2012年03月31日

20120308 Бойсун

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 Boysunで予約してあったGuest HouseSalim Akaという人の家である。その名前すら着いてみてからでないとわからず、知らされていたのは電話番号だけであった。Boysunのバザール近くで降ろされたところから電話して、別の車に乗り換えてわざわざ辿り着いたのである。外から見ても宿泊施設とは全くわからない。しかし「滞在登録」はきちんとできるし外国人が宿泊するのに何の問題もない。手配料込みでUSD30/1人は割高だが、この際致し方あるまい。部屋の窓からは、いま越えて来た峠であろうか、雪を頂いた山脈が遠望出来る。


 


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 街を散策する前に「滞在登録」の手続きを待つ間、おもてなしの茶を頂く。


 


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 ・・・ 人が、いない・・・


 


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 ちょっと賑やかそうな方へと歩いて行ってみると、バザールがあった。夕刻に近づいていて終いはじめる店も多かったが、その分のんびりした空気を味わうことができた。


 


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 現地特産だろうか、バザールでよく見かける粗目をまえに通じぬ言葉で会話を楽しむ土井ちゃん。


 


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 このシルエットこそ、ウズベキスタンの風景といえないだろうか・・・


 


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 バザール前の通りはだいたい東西に伸びていて、バザールの西側から北に延びる道と、ずっと東のタクシー乗り場から北へ伸びる道がある。タクシー乗り場の南西側にホテルが1軒あり、前で肉を焼いていたのでたぶん営業しているのだろう。このモニュメントは、ウズベキスタンのいくつかの街で見かけたが、軍事独裁国家に多い、いわば国の威厳を国民に叩き込む象徴のようなものであろう。


 


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 その道を少し上がって行くと、学校のような建物の一群があった。夕刻に近づくにつれて急激に冷え込んで来たため、暖をとるために中心部へ戻った。


 


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 そこから別の道を辿って宿へ戻りつつ、途中で何か食べられるところでもあれば入ろうと思って行きあたったレストラン。


 


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 中央アジアでは、串焼肉の事を一般にロシア語でШашлык (シャシリーク) と呼ぶ。トルコ語のシシケバブと繋がる言葉である。これは挽肉のシャシリークで、肉を頼んでも、ナンとサラダとチャイは必ずついて来る。ナンとはいえ、こうなるとイギリスパンのようで、サラダはお盆に何種類か持って来て選ぶようになっている。選んだのは、緑のトマトのサラダと、たぶんキャベツのヨーグルト和え。ひとまずチャイで暖をとったものの、ぐんぐん冷え込んで来て、思わず震え上がる。ほどほどにして出発し、宿へ戻る途中、車のパーツやの店先で若者たちがバックギャモンをしていた。それに興味を持った土井ちゃんが、ルールを教えてもらいながら仲間入りした。驚いた事に、さいころを振った土井ちゃんが口の中で日本語で数字をそらんじるのを、対戦していた若者がすくなくとも1から12まで覚えてしまい、やがて日本語で土井ちゃんにコマの進め方を教えるほどだった。こういうときにこそ、多言語で育っている人の頭の良さを実感する。しかしその様子を、通りかかった兵士が見て我々を誰何した。我々はパスポートを取り上げられて車に乗せられた。そしてすぐ先のタバコ屋でパスポートと「滞在登録」のコピーを取られ、Salim Akaの家まで送り届けられた。私はてっきりたかられると思っていたが、彼らはそんな事はしなかった。コピー代も自分たちで支払ったし、領収書をとる事もなかった。ひとりは片言ながら英語も話し、雰囲気は友好的だった。彼らがSalim Akaの家まで送り届けたという事は、この小さな街では彼は外国人を宿泊させることができるものとして認知されているようである。ウズベキスタンは良い国だと思った。人が親切で、兵士までもが職務に忠実である。そんなことはあたりまえだと思われるかもしれないが、全然あたりまえでない国々を旅して来た私にとって、これは全く意外な出来事だった。私の常識では、こうしたケースでは、各種書類を取り揃え手続きするために牢屋にブチ込まれ、出してもらうのに何日かかかり、しかも大枚な賄賂を要求され、貴重品は没収され、安全な引き取り手に引き渡されるために護衛がつけられ、関係者全員で一件落着の宴会が開かれ、その支払いが全部私に回って来るものだからである。かえって、異常に身構えてしまう自分の態度を、他意のない彼らに対して恥じた。ウズベキスタンの兵士たちは、私の見た範囲では皆きちんとした身なりをしていた。制服は汚れていなかったし、シャツにもアイロンがかかっていた。物腰は非常に紳士的であり、私の見た範囲では、決して威圧的な印象は受けなかった。かれらはあっさりと手を振って我々を解放した。


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20120308 Карщи-Бойсун

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 TashkentとBukharaの間は、夜行列車と昼行列車の便が毎日2本ある。Bukharaへ向かう路線は、途中のNavoyでUrgench方面へ向かう路線と分岐して南へ伸びるので、ほかにもこの区間を利用出来る列車がある。詳しくはこのサイトがわかりやすい。


 http://www.advantour.com/uzbekistan/uzbekistan_railways.htm


 さて列車の外観は上下の写真の通りであって、実に質実剛健、鉄道ファンの涎をくすぐるに充分なお釣があります !! 内装には重厚な木材が使われており、床には絨毯が敷き詰められていて非常に静か。我々の乗ったのは「Kupe」という中級クラスの2段ベッドが向かい合わせになって1室に区切られているもので、きちんとドアも閉まるし、必要なら施錠出来る。各車両に乗務員が就いていて常に車内を見回り、いろいろチャイを出してくれたり談笑したりしているのは穏やかであった。


