2013年07月17日

20130715 初蝉


 ブログの更新が滞っており残念に思います。お問い合わせも頂いておりますが、現在「Farminhos」と銘打っての活動、および農作業体験の受け容れについては、全て辞退させていただいております。「農地法」、「食料・農業・農村基本法」及び「農業経営基盤強化促進法」に基づいて、農業委員会より、「農家」及び「認定農業者」以外の者が、自給を目的とした農作業と農地の保全を目的とした作業 (要するに草刈り) 以外の活動を行う事は、ブログなどを使って「広報活動」をする事も含めて、行政指導の対象になるとされたためです。


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 これに対しては、私個人としては全く従うつもりはありませんが、明確に従わないという態度を示した場合、行政指導が行政処分となり、不服申し立てから裁判へと至る事、また行政処分の前に、農業委員会から地区の農会長を経て地主に対して、モグリで農地を貸与している実態について行政指導があるはずですから、私は農地の返還と家屋からの退去を求められ、生活の基盤を失う事になります。そうなれば、これは単なる不法行為に対する当然の処分であるとして、社会的に黙殺されてしまうだけであって、なんらの影響も及ぼしえない。これではただの犬死にになってしまう。


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 しかしながら、田畑に育つ作物やその他多様な植物、いきものたちの営みを観察する事によって得られた知見を素直に表現すること、それが仮にいわゆる「慣行農法」の否定に繋がるものであったとしても、素朴な疑問として自問自答を重ね、その結果得られた考えについて自身のブログに記載することは言論の自由であって、憲法に保障された基本的人権だと思います。またその考えに賛同して集まってくれた人たちとともに、農作業を通じて、自分たちの「食」の安全について考える事は行動の自由であり、そうした観察と洞察と行動があって初めて言論の自由が保障されうると思います。机上の空論のみが言論ではない。持続可能な「農」のあり方と、そこに軸足を置いた生きかたで生活が成り立つ社会を、もうそろそろ真剣に考えても良い時期だと思います。


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 田畑のいのちはこうしている間にも、あるものは生涯を終えようとし、あるものは芽吹き、あるものは盛んとなり、あるものは侵略を始め、あるものはそれに苦しみ、多様ないのちの栄枯盛衰はまさに修羅場のごとく田畑に展開され、「食」を得ようとする私はその手入れに忙殺されています。私には、問題を提起したり示威活動に向ける能力と時間がない。したがって、私は、農薬と化学肥料を適切に用いる「慣行農法」を支持する立場に配慮して、仮にそれらを使わなかった場合、どのような経過を辿り結果を生むかという事を、ブログに書いて行く事にします。プロの農家が怖がって出来ない事を代わりにやって、情報を共有する事が狙いです。どうか行間を汲んでいただきたい。一介の素人が、たまたま見かけた自然を観察して短絡的に錯覚したものを勝手に「農法」などと誤認させるような言動は、「耕す」という行動が文化の根源であるという歴史的真実を否定し、宮沢賢治をして「神の救い」といわしめた農薬や肥料への永年に亘る知見を否定するものであって、幾世紀にも亘る農民や学者の苦難の歴史を軽んじるものである。


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 農業に限らず、社会の仕組みというものが、大きく管理社会へと加速している事の現れのひとつと考えられます。「自然農」というものが、単なる物好きの個人的な趣味にとどまっている間は問題がない。しかしいまやそれを希求する人たちの勢いはとどまるところを知らず、それは社会の進むスピードから振り落とされて右往左往する人たちの受け皿となりつつあり、それが結集すれば、経済発展がなければ不安を禁じ得ない人たちにとってにとって看過出来ない脅威となる。だから、これは芽のうちに潰しておくに越した事はない。農業に限らず、人が人として楽しむに値するあらゆる行動に規制がかかり、合法的に息の根が止められて行く。いまのところ、それらは散発的にしか発生していないので、人々の多くは特に気にしなくても自分の生活が脅かされる事はない。日本は、既に50年以上をかけて、借り物の民主主義で社会を少しずつ構築し熟成させてきたので、その基盤を壊される事に対しては異常なほど慎重である。だから急激な変化を望まない。


