2014年04月04日

20120317 TAS-ICN-KIX

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 仁川空港での乗り継ぎは結構タイトであったが、東アジアのハブ空港だけあって段取りは良い。Asiana Airlines OZ112, A330-300 仁川空港定刻出発→関西空港11:48着・・・着陸の瞬間というものは、機長の心の状態が非常に良く現れるような気がする。強い逆風であった。気体は翻弄されながら高度を下げていったが、着陸の最後の瞬間に戸惑ったような「間延び」を何度か繰り返した。車輪が地面に接しようかというその直前、エンジンがうなり声をあげて急上昇した。着陸のやり直しという初めての経験だった。室内は平静であった。私は10分間の大阪湾上空旋回クルーズというおまけを楽しんだ。

 旅を振り返る。ナンに象徴される小麦の食文化を直に味わってみたいという土井ちゃんと共通の旅のひとつの目的は、Tashkent到着直後に粉砕された。ナンというものはイーストなどの醗酵材料を使わずに作られると、ものの本に書かれてあったが、その著者は文頭に「本来は」と書くのを忘れたようだ。旅行中毎日何回となくナンを食べたが、恐らく中国製の安価なドライ・イーストが大量にぶち込まれているのであろう、大手パン・メーカーの工場の臭いが鼻を突いた。

 私にとってのもうひとつの旅の目的・・・それはイスラムの日常生活に触れることだった。それは礼拝への参加という形でも良かったし、音楽でも、遺跡の探索でも良かった。また、中央アジアの砂漠に沈む夕陽に身を置くことでも良かった。果てしないシルクロードへの憧れ、命を救う旅人のオアシス、そしてキャラバン・サライでの滞在・・・しかし、この地は19世紀後半にロシア帝国に占領されて以来、ソビエト連邦による数十年に亘る共産主義社会体制の中で、その文化は徹底的に破壊されたといえるだろう。私が見たものは、まさに砂上の楼閣のように辛うじて形を留めた建造物を、観光資源として木戸銭稼ぎせざるを得ない、虚ろなテーマ・パークのような世界だった。さもなくば砂漠の中に突如現れる油田に、ハイエナのように無秩序に突っ込まれたパイプラインだった。音楽の盛んな国では通りという通りに音楽があふれ出している。食事の旨い国では通りという通りが料理の匂いでむせ返っている。敬虔な宗教の国では日に何度も礼拝に誘うしめやかで温かな声が聞かれるものである。そういうものがこの国にはなかったのだ。捜してもなかったのだ。

 私は観光ジャーナリズムに言いたい。もちろんあなた方の仕事が観光地に客を誘致することである事は理解する。しかし、子供だましの遊園地に外国人を誘い込んで、その国の外貨獲得のお先棒を担ぐようであっては先がない。「地球の歩き方」も、創刊された当初は大手旅行ガイドブックの及ばない地に足のついた取材が持ち味だったはずだし、そこには単なる消費文化としての観光産業に対する、明確な反骨精神が見られた。しかし今やそんなものは見る影もない。

 そのかわり、バザールへ行けば商人たちが「ruska」と言って誇らしげに見せるロシア製の工業製品・・・それらは、まあ、ちょっと、・・・・だけれども、彼らが「ruska」と言うときの誇らしげな表情は、この地域が長い時代ロシアの文化の中に歴史を積み重ねてきたことを思い知らされた。私は、日本にいながらアメリカやイギリスの文化の中にあって、たまにはヨーロッパに触れ、アフリカや南米に触れ、ちょっとだけイスラムに触れたけれども、「western culture」と同じくらい大きく誇らしげな「ruska」という文化に触れたことがなかった。これが旅の収穫であったのかも知れない。

 荷物 ?? 土井ちゃんを放置する代わりに、ちょっとでも身軽になってもらお思て、旅先で不要なものは全部預って持って帰ってきたったわけよ。そのくらいはやったってもええ。やれやれ昼下がりに帰宅して夕方から即バイトでやんの、綱渡りはしんどいなあ・・・