 2012/03/07 20:45をやや遅れて発車した662列車は、途中いくつかの駅に停車しながら南を目指した。外が暗いので、風景は列車の光に照らし出される限りでしか見えないが、白壁の平が続いて時折民家、牧畜で生計を立てている農家と見えた。途中のSamarkandに到着したのは深夜の2時過ぎで、そこで長い停車時間を取った。「ナン、ナン、サマルカンド、ナン」と言いながらできたてのナンを売りにくる少年が何人か乗り込んで来た。土井ちゃんもたまらず買う。乗務員も彼らからナンを買っていたので、おそらく無銭乗車を黙認されているのだろう。そんなこんなで楽しく時間は過ぎて、やがて定刻の7時過ぎに列車はBukharaに到着した。


 


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 ウズベキスタンの国章も誇らしげにみえる。「ブハラ」はБохара・Бухоро・・Bukhara・Bokhara・Buxoroなど様々に表記される。人々の発音も、「ブクホロ」・「ボハラア」などいろいろだ。おそらく標準語と方言、あるいはウズベク語とタジク語などで異なることや、もともとの言語を古くはアラビア文字で音写したものを、19世紀後半からロシア帝国の影響下に入ったためにキリル文字で表記されるようになり、最近になってローマン・アルファベットで表記しなおすという変遷をたどる中で、もともとの微妙な発音が文字に書かれたために統一性がなくなったためだろう。ウズベキスタンは他民族国家であるが、Bukharaにはイラン系のタジク人が多い事も影響しているのかもしれない。

 ともあれ今日はBukharaに立ち寄る事が目的ではなく、今日中にBoysunに辿り着くための苦肉のトランジットであるので、ともかく先を急がなければならない。Bukahaの駅は「ブハラ」とはいいながら東へ15kmほどのKagan (Kogon・Каган・Когонなど) という街にあって、Bukhara中心部へは車を必要とする。写真は、これだけ離れていれば良かろう、Bukharaの駅である。ここも、ご覧のように広い芝生に囲まれていて、遠巻きに柵がある。柵の一カ所の検問所から一人ずつ出入りする。Boysunへ向かうには、まずはKarshiという街へ行き、そこからアクセスする。Karshiへ行くにはSharqというバス・ターミナルでなんとかするのである。例によってしつこいタクシー勧誘を振り切ったあと、前方にミニ・バスが何台か止まっていたので、「Sharq !! 」と叫んでみると「乗れ乗れ」と何台かが合図したので、そのうち一番混んでいるものを選んで乗車した。こういうときは現地の人の発音を出来るだけ注意深く聞いておいて、なるべくそれに近い発音を、腹の底から大きく怒鳴るのがコツ、旅の恥はかき捨てである。ミニ・バスはすぐに発車した。


 


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 そのミニ・バスがどこ行きだったかは知らない。「ここだ」といって降ろされたのがここである。またしても、バス・ターミナルの私のイメージとはかけ離れているが、今更仕方がないので、今度は「Karshi (カルシィィィッ) 」と叫んでみると、やはり何台ものタクシーの運転手が手を挙げた。「2人」という意味でVサインを送ると、ひとりを残して手を下げた。見ると、その車には既に2人乗っている。これをシェア・タクシーといって、公共交通機関の未発達な場所での、庶民の通常の移動手段である。相場は国や場所や状況によって異なるだろうが、現地人が乗り合わせているのなら、現地人に訊くか、支払う額をよく見ておいて同額を払えば良い。車はすぐに発車した。幸先の良いトランジットであった。


 


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 車はひた走る。しばらくは荒涼とした砂漠のハイウェイを突っ走り、時折、大規模な油田かガス田と、それに接続する鉄道や貨物列車の超大編成などが見られた。やがて道は細くなり、前方に雪を頂いた山脈が見えた。その手前のなだらかな丘をいくつか回り込んで、3時間ほどで車はKarshiに到着した。料金は2人でUSD20であったが、これは安かった。


 


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 ここがKarshiからTermez方面へ行く車のターミナルである。シェア・タクシーを利用する利点は、たとえばKarshiから更に乗り換えてBoysunへ向かうと運転手に伝えておけば、そっち方面行きのターミナルまで送り届けてくれる点にある。路線バスだと、そのバスが到着するターミナルと、自分が望む方面へ出発するターミナルが異なる場合、その間の移動手段を考えなければならない。ここはTermezおよび南方面行きのターミナルであって、BoysunへはTermezへの幹線を、途中で離れて赴くことになる。「Boysun !! 」と叫んだらひとりの運転手が合図して来た。見ると一人先客がある。あと一人待ちである。このように、シェア・タクシーは4人集まらないと発車しない。あるいは4人分の運賃を支払わないと発車してくれない。


 


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 ターミナルで「プロフ」という一種の炒飯を売る店ではしゃぐ土井ちゃん。


 


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 ラードの固まりが入っているので非常に脂っこい。


 