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 先日、親しくしていただいているトルコ人の友達に久しぶりに会った。もちろん話題はトルコの反政府運動にも及んだ。この運動は、イスタンブールの新市街にある観光名所タクシーム広場にほど近い「ゲジ公園」の緑地が、再開発によって失われる事に抗議するたった数人の市民によって始められたものだが、もちろん問題の核心はそこにあるのではない。再開発の内容が、オスマン帝国時代そこにあった兵舎を復元して博物館にするとされていたのが、実はショッピング・モールを建設するというもので、その利権を首相一族が牛耳る構造になっている事がわかったことをきっかけに、あらゆる抑圧に甘んじてきたトルコ人たちが、乾ききった枯れ草が一気に燃え上がるように、一斉に行動を起したと見る事が出来る。



 トルコも、他のイスラム諸国と同じく、民主主義の制限された国であるが、抑圧の程度は潜在的であって、何より世俗国家である事が「最後の砦」であった。しかし、エルドアン首相の時代に入ってからは、積極的な経済政策が奏功して、トルコは発展した。我々にとっては観光しやすい事や親日的である事が、トルコの明るい側面として印象づけられるが、その裏には、必ず負の遺産が大きくへたばっている。友達は言う。「ショッピング・モールもオリンピックも要らない。なぜなら、それで儲かるのはエルドアン一族だけだから。そんなことより、もっと国としてしてほしい事がたくさんある。」


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 弾圧の様子については、報道規制が敷かれているとはいうものの、個人の取材や録画、配信について遮断しきるまでには至っていないが、最近ではめっきり配信される数が減ってきた事を心配する。シリアでの弾圧のように、軍が無防備な市民に対して実弾を発射するという事態にまでは至っていないようだ。しかし、放水と催涙ガスで鎮圧を試みており、私の友人も、かつての岡田外相をアテンドしたほどのトルコを代表するCAのひとりでありながら、催涙銃の直撃を受けて目を負傷している。催涙ガスとはいえ、武器を持たない女性の顔に向けて発砲するという行為は、もはや言葉も見当たらない。一方、反政府運動にまで発展した「反体制派」も一枚岩ではない。純粋にゲジ公園の再開発に反対した人たちもいれば、民主化要求運動家・反イスラム主義者・イスラム原理主義者・民族主義者・・・などさまざまであり、反体制運動が実現したあとの混乱が非常に心配される。


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 「アラブの春」・・・スコールが降る直前の、喉を掻きむしるような湿気のなかを、私は日本人観光客として、幾分気楽にエジプトとトルコを旅したのであった。そして昨年にはウズベキスタンも旅行した。これらの国に共通の空気感がある。外国人はなるべく観光エリアに留めておこうとする事、その外側に隣接して、「危険」とされる普通の人々の住む町がある事、そこへ入れば独特の緊張感が漲っていて、それを乗り越えるのにしばらくかかる事、そのいわゆる「下街」から見た「観光エリア」のきらびやかさが異様に見える事などである。そして、たいてい観光エリアの真ん中に、国の威厳を示す象徴的なモニュメントが存在する。


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 ブラジルで、なんとサッカーのワールドカップに反対する抗議運動が起った。ペレ神様のお告げも空しく、人々は、ワールドカップを金の無駄遣いと断じ、そのカネを生活の向上に回せと訴えた。あのサッカー王国でのことなので大変驚いたが、これとトルコの反政府運動とは主旨が全く同じである。それにひきかえわれわれ日本人はどうだろうと、常々思ってしまう。梅田の北ヤードを再開発して巨大商業施設「グラン・フロント」がオープンしたが、それに誰が反対した ?? 阪急も阪神も青息吐息、まだまだ新しい「伊勢丹」でさえ既に寒風が吹きすさんでいるというのに。もともとそんなに大きなマーケットではない。しかも収入ジリ貧の中で、なぜ消費の場だけがこのように華々しく増殖し、他を侵食して行くのか ?? 経済発展に向けて走り続けなければ、アシアナ航空のように操縦不能に陥って失速してしまう事が、世界中の指導者にわかっているから、誰かが倒れる事を前提の上で、自己の安定を確保するために、ひたすら食い合いをしなければならない。それだけのことではないのか ?? 


