2018年04月15日

20180415 ネトゲ ??

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先日、ちょっとヌキ用で大阪へ出た。ちょうど昼時だったが、オフィス街から出てくる人ほとんど全てが歩きスマホ。ほんまに避けてもくれへんし、ぶつかり合っても無言・・・ここまでいくとなあ・・・と呆れつつも時代に全くついて行ってない自分を実感。

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2018年04月06日

20180406 花見

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 今年は花見ができた。まず例年にはないことだ。この調子で余裕を持って行こう。道場から宅原 (えいばら) を経て三田へ・・・途中、白洲次郎ゆかりの心月院をさんさくしたついでに三田の城下町の路地を歩いていたら、西方寺の由来について読んだ。そうか・・・とすると、私の住んでいる道場長の名前の由来は、我が祖先、伊丹親興の・・・中略・・・伊丹城を攻めた荒木村重ゆかりの土地というわけか・・・しかも宅原はここの家主の発祥の地でもある。そこで私は百姓になることができたと言って喜んでるわけや。まあご先祖様がみたらどう思われるか、でもこうして平和に暮らしているのはありがたいことと理解してくださるであろう。

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2018年04月04日

20180404 接続部をナメらかに

 パソコンで文字を打てない、音声が出ないというトラブルに見舞われておりましたが、さすが俺、自力解決しました。症状は以下のようなものでした。皆様のパソコンにも起こりうることなので、どうかご参考までに記憶の片隅にでもひっかけといてください。一週間ほど前に全く突然、キーボードからの文字入力ができなくなったのです。ワイヤレスなのでバッテリー切れかと思い、充電ケーブルをつないでシステム環境設定で確認してみると、ほぼ満量。その状態でしばらく文字入力ができたので、取り急ぎのやり取りだけこなしていたが、数分後にダウン。マウス操作はできたので、自力で調べはじめるも原因不明。その日は未解決のまま就寝し、翌日再トライしたものの、やはりケーブル接続後の数分しか入力ができず、やがてスピーカーからの音声も聞こえないことがわかり、そこへインターネット接続におけるセキュリティ認証ができず、インターネットにも繋がらない状態になったので、ほぼお手上げ。システムの不具合、ハードのクラッシュ、あるいはウイルス感染か・・・と様々に疑っても仕方なく、とりあえずネットから物理的に隔絶し、PRAMのクリア、バックアップした上でのシステムの入れ替え、さらにハードディスクの消去と再構築など、ユーザでできる限りの対策を講じたものの、全く解決しなかった。しかたなく電話でアップル・サポートへ・・・これがまた例によって繋がらず、半日を無駄にしてやっと出たオペレーターは大変好感のもてる熟練者で、コミュニケーションも良く取れて私の言いたいことも柔らかくわかってくれて、いろんな解決方法を試してくれたのだが残念ながら原因の特定には至らず、転送されたさらに上の部署では、最新OSの不具合ではなく旧型のハード的な問題なので有償対応になる・・・うむむ一回五千円・・・いままで三回「有償対応」のサポートを受けたのだが、いずれも問題の解決には至らなかったのに料金だけ請求された苦い経験があって・・・しかし、ここまで電話つないで来てこのまま断ったら今日一日が全く無駄に・・・と思ったのだが、意を決して断った。

 さて気を取り直してパソコンを立ち上げてインターネット接続を試してみると、なんと繋がり、不通だった数日分のメールがどさっと落ちて来て、その中にプロバイダからの詫び状が入っとった。接続異常はプロバイダのネットワーク障害だったのだ。しかし文字入力ができないので、認証に必要な設定項目の入力ができないから、自分のデータへのアクセスができない。落ち着いて充電ケーブルを抜き差しして、少しずつ、だましだまし必要な返事を書いていて、ふと気がついた。キーボードの脇にあるごく小さなスライド・スイッチ・・・これをON/ OFFしてやると、なんと、全く問題なくワイヤレス復活した。これに気を良くしてヘッド・ホン端子を観察し、念のため接点復活剤を塗布したステレオ・ミニ・プラグでごそごそやったら、なんと音が鳴りだした。なんやこいつら・・・最新鋭のデジタル機器のくせにアナログなトラブルには全く無防備やの。こーゆーこともきちんと選択肢に入れとかんかいこのあほんだら・・・

