2015年08月19日

20150819 ao sul

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 ブラッと旅に出ますので、三日間ほど脱ネット状態になります。悪しからず・・・
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2014年09月23日

20140922 山陰への旅

 4日間、山陰へ車中泊しながら移住好適地捜しの旅に出ます。台風に向かってGo !!!

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2014年09月20日

20140912 広野開拓高原

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 ぐっと気温が下がって湿度の高い朝は晴れているのに辺り一面がびっしょり。秋の訪れ・・・


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 極めて、極めて理想的な高原の一軒家を見つけてしまった・・・質素で奥ゆかしい家主のお人柄が滲み出て光り輝いている。


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2014年09月17日

20140905 野人暮し

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 ここに住み続けるか移住するのかで真剣に悩んでいる。私にとって、もはやこの集落は安住の地ではなくなった。しかし、ここを出て行くにもカネがない。どんなところへ出て行こうと、日本の集落なるものは、どこも同じようなものであろうので、行った先でまた同じ事を繰り返すくらいなら、集落でないところに住む事を考えた方が良さそうだ。誰か、山の中の一軒家で、割と近くに田んぼのあるところを、ただでくれるような奇特なお人はおられぬか ??

 ここが何故安住の地ではなくなったか ?? しかしそれを書こうと思えば、話の具体性から場所や個人が特定され、いまなおここに住まざるを得ない私にとっては危険である。しかし一般論から類推してもらう事は出来る。

 法律問題が解決した事は既に書いた。私は今ではここで合法的に営農している。しかし問題は終らなかった。法的要件を整えるのに三年もかかった事は、すなわち私の存在を合法化されたくない暗黙の力が働いていた事を意味する。私はそれに気付かなかった。結論から言うと、この集落は、自治会の意向として、新規入植者を受け容れたくない。しかし法的根拠がないので、自治会の持つ影響力を行使して、その合法化を阻止しようしたのであり、それは今も続いている。

 農地を利用するには農業委員会の許可が必要である。農業委員会は公的な行政機関でありながら、個々の農業委員は公務員でも何でもない一般の農家であり、自治会では上位に当たる人物である事が多い。したがって、新規就農者の農地利用を認可したり、集落への入植を認めたりする際に、自治会は暗黙の許認可権を行使する事が出来る。農業委員会へ提出する書類のうち、自治会の承諾書に判を押さなければ良い。これは、自治会長が交替するまで変わらない。

 法的要件をクリアしても、新規就農者には農地を有効に利用しているかどうかの審査があるので、そこへ圧力をかければ農地の利用権の継続を不利にする事が出来る。例えば、周囲との農法の違いを理由に、農業委員会に行政指導するよう働き掛け、それに従わなければ、それを理由に圧力をかける。すなわち、今年は水害の年であったのだが、いわゆる慣行農法通りの農地の管理のしかたをしていなければ、たとえば農地の法面が侵食されても保険はおりないので、慣行農法を徹底するようにと迫る。また、病虫害が周囲へ蔓延した場合に発生する補償問題も、その費用を負担出来ないのであれば慣行農法を徹底するようにと迫る。しかし残念な事に、新規就農を目指す人たちは慣行農法によって生産された農産物に不安を持っているからこそ、自分で作りたいと思っているわけである。そのような行政指導に従わずに自己の信念を曲げなかった場合、農法の如何ではなく、行政指導に従わなかったという事実を根拠にして、農地の利用権の継続を認めないという圧力をかける。これは、そのような意向を持つ人間が世代交替するまで変わらない。

 結局のところ、農家出身でなく、集落の出身でない者が農業することは、巷で「田舎暮らし」ブームが騒がれているにも関わらず、集落の現場では時期尚早である。識者やマスコミが、農業の将来について、不安をあおり立てているだけで、集落では誰も困っていないからだ。しかしお題目を唱えて行政は動く。集落では表立って反対する事は出来ないので、とりあえず様子を見る。心の中では「ウチには来てくれるな」と思ってる。しかし入ってくる奴がいる。しばらく泳がしておいて集落に溶け込んでくれればそれで良し。しかし波風立てるような事をしたらタダでは済まさぬのである。