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 イスタンブールのゲジ公園では、集まった人たちは本を持ち寄り、それを無償で交換した。これは暇つぶしという意味もあるが、様々な意見に耳を傾けて、横の連帯を深めるのに役立ったという。さらに無償の炊き出しやコンサートもあり、踊りの輪も広がった。バーレーンの真珠広場での映像でも、同じような光景が繰り広げられている。これを見て思い出した事がある。阪神淡路大震災から数ヶ月の間、あちこちの公園にテント村が出来、人々は助けあって暮らした。生活は不自由で夜は寒かったが、いろんな意見を持つ人と話し合いの時間が持てた。早く復興を望む人もあれば、巨大化し過ぎた都市構造に疑問を投げ掛け、なければないでやって行ける事を世に示そうという機運もあった。要するに、全く束縛を離れて、自由に将来を思い描く事が出来た。全てを失い、壊されてしまったから到達出来た境地である。しかし復興の歯車が噛みあい、資本が投入されるにつれて、そうした場は締め出され、テントは撤去されて行った。人々の多くは復興を選んだ。それに対して反対運動は起らなかった。日本人には、反政府運動にも発展しうる示威行動が起りうる機会がもう一つあったはずだ。日本の原発が一台も稼働しなくなった2012年の夏の事だ。物事を平等に見るならば、「原発のない社会」のありかたについても、充分議論されるべきチャンスだったはずだが、何者かに怖れるかのように、世論は「安全性」の議論に傾倒した。「安全性」を議論すること自体、稼働する事に振れたスタンスだ。かくして世界が注目した日本は、再稼働へかじを切った。


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 この日本で反政府運動が起らないのは、このように貧困に突き落とされる事の恐怖から逃れたい一心で、ただひたすらに日々の仕事に忙殺されしがみつき、疲れ切っていて思考停止に陥っているからではないのか ?? だれも穴の底を勇気を持って見ようとしない。そこに、そんなにきらびやかな消費文化のあるはずがない。糞尿と血と汗の醗酵した悪臭の立ちこめる暗闇、死と常に隣り合わせの食うか食われるかの修羅場、しかしそれにフタをし続ける事はもう出来ないはずだ。トイレのないマンションに住み続けるわけには行かない。しかし、そこまでわかっている人口は僅かである。枯れ草は、乾ききらないうちに燃やすと燻るだけだが、条件が揃えば一気に燃え上がる。結局のところ、私にわかっている事、私に出来る事は、自然に沿った形で私が食するに足るものを、手作りで作り続けて生活を維持する事。その経済規模が、日本の普通の庶民生活の3分の1や6分の1でしかない事、そしてその意味を人に伝えようと努力する事、いまのところそれだけだ。しかしその言論の自由でさえ、本気で脅かそうとするのであれば、その時私は全てを捨てて闘争に身を投じるであろう。


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2013年06月12日

20130612 one step beyond

 

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 「他を受け容れず、自分たちのゲレンデにされるくらいなら、草ぼうぼうになった方がマシ」


 長らくブログの更新が出来ないまま失礼を致しました。様々な励ましのメールを頂き、まことにありがたく感謝しております。上の言葉は昨年末、地主様に重篤な病気がある事がわかって、とても農作業を続けられないというので相談を受けたとき、私一人で彼の農地を切り盛りする事などとても不可能だから、私がお手伝い出来るとするならば、「自然農法」で実際に田畑を作る事を模索している友人が結構いるので、放棄されるかも知れない農地のうち先ずは3反、うまくいけば1丁程度をなんとか出来るよう努力しよう、ただし、一切を私に任せてくださるのならば・・・と申し上げた際に返ってきた返事である。重篤な病気に直面されたショックによる口の滑り過ぎを幾分差し引いたとしても、ここに彼・・・いや、農家というものの本音をみた思いである。以後の顛末は、このブログで書き記してきた通りであるので、敢えてここに繰り返す事を控える。


