2016年09月19日

20160817 SEALDs解散に思う

 SEALDsが解散するという。率直に言って、なぜだかわからない。学生が主体であれば、次の世代に引き継いででも活動すべきだと思う。政治的な主張を掲げて示威行動をしたのであれば、その時点でその主体は公的な性格を帯びる、いわば社会的存在になったと考えるのが普通だ。彼らはそれを望んでいたはずだ。政治活動を含めた社会的な運動は、半ば恒久的に継続されるべきものだ。なぜなら社会問題は無くならないから。SEALDs KANSAIが解散に当ってのステートメントを出しているので読んでみたが、やはりわからない。メンバーは、個々の活動に移っていく決意表明のようなものが読み取れるのだが、なぜ彼らの一代限りで解散するのかの、明確な論拠が見出せなかった。甘いと思う。

 SEALDs KANSAIが主催した集会に一度参加したことがある。そのとき、主催者の中心的と思われる人物に質問してみた。私はもちろん (当時の) 安保法案に反対しているが、あなた方が反対する根拠と、その反対の先にあるビジョンについて聞きたいと申し出た。つまり、反対するのであれば、その反対の先にどのような世界が広がっているという何らかの展望が示されなければ、現状の中で不満を持ってはいても、変化に不安を感じる人たちの、広範な支持が得られないのではないか、という疑問だ。驚いたことに、これに対して彼らは明確なビジョンを持っていなかった。「とりあえず止める」、確かにあの時点ではそれも必要なことだった。その効果や社会に与えたインパクトには、敬意を表する。しかし、反対の先にどのような未来を思い描いているのか、最後まで見えなかったこと、そのまま解散してしまうことは、非常に残念である。

 反対の先にあるもの、安倍政権の独裁を止め、あらゆる利権と戦ってそれらを解体し、富の偏在を正してそれを再分配し、本当の意味であらゆる人が地に足をつけて再出発すること、そこから出直す社会には何が待っているか、不都合な真実の全てと向き合って、それらを自然に戻す社会とはどんな社会か、そのなかで人々はどのように生きられるのか・・・この反対の先にあるものを示すことは、今の繁栄した日本社会で享受してきた当たり前のことのほとんどを手放さなければならないことを意味する。誰もがそれを恐れ、そんな主張を掲げて支持が得られるわけがない。だから、誰もそこまで突っ込んで主張しない。

 その点、三宅洋平氏は正直だ。産業利権を解体すれば、自給的社会しか残らないことを率直に認めているからだ。要は、そこへどのように、今の高度に文明化された社会をソフト・ランディングさせていくか、そのビジョンについて、広範な意見交換なり議論なりがほとんどなされていないことが問題なのであって、それを言わないままに反対を表明することは、私は無責任だと思う。SEALDsは解散するかもしれないが、なんらかの受け皿が必要だ。私は安倍政治に反対する。その反対の先にあるものは、残念ながら暗い。その暗い未来をどのように見れば明るく見えるのか、それが広く人々に受け入れられるようになるのか、そのことをフランクに話し合える場が欲しい。

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2016年08月15日

20160815 もうええかげんに

 私は、誰がいつなんどき靖国神社を参拝しても良いと思う。公人であれ私人であれ、思想信条の自由が保障されているからだ。それについて懸念を抱くことも自由だし、批判することも自由だ。またそれに反論することも自由だ。だから、政治家であるなしを問わず、その人の思想信条に従って行動すればよい。その結果「みんなで」参拝することをよしとするならば、それはそれでよいと思う。ただ、靖国神社に参拝することの意味するところは多岐にわたり、公人が参拝することは、そのすべての意味合いにおいて責任を問われることもまた当然である。たとえば日本の政治家が参拝したことを説明する場面で、靖国神社に祀られている「英霊」が「日本の繁栄の礎を築いた」というならば、その繁栄のかなりの部分に、アメリカ、朝鮮半島、ベトナム、その他特に東南アジアにおける紛争や戦争の特需があったことが考慮されていなければならない。また、当然のことながら、日本が行った侵略戦争によって他国の人々が犠牲になったことは事実であるにもかかわらず、旧日本軍戦没者のみを祀っている宗教施設に、政教分離を国是とする日本の政治家が参拝することは、公平性を欠く行為と考えざるをえない。だから、日本の政治家が靖国神社に参拝して日本の繁栄について感謝の気持ちを表するというのであれば、同時に、日本の政治家はそれらの国々の戦没者の慰霊施設をも訪問して同様の行動をとるのがよいと思う。そうすれば、その政治家は立派な人物として近隣諸国から評価尊敬されるだろう。天皇陛下はそれを実行しておられるから諸国から尊敬されているわけだし、私もそれゆえに尊敬している。外交以前に、それが人として当然の感覚ではないか。