 というわけで、文字が打てない音が鳴らないのトラブルが解決しないとき、案外接続部をナメらかにソーニューすると治ることがあります。で、ネット・オフ状態の間に告知すべきことや済んでしまったことがありますんで、近日中に投稿します。とりあえず4/08 (日) 苗代作り、4/15 (日) 稲の種籾の塩水選と温湯消毒ちゅうのんをやります。米作りの第一歩です。詳細は後ほど。ご興味のある方は早めにエントリーしてください。いずれも10-15時、神戸ノルデスチ道場付近。

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2018年03月28日

20180326 亦楽山荘

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引き続きまして、「亦楽山荘 (えきらくさんそう) 」へ行ってみました。ここは武田尾駅から旧福知山線の廃線跡を生瀬へ向かって歩き、トンネル二つ越えたところから山に入ります。かつては、教えられなければわからないほど地味な場所でしたが、今では保存会もできて公園として整備されています。「亦楽山荘」は桜の隠れた名所で、特に山桜や奥手の品種が多く植えられてあり、周囲に自生する桜とともに、一体の斜面は桃源郷を思わせる風情になります。ここは日本の桜研究の草分け的存在である笹部新太郎が演習林として整備したもので、一時荒廃していたものを保存会が復活させたものです。笹部新太郎は、大阪造幣局・夙川公園・甲山・吉野山の桜を中心とした公園づくりに貢献した人物で、我々の心の糧といっても良い。で、その「亦楽山荘」、山桜は未だでしたが。モクレンは満開でした。

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2018年03月25日

20180325 旧跡武田尾道場間西側

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 ジャガイモの植え付けなんて数分で終わっちまうので、貴重な残り時間、過ぎ行く冬の面影を追って散策に出た。新名神が開通して一週間、子供の頃からの私の庭であった野山を破壊して造成されたので複雑な思いはある。しかし世の中の流れは、おしとどめようもなくあらゆる物を潰して進んでいく。私にできることは、いっとき立ち止まってそれらを写真に収めることくらいか・・・「神戸セミナーハウス」の北数百メートルの位置に、名もない山の頂上から新名神を遠望できる場所がある。もちろんここはそんなものを遠望すべき場所だったのではなく、道場から生野にかけての山並みと谷筋、百丈岩などを眺める静かな絶景の場所であったのだが、もはやその風情はない。造成の始まった頃2013年、道路の敷設が始まった頃2016年、そして現在の様子を定点観測して見よう。また、道場町平田の集落の新名神高架下には、かつて小さな茅葺の民家があり、これは文化財的価値から同じ道場長内の旧街道筋に移築された。また、それに隣接して弥生時代の遺跡も発掘され、この一帯が古くから人の住むに適した場所であったこともうかがわれた。まあそんなことはどうでも良い。今日の主眼は、新名神を遠望した後、かねてより気になっていた国鉄福知山線の廃線跡地、といっても武田尾から生瀬にかけてのハイキング・コースではない。道場から武田尾にかけての、良い子は絶対に真似してはいけない禁断の区間である。道場側の入り口は工事現場、武田尾側の入り口は武庫川の激流に孤立している。従って到達するには水量の減った時に適当な場所を見極めて川を渡るしかない。「春に三日の晴れなし」というクセに、今年は晴れ続きである。打ち捨てられた本当の廃線跡を散策するには絶好の日和であった。蒸気機関車に石炭を補給したのであろうか、錆びた施設がそのまま放置されている。対岸の新線を電車が通過している。その上を新名神が飛んでいる。トンネルは当然真っ暗で足元も悪い。しかも水が落ちてくる。そのかわり枯れた荒廃の絵が姿を見せる。いつまでもここにとどまっていたい、非常に心の和む原風景である。