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 私がここに移り住んできた目的は、先ず第一に、食品の「裏側」を「舐め」尽くして舌まで切り落とした自分の体と心を癒し、自分で食べるものを自分で作る事だった。それはすぐに達成出来た。次に、自分の体ひとつで作り得る作物を直売するなり加工するなりして、一体どれだけの現金収入になるのかを知る事だった。それは凸凹はあるものの年50-100万程度である。これは最低限の文化的年収を300万とみた場合、その1/3から1/6にあたる。これは「誤差」ではなく「格差」である事を認識した。最後に、そのようにして出来た手作りの「食」については、これを高値で売りつけるのではなく、それを作り出せる人間を増やす事に目的を置いた。これが最も肝心なところであり、だからこそ困難を伴った。都会から、「田舎暮らし」を志す人の心理の背景には、安全な食物を手作りしたいという「思い」がある。しかし、「農家」の現実は、それとは全く異なる状況に置かれている。そのことを、お互いに良く認識し合わないままに、一方は他方に、他方は一方に、自分勝手な期待を抱いて相対するから、修復不可能なトラブルが発生する。「田舎暮らし」を求める「都会人」は、まずは身の程を客観的に知る必要があるし、「都会人」を受け容れようとする「農家」は、彼らの「思い」に対して耳を傾ける必要がある。両者が本気で歩み寄らなければ、バランスの取れた持続可能な農村はあり得ない。そういうことはわかった。しかし、私の目的は達成されていない。


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 さて、男一匹が体を張って耕作出来る面積は、先ずはおよそ1反。ところが平坦地の農家の農地所有もしくは利用権設定済み面積は、「丁」単位である。それをいきなり望んでも仕方がないので、まずは「特例」のない地域での、農地利用の下限面積5反すなわち自立しうる農夫5人を養成する事を目指した。募りに募って最盛期には35人のメンバーを数えた緩やかな体験的農作業グループ「farminhos」は、しかしその実態は同床異夢であり、「船頭」は身の程知らずであった。鍬ひとつ鎌ひとつ扱えないくせに「農法」の是非をめぐって対立が起き、事態を収拾しきれない私がいた。結局のところ、私は人に何かを伝える事が出来るほど農作業に精通しているわけではなく、期待に胸を膨らませてやってくる「都会人」たちの思いを吸収するには、まさに一挙手一投足つきっきりで作業に携わることを余儀なくされ、個々の対応に身も心も疲れ果ててしまった。おまけに「農地法」その他、農業を成立させている要素について知らなさ過ぎた私は、こうした一連の活動が表ざたになる事によって、行政処分まで受けることになった。


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 私は、合法的に百姓として生きる道を模索した。しかし結論としては年齢や制度等もろもろの制約があって、それは不可能である。しかし社会を批判している時間はない。移住を含めてさまざまに生きる道を検討し熟慮した末、私は、実は「田舎暮らし」をしたいわけでも「農家」になりたいわけでもなく、ただ自分の好き勝手に生きたいだけであるという結論に達した。


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 「都会」がダメなら「田舎」であるのか、だから「田舎暮らし」なのか・・・「都会人」は「田舎」を「上から目線」で見る。なぜなら、田舎からは「人が足りない」という声を聞くからだ。しかし「田舎」には「田舎」の現実があって、必ずしも「都会人」の期待に沿うようには出来ていない。当たり前の事だ。私は、集落を維持する事に生き甲斐を感じるような人間ではない。むしろ人間関係が希薄である事を望む。また、「安全な食品を作る事」が「農業」であるのか、これは、まったく「No !!」である。absolutely no, ezalisusu te, non rien rien absolument non, absolutamente não, Совершенно нет, 哪里的话错误であって、اي、kesinlikle hiçbir、절대적으로 없습니다である。「農業」とは、日本の「食」を量的に支える事であって、手作りで自然との調和を目指す「自然農法」のあり方とは根本的に異なる。私は日本の農業を担う気など、さらさらない。自分が食いたいものを作りたいだけの事だ。つまり好き勝手にやりたいが、社会としてそれは要請されていない。これも、考えてみれば当たり前の事だった。