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2016年08月12日

20160808 独裁者の床

 最近のバイト先のブラック化は目を覆うばかりであり、これ以上仕事がきつくなるのなら、他のバイトを考えようかとも真剣に思いはじめたところ。いやなに、私は仕事のキツイのはそんなに苦にならん。スジさえ通っていて、願わくば有意義な仕事であれば、少々無理でも気持ちで合わせてしまうのだが、最近のバカタレ本社のボンクラ社員どもは、もはや現場を苦しめることで日頃の鬱憤を晴らしているとしか考え様がなく、どんな馬鹿げた指示にでも従わせようとする。理由も何もない。こんなことを毎日やってると、自分がどんどん馬鹿げた人間になっていくような気がして実に泣きたくなるので、早くやめたほうが良いと思う。どのくらい馬鹿げているかというと、あるとき本社の偉いさんがどこかの店で水道の蛇口から水が出っ放゜しになっていたことに体操ご立腹で、全店舗の全蛇口に節水アダプタが取り付けられる事になった。なんと1個2万円もするらしいのである。こんなものをつけられると水圧で掃除する海産部の作業場では掃除ができない。海水を使えない築地市場のようなものである。それで苦情を言っていたら、節水アダプタの代わりにボタン式で自動的に水が止まる蛇口に交換となったのである。ところがこんどはバケツに水を貯めるのに、いちいちボタンを押さなければならなくなり、貯まるまでの間一人が蛇口につきっきりになる。その間にちょっとした仕事の二つや三つは片付くというのに、ただひたすら水が止まってはボタンを押し、止まっては押すという不毛な作業を何十回も繰り返して、ようやくバケツの水が使えるという始末である。もうアタマニ来たけん、社長にこんな手紙を書いたった。



株式会社◯◯スーパーマーケット代表取締役社長

◯◯◯◯ 殿


 はじめまして。私は◯◯店海産部アルバイトの伊丹と申します。このたび思うところあって、直接のお手紙をさせていただきました。


 上のシールは、「当社自慢の品」◯◯スモークサーモンに貼付されているアイキャッチ・シールです。残念なことに、英語表記が間違っています。日本語の「スモークサーモン」は、英語では「smoked salmon」となります。この間違った英語は、毎日全ての店舗の極紅スモークサーモンに貼付され、インターネットでも「当社自慢の品」として宣伝されています。


 このシールが導入された時、◯◯店ではプチ改装の日でしたが、私はすぐに上司と本社社員に間違いを指摘しました。そのときは全く相手にされず、その後も訂正されることなく使いつづけられたので、複数のルートで再三指摘してまいりました。何ヶ月も放置された挙句、先日「今更訂正できない」というご返事をいただきました。


 私はこのことを、会社の恥をさらし続けることと感じております。早急にシールを回収し、作り直すべきです。しかし、私が直接お手紙を差し上げた動機は別にあります。


 もちろんこの間違いの原因は、一義的には、担当者が英語をよく確認せずに出稿してしまったことにあります。印刷原稿は、印刷されてしまえば訂正に膨大な手間隙と経費がかかりますので、慎重の上にも慎重が求められますが、担当者は、この中学生にもわかる間違いに気づかなかった。また、万一の間違いを防ぐために、自ら辞書を引くことをしなかった。さらに、原稿を校正するというプロセスがなかったか、それが機能しなかった。お客様からもご指摘いただいているので、間違いに気づいた人もあったはずだが、誰もそれを指摘しなかった。間違いが指摘されても担当部署に伝わらなかった。これらが同時に起こるということは、組織上の問題があるからだと思います。


 申し上げにくいことですが、あえて申し上げます。社長は独裁的であると考えられています。私は社長を存じ上げませんので、そうであるかどうかはわかりません。しかし問題は、そう考えられているということです。社長が独裁的であると考えられた結果、部下はまず自己保身に走ります。自分の周囲を安全にして、不都合な真実は、まとめて下部組織へ放り出します。受け取った下部組織も保身に走りますから、そこで溜まった不都合と鬱憤は末端に押し付けられます。これが全社的に繰り広げられた結果、社員は、上に向かっては全くものが言えなくなり、下に圧力をかけ、横同士庇いあい、不都合を隠しあい、出来なかったことも出来たこととして報告を上げるようになります。自己保身に汲々として全体を顧みることのできない空気が蔓延しています。これはまさに、独裁体制下の一般市民の姿です。


 私は◯◯店の近くで百姓をしておりますが、それ以前は、長年食品流通業に身を置いていました。その時期、ダイエーとサティが経営破綻の危機に瀕した場面を、担当者として具に見聞しました。残念ながら、◯◯スーパーの今の空気は、そのときと全く同じです。このままの状態が続けば、やがて組織は疲弊して弱体化するでしょう。


