に必要なものが手許の土に過不足なく存在しているかどうかはわからない。だから、植物の研究や品種改良などによって、その作物が良く育つための養分がわかるようになると、それを化学的に合成するなどして得ようとしたものが肥料である。土に存在するであろう養分は恐らく大人の食事のようなもの、肥料が持っている養分は子供のお菓子のようなものではないかと思う。作物の根は、吸収しやすいものから吸収するので、手っ取り早く肥料を吸収して市場が喜ぶ大きさや形の作物が良く育つ。しかし土にお菓子をばらまくと虫も寄ってくるのでこれを駆除するために農薬が使われる。肥料は、もともと特定の作物を肥大させるために特化された偏った養分の塊であるので、例えばそれを好む虫の種類も限定されるから、特定の虫が大量に発生する。だから、特定の作物を栽培するために肥料を使う限り、対応する農薬の使用も欠かせないことになる。


 肥料や農薬が化学的に合成されたものであった場合、これらのベースとして使われているものは界面活性剤である。これは野菜の表面に付着して安定し、食事によって人体に摂取されるが、その影響については要するに「ただちに健康に影響を及ぼすものではない」というだけのことである。また、肥料は土壌に与えられ農薬の大半は土に流れ落ちるものだが、これについても、肥料切れが起ったり害虫が舞い戻ってきたり雑草が息を吹き返したりする現象が頻繁に見られることから、それらの現象だけをもって、その影響が悪影響も含めて消失した証拠と判断されることがある。しかし、それはあくまでも、肥料や農薬に人間が期待する効力の消失を表すだけであって、それ以外の土壌への影響についてはほとんど研究されていない。特に、有吉佐和子が「複合汚染」を発表した40年前から、人的影響についても土壌への影響についても、一般的な消費者が関心を持つような意味での「解決」には至っていないのが現状のようである。なぜなら、科学的アプローチの前提として、明らかに確定出来る条件を作るために上のような資財を投入し、特定の環境の中でのデータ化が可能になっものの枠の中で検証する。しかしそれで得られた結論は、確定できた条件下での解明であって、すなわち「ただちに健康に影響を及ぼすものではない」という以上の包括的な解決を望む一般消費者の希望には直結しない。これは科学である以上致し方のないことだ。


 化学的な解明を待ってられない篤農家の危機感から「有機農業」へ模索が始まったのも同じ頃だったと思うが、乱暴な言い方をすると、これは化学肥料を使わずに有機肥料、おもに動植物の亡骸を原料とした肥料を使い、なおかつ農薬を使わない方法ということになる。しかし、例えば私の畑で鶏糞を使うと微量でもかなりの虫が来て、葉物野菜に取りつく虫を退治するのに大変苦労する。もちろん鶏糞以外にもいろいろな有機肥料を試したが、いずれも虫と草に対する手入れが大変で、そのとき肥料というものはどうしても使わなければならないものかという疑問が湧いた。いろいろ調べたり考えたりした結果、化学肥料であろうが有機肥料であろうが、肥料を与えないと作物は収穫出来ないという思い込みがあるのではないかと思い至った。そこで一切外から持込むことを止め、作物も株ごと採らなくて済むものは、食べる分だけをちぎる程度の収穫とし、野菜屑や未調理の残渣は、なるべくそれがあった場所に戻すようにして行くと、数年で虫の大量発生が見られなくなり、作物のほとんどは元の収穫量に戻った・・・もちろんプロとの比較ではないが・・・


 さて、「持込まず持ち出さず」の栽培を続けていて、ひとつの圃場の中で畝単位で輪作して行くのだが、それにつれて生える草の種類がだんだん変化して行くことに気がついた。おおまかには、借り受けた当初の畑にはスギナがはびこっていたのだが今では殆ど見かけず、かわりにギシギシとシロツメクサ、タンポポなどが増えている。全体として植生は豊かであり、作物以外の草がにぎやかな畑といえる。もちろんこの状態は、特定の作物を効率的に栽培するには邪魔になる。しかし、作物の邪魔をしない程度に整枝するという手入れのしかたであれば、逆に虫たちはこれらの草の葉を食べたりするので、全体としては虫による食害は拡散されていると思う。おそらく草同士の循環、虫同士の循環が始まっているのではないか。昨年ナス科を栽培した跡地にはマメ科を栽培するのだが、周囲に生える草の種類が変わり、ナス科の周りをシロツメクサ、マメ科の周りをスベリヒユなどが覆う現象が見られる。多種多様な作物を栽培するので、それらのこぼれ種が好きなように発芽する。観察していると、畝回し以外にも、明らかに仲の良い作物が回ってきたときに発芽したと思われるものがあって、それらを放置して栽培し、観察していると、互いに生育が良かったり、一方の天敵を他方が引き寄せたりするなどの共存関係、また反対に共倒れの関係が見られる。前者の例としては、インゲンとキュウリ、ソラマメとゴボウ、サトイモとショウガなど、後者の例としてはジャガイモとセリ、トウガラシと大豆などがある。