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 年が明けて、地主家の経済状態の危機が判明し、上のような理屈もへったくれもなく、私はここに居ても先がない事がはっきりした。しかし、足掛け10年を農作業の体得に費やしてしまったので、動きたくても先立つものがない。制度的に、農家でない私が農家登録をする事は現実には不可。また、農家でない私が農家の家屋に居住している実態は違法行為であり、基本的人権と財産権以外の、すべての権利は保障されない。また、農家でない私が自分の生産した農産物を販売したり加工したりして現金収入を得ようする事も不可。さらに、農家でない私が農作業をシェアする活動をしようとしても農業基本法の制約があって不可。しかも住んでいる家は、地主家が破産すれば家屋も差し押さえられ、私は手足をもがれた状態でたたき出されて路頭に迷う。ないないづくしの八方塞がりとはこの事だ。


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 しかし、私は絶望するようには出来ていない。この状況をチャンスとして前向きに捉えよう。これまでの10年ひたすら我を忘れて農作業と食品加工の技術の修得に邁進したおかげで、私にしか出来ないものがいくつも手に残った。普通なら出る釘は打たれるべきところだが、地主様は黙って見ていてくれた。このことに私は心から感謝すべきである。人生の締めくくりには未だ遠いし、足りないものが沢山ある。私がここに移り住んできた最後の目的、すなわち「作り出せる人間を増やす事」は、ひとりひとりの規模としては最低生活水準の何分の一の小さなものであるけれども、これしか持続可能な生き方が存在し得ない事は明白である。しかし、この小さなものが何十と集まれば、それぞれの個性が互いを補完し合って、ひとつの経済的な循環を形成する。ここにしかないものが、互いに尊重されて実現の可能性が高まり、それが新たな可能性を自ら生み出していく。単なる夢物語なのか、それとも新たな「スマート・グリッド」への挑戦なのか・・・しかしいずれにせよ、現状ではカネがない。日本経済は、私の手作り経済の3-6倍の早さで回っているのだから、その「格差」を埋めてなおかつ独立した家と農地を持つための最小限の財をなすには、都市型の経済活動に一旦戻らざるを得ない。私はビジネスに戻る。この10年を修得の10年と位置づけるならば、これからの数年は「終の住み処」を得るための最後の蓄財の期間と位置づけよう。その間に、ゆっくり終の住み処にふさわしい場所を探し、自分で家を建てるための具体的なノウハウを習得し、志を同じうする様々に個性的なグリッドと繋がることを考えてもええわけや。


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 行動を開始する。具体的には、フルタイムで働きながら、1反の農地を管理する事を目指す。もちろん、機械・農薬・化学肥料などもってのほか、あくまで自然農法である。数年前の私ならば、そんなことはとんでもない発想であったが、今は違う。今の私ならある程度の目処が立つ。要らぬ作業に体力を消耗したり、深入りしたりせず、耕さず、草や虫たちを敵とせず、作物の健全な成育に、少しだけ手を貸してやる事に留めるならば、農作業の総量は、これまでの何分の一かにまで圧縮出来るからである。現にこの6月、例年ならば連日農作業に明け暮れる農繁期、さすがに田植えには手こずったとはいうものの、そんなに働いてないんよね。だから、ある程度の破綻は覚悟の上で、敢えて予告するなら、「フルタイムで働きながら、1反の農地を管理する事」は、可能である。それを本当にやってしまったとしたら、実際には、これは革命的な事だとくらいに、私は思っている。