 いうまでもなく、このシールの件は、ほんの氷山の一角です。本社が決めて末端へ降りてくるあらゆる指示、書類、POPなどの表示、ハンディ・ターミナルの値引き計算の端数処理などなどに、不合理、非効率、意味不明、間違いが散見され、あるいは現場の社員にその趣旨が理解されず、それを確認するために本社に問い合わせることも出来ない。そんなことをしたらクビが飛ぶというほどの恐怖が蔓延しています。結果、おおもとを訂正すれば済むことを、末端でひたすら修正します。おそらく全店舗で、全従業員が、毎日繰り返していることでしょう。その膨大な無駄を考えただけでも、私が経営者なら卒倒しそうになります。そして、このシールのように、訂正できないものは垂れ流され、それを会社の恥と感じるセンスさえなくしてしまうのです。


 これを改善するには大変な困難が伴いますが、社長にお願いしなければなりません。不都合な真実が山積しています。まずは、これらが現場の自発的な相談事として、会社全体で共有できる寛容な空気を醸成することです。社長御自らが末端の目線にまで膝を折っていただいて、現場の問題を聞く姿勢を示していただきたいのです。そして現場との間の全ての中間管理職の苦しみと向き合っていただきたい。下に向かって声を荒げる彼らをいさめ、安心させてください。もちろん、私も長年社会人をやってきましたから、企業というものが、ある程度中央集権的であることは理解しています。が、現状は危険な状態に向かいつつあり、社員に無力感が広がっています。社長の信頼とリーダーシップが必要です。しがないアルバイトとして僭越とは思いましたが、あえてお手紙をさせていただきました。どうか、寛容の精神をもって、事に当たられてください。よろしくお願い申し上げます。

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2016年08月11日

20160808 象徴天皇について

 一昨日までにシーズン前半の農作業をほぼ終え、あとは土手などの草刈りを残すだけとなったので、猛暑でもあるし昨日は休養と決め込んで、夕方からのバイトまで昼寝をしていた。15時から平成の玉音放送があったので、それを最初から最後までネットで見た。「お言葉」の後、解説が延々と続いたのだが、話題は生前退位の法的手続きや天皇陛下の公務の実態や、皇室に関わる制度についてがほとんどであった。もちろん、それが主要なテーマだったから当然のことではあるのだが、私は一種の違和感・・・最も重要な要素が、その議論から抜け落ちている・・・を禁じえなかった。

 私は、今回の「お言葉」は、天皇陛下ご自身による皇国史観の否定、といって言い過ぎならば、少なくとも国のあり方としてその見方を国民に強制すべきでないことの意思表明であったと思う。言葉は慎重に選ばれているので、直接的な表現は避けられているが、天皇が象徴であることの意味、つまり日本の長い歴史を通じて天皇が存在し続けてきたことを尊重しつつも、現代においてはそれは国民が統合できる最後の精神的支柱 (政治的ではなく) であることを、寛容の精神で国民に受け入れられることを望む、という天皇陛下の希望の表明であり、それが「お気持ち」であったと思う。

 それは、「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。」という言葉に短く表現されている。日本全国を隅々まで、折あるごとに訪問されたり、時宜を得た海外への旅のほとんどすべてが、その言葉の実践であったと思う。私は唯物史観をとる者だが、その天皇陛下の行動を、心から尊敬する。よどみないお志が、論理を越えて心に刺さるのである。その内容、時々に発せられたお言葉を見るにつけ、全体を分け隔てなく包み込む寛容の精神に支えられているのがわかるからである。だから特別な敬語も使う。相対立する様々な考え方、たとえそれが皇国史観であっても、また唯物史観であっても、日本という国に生きる以上、日本は一つしかなく、この国の文化を継承する当事者としてこの国に生きる我々を、寛容の精神でまとめる制度として、象徴としての天皇制というものがあり、これを維持継続していくことが日本にとって良いことだと、それを理解してほしいという気持ちがにじみ出ているからである。

 だから、日本という国の平和と安定のために、象徴としての天皇制の安定が不可欠であって、それは代理であってはならず、天皇自身が象徴して立たなければ意味がない、だから職務を全うできているうちにそれを皇太子に引き継ぐ必要があるが、現在その制度がないので、そのためにかかる諸問題について国民全体として考えてもらいたいということを、天皇陛下は述べられていたのだと思う。なぜ天皇が象徴的存在となったのか、なぜそこまでして天皇が象徴であることを守らなければならないのか、なぜそれが日本の安定と平和に寄与するのか、制度論ではなく、寛容の精神を受け入れることの困難さを理解しようとする気持ちが抜けていては、ただの形式論に落ちてしまう。そこに違和感を感じたのである。偉そうに言うてごめんよ。