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20120316 Ташкент

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 KhivaでオススメのBBね、Merosが良いと思います。なんといっても屋上に上がれるし、城壁とほぼ同じ高さからオープン・エアで周囲を眺められるのは多分ここだけだから・・・でも私が行ったときは未だ冬季休業中だった (;_;)


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 さあTashkentへ戻るとするか・・・もうこれで旅はおしまい。Uzbekistan Airways HY1052 A320、Urgench定刻出発Tashkent Terminal 3定刻到着・・・さてこのTashkent Terminal 3であるが、普通こういう呼び方をされると、ひとつの空港内の別の建物と想像するのであるが、Tashkentの場合、別の空港なので要注意。Tashkent Terminal 3は国内線専用空港で、国際線Terminal 2へは循環バスが出ている。そこへ11番のバスが来たので運転手に訊くと、Terminal 2を経てChorsuへ行くというので、おあつらえ向きだから先ずは国際線の搭乗手続だけ先に済ませよかと思いついたのだが、時間が早過ぎてあかんかった。


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 仕方なく走ってきた67番のバスでTemur広場まで戻り、これから中国への旅に出るくせになあんも調べてない土井ちゃんを、ネット環境の整ったHotel Uzbekistanに叩き込んどいて、私は最後の散策に出る。しかし雨・・・バザールから市街へ、モスクでCD買ったりイスラムの土産物買ったり、でもまた雨で最寄のスーパー・マーケットに立ち寄り土産物を買う。色とりどりのロシアのチョコレートどっさり一袋と、様々な香りのティーバッグたくさん・・・これが珍しくて軽くてええ。驚いたことにこのスーパー、各通路に一人二人と売場手直し美女が配置されていて、私が買い物をした後をささっと直す。いやあバイト先に見せてやりたかったね、みんな泣いてうらやましがるやろ。


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 砂漠の国やから雨なんか降らへんやろとタカをくくってたんやが、TashkentとSamarkandは雨・霙・雪で思うように出歩けず、Uzbekistan最後の今日もずっと雨・・・雨宿りしながらひたすら街を歩く、なにを見る、どこを見る、どう見る、知らない土地であるからこそ味わえる自由な発想、これこそがそぞろ歩きの醍醐味である。しかし、無慈悲にも時は過ぎ、雨は降る・・・暗くなりはじめた頃、漸く私は自分が道に迷っていることに気がついた。でも特段に焦りはない。ここは首都、空港へ行くと言えば最後にはたどり着くことが出来る。そんなところは気が大きいもので、手持ちの地図と通りの名前から戻るべき道を割り出し、光のある方へ進むとティムールの像が見えてきた。漸くHotel Uzbekistanに戻ると日本人旅行者が増えていた。みんな土井ちゃんを囲んで励ましている。私は心を鬼にして旅への確信が持てないならここで数泊して日本へ戻れと助言したが、それには納得出来ない様子・・・まあ良い、初めから互いに勝手に振る舞う約束だったので、どこでどうなろうが俺の知ったこっちゃない。そんなこう言うてる間に刻限が迫ってきたので、今夜の便で帰る出立組はタクシーに分乗して空港へ、旅を続ける組はそれぞれの道へ、土井ちゃんは独りロビーに・・・