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2018年03月24日

20180424 私の須磨の風

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 今年は、冬仕事を早めに始めたので、味噌・醤油・キムチの漬け込みがほぼ終わり、桜の季節に余裕ができた。ちょっと早いが、大蔵海岸と須磨浦公園へ観光気分でちょい出。まずはJR朝霧駅で降りて海へ、再開発されて段丘上の住宅街からのアクセスは良くなったが、管理された海岸線はつまらん。再開発当初に不幸な事故が相次ぎ、さらに別の事情もあって砂浜も使えず、当初の目論見は全く外れて、いまや地元の人は近寄らない場所になってしまった。今日の目的の一つ目は、そこから東へ数百メートルにある古い二つの不思議な建物、西側の一つは、もうキューキョクテキにつんのめったエキゾティシズムの結晶体で、普段は開放されていないが、貸切パーティーなどでは運用されていた。しかし今日見てみると何やら改装中。工事が進行していたので外から伺うこともできず残念。しかし東側のもう一つはカフェとして通常営業、すっかり女子供の喜ぶ世界になってしまったが、古くからの調度も空気感もよく残っていて、時々ここへ来て気を抜くのが至福の時間。さてその後、山陽電鉄の西舞子駅まで、さながら神戸の湘南的風景を散策した後、電車に乗って須磨浦公園へ、桜には未だ早かったが梅には間に合い、山上から眺める瀬戸内の風景や淡路島の山並みを楽しみつつ、少し下ると、ああ、ここは大規模なコンサートとしての「須磨の風」最後の舞台となった場所・・・感慨を胸に、夕刻より行われたる瓜ちゃんの歌を聞きに急ぎ岡本へ、その場を中座して大急ぎバイトへ・・・これを充実した一日というべきか、楽しもうと思うたら現実こんなもんよというべきか、アクロバティックな一日であったことは間違いない。

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20180324 伽奈泥庵閉店

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谷町8丁目「伽奈泥庵 (カナディアン)3/26をもって閉店 (;_;)