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2016年07月14日

20160711 大阪兵庫護憲派全敗の謎

 参議院選挙の結果は、全国的には想定内だったが、兵庫と大阪で護憲派が全敗したことには大変驚いた。これが民意なのか。「維新」にあれほど撹乱されてもなお、彼らに期待をつなごうとする人がこんなにも多いということが、まず理解できない。しかしこれが民意なのだ。何を望んでいるのだろう。やはり力か、強い日本か、苦しみから解き放ってくれる誰かなのか・・・この事実をどう理解して良いのかわからないままに、時は過ぎていく。改憲の最後のハードルは国民投票だが、願わくば自由な議論が深まることを期待する。

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20160710 参議院議員選挙

 投票日になってしまった。投票の制度がいまいちよくわかってないんやが、諸般の状況を考えると、選挙区も比例代表も共産党でいこうと思ってる。

 自分なりに、ないアタマを絞って考えたんやが、まずほぼ間違いなく自民党は初志を貫徹するだろう。なぜなら私より上の世代は、上へ行けば行くほど、また一票の比重の重い地方へ行けば行くほど、「これまで世話になったから」自民党に投票するし、世代に関係なく生活の苦しさは景気の悪さが原因だと思い込まされている大多数の国民は、景気対策を期待して自民党に投票するからだ。いかに別の価値観を謳ったところで、これまでの価値観を変えまいとする人の方がはるかに多い。

 「これまで世話になったから」人も、「これからもお願いします」と思ってる人も、要するに今の生活から転落することを極度に恐れてる。原発に反対でも、戦争に反対でも、貧富の格差の広がりに不満を持っていても、現在のところ景気対策と称してカネを動かせるのは自民党以外にないからだ。しかし残念ながら、これらはセットになっている。原発に反対で戦争に反対で貧富の格差の広がりに不満を持っているが、景気は良くなってほしいというのはないものねだりだ。景気をよくしようと思えば、このセットを丸ごと受け入れる以外にない。それが嫌なら景気回復は諦めることだ。実際、身の回りを見渡せばすぐにわかる。もうどこにも景気を回復できそうな余地はない。余地を作るには、何かを破壊せざるをえない。最も効果的なものは戦争だ。戦争は、経済的な動機で行われるものだ。

 もちろん野党はこれに反対しているが、どれもこれも第一に自己保身があって、そこからの反対でしかない。あるいは論拠に厳密性を欠く。民進党とやらは呉越同舟どころか、もうなにがなんだかわけがわからんし、生活の党の三宅洋平氏の情熱には共感するが、細かいところで論拠が脆弱で、自分に都合の良いものを繋ぎ合わせて論陣を張っているように見える。山本太郎氏の言うことはもっともだが普遍性を欠き、もと役者だから致し方ないにしてもパフォーマンスが強すぎる。それに第一、その隣でじっと様子をうかがってる古狸が一番信用できない。だからどうしても私の一票 (厳密には2票) ・・・選挙区が違うから無理だけれども・・・を投じる、あるいは人に勧める気持ちにならないのだ。

 その点では、共産党は主張が首尾一貫していて最も体系的である。しかしながら理詰めで考える癖が強すぎて人心の動きに添いきれない。共産主義から出発しているから、既得権益を再分配することがイデオロギーの柱なのは理解するが、その達成を目指すベクトルと、景気回復を目指すベクトルが、最終的には衝突せざるをえない矛盾について論理的な整合性が見られない。

 要するに野党はいずれも、原発に反対で戦争に反対で貧富の格差の広がりを是正し終えた後の世界について描ききれていないから、人心は不安に煽られて、今の生活が壊されるくらいなら自民党に入れておこうとなるのだ。かくして、原発は再稼動し、戦争はいつかどこかで起こり、経済的弱者は切り捨てられる。そうしないと日本社会がこのままのギリギリのところを維持することさえ難しいということを、生活実感として共有しているからだ。

 原発を止め、戦争を放棄し、人々が平等になるには、経済発展を諦めなければならない。これは自明のことだ。しかし、私を含め大多数の日本人に、その勇気がない。国際情勢は、勝ち組か負け組か、どちらかに属することを強いられる。中立は極めて困難だ。ましてや、日本は長年勝ち組のさらにトップ・エリートだったのだ。勝ち続けることがいかに困難か、負けるとどうなるか、識閾下に日本人はよく知っている。電気もガスも水道もない生活に戻る勇気はないのだ。

 自民党が勝つのは、そういう国民の意識の表れであって、これも民主主義の帰結である。様々な陰謀があるかもしれないが、詰まるところ、国民は客観的に自分のできることとできないことを認識していると思う。不都合な真実は封印されて自分の身に降りかかって来ない楽園に住むことを、国民は望んでいるというわけだ。