 Tashkentから空路で出国する。この国では駅や空港は柵で囲われていて、一人ずつ検問所を通って入らなければならない。検問所ではパスポートとチケットのチェック、Terminal 2の建物に入るときに全ての荷物とボディ・チェックがある。それをクリアして、漸く航空会社のチェック・イン・カウンターに進めるのだが、個人でチェック・インする場合、この国では「乗り継ぎ」の扱いに慣れていないようなので、渡されたクーポンをよく確認する必要がある。私はアシアナ航空で韓国の仁川空港経由の関西空港行を予約していたのだが、チケットは仁川までしか発券されなかった。しかし機内預けの荷物の控えは関西空港までとなっていたので、すぐさま間違いを指摘したところ、アシアナ航空の係員から続きのチケットをもらうことが出来た。チェック・インの際にANAの、つまりStar Alianceのマイルの加算もしてもらおうとしたが理解してもらえず、これは後日ネットで加算した。その後、緊張する税関申告と出国審査へ進んだのだが、外貨申告書も滞在許可証も見ずにスルー、しかし出国スタンプを仁川→関空のチケットに捺されてしまうミスがあり、念のためにこれを指摘して訂正を求めたのだが、一旦捺したスタンプは消すことが出来ないからチェック・インからやり直せと言われ、手荷物検査が終らないうちに手ぶらでチェック・イン・カウンターに戻らされた。しかし既に税関申告を終えているので申告書控がなく、そのことを説明しても理解されずに滞っていたところへ交替要員が現れ、がやがやとなったところへ一部始終を見ていた別の係員が通りかかり、説明してくれて事無きを得た。出国審査をやり直したが今度は手荷物検査場から私の荷物が出てこずに抗議したら、頭を掻きながら笑って持って来よった。君らねえ、よその国なら大変なことになるよ・・・まあええ、この国とはおさらばなんやから・・・

 出国ゲートを出ると地味な廊下になっていて、何軒かの土産物屋がある。そこで現地のタバコや紅茶を買い求めて搭乗口の前で並ぶ。しかしこのゲートでもチェックがあって、今度は靴も脱がされてビニール袋を履き、全ての荷物を金属と非金属に分け、更に靴と上着も別々のカゴに入れて審査を待つが、そのカゴを複数の係員が持っていくので、チェックが済んだ後にそれらを回収する時に混乱が起きる。どうにか身形を調えていよいよ搭乗口というところにもまたチェックがあってうんざりした。Asiana Airlines OZ574, A330-300 Tashkent 22:30定刻出発。


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2014年03月15日

20120315 Хива

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 Khiva出の滞在は丸一日限り、ウズベキスタンの旅も、実質この一日限りである。通り一遍のことは、そこらの観光ガイドブックやパック・ツアー参加者のご旅行日記でも見てもらえば良い。私はこういう日常的な一コマとの触れ合いを愛する。上は前日、Khivaへ到着して夕食をとった後、夕陽に染まる街角の散策をした時の一枚。結局翌日は曇りだったので、ヴァーミリオン・サンズを垣間見れたのはこの一瞬だけだった。


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 翌朝、暗いうちから起き出して周囲を散策・・・これは西の門から場内を見たところ、どうせ観光客が押し寄せるに違いないから、人の少ないうちに城内は片づけて、日が昇ったら外へ出て行こう。城内の観光施設に出勤してくる通勤客で結構人通りは多い。


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 南門から外を見る。区画整理された住宅街が広がっている。これが2012年のウズベキスタンの普通の風景、城内は言わば観光パビリオン、そのギャップが余りにも押しつけがましく、明らかに独裁政権の外貨獲得手段の中に自分が組み込まれてしまったことを痛感するのである。メインの観光ルートに乗ってしまったことにそもそもの原因があるのだろうが、それにしても余りの「なにもなさ」にうんざりしてしまった。こうなったら無理からにでも楽しむ以外にない。


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 腹が減ったのでホテルに戻り、朝食を摂る。土井ちゃんが散策に出たので、私は逆に部屋でしばらく寛ぎ、地図を手にルートの確認をする。


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 先ずはバザール冷やかし。東門から外を見る。ウズベク人特有のこのシルエットが愛おしい。ぶらぶらしながら外に出て、砂ぼこりの舞う道を、城壁の廃虚を眺めながら南東の方へ歩く。


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 Kubla Toza Bog (夏の宮殿) 内部の庭。


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 未だ観光スイッチが入ってないためか全く人気なく、たまに通りかかるお掃除ねーちゃんもにこやかに通り過ぎるだけでほっといてくれたので、自分の庭のように一人寛がせてもらった。こういうひとときが旅の醍醐味。


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 帰り道、あてどなくさまよっていると、英語で一生懸命に話しかけてくる少年たちに出会った。特に屈託もない。ウズベキスタンで見かける普通の少年である。


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 昼頃城内に戻り、偶然通りかかった日本人旅行者とランチにする。あわせて土産物を物色し、ウズベク人の男性がよく着ている厚手のコートとコサック帽を買って気分を無理からにでも盛り上げてやろうと考えた。目指すはこの渋さなのだが・・・


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 ううむ・・・足許があかんな・・・さあ土井ちゃん、ここから先は一人旅やで、夕陽眺めてる場合か ??