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 とにかく食卓にはナンが出る。炒飯をオカズにパンを食べているようなものである。とりたてて美味いというものではない。付け合わせは大根と株のピクルスだが、はっきりいって日本の漬物と同じ味がする。


 


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 ここであとひとりの乗客を待っている間ターミナル内を冷やかし歩いていると、偶然ナンの工房を見つけた。土井ちゃんのテンションが上がったのは言うまでもない。


 


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 粉の配合はわからなかったものの、生地は先ず団子に捏ねて一時醗酵させたあと、薄く伸ばして重ねて伸ばして重ねることを繰り返し、最後に真ん中をくぼませてオーブンで焼いていた。オーブンは炭火の古風なもので、おそらく壁の向こうが窯になっていて、手前に数段ある。出来上がったナンは、このようにクロワッサンやデニッシュを思わせる平たいものであった。食事のときに出て来たものはバゲット風の生地であったので、ここでは何種類かのナンを焼いているらしい。


 


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 やがて奥の方から賑やかな音楽が聞こえて来たのでいってみると、なんと結婚式であった。外国人が見物に来ているというので大いに盛り上がり、主役そっちのけで楽士たちが即興で演奏してくれた。集会所のようなところから新郎新婦と親族とおぼしき一団が現れ、これからどんちゃん騒ぎの様相であった。「お前らも一緒に来い」と身振りで誘われたが、流石に今は急ぎの身であるので丁重にお断りすると、楽士たちが出発ギリギリまで演奏してくれた。やがて一団は車に分乗して出発して行った。その車列は結婚式の華やぎを秘めてなかなかに豪勢なものだった。


 


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 さてそうこうするうちに4人目のBoysun行きの客が現れたので車は出発した。車は雪を頂いた山を越え、谷をくぐり、それまでの砂漠の平野とは全く異なる光景の中を進んだ。山といっても木がほとんどない、日本の採石場のような風景が延々と続き、時折深い積雪がそれを覆っている。わずかな草を求めて羊の群れや羊飼いが呆然と立ち尽くしているのを見かける。村も稀にある。本当はTermezへ行きたかったのだ。そこからシル・ダリア越しにアフガニスタン領を望み、はるかなるアフガンを垣間みたかった。しかし大切な旅程を現地で組めるとタカを括った私はその旅程を手配せずに出発した。後悔先に立たず。この荒涼たる山岳風景を垣間みただけでも、その地への憧憬が胸を苛む。途中、そのTermezへ行く街道と別れて、車は細い道へ入って行った。ああTermez・・・


 


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 車はでこぼこ道を蛇行しながらいくつもの山を越え、最後に大きく峠を巻いて越えたときに運転手が知らせた。「Boysunだ」みると谷底にへばりつくように小さな街が広がっている。道は戸惑うように迂回するかのようにカーブを描きつつBoysunの街に近づいて行った。写真は運転手と2人の乗客。ここまで来ると流石に最果ての地を思わせる。

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2012年03月29日

20120307 Тощкент

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 雨は夜更け過ぎに雪へと変わったのであろう・・・中央アジアというよりは、冬枯れのヨーロッパという風情であった。


 


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 「Gulnara B&B」の朝食である。我々の主たる目的である「ナン」(左上) の初体験・・・余りにも期待に胸を膨らませすぎたか、初めて味わった「ナン」は、全くなんの変哲もない冷えきったパンであった。宿の主人と奥さんは英語を話され、とても温和で温かい人たちであった事は、特に補足させていただきたい。


 


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 さて、宿には偶然日本人の女性旅行者が一人同宿していた。21歳の若さでウズベキスタンを西からヒッチハイクで舐め回して東へ抜けるという。勇ましい事この上ない。今から南のバス・ターミナルへ行って足を捜すというので、こちらもTermezへ飛ぶ計画を持っていたから、まずは同道させていただくことにした。メトロのChorsu駅から2つめのAlisher Navoy駅へ行き、その駅と直結しているChilonzor線のPaxtakor駅からChilanzar方面に乗り換えて終点Olmazor (旧Sobir Raximov) 駅で降りる。Tashkentのメトロは2012年3月現在で均一料金600Cym、改札前で必ず兵士によるパスポート・チェックがあるが、職務に忠実なだけで、一通り確認したら滞在中なんの問題もなかった。構内はガイドブックにもある通り見事な美しい内装で、極めて豪華絢爛、しかし撮影は厳禁であって、ホームにもあちこちに軍服を見かけ、中には私服も混じっていると思われたため、相当に神経を尖らせているように見受けられる。しかし乗客は全く気にかけていない雰囲気で、特に堅苦しい空気はない。


 


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 駅前にバス・ターミナルがあるというので、今まで旅して来たイメージで相当の喧噪を予測して来たのだが、この通りただの広場であって、確かにシェア・タクシーやミニ・バスは何台か停まっているものの、それらしいものがない。勇ましい女ひとり旅人は、いつともなく広場に消えたのだが、こちらはTermezへ行こうにもタクシーしか見当たらない状態で、アテが外れて作戦練り直しを余儀なくされた。


 