 なぜそうなるのか。農村を構成している住民のほとんどは高齢者である。彼等は国の手厚い保護を受けてきたので、まだ貯えがある。しかも、彼等はずいぶん楽に暮らしてきたので、経済の逼迫について実感出来ない。従って現状を全く変えられたくないと考えがちである。

 また、歴史的に為政者というものは、農民にものを考えさせないように仕向けてきた。生かさず殺さず物を言わせず飼いならしてきた。また、ほとんどの農民もそれを受け容れてきたので、老若男女を問わず主体的に物事を考える習慣がない。他方、農的生活を目指すのは非農業者であって、彼等は主体的に食の在り方について考えた結果、農的生活を志向した。つまり、一方は持てる物の使い方を知らず、他方は無い物ねだりをしている。両者は価値観が全く異なるのである。農村集落というものは運命共同体であって、共同するには互いの信頼関係が前提になる。これを常に確認するために始終親密なコミュニケーションが保たれていなければならず、往々にしてこれがプライバシーの垣根を越えて、個人の価値観にまで干渉する。そこまでいかないと互いの信頼が得られないのである。いざというときに共同出来ないのである。しかし他方は価値観にまで踏み込まれたくないと思っている。波風が立つのは時間の問題であって、集落では、そのような問題を起す人物とは共存出来ないという裁定が下されて、これを排除しようとする。

 農村集落で生きるという事は、以上のような現状を耐え忍ばなければならないという事である。切先の鈍りきったなまくら包丁を振り回してもロクな料理は出来ぬ。いっそのこと全き自由を得て思う存分やりたいものである。狭い日本とはいえ、私の個性を存分に生かせる場所はあるはずだ。



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2014年09月05日

20140904 ムラハラ 2

 急ぎ旅から戻ってみると、厳しい現実が私を待っていた。「やっぱりな」・・・集落から少し離れたところに住む、普段から仲良くしてもらっている農家の人が、農機具の展示即売会場を訪れたときの事、休憩室の中は、言わば自治会の寄り合いのような状態になっていて、主立ったメンバーが顔を揃えていたという。そこでの話題は主にふたつ・・・と、まあ、これを明らかにしてしまうと、私もここで生活している以上、いろいろとまずい事があるので、これ以上具体的な事は書けない。

 以前、このブログに、隣家の息子が帰ってきて家業を継ぐというのに、地域住民がそれに反対しているという話を書いた。集落内の農地にわりと大きな施設を建設する事に対する反対運動である。そのなかで、私にも一緒になって反対せよという理不尽な圧力がかかって、私はそれを受け容れずに中立的立場をとったのだが、集落住民の大勢から言えば、それは隣家の息子に手を貸した事になる。何度かもたれた寄合の席でも、またその後でも、有象無象の圧力がかかっている事は意識していた。まあ、図らずも先日の農機具展示会の場で、私の懇意にしている人が、集落で持ち切りになっている一連の話題について、忌憚なく話しあっている様子をつぶさに聞いてしまったというわけだ。

 要するにこういう事である。私はここに農業をしたくて移住してきたのであるが、正式に農地を耕作する権利が得られない状態が続いた。それは全く理不尽な処遇だったのだが、法律を知らなかった私には為す術もなかった。このとき、頑強に私の農家登録を妨害したのは、すぐ近くに住む農家の人で、去年まで農業委員を務めていた人物である。しかも、私はそんなことを露程も知らなかったので、ご高齢の彼が三反田に牛糞を撒く重労働を毎年見かねて手伝ってきたのである。感謝の言葉も受け、時々野菜を分けて下さるなど、関係は良好だと信じていた。しかし、彼は実に強硬な排外主義者だという事である。とにかく集落に外部の人間を入れる事には絶対反対、入ってきた場合には徹底的に妨害する、というのが彼の信条のようだ。もちろん、それは彼に限った話ではなく、集落の、およそ6割程度が同じような意識を持っているという。