 自民党を打ち負かすには、原始的な生活も悪くないということを国民の意識に浸透させる必要がある。原発を止めたら、日本は国際的なエネルギー利権のネットワークから除外されることになり、全てを人力で動かす必要に迫られる。戦争を放棄したら、日本は国際的な外交ネットワークから除外されることになり、もしかしたら鎖国を迫られるかもしれない。人々が平等になったら、ごく普通の一般的日本人が途方に暮れて社会秩序が崩壊するかもしれない。

 しかし、自民党を打ち負かすには、そこから出発することが、持続可能な社会の始まりであり、そこへ軟着陸するためのロード・ラインを示し、その着地点から一つずつ積み上げる社会を、明確なビジョンとして提示できなければならない。そのためには、お互いに到底受け入れがたい主張であっても、一つの国に共に暮らしているという意識を共有することを、寛容に友好的に忍耐強く話し合った上で、やはり持続的な社会に導くためには他に方法がないことが合意される必要がある。それは政治家の仕事ではない。安全な食品や安心な生活に気づいた人たちの草の根の運動になる。それができて初めて、我々は、我々の反対する根拠と、その反対の先にあるものを、明確に提示し、既存の政治的価値観を乗り越えることができるだろう。

 国際貢献のために武力を行使するのだと自民党は言っている。では武力を使わずに同じ国際貢献ができるという、明確で落ち度のないビジョンを提示することができれば、彼らはその論拠を失うことになる。その明確なビジョンがまだ誰にも提示できていないので、自民党は勝つのである。

 兵庫県では、改選議席のうちの一つを自民党に渡さないためには、野党第一党である民進党に入れることが有効とされている。しかしその一票が、その後に分裂するであろうわけのわからない魑魅魍魎の肥やしになることをも考慮せざるをえない。したがって私はこの歳になって生まれて初めての一票は、共産党に投じることにする。わかっとるやろな。

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20160714 WARABE is over

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 安倍ソーリダイジンがいろいろ面白い提案をぶっ続けてくれたおかげで、日本にもいろんな考えの人がいるんだなあと感心させられる毎日を送らせていただいており、また生まれて初めて投票とやらへ参加させていただく機会も与えられ、ご厚意に心から感謝しております。

 私は厳しい独裁的空気に満ちた家庭に生まれ育ち、幼少期には一軒だけ地区から離れた家だったために地域の友達コミュニティから壮絶ないじめを受け、小学校でも教師に脅かされる日々を過ごしたので、圧力に屈すること、生き存らえるためにコミュニティを抜けること、越境した先には別の世界が広がっていることを、子供心に体験した。今では幾分社会との折り合いのつけ方も心得、いろいろあっても命ばかりは取られる心配のない生活をしているが、ふとしたきっかけで、このような幼少期の刷り込みが表面化することがある。平時では何事もないのだが、世の中が窮屈になってくると、ある程度ガス抜きをしないと苦しくなってくる。しかしやり方をよく考えなければ逆により苦しい立場に追い込まれたり、思考が過激に走ったりする。

 私の思想的傾向が十分左翼的であるのは、以上のような原因からだと思う。本来、思想というものは個人によって自由に客観的に選び取られるべきものだが、そういうものが刷り込まれる時期というものは一生に一度しかないので、今となっては他の思想についてじっくりと比較検討することができない。手遅れである。たとえば朝鮮半島では、彼らにとって身に覚えのない、突然決められた境界線を隔てて思想を押し付けられたわけで、彼らは地域という、思想とは何の関係もない要素を根拠に、それぞれの陣営に勢力として取り込まれ、それぞれの思想を刷り込まれたのである。生い立ちや環境に影響されずに、思想というものが、それそのものの純粋な論理的対決として議論されることがいかに困難であるかがよくわかる。

 つまり多くの場合、対立しているように見えても実は同じことを言っていて、案外解決策は別のところにあったりする。ただ、お互いに対立し合うことによってアイデンティティを確立しているような場合、問題の解決は双方にとってアイデンティティの喪失につながるので、双方共に解決されることを阻害する傾向がある。その場合、そこにいる部外者が最も大きな被害を被る。

 さて、この一年間いろんな考えの人と話をしたりやり取りをしたりご高見を拝読させていただいたりしたのだが、私のように反自民・反安倍政権・反原発・反改憲・反アベノミクスを、議論の余地なく当然と考えている人間にとって、これらに賛成する人々の存在を一年前にはほとんど想像できなかった。しかし最近ではそういう人たちが身近にもだいたい3割程度いることがわかったので、なるべく彼らとコミュニケーションを取るよう努力してきた。あくまで印象だが、その結果を順不同で羅列してみる。もちろんこれは相手の落ち度を詮索して罵倒するのが目的ではない。どちら側の主張にも落ち度はある。それをほじくり返して罵倒し合うのはやめたい。相手を理解するための拙い努力の一歩だと思って、不適切な表現などあればご容赦いただきたい。