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 宿のチェック・アウトが12時なのでとりあえずChorsuに戻って荷物をまとめ、本格的に足探しを始める。予定では、明日Termezへ飛んで、そこから北上してBoysunにて一泊、更に北上してSamarkandへ出たら、あとは観光コースという段取りである。そのBoysunの宿泊がなかなかとれなかったので、結局Marco Polo社に手配を頼んだ都合上、どうしても明日の夜にはBoysunに着いておかなければならない。しかし明日の便なら今日とれるはずだとタカを括っていた我々は、のんびりとChorsuのバザール見物をしつつ、都心へ出てチケットを買おうなどと暢気なことを考えていた。


 


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 Chorsuのバザールの一角で小麦粉を卸す業者、様々な種類があるが、ほとんどは中国とロシアなどからの輸入品であった。


 


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 都心へ出てチケットを捜すものの埒が開かず、結局明日の便は満席との事で空路での移動を断念、今夜の夜行でBukharaへ向かった足で、そのままKarshi経由でBoysunへ至るルートに計画変更。中央駅へ向かう。撮影禁止なので写真をお見せ出来ないのが残念だが、駅は非常に立派な建物で、やはり芝生に取り囲まれており、堂々たる正面玄関は柵で閉ざされている。建物に向かって左手に詰め所があってそこからひとりずつパスポート・チェックを受けて出入り出来るのであるが、そこはチケットを持っていないと通れない。チケットは、その建物の左手にある別の建物で売っていて、そこも同じように柵で囲まれていて・・・という具合に、いちいちめんどくさいのだが、そういうもんだと慣れてしまえば特にどうということはない。Tashkent中央駅の切符売場のおばちゃんは、ちゃんと英語が通じたので、問題なく今夜の夜行をゲット・・・残りの時間を暮れなずむ首都の散策に充てる事にする。写真は、Temur広場を背に西へ伸びる所謂「ブロードウェイ」・・・Tashkentでもっとも賑やかな通りとされている・・・


 


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 その近辺にあった新市街のバザール・・・ほとんど人気 (ひとけ) がない。


 


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 余りに人気 (ひとけ) のない街に戸惑いつつ、ようやく見つけたレストランでの質素な遅い昼食は、汁気の多いウズベク風のボルシチ。


 


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 「ブロードウェイ」に戻ると、似顔絵描きがたくさん出ていて、何となく「賑わって」いた・・・のかな ??


 


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 新市街を散策すれば、きっと新しい感覚のカフェなどがあるはずだと思っていたが、どうやらお門違いだったようだ。歩き疲れたので、メトロに乗ってChorsuへ戻る。バザールの喧噪を見てようやくひと心地ついた。夜行列車に耐えるため、夜食などを買っておく。


 


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 Chorsuバザールに隣接するモスク、その下にはイスラム関係の書物・CD・用品を売る店がある。その性格上、客のほとんどは男であり、なんと書物と一緒に男物の香水の量り売りが見られる。いずれも有名ブランドの名前が書いてあるが偽物であろう。


 


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 そのChorsuの交差点に集うミニバスと家路を急ぐ人たちの姿、左奥のレンガ色の建物は、「Toshkent Savdo Markazi」というスーパー・マーケットで、非常に品揃えが良く、安い。物売りに惑わされずに冷静に品定めしたいときにおすすめである。こうして短いTashkentの滞在を楽しんだあと、夜行列車に乗るべく中央駅へ向かう。警備の物々しさから、中はどうせ殺風景なものだろうと思っていたが、駅は見かけによらんもので、意外に多くの人が列車を待っていて明るく賑わっており、売店やレストランもあって楽しめたのである。下は、駅中レストランでのプロフ定食・・・ううむ、要するに油の回った焼き飯なのだが、サラダは良いとして、ご飯をオカズにパンを食べてる感じでね、しかも定食といいながら汁物はなくて、替わりに緑茶が出る。食事中に茶を飲む習慣がなく、関西人でありながら「うどん定食」・「ラーメン定食」・「餃子定食」の食えん私としては、関東人の苦しみがよくわかるのでした。しかしね、「カツサンド」て関東に多いけど、あれどうなんよ君ら・・・


 