 私は農地の利用権の設定が出来ずに3年間も苦しんだ挙句、農水省に問い合わせて法律の規定の詳細を知り得た。それをもって農業委員会と掛け合ってこの春に新規就農者としての仮の資格が得られたのであるが、このことが彼にとっては面白くない。そこへ、今回の施設建設の話が持ち上がった。集落の現状を変える事には、いかなる事にも反対するというのが彼の立場であり、それはおそらく集落の半数以上、隣保に至ってはほとんど全員が反対の立場であった。専門知識のない村民が、わからんことをわからん者どうしであーだこーだ言ってるのを見かねて、私は客観的な解決方法を提案したのだが、これが彼の逆鱗に触れてしまったようである。私は直接自分と関係のない反対運動のどちらに与する事も出来ないとして、自治会長に事情を説明して協議から抜けた。まあいろいろと嫌がらせもあって、協議は物別れに終ったらしいのだが、今度は燻った非難の矛先が私の方に向いて火を噴いたという事である。

 農地の利用権設定は3年ごとに更新されるのだが、新規就農者の場合は、初回更新までの間は毎年審査を受けなければならない。最終的には自治会が農地の利用計画を承認しなければ、審査にも通らないし更新も出来ない仕組みになっている。彼はここに目をつけて、自治会が私の農地の利用計画を承認しないように働きかけるという事だ。実はこの展示即売会場は農協の敷地の中にあって、なんとその一角に農業委員会もある。つまり、農民・農協・行政はいっしょくたに癒着しているわけだ。本来、自治会というものは任意団体であり、その決定にはなんの法的拘束力もない。しかし、行政がその許認可業務の一部を自治会という任意団体に委託している実態があって、自治会が許認可権を持ってしまっているのである。ちょうど風致地区の町内会の承認が得られなければ、家の壁の色すら決められないのと同じことだ。その自治会の半数以上が「何も変えて欲しくない」と思っているのであれば、口先でいくら日本の農業を守れ救えと言ったところで、要するに「他の村でやってくれ」と言っているようなものである。

 この実態は、おそらく日本中のどの集落へ行っても同じであろう。なぜなら、農村人口の大半を占める老人の農業者は、実に手厚い保護政策に守られて、自分たちの生活にはなんの心配もないからである。この集落でも、地元の農民は、ほとんどのひとが本当になにもしないのだ。大半が米農家であるが、田植えも稲刈りもほとんどが農協か業者が来てやっている。本人は、後ろ手に手を組んでそれを見ているだけだ。それで日本の食糧生産に寄与しているわけだから、国から生活が保証され、実態はそれ以上の所得を得ている。そういう人生を送ってきた人に、時代が変わったと言っても、なんのことかわからんであろう。農業をカネで保護する時代はとっくに終っているのだ。これから農業をやる人は、徹底的に価格破壊された農産物で日本の経済レベルに対抗しなければならない。それはとてつもないことだ。農薬・肥料・機械・施設・・・あらゆる手段を駆使しないとそれだけの所得に届かない。具体的には、もうコメ農家は食っていけないので、大規模な施設園芸に賭けざるを得ない。しかし、そんなことを想像も出来ない老人たちにとっては、施設建設は環境破壊と行き過ぎたカネ儲けとしか映らない。老人たちの価値基準は護送船団横並び平等だから、独り勝ちは許さんという判断に行き着く。いくら国の方針通りだ環境基準だと言ってもダメなものはダメ、それでもやるなら徹底的に妨害する。

 私に対しても同じだ。習わしも知らずにのこのこやってきて田んぼや畑は草ぼうぼう、それを恥じるどころか自慢気に吹聴して商売に結びつけようとする。ともすれば集落の方針に反対して、若造のくせに教科書に書いてあるような正論を吐く。泊だけでなく実行して法的権原まで手に入れてしまった。こういう人間に入ってこられると困る・・・と、だいたいが展示会場で話されていた事らしい。もちろん私に面と向かっては言わないから、私としては確かめようがない。しかし、実際に田植え以降、既に農業委員会から近隣のクレームとしての忠告が3回、自治会の回覧物の不配もチラホラ、挨拶の無視、ヒソヒソ話など・・・事実上の村八分状態と思われる。まあね、自治会に所属しても得るところはないんでね、それはむしろありがたい限りなんやが、問題は農地の利用権と新規就農審査やな。ここだけは石にかじりついてでもやらんと、これまでの苦労が水の泡や。いやもう、どうしても物別れというんやったら、ホンマに山の中の一軒家で野人と化すしかないんかな・・・俺の安住の場所は、どこにあんねん・・・





