2010年07月31日

梅雨明け

KIF_7485.JPG

 

 梅雨が明けたので、ひたすら除草する。今年の梅雨は、後半に大雨が降り続き、梅雨寒のまま急に明けた。そのとたん暑い南風と強烈な日差しが襲いかかった。体は暑さに慣れる暇がなくバテ果てて、頭痛と吐き気、食欲不振に苛まれた。雑草の方は、水分は溢れるほどあり、気温も高く、日差しも強いこの時期、一日で20cmも伸びまくる。刈っても抜いても起き上がって伸びてくる。

 

KIF_7493.JPG

 

 お隣の圃場消毒のための潅水も本格的に始まった。三反田を分けた圃場だが、排水暗渠は共通なので、「中干し」が終わって暗渠を締めると、下の写真のように私の畑も水がにじむのである。今年はそれがわかっていたから、あらかじめ全て高畝にし、排水溝は深く掘ってある。炎天下の水やりの手間が省けて助かる。除草を続ける。

 

KIF_7517.JPG

 

 左からブータンと韓国の唐辛子であるが、生育が良くない。今年はピーマンとナスが全くダメだ。その隣は、手前が来シーズン用のイチゴの苗だし、奥が鶴の子大豆と丹波の黒豆である。大豆は田んぼの畦にも植えたが、補修用をかねてエンドウのあとに植えた。連作障害覚悟の上だが、今のところ順調。鶴の子大豆はすべてみそ作り用、丹波の黒豆は、みそがだぶついて来たので、今シーズンはすべて枝豆で一儲けしたろ。これら細かい作物の植わってる畝は、畝の上の部分は丁寧に雑草を抜き取り、谷間は鎌で刈って作物のマルチングに使う。イチゴの苗出しは蔓を良く整頓して孫株以降を秋に移植する。

 

KIF_7518.JPG

 

 続いてフランス (白)・ブラジル (茶)・コンゴ (緑)・ブラジル (黒) の各インゲンである。白と緑はどうやら蔓なしタイプのようなので、一旦かけたネットを巻き上げてある。隣は手前からセレベス・カリフラワー・ブロッコリー・日常野菜・赤シソ・オクラ・ごぼうである。夏の好物オクラが今年は不作であるのが非常に辛い。

 

KIF_7519.JPG

 

 次はサツマイモ。棒の手前が鳴門金時、奥が干し芋用タマユタカである。隣の手前は、サツマイモの補修用だが、すべて活着したので今は葉を食べるのにおいてある。サツマイモは、蔓の節々で発根しながら匍匐前進して行くので、これをこまめに抜いて雑草でマルチングして行く。かなり大胆に蔓をひっくり返して鎌で根を切るくらいにしても、翌日にはなに食わぬ顔で元通りに匍匐前進している。放置するとこれら全てが芋になってしまい、ひとつひとつが非常に小さくなる。ブラジルやコンゴで見たサツマイモは、むしろごく小さなもので、親指の倍ほどのものがほとんどであった。これが正常なあり方かもしれぬ。奥はこぼれ種から発芽した白菜を移植したもので、暑い割には良く育っている。その奥は日常や最大に男性育中。

 

KIF_7520.JPG

 

 瓜科二列。全体に、葉が日に焼けたように黄色くなっているのが気になるが、ニガウリを除いておおむね順調。左は、手前がトルコ産白ズッキーニ、奥が普通の緑のズッキーニである。トルコのズッキーニはカボチャのように蔓性の強いものがあり、いくつかは簡単な柵を作って仕立ててある。節から巻きヒゲと一緒に根も出ているので、空中はあかんかなと思たんやが、いまんとこ健全。緑のズッキーニは、その匍匐前進の向かう先を見極めて支柱で誘引してある。隣は、手前から「カボ茶」・「カボヴェルデ」これらは順調。その奥にスイカがあって、だいぶカボチャに推されてるがいくつか結実している。その奥の柵は、トウガン・キュウリ・へうたん・ニガウリ。ニガウリ以外は、まあ収穫できてる。

 

KIF_7521.JPG

 