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http://jakiswede.com/3photos/31works/313voyages/3139khiva/index.html


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2013年04月14日

20120314 Кызылкум

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 結果的に、Boss (中央) を信じて良かった。Madina & Ilyosは、今回の旅行で最高の宿であった。Khivaへ発つにあたって、またもやBossは例の白人ツーリスト2人とシェアしてKhivaまで行ってくれるタクシーを見つけてきた。車はNexiaという韓国の大宇 (Daewoo) グループの、しっかりした造りの新しい車である。これで一人55,000Cуm・・・これは現地価格といえる。BuxoroからKhiva間での移動距離は約500km、ドア・トゥ・ドアで一人約USD20。


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 Buxoro近郊は麦畑、土の様子は日本と余り変わらない。


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 しかし・・・


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 だんだん・・・


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 小便がしたくなんのよね。


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 ひたすら・・・


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 でも、後半は工事区間が多く、並走するダートに降りる。それはもうコンゴの奥地の世界で、泥のない変わりに轍を踏み外すと砂に埋もれてスタックする。ひたすらノロノロ運転。


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 構造物を見るとホッとする。


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 でも不都合な真実もある。


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 Urgench (Урганч) 到着。ここは幹線道路上のKhivaへの入口である。トロリー・バスの感じが、これまた東欧的でよろしおまんな・・・


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 Khiva (Хива) 到着。ほぼ一日かけてのロング・ドライブであった。白人2人は、Bossに紹介された城の西門前のHotel Alibekに投宿。私たちは、ウズベキスタン最後の夜なのでちょっと奮発して城内 (Itchan Kala) に宿を取る事にした。しかしシーズン・オフで、調べてきた宿は全て準備中、ちょっと高いがMalika系列のB&B Kheivakに決めた (USD65/ 2人) 。上の写真は、西門前の食堂での夕食、Khivaのナンの生地はパイのように薄い。しかしこれが肉やシチューと良く合って、結局ウズベキスタンで最も美味い食事となった。

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20120313 Madina & Ilyos

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 Buxoroでの宿を紹介しておこう。今回のウズベキスタンの旅行で、最も快適だった宿である。その敏腕の女将の切り盛りする宿は「Madina & Ilyos」という。非常にわかりにくいので、行き方から説明する。Buxoroの中心にある池Lyabi Khauzのあるエリアから西へ外れて行く。地図で「Mehtar Anber通 (Ko'chasi) 」を捜すと、上のような風景が目に入るであろう。何の変哲もない路地である。これを5分ほど進む。


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 左に注意していると、上のような表示が出ているので、その細い路地を入る。れんが造りの壁に挟まれるが臆せず中に入ると、左手に大きな扉があって、その中が目指す宿である。「Madina & Ilyos」で検索されると、いくつかの情報が得られると思う。


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 私たちが泊まったのは一番手前の窓の部屋で、シャワー・トイレと朝食付きで一人USD10であった。


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 中はこのようになっている。「滞在登録」も出る。


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 これがウズベキスタンで一般的に見られる暖房である。中はたこ焼き器のコンロのようになっていて、つけっぱなしである。


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 このような階段があって、屋上へ出ることができる。


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 観光エリアから近いが、充分に庶民生活の中という感じがあって寛げます。周りの住人たちも英語が普通にしゃべれるし・・・


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 屋上からの風景・・・隣の家のねーちゃんが隣の屋上にあがってきて洗濯物を干したりもします。