 私が感じる彼らの一般的傾向とは、概ね次のようなものだ。論理的思考が苦手で共感を重視する・社会的に成功して地位を確立している・社会に絶望している・よそものが嫌い・人権が嫌い・共産主義が嫌い・外国語が苦手・組織への忠誠心が強い・帰属意識が強い・変化に直面したとき保身に走る・統一動作が好き・団結力が強い・・・まあもっとあるけど、もちろん、それぞれの主張をしている個人が、同時にその他の主張をも是認しているとは限らないので、これらを一括りに一般化することは危険である。しかし、率直にそう感じられることは事実だ。ネガティブな表現が多くなったのは、自分と異なる考え方には違和感が先に来て、その良さには気づきにくいからだと思う。できれば相手側からの分析を聞いてみたいものだ。裏返せば、上に挙げた要素の反対が私に当てはまる。

 さて、私は理解しにくいものに出会ったときにはそれを理解しようとして論理的にアプローチするのだが、それをここでやっちまうと相手に疎んじられる。なぜなら相手は論理が苦手で、論理を越えて共感してくれることを望んでいるからだ。しかしこっちは無条件に共感することができないので、何らかの足がかりを求め、その手法としてますます論理を使う。すると相手はますます遠ざかり、やがて相互不信に陥る。運悪く対立してしまったとき、論理的に相手を批判してしまうと、相手は振り上げた拳を降ろす場所がなくなり、ますます態度を硬化させてしまう。場合によっては力づくで排除する。相手にとっては、こちらへの憎しみはたいそうなものだと推察されるのだが、こっちはわからないことを率直に訊いただけである。従って論理的には対立しておらず、一方的な反感が原因で不幸が起こっている。解決するには、お互いの思考パターンの不備を改善するしかない。

 社会的に成功して地位を確立している人は既得権益を守ろうとするので、それが脅かされる恐れのあるものを本能的に排除する。また逆に、社会に絶望している者のうち、論理的に物事を解決することの苦手な人は、大樹に擦り寄っておこぼれを期待する傾向があって、その大樹の権益を守ろうとする。世の常として、富を得たものが積極的にそれを分かち合おうとすることは少なく、擦り寄って分配を望んでも叶えられないことの方が多い。自分の努力で財を成した人ならなおさらである。それを富の偏在だ不平等だ再分配だ革命だと叫ぶのは、たいてい持たざる者である。持てる者と持たざる者の対立は固定化されることが多く、世論が分断され、往々にしてその対立は為政者の思惑に利用される。中立で信頼できる政治権力によって、社会奉仕の一環としての富の再分配がストレスなく制度化されるようコーディネイトされれば、対立は解消に向かう。逆に言うと独裁者がつけいるチャンスでもある。

 よそ者が嫌いである。理解しにくいものに出会ったときに、反射的に警戒する傾向がある。おそらく保身の裏返しと思われるが、相手を理解しようとする気のなさ、興味のなさは相当に強い。逆に言うと、相手から理解されようとする気持ちや、理解を得て行動しようとする配慮にも欠ける。極端な場合、自分の行動に周囲の理解は必要ないとさえ考える。例えば自動車の運転でウィンカーを出したことがない、つまり右へ曲がろうが左へ曲がろうが自分勝手で、止まるべきは相手であると本気で思ってる。運転免許など、自分が自動車を自由に使うための手形程度にしか認識しておらず、交通ルールなど忘れて久しい。程度の差こそあれ、排他的傾向を持つ人とのコミュニケーションは難しい。いつどんなタイミングでどの程度の破壊力を持つ地雷を踏むかわからないからだ。これといった対処の仕方が思い浮かばない。

 人権が嫌いというか、「お前には人権の匂いがする」と言われたことが何度かある。意味がわからないのだが、たぶん全体で何かの行動を取ろうとするときに、個人としてその行動の是非を論じてしまう傾向に対する反感ではないかと思う。何度も経験したことだが、クラスで特定のやつをいじめようということになって、私にもそれに加担するよう迫られる、私がそれに与しない場合、同じような言葉を吐きかけられることがある。人権は民主主義の根幹であって、これを認めてしまうといろんなやつが自由に入ってくる。特に共産主義者が入ってくることに、非常な警戒感があるようだ。表向きは国民主権・基本的人権・平和主義を堅持する精神を支持しているふりをしているけれども、本音の部分ではこれらに対する反感、特にこれらを認めてしまった場合に自分に降りかかってくるかもしれない事態に対する不安があって、それに対処するくらいなら、自分を守ってくれる大きな力に依存した方がマシだという価値判断となる。この心情について理解する必要がある。