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2012年03月28日

20120306 Yuzhniy

 Asiana Airlines OZ0573 Tashkent行きは定刻に離陸、定刻21:10に到着した。雨の夜であった。飛行機の出口には、銃を携えダーク・グリーンの軍服に身を堅めた屈強な兵士が数人控えており、それまでの機内のほんわかした雰囲気が一変、その威圧感は軍事独裁国家に来たことを実感する。初めてキンシャサの空港に降り立ったときの事が頭をよぎる。建物に入ると長い廊下があって、簡易的にロープで誘導ルートが作ってある。ほどなくパスポート・コントロールがあって、ここでは「税関申告書」は必要ない。係官は「コンバンワ」なんて日本語で挨拶してくれて、ちょっとは緊張もほぐれる。ほどなく通過。その先で機内預けの荷物を受け取り、それを持って税関申告の列に並ぶ。持っている荷物を全て検査機にかけ、不審物があると開封を要求されるので、列によっては遅々として進まないことがある。私の場合、複数の列のひとつに並ぶと私の並んだ列だけが異常に進まないのが常であるので、日本の銀行のATMなどで普及している所謂「フォーク並び」は結構ありがたいのであるが、ここではそんなものは通用しない。ただひたすら待つのみである。もちろん日本のようには行かないけれども、窓口は設置されているもの全てが開かれており、係官は職務を忠実にこなしているように見えたし、こういう審査にありがちな段取りの悪さや怠慢などは感じられなかった。ここが入国に際して最も困難な関門だという事だったが、順番が進んで間近に審査官を観察してみると、検査機の脇に腰掛けたひとりが淡々と申告書に目を通し、もうひとりが検査機のモニター画面を注視しているだけで、黙々と職務をこなしている。私の順番が来た。荷物は特に問題なくスルーした。申告書に対しては、多分ポーズと思われるが、申告書を睨み、私の顔を見る動作が数回繰り返されたあと、全ての項目に丸印をいれて、サインされた一枚が戻された。そこを出ると、ドア一枚でもう外である。ロビーもなにもない。数人のタクシー業者らしき男が「タクシー ?? 」とつぶやきながら勧誘しているが、こちらはお迎えを頼んであるのでスルーしようとする。しかし外は雨で真っ暗な芝生である。通常のロビーがないため、お迎えがどこに来ているのかもわからない。仕方なく雨の中を進もうとすると、何人かのタクシー業者が追いすがって来る。こういうのが一番鬱陶しいので無視して進んだら、建物を取り巻く芝生の外側に遠巻きに柵があって、そのうちの一カ所に詰所のようなものがある。そこに兵士が一人、こちらを見ながら手招きしているので、怪訝に思いつつも近づいてみると、雨の中、傘をさしながらその詰所に群がっている人たちがあり、何人かは人の名前らしきものを書いた紙を広げている。やっと状況が飲み込めた私は、その中に私の名前を捜すと・・・あった。雨の少ない国といわれるウズベキスタンの玄関口は、暗闇の雨であった。この空港には、この国を訪れる、または帰ってくる人たちを出迎える人たちに対する配慮がないか、その配慮よりも安全対策が過度に優先されている。空港の建物が、芝生という「緩衝帯」に取り囲まれ、旅客だけがごく狭い一カ所の詰所を通らなければ出入り出来ないようにしてあるのも、空港そのものに公共交通機関が接続しないようにしてあるのも、全てそのためであろう。見送る人と旅立つ人、出迎える人と到着した人が、気持ち良く相対することができる開かれた空間というものは、この空港にはない。キンシャサのN'djili空港とは対極の意味で特殊な空港といえるだろう。


 さて出迎えてくれたのは、現地法人の「Marco Polo」社のFalf Khan氏であった。彼は非常に流暢な日本語を話し、普通の日本人の会話のペースで十分話すことの出来る人物であった。物腰も柔らかく穏やかで、旅の提案についても控えめで、こちらの話をよく聞いてくれた。車は走り出した。すぐに街に出る唯一のオーバー・ブリッジ、しかも緑・白・青というウズベク色のイルミネーションに彩られた橋を渡る。ここに彼らの「Welcome」を見るのであるが、周りの暗さと橋の明るさ、しかもLEDで照明された、明るいのに温かさの感じられないその色調は、近隣各国との緊張関係の中で、軍事独裁国家という体制を維持しながら、観光立国としても歩もうとする微妙なこの国の立ち位置を予感させるに十分なものであった。


 車は、東欧的あるいはまだ見ぬロシア的かと思える新市街の道並みを北西へ進んだ。街は暗い。灯の点っている部屋が少ない。賑やかさの感じられない街である。その中で、政府機関の建物か、大きな広場を取り巻くように立つ巨大な建造物はライト・アップされ、遠目からも非常に威圧的に見える。やがて車は西北に外れ、殺風景な中にも幾分親しみの感じられる界隈に入って行った。路地を曲がると、舗装されていないぬかるみ道であった。その奥に、目指す「Gulnara B&B」はあった。

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2012年03月23日

20120306 KIX-ICN-TAS

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 2012/03/06 出発当日は、早朝まで激しい雨。12:50関西空港発の便で出発するので、11時には空港に着いておきたいのだが、この雨では駅へ行くこともできぬ。自転車に荷物を積んで電車に乗ろうと思っていたのだが、タクシーでも呼ぶかと思いはじめた頃、不意に雨が止んだ。思えば、この旅を思いとどまらせようとでもするかのような、不吉な前触れは枚挙にいとまがなかった。さがしものや調べたデータの紛失、機材の故障、そして極めつけは手配したプロセスのドタキャン・・・しかし捨てる神あれば拾う神あり。とにもかくにも持てるだけのものを詰め込んでようやく当日、しかしこの雨、止み間を逃せば後々厄介、ままよとばかり自転車にまたがったは良いが、日頃使わぬキャリア付きのもの故、チェーン・ロックを忘れたので駅前のパン屋に頼み込んで預かってもらう・・・ために土井ちゃんとの待ち合わせに15分ほど遅刻。関空のこの風景・・・好きなんよね。チェック・インもボーディングも問題なく済んで、Asiana Airlines OZ0111 定刻の12:50離陸。機材はAirbus A330-300。


 