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 以上により、このブログについても省力化する。これまで、農作業と食品加工の一挙手一投足を記録するかのような書き方をしてきたが、それはやめる。なぜなら、これからの数年は農作業の探求ではなく、何処まで手が抜けるかという、いわば逃走の道筋であるからだ。農作業の個々の実際については、それぞれの土地や気象条件、作る人の考え方感じ方の違いによって、結果は千差万別であって、これをいちいち記録する事にはさして意味はない。参考にされてきた方も多いとは思うが、一定の役割は終えた。私は、これまでブログに費やしてきた時間を、音楽を楽しんだりこれからの事を考えたりする事に充てたいと思う。まあときどきは書くけどね。というわけで、数年後にどうなってるか、彼の農地が我々のゲレンデにされたうえに草ぼうぼうになってたりして・・・乞うご期待 !! 


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2013年05月02日

20130429 畔塗り

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 「畔塗り」である。水がある程度退いたら、取った「県」の内側半分を更に畔に積み上げていく。


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 そして鍬の背で、先ずは上の部分を押し付けながら何度も均す。


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 次に、だいたい鍬の幅よりちょっと狭い程度の幅に切りそろえて、側面を鍬の背で均す。このとき畔際の底面も良く踏み練って鍬の背で上げ塗り固める。


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 水を適度に補給して混ぜながら、これをぐるり一周やるわけである。・・・とねえ、これも簡単に書いたんやけどねえ・・・


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20130427 醤油麹2のその後

KIF_0632.JPG 極めて良い状態であるので、これをもって出麹とし、今回は別のレシピによって豆1kg・麦1kgに対して、水3,000ccに塩600gを混ぜるた食塩水で仕込んでみる。
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20130426 畑の観察

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 アスパラが芽生えている。


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 一度は寒さにやられたポット苗も気を取り直して芽吹きはじめた。やはり簡易温室ではダメらしい。これはピリピリちゃんの芽。


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 こっちはウズベキスタンから来たトマトの芽。茶色く見えるのは、寒さで枯れ落ちた芽の残骸。


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 こぼれ種から発芽した小麦が穂を出している。中から漲る活力からして、やはり蒔き時の見極めが大切。11月前半か・・・


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 「ええケツしとりまんなあ」のジャガイモも、長らくその巨根崇拝のために神棚に飾ってあったのだが、そのまま腐れ果てさせるよりは子孫を残してもらう方が良かろうと思うて植えてみる。


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20130425 コシヒカリ種降ろし

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 コシヒカリの種を降ろす。実に、たったこれだけ500gの籾から120kgもの米が採れるのである。一粒万倍とはいわんまでも、実に240倍の効率である。自然はこんなにもありがたいのに、何故経済社会というものはちっともありがたくないのかねホンマに・・・


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 今年は、消毒も浸水もせずに直接蒔く。籾にストレスがかかって発芽率が落ちるよりも、たったこれだけの事、苗取りの時に手で選り分けた方が早いからである。


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 なるべく粗く蒔いておいて、上から籾殻を被せておく。鳥や動物から守るために、不織布で覆っておく。左手は黒米である。


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20130421 醤油麹仕込み2

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 芥子の花・・・今年は沢山咲くみたいやしコレをナンとかしたらナンとかならへんのかなあ・・・


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 醤油の仕込み段階で端折った最初の部分がわからんちゅうメールが来たもんで、もうちょい丁寧に説明しときましょ・・・上の写真は、煎った小麦の玄麦と、8時間煮て潰れかけの丹波の黒豆。


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 これらを充分放熱して、先ずは玄麦を粗く挽いて麹の花と混ぜ合わせる。それを豆にまぶして保温する。以下、前の記事の通り・・・


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2013年05月01日

20130419 県取り

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 霜注意報が解除されないので、念のためにジャガイモの畝に不織布を貼っておく。


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 引き続き畔の補修である。モグラの穴が畔と並行に進んでいる分には別状ないのだが、このように波板の下をくぐって外に出た場合には、確実にここから水が漏れるのである。

 

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 補修した後は、このように波板の切れっ端゜でお茶を濁しておいて土寄せしてしまうのである。


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 このような穴を注意深く補修した後、波板を張り直して土寄せをする。