 共産主義は、富の再分配を論理的に体系化したイデオロギーであるので、その利権から恩恵を得ている、得ようとするすべての人から敵視される。現代社会では、非常に多くの人を敵に回している。逆に言うと、これを支持するのはどこからも恩恵を得ていない、得ようと思わない人たちである。ところが現実の共産主義政権は、富の再分配にはある程度成功したが、指導力という権力の再分配を行わなかったため世界中で崩壊した。従ってマルクス・レーニン主義を原理的に実行に移すことはありえない。日本共産党でさえマルクス・レーニン主義と決別して久しい。しかし反共を掲げる人たちはそれを認めず、攻撃対象を維持して自己のアイデンティティの確立と集団の結束を図るため、架空の共産主義者をでっち上げてそれを攻撃する始末だ。頭を冷やせばわかることである。

 これ以上はきりがないからやめておこう。要するに、彼らは何か大きな力があって、それが自分を守ってくれることを期待しているのではないか。それが国であり政府であり、だから国が決めてみんなで団結しようとして気分が高揚しているときに、それに異を唱えたり、理解できない理屈を並べられたりすると、興ざめになり鬱陶しくもあり、腹立たしくもあって排除したくなるのではないか。だとすれば、その大きな力とやらが、本当にあなたを守ってくれるのだろうかということを、きちんと説明するのが最も良い方法だと思っていろいろ試すんだが、気分の高揚しているところへ水を差すと反撃されるんでね、難しいんよね。でも私はあなた方を理解しようと努力するよ。だからいろいろ書いてきてくれた方が助けになる。


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2015年12月31日

20151230 せやからいうてるやんか

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 もう全く、なんて言うたらええんやろね、言っておきたいのだが、私はマイナンバー制度を曲解してるわけでも通知カードの受取を拒否してるわけでもない。むしろこれらは積極的に受けとって、自分の個人情報がどこでどのように扱われるかをきちんと監視したいと思ってる。だからね、3回も事前に再配達予約入れてるわけやから指定日時通りに持って来んかいや。なんでおらんときに持って来る ?? おまけに初めての不在の翌日に一回、更に今日も事前に確認して郵便局まで足を運んどんのにやね、一度は外交員が持って出てます、今日は既に保管期限切れてますて、せやから予約しとんやないのずっと前から・・・
 言ううとくけどね、私は制度に反対しとんやない、制度を運用するんやったらきちんとやってやて、頼んでるだけや。勤務先に対してもそうや。従業員が本社に個人番号を渡した後、それをどのような管理体制の許で運用するのかを具体的に知りたい、と要望しただけや。なぜならそれはもう決まってる筈やから。でないと法令違反や。個人番号は、言わば個人情報を開く合鍵や。それを渡せちゅうんやから、その前に自ら安全管理体制について説明してくるのがスジや。それが間際まで説明もなく、しかも提出を急かしてくるから、こちらから要望を出したんや。しかるに非公式に得られた返事らしきものは、制度の目的や説明、次に従業員が本社に提出するやり方についてやった。違うんや、オレが訊きたいのは、提出したあと本社がどう扱うかや。はっきりそう言うてるやんか。
 見かねたのか直属の上司が、非公式に社内の個人情報取り扱いマニュアルをプリントしてくれた。全部読んだ。しかしそこに書いてある大半は総務省のホームページをそのままコピペしただけのもので、要するに法の主旨と従業員への対処の仕方だけや。しかも、それらは取扱手順であって、管理体制ではない。手順通りに仕事をしないのが当たり前のブラック企業で、個人情報の取り扱いだけが手順通りに行われる訳がない。ほななんや、最近従業員出入口の脇の壁に、完全取得店舗とそれに次ぐ店舗の名前が星取り表として張り出されて、おまけに「あと3人やて」なんて噂がまことしやかに流れてくる。嘘や。オレは未提出の奴5人は知ってるぞ。先日、上の人から「どないなっとんでしょうね」て言われたから「こっちが訊きたいくらいですわ」と答えたった。あのね、オレは一言も拒否してない。質問に答えて欲しいだけや。
 まあオレは子供の頃からそうやったから「またか」て感じやけどね。みんなで赤信号渡ろうちゅうのに躊躇して捕まるんはオレひとりや。オレは渡ってないやんけ。なんでオレを捕まえるんや。窃盗の嫌疑痴漢の嫌疑ストーカーの嫌疑嫌疑嫌疑嫌疑嫌疑嫌疑嫌疑嫌疑嫌疑嫌疑・・・不当な嫌疑嫌疑は枚挙に暇がないぞ。NOx-PM法の時も、新規就農の時も同じや。オレは法律を尊重してる。守ろうと努力してる。そのかわり法律もオレを守る義務がある筈や。それがなんや、今回は法律がオレを守れるかどうかを知るための番号が知らされへんねやんけ。番号を知らせろよ、簡易書留の扱いごときでこんなけトラブって安全ですから安心しろという方が全く無理な相談やろ。特にオレみたいな人間にとってはな。
 ほんまに、こんな不愉快抱えて年越したないわ。
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2015年09月25日