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 Seoul 仁川空港にて3時間ほどのトランジット、小腹が減ったのでキムチうどん食う。USD6.50・・・韓国では食器を持って食事をする事はマナーに反する。このようにどんぶりに入ったうどんを食べるときも同じである。丼は置いたまま、口を近づけて食べることになるのだが、日本人にとっては「犬食い」といってこれはどうにも違和感がある。周りを見てみると、やはり丼は置かれたままで、しかし韓国人の食べ方はそれでも「犬食い」には見えない。今回の旅の小さな興味のひとつは、こういう「食事のマナー」である。例えばヨーロッパやアメリカでは、熱いものを飲む場合に音を立てるのはマナー違反であるが、それは汁をすする習慣がないからだと言われている。日本人は冷たい飲み物でもすする癖があるので、どうしても音が出る。トルコを旅行していたときにも安メシ屋で観察したが、茶をすする人は見なかった。しかしモンゴルの映画を見ているときに、家に招待された客が茶をすするのを明確に見た。では、飲み物をすする事を許容する文化の境界線は、どこにあるのだろうか・・・そんなことを考えさせられたキムチうどんでした。下はAsiana航空の機内食。


 


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2012年03月19日

20120319 Ўзбекистон

 また生き存らえてしもた。取り急ぎ2012年3月現在のウズベキスタン旅行の技術的な側面において、紙媒体やインターネットから得られる観光情報源からは推し量り難いものについて、簡単にまとめておく事にする。


 観光シーズンは3/15から始まるが、それ以前においても国内の人の移動は多く、シェア・タクシーは別として、公営バス・鉄道・空路は供給不足の感がある。旅程上重要な部分については事前予約されることをお薦めする。実際、私は3/8にTashkentからTermezへ空路での移動を予定していたが、前日に予約しようとしても席がなかった。現地の旅行代理店については過信は禁物である。手続き上の手違いや意思伝達の齟齬、突然のキャンセルが多い。最終的に私がお願いした会社については、実際にご旅行を計画されている本人からご連絡を頂ければ、個別にご紹介申し上げる事にする。


 Bukhala-Khiva間のハイウェイはかなりの区間工事中で車輌は地道へ降ろされるため、長時間の蛇行ノロノロ運転、大変な苦痛を伴う振動に苛まれ、移動に観光情報の2倍程度、すなわちあまり強気でないドライバーのシェア・タクシーで10時間以上、バスならもっとかかると思われる。代替手段としてBukhara-Urgench間には、毎週火曜日に夜行列車が運行されているが、地図をご覧になればわかるように、Bukharaから一旦Navoyという分岐点までSamarkand方面へ戻り、そこからUrgenchへ向かうので時間がかかる。しかしハイウェイの状態を考えると、特に女性はこの列車を使われるのも有効な選択肢になる。ウズベキスタンの列車は非常に立派で快適であり、全ての車輌に選任の車掌が就くし至って親切で細やかな国民性なので、夜行でもまず心配はないだろう。なお、「滞在登録」は夜行列車の場合、その乗車券をもって代えることができる。


 Tashkent-Urgench間は、毎日3便の航空便が設定されているが、ほとんど満席であった。


 また、情報誌などには記載されていないことだが、Tashkentの地図を開くと3つの飛行場がみられる。ウズベキスタンの国内航空路線は、たぶん主にTerminal 3に発着するようだが、通常「Terminal」というと、同一空港内の別の建物を意味する。しかしTashkentでは別の空港である。「Terminal 2」は国際便が発着するYuzhniy Airportであり、「Terminal 3」は、その東7kmほどのところにあるVostochny Airportになる。7kmと書いたが、ターミナル間の実際の移動距離は20km程度あり、無料のシャトル・バスが運行されていると聞くが、みたところそのようなものはなかった。駐車場の外にバス停があって、たまたま走って来た11番のバスの運転手に訊くと「国際空港へ行く」というので乗せてもらった。小一時間の行程であった。あとで調べてみると、確かに以下のような記事がある。私は見過ごしていた。


 


 http://www.travelvision.jp/news/detail.php?id=51148


 


 鉄道駅についても同様の注意を要する。Tashkent市内には3つの「鉄道駅」が存在するが、そのうち「Severni Vogksal」(ウズベク語で「中央駅」) というものが、いわゆる「タシケント駅」であって、これにはメトロの「Tashkent」駅が接続しているので地図上から確定出来る。ほかのふたつの駅は存在するが、私の利用した列車はいずれも停車しなかった。


 


 以上、簡単に現地情報をまとめてみたので、他の事は情報源から得られるでしょうから、ご参考までに・・・

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2012年03月06日

20120306 Uzbekistanへの旅

 

 

 これは、トルコで広く飲まれている「ラクー」という強い酒の新しいコマーシャルである。「Yeni Rakı」といって、意味は「新しいラクー」というほどだが、トルコ語の「ı」の文字がローマ字のアルファベットにはないので、外国人向けには「イェニ・ラキ」と紹介されたりもする。この酒は、正しくはストレートで味わうのが良い。まずは傍らに水を用意し、酒を少量を口に含み、息を止めたまま水と一緒にのどに流し込む。すると、吐息からえも言われぬ草原の香りが立ち上るのである。杯を重ねるにつれて酔いも回るが、この草原の香りが体中に染み渡って行くのがわかる。そこが味わいどころである。さて、このコマーシャルは、トルコ国内の風光明媚な場所で、杯を重ね、歌い楽しむトルコ人たちの姿がひとつの曲に乗せてつなぎ合わされている。実際、彼の地を旅したおり、私もこのような場面に居合わせ、ともに歌ったり、あるいは演奏に乱入したりもさせていただいた。トルコは美しい国で、美しい人たちが、日々を楽しんで暮らしている・・・かのようにも見えた。確かに事実その通りであったのだが、実は、この映像を教えてくれたトルコ人の女友達の言うには、アラブの国々で広まっている民主化運動は、当然トルコにも影響を与えていて、それが民主化の要求と同時にイスラム化への動きも併せ持っている。後者の方の勢力は、原理主義的な主張を掲げ、女性にはチャドルを、敬虔なイスラム社会を目指して当然禁酒を打ち出している。そんなキャンペーン映像も、多くネット上に流されているという。このコマーシャルは、見ての通り大変良く出来ているのだが、単なるコマーシャルという意味にとどまらず、トルコの培って来た「ラクー」のような酒や音楽のもたらす文化の素晴らしさを、改めて作品化する事でそのように過激なイスラム化への動きを牽制する狙いが隠されているのだと・・・。コマーシャルを作る。しかしそれが商品を売るためだけでなく、その先に真の目的がある。旅も、音楽も、ただ旅のための旅、音楽のための音楽を作っているようでは、その神髄には迫ることが出来ない。音楽のためのたび、旅の向こうにある目的があっての旅であればこそ、その旅は生命を吹き込まれ、旅人の安全も守られる。さて、もう時間になったようだ。そろそろ行きますか・・・だいたいの旅程を示します。


