仁川空港での乗り継ぎは結構タイトであったが、東アジアのハブ空港だけあって段取りは良い。Asiana Airlines OZ112, A330-300 仁川空港定刻出発→関西空港11:48着・・・着陸の瞬間というものは、機長の心の状態が非常に良く現れるような気がする。強い逆風であった。気体は翻弄されながら高度を下げていったが、着陸の最後の瞬間に戸惑ったような「間延び」を何度か繰り返した。車輪が地面に接しようかというその直前、エンジンがうなり声をあげて急上昇した。着陸のやり直しという初めての経験だった。室内は平静であった。私は10分間の大阪湾上空旋回クルーズというおまけを楽しんだ。
旅を振り返る。ナンに象徴される小麦の食文化を直に味わってみたいという土井ちゃんと共通の旅のひとつの目的は、Tashkent到着直後に粉砕された。ナンというものはイーストなどの醗酵材料を使わずに作られると、ものの本に書かれてあったが、その著者は文頭に「本来は」と書くのを忘れたようだ。旅行中毎日何回となくナンを食べたが、恐らく中国製の安価なドライ・イーストが大量にぶち込まれているのであろう、大手パン・メーカーの工場の臭いが鼻を突いた。
私にとってのもうひとつの旅の目的・・・それはイスラムの日常生活に触れることだった。それは礼拝への参加という形でも良かったし、音楽でも、遺跡の探索でも良かった。また、中央アジアの砂漠に沈む夕陽に身を置くことでも良かった。果てしないシルクロードへの憧れ、命を救う旅人のオアシス、そしてキャラバン・サライでの滞在・・・しかし、この地は19世紀後半にロシア帝国に占領されて以来、ソビエト連邦による数十年に亘る共産主義社会体制の中で、その文化は徹底的に破壊されたといえるだろう。私が見たものは、まさに砂上の楼閣のように辛うじて形を留めた建造物を、観光資源として木戸銭稼ぎせざるを得ない、虚ろなテーマ・パークのような世界だった。さもなくば砂漠の中に突如現れる油田に、ハイエナのように無秩序に突っ込まれたパイプラインだった。音楽の盛んな国では通りという通りに音楽があふれ出している。食事の旨い国では通りという通りが料理の匂いでむせ返っている。敬虔な宗教の国では日に何度も礼拝に誘うしめやかで温かな声が聞かれるものである。そういうものがこの国にはなかったのだ。捜してもなかったのだ。
私は観光ジャーナリズムに言いたい。もちろんあなた方の仕事が観光地に客を誘致することである事は理解する。しかし、子供だましの遊園地に外国人を誘い込んで、その国の外貨獲得のお先棒を担ぐようであっては先がない。「地球の歩き方」も、創刊された当初は大手旅行ガイドブックの及ばない地に足のついた取材が持ち味だったはずだし、そこには単なる消費文化としての観光産業に対する、明確な反骨精神が見られた。しかし今やそんなものは見る影もない。
そのかわり、バザールへ行けば商人たちが「ruska」と言って誇らしげに見せるロシア製の工業製品・・・それらは、まあ、ちょっと、・・・・だけれども、彼らが「ruska」と言うときの誇らしげな表情は、この地域が長い時代ロシアの文化の中に歴史を積み重ねてきたことを思い知らされた。私は、日本にいながらアメリカやイギリスの文化の中にあって、たまにはヨーロッパに触れ、アフリカや南米に触れ、ちょっとだけイスラムに触れたけれども、「western culture」と同じくらい大きく誇らしげな「ruska」という文化に触れたことがなかった。これが旅の収穫であったのかも知れない。
荷物 ?? 土井ちゃんを放置する代わりに、ちょっとでも身軽になってもらお思て、旅先で不要なものは全部預って持って帰ってきたったわけよ。そのくらいはやったってもええ。やれやれ昼下がりに帰宅して夕方から即バイトでやんの、綱渡りはしんどいなあ・・・