20150915 面舵一杯

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「憲 法9条で日本が守れるか」と言う人に対して、「皇国史観で日本が守れるか」と反論したい気持はやまやまだが、そんなことを言ったら対立が激化するだけのこ と。いまこそ安保法案に賛成した人も反対した人も、お互いの気持を慮ったうえで、本当に必要なことは何かを探ることを一から始めなければならないのではな いか ?? なぜなら、日本はひとつしかなく、対立する人すべての故国だから。
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2015年09月15日

20150913 反安倍集会

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 「SADL/ 戦争法案に反対する関西大行動」に参加してきた。バイトがあったので集会開始の16時過ぎには退散したが、それまでのあいだに、何人かの参加者や友人と出会い、いろんな話をすることが出来た。立場が共通するから当然なのだが、賛成派の人との対話とは根本的に話の通じ方が違う。そこで感じたことは、デモの主催者も参加者も、事態を極めて冷静に見ていることだ。法案は可決されるであろう。デモによってそれを変えることは出来ない。なぜなら、皮肉なことに日本は民主主義国家であり、その手続として立憲制を採っているからだ。だから反対運動は、法案の成立後を見据えている。
 集会の実際は、報道などで伝えられている映像とはずいぶん違う。報道では、デモ行進の最も盛り上がった瞬間や絵になる構図を切り取って使うので、見る人はかなり強烈な印象を持ってしまう。しかし、実際には公園のあちこちに話の輪が出来上がり、たぶん見知らぬもの同士であろう、意見交換が穏やかに広がっている様子が見られた。その空気を妨害したのは、大音響で街宣車を乗りつけ、公園だから自由だと言いながら徒党を組んで無差別に暴言を吐き散らす右翼団体であった。毎度のことだが、警官隊に阻止されてあっけなく出ていった。
 日本の平和が国際社会の安定の上に成り立っていて、その秩序を守る為に貢献することは当然である。誰もそんなことに反対しているのではない。安倍政権が、アメリカの権益を擁護するために日本国民を働かせようとする意思を、国際貢献の話にすり替えて呑ませようとするから反対しているのである。例えば、世界の治安を維持する為に止むを得ず行使される抑止力としての集団的自衛権と、安倍政権が安保法案で想定しているアクションプランとしてのそれとは全く異なるから反対しているのである。国会や報道などで浮かび上がってくるのは、アメリカの外交政策の変更によって二転三転する説明、法案の持ち出し方、憲法解釈の変更、成立ありきで動く政府の諸機関など、明らかにアメリカの意思によって操られる安倍政権の姿である。日本を内側から売り飛ばそうとする安倍政権を退陣させる為に、自分たちは声を上げているのだということが明確になっていた。右も左もない。自分たちはただの日本人で、自分たちの生活を守ろうとしているだけのことだ。
 法案に賛成している人たちの意見の内容を良く考えてみると、実は彼等も安倍政権に利用されていることに気付くであろう。純粋な気持で愛国心や国際貢献について考えを実践し、祖国防衛と世界秩序の安定の為に献身しているあいだに、安倍政権はアメリカ政府を養護することで得られる蜜の味に酔いしれる。その味はよほど甘いらしい。賛成派の一般国民に分け前を与えるつもりなどない。自分たちが手を下さずに反対派と闘っているのを高見の見物としゃれこむだけだ。
 法案は可決されるだろう。自民党には落ちるところまで落ちて、底を打ってもらった方が良いのかも知れない。地元に帰った国会議員のうち法案を推進するものは徹底的な落選運動に曝されるであろう。示威行動や国会議員に対する直接行動は、法律が廃止されるか政権が交代するまで続く。野党は、今度こそ真剣に大同団結して政権を担当出来る状態を準備しなければならない。それが出来なければ、民間人による暫定政府がこれに取って代わるかも知れない。
 私の日常生活は、農作業とアルバイトに忙殺されている。それでも努力して、正しい認識を得ようとしてきた。それは間違いではなかったのだが、そうすることを続けることによって、自分がなんとはなしに深刻な気分にとらわれていた。もう半年以上も気分が晴れなかったのだが、集会に参加して、その空気を感じて、なんだかかなり気が楽になった。もう少し人生を楽しもう。今日会って話してくれた皆様に心から感謝します。
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