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 朝食・・・これにナンがどっさりつくので、貧乏旅行者としては充分すぎる。


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 この日の夜は、例の白人ツーリストたちと、宿の主人によるディナー・・・といってもプロフとナンにサラダという極々普通の食事にワインが付いただけ・・・でも楽しかったらそれでええねん。


 

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20120313 Тоги

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 朝食後、今日は土井ちゃんを放置して単独行動。Buxoroの観光エリアの路地には、辻を利用した小さなドーム付きバザール「tagi」があって、いつもその周囲を掃除している老人がいる。見ると、時折通行人が彼にお金を渡して感謝の気持ちを伝えている。彼は、宿と池の間にあるtagiにいつもたたずんでいる老人。ごく小学を渡して気持ちを伝えると、ドームの片隅に礼拝できる窪みのようなところがあって、そこで祝福してくれた・・・たぶん。私は郊外を目指す。


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 Buxoroの観光エリアから外れると、このような風景である。ウズベキスタン屈指の都会であるから当然の事だ。ここは地元の人たちが「vogkzal」・・・「駅」と呼び習わしている交差点である。撮影している私の背後の交差点を東に少し行ったところに、かつての鉄道駅の建物が残っている。ついでに交通関係の情報を少し・・・あくまで2012年のデータです。現在の駅「Kagan (Когон) 」との往復には68番のミニバスの他に、「Kagan-Bukhara (Когон-Бухарa)」などと表示された大型バスが頻発。また長距離バス・ターミナルへは61, 100番、南方へ向かうSharq (Шарк)バス・ターミナルへは70, 73, 87, 100番、しかしこの道の緩やかな左カーブを曲がるとイズミヤがありそうな錯覚に陥るのは私だけでしょうか ?? ・・・でしょうね。東の郊外にある聖地Bakhawuddin (Бахоуддин) 」へは60, 125番、北の郊外にある「夏の宮殿 (Sitоrаi Mоhi ХоssаあるいはСитораи Мохи Хосса) へは70番のバスで往復できるが、かならずしもここが終点ではないので、逆向きの車に乗らないように、急ぎの場合は場所を大声で確認すべし。ウズベキ人は親切なので、こちらの意図はわかってくれる。まあ逆向きの車に乗ったら、どんな村へ連れて行かれるか楽しみではあるけどね・・・


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 「vogkzal」から大通りを少し南下すると大きなバザールがあって、ここは非常に楽しい。食料品や医療、日用雑貨はもちろんの事、百姓魂の揺さぶられる種苗店があったりする。写真は、ロシア製の一般的な自転車。日本ではほとんど見かけなくなった、トップ・チューブが水平なタイプのダイヤモンド・フレームだ。価格は6千円程度で、バラして持ち帰る事も出来そうだ。ただ、日本でいうブレーキ装置がついて。これはコースター・ブレーキといって、ペダルを逆に回転させるとブレーキがかかるもので、日本の道路交通法上もブレーキとして認められている。・・・そんなこんなで小一時間ほど買い物を楽しみ、紅茶や色とりどりのチョコレートなど、買い物を楽しんだ後、70番のバスに乗って「夏の宮殿」を目指す。


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 「夏の宮殿」とあって、冬は閑散としていた・・・


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 客が一人来れば、どこかからおばちゃんが出てきて開けてくれる。「博物館」には古い陶器や敷物などが飾られている。


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 しかし、観光地に来ても「観光」せずに裏庭や路地に迷い込んでしまうのが私の悪い癖である。


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 適当に和んだ後、vogkzalに戻って軽くランチを摂り、125番のバスに乗って、東の郊外にある聖地「バハウッディーン」を目指す。「バハウッディーン」と書いたが、正式には、「Бахоуддин Накшбанди」といい、中央アジアにおけるメッカに次ぐ聖地といわれている。上の写真はの前のバス発着地。