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 前作の稲刈りの後、私は田んぼを一度鋤いてしまっているので、厳密には今シーズンは「不耕起」にはならない。不耕起栽培では、稲刈りの後田んぼを放置してそのまま代掻きもせずに田植えをするというのだが、それではこのような地割れから、どんどん水が漏れ出してしまうように思われるのだが、実際はどうなのであろうか ?? 今シーズンは、耕さなくても不耕起にならないので、その過程は「赤目自然農塾」で観察させていただくとして、とりあえず作業を進める。


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 水を貼ると、畔切りの時に振りまいた土が凸凹になっているので、レーキでこれを均す。


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 満水にしても水没しない程度に、苗代の土を上げておく。代掻きをしていないので、満水にしても水はすぐに抜けてしまう。


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 「県取り」といい、土寄せしておいた部分を足で踏んで練りながら更に上乗せしていく。この作業は水浸しだと、足で踏んでも練られずに泥になって流れるばかりとなるので、ある程度水が退いてからにした方が良い・・・と、かるーく書いたが、鍬に泥が貼り付いて、一回一回これをそぎ落としながら作業するのでね、めっちゃしんどいんよコレ・・・


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20130418 キムチ用薬念醤の仕込

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 キムチ用薬念醤仕込みである。まずはもちごめを3倍の水で粥に炊き、これを良くこねてどろどろの糯にする。


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 同量の塩で1ヶ月漬込んだ鰯をほぐし、


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 ミキサーにかけて粉砕して糯に混ぜ込んで行く。


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 更に、ニンニク・ショウガのペーストにしたもの、松の実の煎ったものとアミエビを混ぜ、


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 粗挽きのトウガラシを混ぜ込んで全体を良く馴染ませる。


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 全体を良く練り合わせながら、今度は細かく挽いたトウガラシを徐々に加えて粘度を上げてゆき、耳たぶよりやや硬い状態にまで練り上げる。


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 陽気に密閉して約1年冷蔵し、1年後から白菜や大根、キュウリのキムチ漬けなどに使う。ちなみに私のものは、鰯・塩・アミエビ・松の実以外は、全て畑で栽培したものを使っている。トウガラシはもちろん、韓国のキムチ用のシシトウであり、これを乾燥させてミキサーで挽き、篩で篩って細かいものをためていく。非常に手間ひまのかかるものであるので、これを高く売る事を考えている。

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20130413 醤油の仕込み

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 いきなりですが、これは醤油麹である。ここまで来るに至ったいきさつを簡単に述べる。丹波の黒豆1kgを水に一晩浸すとだいたい4倍の体積に膨れ上がるので、これを8時間くらい崩れる直前まで煮る。それを笊に空けて、豆蔵はとっといて、放熱している間に、小麦1kgを香りが立つまで丁寧に煎って放熱の後これを粗挽にし、麹の花と良く混ぜる。それを煮た大豆にまぶすようにしてバットに広げ、25-35℃程度に穏やかに過熱あるいは保温する。半日程度で発熱が始まるので、それ以後は注意深く温度管理して、決して40℃を越えないようにすると、だんだんコウジカビが繁殖して上のようになる。


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 何度か上のカビを下に切り込むようにして「手入れ」をし、小麦が上の写真のようにカステラ状態となり、カビが緑色を濃くして全体に回るようにする。だいたい5日程度で蔓延し芳香を強くするので、その時点で「出麹」とし、その体積を量る。


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 私は上のように、麹を袋に詰めて満水のボウルに押し込み、溢れた水の体積を量る。ちなみに今回は約3,200ccであった。


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 この水に対して濃度が20%になるように塩を溶かし、上の麹と混合して「醪」とする。


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 これを瓶に詰めて冷暗所に置き、数日ごとに撹拌して醗酵を待つ。ちなみに左の小瓶は、麹を小分けして小麦粉と砂糖を与え、次なるパンの酵母とすべく取り置いたものである。春からは、私のパンは麹菌醗酵になるのであります。

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