 私は、常にこぼれ種を守り、彼らから学ぶ必要があると思っている。しかし畑の管理の都合上、作物が入れ替わる時期に土を耕してしまうと、往々にしてこれらを殺してしまうことになる。その頃、となりの農家のひとが、田んぼを見回るとき常に軽トラに乗ることに気がついた。家のすぐ前の田んぼへ行くにもわざわざ車を出してくるので何故かと訊いてみると、「この高さから見た方が良うわかるねん」・・・このとき気がついた。畑を耕して雑草のない畝の上に整然と作物が育っている、あるいは代掻きをした田んぼに青々と稲が伸びてくる・・・生育の状態が一目瞭然であるということは、農家にとってはこれを管理しやすいということであり、官憲にとっては作況を把握しやすいということなのではないか。つまり、耕すということは弱い根が土に入りやすくする、つまり作物のために行うものだと考えられているが、それだけではなく、実は人間の都合で耕すのではないか。それに気がついたとき、耕すことを辞めたらどうなるかと考えるようになった。所詮、私が扱う圃場は一反であり、これだけならば目も手足も行き届く。これ以上増やす気もない。とすれば、わざわざ足腰を痛めて土を耕し、手をぼろぼろにしてまで草を取り、餌を失った虫に作物を食われて腹立たしく思うこの悪循環は、耕さないことで解決するのではないか・・・


 これが「持込まず持ち出さず」に「不耕起」を加える気になったきっかけである。今から一年足らず前のことだ。その結果は上に述べた通りであるのでまだまだこれからだ。しかし手応えは充分に感じている。それになにより、田畑がにぎやかになって面白い。いろいろな植物の形態や虫たちの生態を見られることは、なんとも知れず命がときめく思いがする。これは金では買えないものだし、プロの農家には出来ないことだ。しかしストレスがたまるのも事実である。それは特にある作物が生涯を終え、次に代わる作物の種を蒔いたり定植したりするときに感じる。出てくる芽を見逃してはならないし、植え付けた苗の葉の色から目が離せない。全てが連関して、新しい生命もその中から生まれてくるので、人間の私から見て、非常にわかりにくい。つまり管理しにくいからだ。雑草を全て葬り去って、完全に土を露出させ、そこに種を蒔いて純粋培養の状態にした方が、何もかも分かりやすくてストレスもたまらない。さて本当はどちらがよいのだろうか。あるいはどの程度自然に任せるのが、自給的農業にとって現実的なのか。代掻きをしない方がよいのか、少しくらいならした方がよいのか・・・常に周囲とのバランスの中で動いているので、それ自体の状態を見極めにくいことにストレスを感じる。これに慣れるには、少なくともあと10年はかかるであろう。


 さて、実は私は上に述べたことにも関わらず、農薬や化学肥料を必ずしも有害だとは思っていない。定められた量を定められた方法で使う限りは、発表されているように「ただちに健康に影響を及ぼすものではない」であろう。その先のことはわからない。私がこれらを使わない本当の理由は、その有害性に不安があるからではなくて、それらがなくても栽培出来るようになりたいと思うからである。いずれそうせざるを得ない時が来るだろう。同じ考え方にたって、今シーズンは草刈機以外の動力機械を使わなかった。以前、一反の田畑を10日がかりで全部耕したことがあったが、それは農作業に対する体力的な自信に繋がった。今は、「持ち込まず持ち出さず」で自給できる事が私の自信である。そしてこんど耕さずに作物が得られれば、それは農法的な自信に繋がるであろう。そして化石燃料を使わないことは、持続可能な生活のあり方に自信を深めることになる。今シーズンの末期には、田から麦畑への遣り変えですら機械を使わず、作業そのものは数日で目処がついた。これは何よりの自信である。さてこれからどうなるか、冬の間に構想を練って来シーズンに備えるとしよう。

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2013年12月18日

20131215 干しいも作り

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 白サツマイモ「タマユタカ」を干す。まずはこれを4時間ほど蒸す。


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 手で掴むと崩れるくらいに柔らかくなるので、慎重にすだれに上げて、タコ糸でスライスする。4時間蒸したのにまだ芯が残っている。この白い部分は干すと硬くなる。

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20131214 エンドウの植付

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 巻きひげも生えそろってきたので、本日エンドウ植え付け。ついでに防寒用に枯れ草を着せる。

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20131207 農作業納め

 

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 今シーズンの農作業の仕事納め。圃場周囲の土手の草刈を終える・・・終った・・・やっと終った・・・毎年この重圧からの解放感がたまらんのよね、春までの長い農閑期、保存食を作ったり、部屋に引きこもって物思いに耽ったり、ひたすら音楽を聴き狂う毎日、まとまった時間が手に入る。贅沢さえ言わなければ、百姓はこういうメリハリのある生活が出来るから捨てがたい。