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2014年09月04日

20140824 カニカニカニカニ

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 昨夜は駅前の銭湯に入った後、Okwessのミュージシャンとともにセッションに及び、疲れて夜半に車中泊。朝6時に目が覚めて、駐車場に隣接するコンビニでパンと缶コーヒーを買って朝食・・・さすが「オ・モ・テ・ナ・シ」の国、おしぼりがつくとは・・・


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 今日は、朝から「Jupiter's DanceDVD観賞会と、その後にJupiter Bokondjiを囲んでのインタビューに誘われていたのだが、昨日、別アーティストの同様のインタビューを見に行って、司会者と通訳を見、同じ面子で今日も行われるという事もあり、また事情通なら東京から何人か来ているので、彼等が参加するなら別に私は出いでも良かろうと勝手に結論づけて、お誘いをすっぽかして早々に出発。夕方からバイトやし・・・


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 富山の富山らしい山間部は、かつて通い詰めた越中八尾への道であるので、裏庭のように頭に入っている。今日は本来の目的、北陸方面の移住好適地捜しである。


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 越中から加賀へ・・・山を抜けると金沢である。ここから南下して福井までは、白山連峰の西麓に広がる大穀倉地帯が延々と続く。


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 越前海岸に至る。ようやく海を望む斜面に集落の点在する好適地がチラホラ・・・


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 しかし、なかなか農地が隣接する環境には出会わなかった。


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 たった一ヶ所、ここだけはいける。その風景を脳裏に焼き付けて更に南下し、敦賀を越える。


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 舞鶴への途上、やたらピザが食いたくなって量販店の菓子パンのようなピザを食って後悔する。


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 まだ8月だというのに、夏を追い立てるように彼岸花が咲いている。三方五湖を観光して、今回の急ぎ旅を締めくくる。


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2014年08月21日

20140815 ログハウス

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 俺こんくらいのんがちょうどええわ。


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20140814 ログハウス

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 知り合いの紹介で、某山中にある農地付ログハウスを紹介してもらった。しかし独り身の私には大き過ぎるので、私を理解してともに生活してくれる若くて美しいパートナーが現れるか、志を同じくするグループでのシェア・ハウスとしての利用が有効であろう。


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 2階に4部屋とトイレ、1階に広々としたリビングにキッチン、バストトイレ、客間を含めて他に3部屋ある。


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 2階バルコニーからの眺め。


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 もと家主さんは、この場所で自然農による田畑の耕 (やさない) 作をしてこられたが、ご高齢となり、ご子息もおられぬため、遺志を引き継いでくれる人を探しておられる。


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 場所を特定すると個人情報が割れてしまうほどの村であるので、これ以上の事を知りたい人は私にご連絡下さい。お話の内容次第ではコーディネイトさせていただきます。


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2014年05月02日

20140425 アルムリーノ奥出雲へ3

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 事後処理はまだまだ続く。今回の移転は、アルムリーノ起死回生の最後のチャンスである。日本の天然酵母パンの草分け、妥協を知らぬ彼等には、この店舗兼住宅の規模は余りにも大き過ぎ、ランニング・コストがかかり過ぎた。おまけに「自分が法律」の独善的批判主義に就いていけたスタッフはなく、たった二人で膨大な数のパンを毎日焼いては発送していたのだ。


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 その強烈な個性ゆえの社会性と常識の欠如、しかし、だからこそ日本の天然酵母パンの地平を切り開き得たのであり、それだけでなくパン一筋で、なんと1億数千万といわれる借金のほとんどを返済したのである。まったく、常人に出来る仕事ではない。