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2018年03月03日

20180303 メメント・モリ

 「死」について想うことが多くなった。それを意識するようになったのは、9年前に亡くなった、関西が世界に誇る泥酔のアフリカ音楽伝道師「プロフェッサー・ピリピリ」こと奥田薫の死去に関わってからである。彼も自分の死期を悟って人生に悔いの残らないように精力的に活動したが、いよいよ緩和治療に入ってからは、メールや走り書きのメモで私に指示を出して身辺の整理に努めた。しかし病で死ぬということは、治療のために薬物が多く用いられるから正常な判断力が低下してしまい、最終的には彼の意向が全て汲み尽くされたわけではない。しかも、病状の進行は意外に早く、彼自身、自分の葬儀のことまでは気が回らなかった。彼は、生きている間は自分勝手に振舞い得たが、死んでから「仏」になってしまった。父の最期も似たようなものだった。私は父の血を受け継いだ正真正銘の息子であるので、父という人間のなんたるかを痛いほど良く思い知っている。父はその精神に深い闇を宿した、自分以外の何者をも信じられぬ孤独な男だった。だが、やはりいよいよ緩和治療かという間際になって、信心など心から憎んでいたはずの父が、全く周囲の都合だけで形式的にとある宗教に入信させられた。葬儀は家族葬でやると聞いていたが行ってみると実家は宗教関係者で埋め尽くされ、そこには本人のアイデンティティとは全く相容れぬ姿で盛装した父の姿があった。しかも、その前で「長男」として「参列者」に挨拶をしなければならなかったあの屈辱を、私は一生忘れない。父の不遇の人生の総決算が、あのような形で蹂躙されることを、私は絶対に受け入れない。葬式・・・これほど嫌なものはない。特に自分の友、しかも考えを共にして世の中に反発し、抵抗して自己を主張し続けた誇り高き友人の葬儀の場が、どこやらのなんちゃらメモリアルホールのきらびやかだが一見してハリボテとわかる祭壇の前に設えられた脱色して白木に見せかけた棺の中に盛装した姿で納まっている前で全くやる気のない若者の僧侶がバイトがてらに時々スマホをいじりながらお仕着せの経を読んでそそくさと立ち去ったりカラスのような黒い喪服に身を固めたご親戚連中とやらから矢のような冷たい視線を浴びせかけられながら焼香の列に並ばされる自分を省みて悲しくなるどころかその場にあろうことか同じバンドのメンバーが同じようなカラスの形をして現れたりするのを見て自分の形を恥ずかしく思わされたりすることの全体の成り行きを肯定しなければならないような場であることほど辛いものはない。彼の葬儀は、彼が創造の拠点としていたボロアパートの一室で、入れ替わり立ち替わり訪れる心の友たちとその功績を共有する場でこそあらなければならなかったはずだ。しかし、周囲は、特に親族がそれを許さない。なんとしても彼の亡骸を、そのどこやらのなんちゃらメモリアルホールのきらびやかだが一見してハリボテとわかる祭壇の前に設えられた脱色して白木に見せかけた棺の中に盛装した姿で押し込まなければ気が済まないのである。そしてその前で全くやる気のない若者の僧侶でいいからそいつがバイトがてらに時々スマホをいじりながらでいいからそいつがお仕着せの経を読んでそそくさと立ち去ったりしてもいいからとにかくそこへ祭り上げなけれけば、そして俺のような何処の馬の骨ともわからん輩が入って来たらみんなでカラスのような黒い喪服に身を固めて矢のような冷たい視線を浴びせかけて退散させなければ親族の気がすまない。したがってそれは社会のコンセンサスになる。だから三年前に十数人の友人たちが世の中に嫌気がさして相次いであの世へ旅立って行った時、実はいちいち香典を出していたらこっちからあの世へ飛び込まざるを得なくなりそうだったので、それ以来もう友人の葬式には出席すまいと心に決めた。とにかく、自分の死に方は自分で決める。そのときに全ての手はずは終えておく。葬式も墓もいらない。私は無に帰っていく。要するに、人しれずこの世から消えることだけが私の望みであり、私はそれを実行する。

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20180303 力尽きて死ぬ

20180303 力尽きて死ぬ

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 先日のこと、バイトから帰ってみると封書が届いていた。大学時代の一年上の先輩で、私と同じ文学部哲学科、美術部に属していた女性からである。この人のことをうまく説明できないのだが、今までの私の人生で最高のインパクトを受けたことだけは間違いない。哲学科に学ぶような人は、処世術よりも真実の探求に惹かれるものである。仮に真実が不都合なものであっても、自分の利害を顧みずにそれを追求してしまう。その結果、往往にして見えるものはこの世の地獄ということになり、それについて語ることは、本人の存在をすら危うくしかねない。見てしまった奈落の底に真実が隠されている。突きつけられるのは、温かな希望の光ではなく、ドライアイスのように凍りつき、皮膚を貫いて内臓をえぐる冷徹な刃である。しかし人間は生きなければならぬ。何をして生きるかという探求は、生きるために何をするかという根元的な矛盾を越えなければならない。まだ世間というものをよく知らぬ若い頃、その生存の悩みにおいて、地獄の辛酸を嘗め尽くした者の穏やかな笑みと軽さが、彼女にはあった。その次元で互いに共感できるような人物には、その後二度と出会わなかった。二人とも大学を卒業後、社会に出るには出たが、ともに三年ほど石に捩りついた挙句、歯も爪も折れ尽くして開き直らざるを得なくなった。私は卑怯にも世間と部分的に馴れ合うことによって糊口をしのぎつつ音楽の道を目指した。彼女はガラス工芸一本勝負で正面突破を図った。世間から見て、斜に構えているといえばそうともいえるが、自分にとって素直といえば全く素直であった。互いの心の有り様の具体的な事柄に関しては全く知らなかったし、それについて話すようなこともなかったのだが、世俗と実用を超越した次元で、認識についての観照は、見事なまでに一致した。認識の透徹・・・その実感だけが全てであり、真実だった。しかし、こんなことを書いても、他の人には全くなんのことかわからないだろう。私も、これをどうすれば説明できるのか、全くわからないのだ。直観的真実としか、いいようがない。