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 手前は「ユメシホウ」を蒔いた麦の圃場。奥の右が不耕起に失敗した後の本田。左が来シーズン返す畑。


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 おもにその畑である。7年間土作りをしてきたが、所詮なんの権利もないモグリ百姓、「返せ」と言われれば返さなければならぬ。

 
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20131207 冬の畔塗り

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 2013/11/26 今シーズンの農作業の最後の重労働、冬季湛水のために畔を塗り直す。先ずは畔を切る。


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 2013/120/01 モグラが地中深くまでトンネルを掘削したのであろう、水が入ると同時に空気が押し出されて、結構長いこと泡を吹いておった珍しい現象。


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 2013/12/07 水を入れ畔際を充分練り固めたあと、自然水が退くのを待って、後は春の畔作りと同じ作業を、こんな季節にやるのである。またもや周りのお百姓さんたちが怪訝な顔をしながら、犬の散歩にかこつけて偵察に来ては、わざわざ向こうの方まで行って噂話をしている。でも最近では人間関係も良好であるので、温かく見守ってくれているのがよくわかる。まずは県取り。


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 同日、とりあえず厚めに塗っておいて、固まり次第畔際ぎりぎりの高さまで塗り上げる予定。しかる後に田に水を入れ、圃場を完全に水没させる。つまり不耕起栽培では代掻きをしないので、植え床の土が団粒状に保たれており、代掻きをして泥の層を作る慣行農法よりも、植え床の土の嵩が高いのである。従って不耕起栽培では、水漏れ対策のために慣行農法よりも塗り畔を高くする必要がある。これもやってみるまでわからなかったこと。


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20131205 不耕起ジャガイモ栽培

 

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 不耕起栽培ジャガイモ篇。2013/05/13、冬を越して枯れしぼんでいくアブラナ科の間に4月下旬に植え付けたジャガイモは、芽掻きのシーズンを迎えるまでは順調だった。アブラナ科は地上部で結実してゆき、ジャガイモは地下で育っていくので、生育圏が異なるし、入れ替わっていくものと考えたからだ。しかし、これは不用意な判断だった。


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 05/26 芽掻きしはじめた数日後に、あちこちのジャガイモの葉が黄変、なかには枯れてしまうものもあった。アブラナに混じって、多くのコリアンダーも冬越ししており、これらはセリ科で勢力が強く、ジャガイモと競合したのかも知れない。


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 06/01 手入れの甲斐なくまさかの全滅・・・畑を観察していると、ジャガイモと入れ替わるであろうと予想したアブラナ科は、高く伸びトウ立ちして開花結実。つまり彼らが生涯を終えるにあたって大きなエネルギーを使ったので、ジャガイモが生長できなかったのかも知れない。


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 07/13 夏野菜の種蒔きのため畝を整理していると、いくつかの発芽したジャガイモが転がり出た。春に植え付けた種芋なのか、それから結実した子芋なのかはわからない。しかしこの季節に発芽してくるのは、もしかしたら周囲のアブラナ科が枯死するのを待っていたのかも知れない。


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 09/24 夏野菜の最盛期を過ぎて草取りをしていると、いくつかのジャガイモの芽が顔を出していた。もしかしたら、これで秋じゃがが収穫できるかも知れない。知れない知れないばかりでなにがなんやらだが、ジャガイモに関しては、植え付けからかなり優位においた方が無難なようだ。例年、一畝で一年分食べるに余るほど収穫できるからだ。それにしても全滅とは・・・多様な植生の中で栽培する自然農法はいかに困難なことか・・・


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 10/31 手前は、なけなしのジャガイモを種芋として植えたもの。間引きと土寄せを終え、気温の低下が早いか芋の肥大が早いかの秒読みを迎えている。一方その奥は、自然発芽した春植えのジャガイモ。白菜やラディッシュに囲まれて「またかよ」って感じやろね。


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 11/12 霜にそなえてジャガイモを不織布で覆う。


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 11/14 初霜。周囲の農家の秋ジャガの葉は枯れ落ちたが、不織布の中の私のジャガイモはまだ生きている。


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 12/01 秋ジャガイモは芯まで枯れてから収穫する・・・ということは知っていたのだが、にわか百姓の哀しさで、春に植えるジャガイモと秋に植えるジャガイモとでは、品種が違うことを知らなかった。春用のメイクインを秋に植えた結果・・・


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 まあ、少ないながらも採れるには採れた。これは不耕起や自然農法が原因というより、ジャガイモを取り巻く植生を理解せずに植え付けたことによる失敗と見ることが出来る。来年以降は畝回しに注意する。

 
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