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 このような門前で座ってお祈りをしてもらえる。


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 聖地に来たというのに、やはり裏庭の方に興味があって、どこへ続くかとも知れぬ踏み跡をひたすら辿るのが私の悪い癖である。Buxoroの写真はこちらへどうぞ。


 http://jakiswede.com/3photos/31works/313voyages/3138bukhara/index.html

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20120313 Ляби-хауза

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 明けきらぬうちから早朝散歩。シーズン前で閑散としているBuxoro観光の中心地Lyabi Khauz。


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 放浪癖が溢れ出し、路地という路地を無闇に歩く。


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 人の集まっている気配があったので行ってみると、小さな市が立っている。あきらかに朝の食卓を調えるためのものである。


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 何台か物資を積んだトラックがやってきて荷物を降ろして行った。左手の廃墟となった建物はモスクの名残であろうか・・・


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20120312 Бухара

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 列車内では、土井ちゃんは白人のツーリストのグループに捕まって酒を飲まされていた。私はこういう八釜しい奴らが嫌いなのと、彼女にとって旅の良い経験になると思ったので放置して別の空いている席へ移り、砂漠の風景に想いを馳せた。車内では、天井に取り付けられたテレビが、なんとも救いようのないドラマを放映しており、飛行機のように座席のイヤホンで音声を聞く事が出来る。


 さて、Buxoroの駅に到着し、念のためUrgenchへ鉄道で行けるかどうかを確かめていたら、「I am the Boss」なんてバッヂをつけた年配の女性に声をかけられた。私は警戒した。執拗に「私を信じろ」と言う。その言葉からして怪しい。BuxoroからUrgenchへ行くツーリスト列車は水曜日にしか運行されておらず、在来便ではNavoyという駅で乗り換えてUrgenchへ行く事も出来るが、短期の旅行で、事情のわからない国で、道連れを伴ってのこの種の冒険は現実的でなかった。この事を確認している間も、女性は傍らにいた。無視して駅前広場に出、Buxoroの街中に出るミニバスを探していると、その女性はツーリスト相場の10分の1でタクシーを捕まえてきた。のみならず、同じ列車で到着した数人のツーリストを引き連れ、既にタクシーに分乗させて我々二人を待っていた。土井ちゃんは、列車から白人とともにウオッカを飲み続けでぐでんぐでんの状態だったので、めんどくさいからそのタクシーに乗った。


 タクシーはBuxoroの街を目指した。鉄道駅はBoxoroと名前がついているが、実はKaganという隣町にあり、両者は車で20分程度の距離である。女性はタクシーを自分の家の前に止めさせ、全員を中に導いた。明らかにモグリ営業とわかる民泊である。「私を信用して。荷物を部屋に置いて鍵を締めてね。さあみんなでホテルを探しに行きましょう。そっちの方が良ければ、また帰ってきて荷物を持っていけばいいわ、おカネは要らないから。」ここでも彼女は「Boss」ぶりを発揮し一切を采配し、「客」の全員の希望を聞きながら一軒ずつ見て回った。上の写真はそのうちのひとつ、中世の本物の隊商宿 (caravanserai) をリノベーションしたホテルである。Buxoroの街は、歴史的景観保全地区とそれ以外に分かれており、保全地区は囲い込まれてテーマ・パークのようになっている。その中に、このような歴史的建造物を活用したホテルやレストランや博物館などが至る所にある。しかし、そのいくつかを見せてもらったが、料金が高い割に狭苦しく、話のタネ程度の価値しかない。結局、「客」・・・既に我々は彼女の客になっていた・・・は、全員彼女の民泊に泊まる事にした。「滞在登録」つきでUSD10。安い !! Buxoroはまだシーズン前、立ち寄る観光客なんて、我々を含めて列車から降りた十数人だろう、そのほとんどを自分の宿に引き入れてしまった彼女の手腕は、天晴というより他はない。


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 暮れなずむBuxoroを散策する。このような壁がたまらん。


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 夕刻になると人がいなくなる。宿の前の通りを中心部へ向かう。やがて日が落ちる。夜の帳が迫って来る。