 封筒の外観はなんの変哲もなかったのだが、封は現金書留のように複雑に貼ってあった。大学時代から抽象的な立体やインスタレイションの制作をよくし、ガラス工芸作家となってからも、個展の折には凝ったDMをくれたものなので、そこに彼女特有のアイロニーを感じ取ったのだが、俗世間に疲弊し尽くした帰宅直後の私は開封に手間取った挙句、短気にもその封を破って開けたのだった。「お知らせとお詫び」と題された一枚の便箋には、だいたい次のような内容の文面があった。

 このたび私の死去により工房を終わらせることになった、このような形でお知らせするのは、日常生活を変えることなく静かに人生の幕引きを迎えたかったからであり、一切の弔事はご遠慮願いたい、もし手許に私の作品が残っているようなら、時々使って思い出してくれれば幸いである、楽しい時間を与えてくれた友たちに感謝しつつ、ここに最期のご挨拶とさせていただきます、さようなら。

 彼女は、なんらかの形で自分の死期を悟ったのであり、生前にこの文章を準備し、自宅や工房、おそらくは作品の全てを処分して無に帰し、つまり現実とのかかわり、生きた痕跡を全て消した上で、信頼できる友人に一切の手筈を託してこの世を去ったのである。そこには、他者をして自分の死に対する一切の感情移入の余地を残さず、自分の人生を自分で完結させ、残すべきものも、連続すべきものも何もない、つまり「空」にたどり着いたことを示しているのかもしれない。「空」とは、あらゆるものには実体がないという仏教の考え方であるが、「そら」と読めば彼女の工房の名でもある。思えば、まだ若かった頃、早熟なことに、生意気なことに、共感的に悟ったのは、この「空」という概念であり、彼女は死をもってその総仕上げをしたのかもしれない。

 さまざまな想いが私の中で交錯し、極めて大きなショックを受けた。手紙を持ったまま、何時間も動けなかった。彼女は死んだのだ。どうあがいてみたところで、どうしようもない。いくら憶測を荒れ狂わせたところで、なんの意味もない。当時の友人たちと集まって慰め合うこともできない。彼女が、自分の死を、自分で片付けたのと同じように、私は、この悲しみを、自分で片付ける以外にない。慰めなどなんの足しにもならない。自分で対象と向き合い、正面突破するしかないのだ。彼女も私も、そうやって生きてきたのだし、彼女は、避けることのできない自分の死を、正面から受け入れることによって、自分の生を全うしたのである。私は、人がいつ死ぬか、どのように死ぬか、なぜ死ぬかなど、結局のところどうでも良いことだと思う。人は、死ぬべき時が来たら死ぬ。ただ願わくば、自分が死ぬ時を自分で掴み取って、自分で死にたいと思うだけである。そういう意味で、私は彼女の死に方は、実に立派だと思う。

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2017年10月08日

20171006 暴力はどこからきたか

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総長。あなたの御研究にずっと心を寄せておりました。先日幸いにもお会いできたときに、そのゴリラのような体躯を揺すって豪快に接してくださった温かみをよく覚えております。「暴力はどこからきたか」・・・対立はなぜ起るか、対立によって人は何を望んでいるのか、チームワークはなぜ生まれたか、協調することによって何が求められるか・・・協調によって生まれたチーム同士が対立するのはなぜか、それを防ぐことはできるのか、それができたらどういう社会が生まれるのか・・・農村集落への闖入者として、日々絶え間なく、さまざまな方面から圧力がかかる自分の状態のなかで、機能不全に陥った脳の残された機能をフル動員して想像するのは楽しいことです。今シーズンが終わったら、思索を始めるつもりです。

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