 


03/06 (Tue) KIX-ICN-TAS 21:10


03/07 (Wed) Tashkent


03/08 (Thu) Tashkent-Termez-Boysun


03/09 (Fri) Boysun


03/10 (Sat) Boysun-Shakhrisabz-Samarqand


03/11 (Sun) Samarqand


03/12 (Mon) Samarqand-Bukhara


03/13 (Tue) Bukhara-Khiva


03/14 (Wed) Khiva


03/15 (Thu) Khiva-Tashkent


03/16 (Fri) TAS-ICN-KIX (+1)

 
posted by jakiswede at 08:18| Comment(1) | ウズベキスタンへの旅2012 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月27日

20120306-17 Uzbekistan

 思うところあってウズベキスタンを旅することにした。一日数時間のバイトでようよう糊口をしのいどる水呑百姓がなにほざいとんねんと思われるであろうが実際その通りであって、現実生活を考えればとても海外旅行なんてしていられる身分ではない。しかしそのバイト先が何年に一度あるかないかという改装のために休業するので、これを逃せばこの先何年も家を空けるチャンスはないし、歴史的な円高と航空業界の過当競争のおかげで、実に安く飛べる。海外旅行のしたいときに円高はなし。円高のうちの海外旅行は借金してでもせよ。という諺もある事だから、今こそウズるベキ時・・・(^^;


 なぜウズベキスタンなのか・・・思えば高校の世界史で中央アジアについての歴史を学んだ。アレクサンダー大王の東方遠征、ペルシャ帝国の時代、唐とアッバース朝イスラム帝国のタラス河での闘い、チンギス・ハーンの略奪と破壊、ティムールによる再建、トルコ帝国の時代、ロシア帝国の時代、ソ連の時代を経て独立・・・ざっと思い出しただけでも、東西南北の政治勢力に翻弄され、多くの血が流されたと同時に、文化も行き交った土地。古代よりシルクロードの交易路として栄え、豊かであったからこそ争奪の舞台となり、幾重にも積み重なった人の営み、しかし私が高校生の当時、ウズベキスタンはソ連の統治下、鉄のカーテンの向こうにあって外国人の入郷を頑に拒み続けた秘境中の秘境、1980年代になってようやく実現したNHK取材班の「遠征」が、この地の姿をありのままに伝える世界初の「快挙」であったという驚くべき事実、取材記録はテレビ番組にもなり紀行集や写真集も出版され、「シルクロード」の一大ブームを引き起こしたのである。当時大学生であった私は、中国の西でありながらヨーロッパの東にあるという、この不思議な領域への限りない憧憬は見果てぬ夢となり、砂の地平線の向こうに蜃気楼となって浮かび上がるラクダの列、オアシス、キャラバンサライ・・・そんな世界にあこがれはするものの遥か遠い夢の世界、そこへ赴く事などおよそ叶うはずのない夢と諦め封印した記憶がある。


 それが今はどうだ。当時のウズベク・ソビエト自治共和国はソ連の崩壊の後に独立し、国内に点在するシルクロードの遺跡はUNESCOの世界遺産に登録され、中央アジアでは押しも押されもせぬ観光立国となった。おりしも1991年湾岸戦争、当時の私は2度目のコンゴ (当時のザイール) 旅行中で、奥地への泥沼の旅のさなかにあった。こんにち、ウズベキスタンへは毎日日本からの直行便もあって、私と同年配の叶わなかった夢を再現してみせてくれるばかりか、学生の卒業旅行にも選ばれるこの事実はまさに隔世の感がある。それをどうみるかは措くとして、ともかく今やウズるベキ時。このウズベキスタン、地勢をよく見ると実に面白い立地になっている。東は中国、南東はチベット、北東はウイグルやモンゴル、北はロシア、西はコーカサス、南はイランに近く、アフガニスタンとは国境を接する。国内にも彼ら様々な民族の人々が集い住み、気候も北部や東部にステップ、西に砂漠、南に山岳地帯とバラエティに富んでいる。まさに東西文化の要衝であり、争奪の舞台となったのも当然の事であろう。もちろん草原地帯では騎馬民族を源とする人々が伝統的な暮らしに近い生活を送っていて、砂漠にキャラバンの列は途絶えたとはいうものの、オアシスの文化は色濃く受け継がれ、山岳地帯にはアフガンに通じるまた別の文化の香りがする・・・アフガニスタン・・・私が高校生だった1970年代のアフガニスタンは、ヒッピー文化の天国のようなところだった。もちろん噂を聞き知っていたに過ぎないが、サイケデリック・ロックかぶれの生意気な小僧であった私にとっては、平和だった頃のアフガニスタンやイランは、絹の道とともに人生をかけた放浪に値する憧れの土地であったのだ。それがいまはどうだ。40年近くも前に伝え聞いたアフガニスタンの平和は、タリバーンの急進派の蛮行によって歴史的彫像が崩れ落ちたのと同様に、その歴史の舞台のほんの一幕に過ぎなかった。その瞬間にしかるべき年齢に達していなかったことは、いまさら悔やんでどうなるというものでない。しかしウズベキスタンは、そのアフガニスタンに国境を接し、ほんの一山越えれば、かのマスード司令官が、「北部同盟」が拠点を置いたマザーリ・シャリーフにも近い。今回は期限の切られた旅行であるので、おとなしく安全地帯からアム・ダリア越しにアフガニスタンを望むだけで勘弁しといたろ。