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 さてBuxoroの観光の中心部は小一時間もあれば回ることができる。腹が減ったので、勧められたレストランで飯にする。と、そこに日本人の旅行者が2人いたので同席させてもらった・・・しかし、彼らは何やら憮然としておられるので、いかがなされた ?? と訊いてみると、なんでもいろいろ観光しておすすめの場所へ行ったり買い物をしたりしてみたが不満であると宣う。食い物はまずいし、なにもかも無駄にでかいし、おもしろいものがなにもない、つまらん国だ・・・こいつら私が心に閉じ込め閉じ込め旅を続けておるというのに、言うてはならん事を言うてまいよった。同感よ、たしかに不満や。でもな、それはしゃあないで、こうなったら無理にでも楽しむしかない。

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20120312 Шарк

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 Samarkand最後の日、土井ちゃんはBu-Nyok氏の家へナンの作り方を習いに行き、私は単独で街を散策する。こういう壁や建物を見ながらあてどなくさまようのが、またええんよね。


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 雪に足を取られ、決して快適ではないが、行き交う人々と目で対話する一瞬の間も、これまたええんよね。


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 地図も見ず、ひたすら自分のアンテナの切先だけを研ぎ澄まし、


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 路地から路地へ、通りから通りへ、


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 現地の人か異邦人か、自分自身区別がつかなくなるまで、


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 疲れても疲れても、ひたすら歩く。


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 Buxoro行き「Sharq」号に乗車、車窓風景のひとつ・・・


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 車掌、というか、アテンダント (男) が各車両に一人ずついて、ときどきチャイを勧めに来る。このような給湯器で、熱々を入れてくれる。


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 Buxoroに近づくと、風景はひたすら砂漠・・・


 


 

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20120311 Жахонгир

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 Samarkandで延泊。荷物を移す。宿は、帝国の後継者と見なされつつも父より早くに亡くなったTemurの息子の名を頂く。出発前に調べていた段階では改装中だったが、まさに改装オープン直後で、写真のように、手すりにはまだ養生のビニルが残っていた。実に美しい状態で、部屋も快適であった。階下に見える扉が食堂であり、朝食を摂っていると、テレビが日本の震災から一年経つ事をニュースで伝えていた。


 http://jahongirbandb.com/


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 今日の前半は、先ずはウルグット・バザール見学である。Bu-Nyok君はFurkat氏という先輩のプロのガイドを連れてきた。日本人にも分かりやすい軽妙なカタカナ英語を操って快活にしゃべる男で、中央アジアの歴史の概略が頭に入っていたので、話し相手にはちょうどよかった。現地人と、日本人の私の持っている歴史認識が、ほとんど同じだったという事は、ある意味驚きではあったが・・・大雪であった。非常に寒く、靴も凍るばかりで大変だった。写真は、バザールの一角で売られていたサモサ。土をこねて作った大きなタンドールに貼り付けて焼くのである。


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 ランチは彼らの案内でイラン系の料理店で、プロフ (ウズベキ風焼き飯) が美味いことで有名という店にて。価格交渉するBu-Nyok君とFurkat氏。ちなみにイラン系とは、ここではタジク人を現わし、中国でこれを恩赦して「大食 (タージー) 」と書いたにもあるごとく、非ッ常に大盛りで食べきれなかった。しかも焼き飯・・・・


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 食後の腹ごなしに、旅の段取りを進めておく。明日Buxoroへ行く列車の切符の手配と、一日延泊するのでUrgenchからの帰りは飛ぶ事にする。駅と空港を回った後、雪の中ではあったが、郊外の霊廟である「Al-Buxari (Aль-Бухари) 」を訪れる。ここはSamarkandに着いたらぜひ訪れてみたいと思っていたのだが、あまりの寒さと雪のためにやる気が失せていたのを、思わぬ事で実現したのであった。写真は、下記リンクにあり。


 http://jakiswede.com/3photos/31works/313voyages/3137samarkand/index.html

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