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 しかし引っ越し作業は難航を極めた。自分の健康を顧みない情熱家であるから、自分たちの住空間さえ満足に省みないのは、考えてみたら当然のことである。その結果分別不可能な雑多なゴミがヤバいほど溜まって明らかにオーバー・ワークである。いくら情熱があっても、見るからにげっそりと痩せ衰えた老体を放置するに忍びなく、いつもの悪い癖で、とにかく奥出雲の店舗のオープンに専念してもらうことにした。


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 なぜなら今回の話は先方からのたってのお招きであって、恐らくこれを逃すと引退以外に道はない。おとなしく引退出来る気性も財産も持ち合わせていないので、この話には乗る以外にないのだ。だから急な話だったのである。このGWを逃すと、島根の山奥の観光地には夏まで人が来ない。後片づけなどしている場合ではないのだ。とにかく店を開けることだ。


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 なぜそこまでするのかというと、やはり私にとって彼等、特にマスターは人生の師匠であり、生き方の手本であるからだ。わざわざ他人のところに出向いてまで、初めから徹頭徹尾批判する態度は流石にいかがなものかとは思うが、その明晰な論理展開は、田んぼの泥に曇った眼を洗い流してくれる。しかも、単なる天然酵母ではなく、いまや自家製糀菌を使って酵母すら自給し、そのノウハウによって、私もこの写真前面に広がる自家製小麦によるパンの自給に成功したといえるからだ。


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 一緒に来ないかというお誘いもあった。行きたい気持はやまやまであったが、折角三年越しの懸案に決着をつけた今、そう易々とここを離れる気にはなれない。なぜなら、ここは大阪平野から最も近い本格的な農村であって、農業を続ける環境が全て整っており、しかも過疎の問題を抱えている。私の目的は、引きこもって農業をするのではなく、都市生活者と農業を結びつけることにある。都市は都市、農村は農村と、まるで消費者と生産者のように二手に分かれて責任をなすりあっているようでは、物事は絶対に解決しないからだ。私は解決を望んでいる。


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 なにより六甲山周辺は私の故郷だ。古くからの友達も多いし、気が向けば訊ねてきてくれる。都市と農村がほど良く混じっていて、悪くいえば中途半端な田舎なのだが、多様な好奇心をまだまだ捨てきれない私にとっては、いくらでも楽しみ方がある。盆地なので、駅へもバイト先へも自転車で行くことが出来るし、殆ど全ての人間関係は極めて良好だ。永年の懸案も解決し、ここまで揃った好条件を捨てて、全くゼロからやり直す気にはなれないのだ。木の灰は土壌の酸性化を中和するという。これが冷えたら撒いてみよう。アルムリーノの再起を天に祈るばかりである。


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20140415 アルムリーノ奥出雲へ2

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 しかし妥協を知らぬマスターは自分が法律。「アルムリーノ」がスタッフとしては誰もついていけなかったのと全く同様に、つるんで走るということの出来ない彼は、私を置いて猛スピードで走り去った。


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 しかたがないので私はのんびり旅行気分でロング・ドライブ・・・カリーナちゃんもこういう風景の中で写真に撮ってやると似合うねえ・・・ホレボレハートたち(複数ハート)


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 こーゆー絶景のレストランで、


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 鯖の煮付け定食が喰えるところが鳥取県の偉大なところだ。


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 紆余曲折を経て、なんとか到着。


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 場所は、道の駅「奥出雲おろちループ」という施設に隣接する観光牧場の一角、このプレハブが店舗である。辺りをもう少し撮影・・・


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 転居先はJR木次線出雲坂根駅に近い国道沿いの一軒家である。


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 と、そこへ頭上から列車の音が降り注いできたので鉄道少年のスイッチが入り、駅へ戻ってみると、なんと日に何本もない木次線の列車が入ってきた。ここは日本で唯一の三段式スイッチ・バックで子供の頃から来てみたかったところだ。

 奥出雲のアルムリーノはGW開業予定。連絡先は0854 52 3006。

 http://www.okuizumo.ne.jp/~oroch_loop/


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