 さて観光ガイドブックなどでは、ウズベキスタンといえば、サマルカンド・ブハラ・ヒヴァという歴史遺産の探訪が重点になっているが、実は私は、だだっ広゜くて警官が高圧的で見るべきもののない都市として観光客にこき下ろされているタシケントこそ意外に面白いのではないかと思っている。1966年の大地震で壊滅した都市なのだから、歴史的建造物が少ないのは致し方ない。それより前を見よう。やはり多くの民族の人々が暮らす土地であり、日本人が混じっても違和感がなく、却って現地の人に道を訊かれるくらいだというので、ボリビア人とよく間違えられる容貌の私が潜入するとどういうことになるのだろうか、東から入り込む余地を密かにうかがっているだろう中国の、日本人と本当によく似た容貌を持つキルギスやモンゴルの、そして大勢を占めるトルコ系の人々の、また南方のイラン系の人々の、さらに東するところコーカサス、北からロシアの文物が入り交じっているだろうバザールを見物するだけでも様々な暮らしを垣間みられる。長くソ連の統治下にあった影響は色濃く残っているだろうから、東ヨーロッパの空気も感じられるであろう。建造物、新市街の造り、日用品のデザイン、街を走る自動車やトロリー・バスやトラムバイなど、よもやトラバントは生きながらえてはおるまいが、これまた哀愁の東ヨーロッパを彷彿とさせる風景に出会えるに違いない。そして大都会であるから、当然若者の文化も浸透しているはず。インターネットではロシアのロックの良さは十分すぎるほどに伝わって来るし、少し違和感は感じられるもののウズベク・ポップのこなれた旨味も味わうことができる。人の集うところに音楽が生まれるのだから、若い人の経営するカフェやバーも絶対ある。厳格なイスラムの国という訳でもないので、女性的感覚の店も多いと思う。そういう全てを見る事は、観光旅行よりよっ程゜面白い。


 もちろん観光コースにも見たいものは山積していて、なによりクルアーンの朗詠に包まれて日々を過ごす事は、古都を旅する者にとってこの上ない歓びであろう。一昨年の旅の途上で訪れたカイロで、タクシーを急がせながら垣間みた、都市の中に散在する巨大な古代遺跡が夕陽に赤く染まっていくなんとも知れぬ美しさ、イスタンブールのガラタ橋を渡り終えて振り返りざまに林立するモスクのミナレットに沈みかかる夕陽の美しさ、イスラームの街や村にはいい知れぬ静けさと重さと彫りの深さがある。これは古都でこそ堪能出来るように思われる。そこにアザーンの朗詠が絡むであろう、これは音楽ではないとされてはいるが、音楽として聴くのはこちらの勝手。裏道へ回れば、遠い中央アジアでの夕餉の香りがするはずだ。路地はどうなっているのか、人々の暮らしは、食べるものは・・・そして音楽は・・・すべては旅である。


 今回は、期間の限定された旅行であるので多くのことを望んでも仕方がないから、調べるだけは調べておいて、何の予約も入れずに参る。また今までの多くの旅との決定的な違いは、道連れがある事である。ともに「六甲山カフェ」を運営する若い女性であるが、なにも男女の関係になっている訳ではない。ちゃんと彼氏は他にいる。「ついて来るなら自力でついてこい」と言い渡してあるから、それでも「連れて行け」というものを拒む理由はない。荷物をちょっと見といてくれる役には立つかもしれないし、なんの責任もないのだから面倒を見なかったといって非難される筋合いもない。旅先でもめたら別行動、従って成田離婚のような後腐れもあり得ない。全ては自己管理で自己完結。いろいろと規則の八釜しい国であるので、旅慣れた者でないとトラブルがつきものであるだろうが、「乗るべきバスが目の前にやって来たのに、アンタがトラブってもたもたしてたら先に乗るよ」・・・だって、言葉もわからぬ異国の地でトラブルに巻き込まれて命からがら脱出するなんて、そんな貴重な体験をあなたから奪う権利なんて、私にはないのだから・・・

posted by jakiswede at 12:43| Comment(0) | ウズベキスタンへの旅2012 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする