あのなあ・・・頼むからスーパーに大挙して買い物に来るのはやめてくれ。一家族一人にしてくれ。お父さんは荷物運び頼まれてんのやろけど車で待っててくれ、携帯電話があるやろ、買い物済んだら出口まで迎えに来て車に積み込んでくれたらええやん。特になあ、買い物に付き合わされてるお父さん、ここはあんたの会社とちゃうねん、あんた会社では重要なポスト担うてはるやろから誰も決して邪魔者扱いせんやろ、しかしな、そこで腰に手当てて仁王立ちされたら通路の邪魔になってしょうがない。そこで人が滞留する、こっちも商品を補充する邪魔になるし、お客さん相手にどいてくれて言われへん。頼むから子供連れて外で待ってて寒いやろけど。それからなあ、レジに並ぶ時だけ間隔あけるんちゃうねん。店の中は全部やねん、かまぼこはようけある。えびもようけある。群がらんでも行き渡る。ちゃんと仕入れてちゃんと出してるから慌てるな。それにな、なにもかまぼこやえび食わんかて時間が経てば年は明ける。今回くらいええやないか。ついでに言うけどな、商品に触った手が汚染されてるかもしれんから消毒したいのはわかる。でも使ったウェット・ティッシュその場に捨てるのはやめてくれ。くしゃみした後マスクを交換したいのもわかる。でもその場に捨てるな。掃除専門のスタッフ置けるほど余裕ないねん。拾うんは我々やねん。拾ったその手で次の商品出すねん、それは仕方ないねん。ええか、あと一日ある。頼むから認識を変えてくれ。ここは戦場やねん。しかも最前線や。もろに三密で空調も追いつかへん。でもそんなこと言うたら客こんようになるから「いらっしゃいませ」言うてんねん。1日一万人超える来店客数の中から一人でも陽性者でたら休業やねん、そないなったらみんなの毎日の買い物ができひんようになるんやで。店は、今は遊びに来るとこちゃう。戦場や。俺はまだ死ぬわけにいかん。だからみんなで守らなあかん。わかったか ??
2020年12月30日
2020年12月17日
2020年12月05日
20201205 Mac OS 11 "Big Sur"
爽やかな青空続きだというのに、私は地下に潜ったり白蟻の足跡を追い回したり、今日は断続的に昨夜発生したMac OS 11によると見られるトラブルと取り組んでいる。OSをアップグレードしたら、アドレスブックが吹っ飛んだ。アップル・サポートもお手上げの事例で、多分ファイルが破壊されて修復不可能との診断だったが、もちろんバックアップは取ってあるので、またしてもかなりキワドイ裏街道を早駆けしてなんとか解決した。Mac OS 11 ≪ Big Sur ≫ は、さまざまな初期不良が報告されているが、私の場合それらには見舞われなかった代わりに、まだネット上でも報告されていないこのような症状で仕事の手が止まった。まあいつものこっちゃけど、あっぷるさんあんじょうたのんまっせほんまに・・・
Mac OS 11上の「連絡先」アプリケイションを立ち上げると、殆ど全ての連絡先カードが白紙になっていたものである。バック・アップから復元しようとすると、「読み込みますか」の質問に対してどう答えてもエラーを起こし、脱出できなくなる。ファインダーより強制終了。
解決方法の結論のみ。バックアップフォルダにあるMacintosh HD - Data / ユーザ/ ユーザ名/ ライブラリ・・・と進むのだが、ここが裏街道への闇の分岐点で、「ユーザ名」を入れた段階で、ファインダーウィンドウではなく、プルダウン・メニューから「option」キーを押しながら「移動」を選ぶと、その時だけ「ライブラリ」が表示されるので、そこから入る。これは技術者でないと知らないやり方。その後、ファインダーウィンドウで Application Support / AdressBookと進んで、これをタイムマシンを使って復元する。まだ検証されていないバグと思われるので解決してアップルちゃんへレポート、さてバイト行くか・・・
2020年11月21日
20201121 ツキノワボロボロ
2020年09月10日
20200910 絹道遺産
というわけで久しぶりに大阪へ出てみると、まあなんと人のおらんこと。道頓堀が、宗右衛門町が、相合橋が・・・今日の探索は中国東北料理。美味くも不味くもなかったが、味が濃くて量が多い・・・しかし諸外国を旅していて思うことは、現地の庶民の味って、こんなんよね・・・エグくて濃くて量が多い。店は、日本人が入ってくるとは全く予期していなかったみたいで、近隣中国人のたまり場感満々だったが、若いのがカタコトのニホンゴで親切に勧めてくれたんで楽しめた。ひとりひとりの中国人と、中国政府のやってることの、この極めて大きな齟齬が、まさに中国を体現している感。
2020年09月05日
20200904 「コテツ♀」
「コテツ♀」・・・5匹のうち唯一のメスであった。ハチワレの白い部分が最も小さく、鼻も黒かった。離乳期までは兄弟たちと暴れていたが、やがてオス猫のテンポについて行けずに取り残されることもあり、そんな時には私に甘えてくることもあった。しかし警戒心が強く、私に近づかないこともあった。たぶん「セジロ」が譲渡された直後に行方不明となり、約一週間後に中庭の排水管の中で死んでいるのが見つかった。その排水管はごく短くて、二度曲折があって外とつながっており、子猫の格好の隠れ場所であり遊び道具だった。しかし成長と共に通れなくなっていたはずである。なぜそこに入ったのか、なぜそこから出られなかったのか、なぜ助けを求めなかったのか、謎である。発見に至ったきっかけは臭いだった。当初は糞尿の匂いかと思い、トイレの土を交換し、中庭を清掃した。しかし収まらず、中庭に置いてあるものを動かして探しても見つからなかった。残るは排水管しかなかったので、ホースの水を強く当てると、激しく腐乱し、骨も露わになって内臓も出た、見るも無残な状態で流れ出てきた。かわいそうでしかたがなかった。たとえそんなところに入ったとしても、数日は生き延びるはずである。生きていれば声もするはずである。中庭の、毎日のようにその上を通る場所で、その声が聞こえないということは考えにくい。つまり、そこへ入って動けなくなって程なく絶命したものと思われる。何かに襲われてそこへ逃げ込んだか、逃げ込んで曲折を通り抜けられずに襲われたか、私は毎日17時間程度はここで過ごしているので、たまたま私がいなかった7時間以内にそこへ逃げ込んで絶命したものと思われる。苦しかったかもしれぬ、痛かったかもしれぬ、あのつぶらな目を思い出すたびに、かわいそうでならなくなる。
最後の写真は、おそらく彼女がいなくなる直前のものと思われる。左上に映り込んだ横顔である。