 この間にイチゴの跡地が二畝空いていて、これは秋から白菜と大根を蒔くために休ませてある。白菜の部分は菜種油の搾りかすと米ぬかを籾殻に混ぜてぼかし、雑草の切りわらと堆肥を混ぜて大雑把に鋤き込んだ。大根用は、油かすの代わりに土手の枯れ草を燃やした灰を入れてある。写真に見えている左手の畝は、その隣でジャガイモの跡地であって、それは隣と一緒に来シーズンはイチゴ畑になるのである。さてその畝であるが、手前からトマト類・ピーマン・ししとう・なす・世界の唐辛子類と続くが、ここが最も深刻である。まともに出来つつあるのはミニトマトだけで、他はほぼ全滅に近い。いずれも種から行ったからかと思いきや、購入苗のピーマン・ナス・ハバネロも全然ダメ。周囲の露地栽培のものを見てもほぼ全滅に近いので、多分気候のせいやろ。せやせや、うまいこといかんのは全部気候のせいや。


posted by jakiswede at 15:41| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

20100718 初蝉

KIF_7443.JPG

 

 どうやら梅雨明けのようだ。ニイニイゼミの声は2週間ほど前に下界へ降りて行ったときに聞いたが、ここらでは昨日あたりから鳴きはじめた。連日大雨の合間をかいくぐっての雑草との格闘であるが、そのなかでも野菜は育っている。ズッキーニは良く出来ている。インゲン類も穫れはじめたので、有り合わせで天ぷらにしてみた。畑は12本の畝があって、その谷間に生える雑草を刈り込んでは作物のマルチにしている。しかし毎日20センチくらいずつ伸びるので、12本目を刈り終わったころには1本目は股下くらいまでに伸びている。だからといって畑の草刈りにばかり気を取られていると、いつの間にやら田んぼの緑の絨毯が稲を滅ぼしにかかりよるので・・・と書くと、なにか除草に忙殺された不毛な毎日のように聞こえるが、案ずる事はない。この勢いは梅雨明けまで、梅雨明け十日の日照りがすぎれば、やがて勢いは衰えて夏枯れの季節を迎える。畑の草は、マルチにできる適当な高さになってから刈れば良く、その間は田んぼの草取りに回る。去年はそんな段取りもへったくれもなかったので、ただただ追い回されるばかり。しかも梅雨明けが8月3日までずれ込んだために畑も田んぼも雑草の勢いが衰えず、追い回されているうちに稲の穂が出てしまってうろたえたのである。今年は私も二年生。こないして野菜の天ぷら写真に撮って悦に入ってる分、去年よりはましという訳や。

 

KIF_7447.JPG

 

 そのズッキーちゃん、もっとたんといっぺんに食べる方法ないかと思ていろいろ考えとったら思いついた。せっかくオーブンあるんやしグラタンにしよ。ズッキーだけは先にレンジで火ぃ通しといて、その上にラタトゥイユやら野菜の余りやら乗せて、チーズかけて軽くそれが焦げる程度に焼いたらええねん。仕上げはオレガノでもええけど、私はマジョラムの方が好きやね。去年は畑見てる余裕もなくて、あっちゅうまに巨大化する「穫り遅れズッキーニのジャンボステーキ」ばっかり食うとったわなあ・・・しみじみ。

posted by jakiswede at 15:35| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月18日

アルムリーノ朝市

7月17日(土)手造り朝市のご案内

AM9:00〜 売り切れご免

今回、アルムリーノ近郊農家の道場「塩田ハウス」さん、淡河のKさん、宝塚西谷の小林さん、三田の早瀬野菜研究所さん、木次乳業クレムリさん、尼崎穀菜食堂なばなさんとタイアップして朝市を催します!!

当日は、とれとれ完全無農薬地場野菜、木次乳業の乳製品、天然酵母パン、燻製食品、発酵食品、焼き菓子、昔のおやつ、生徒さんのパンなどの販売があります。イートインもあります!ワンちゃん、ニャンちゃんもOKです!皆様お誘い合わせの上、是非お越し下さい!!

 

パン工房アルムリーノ

AM9:00〜PM18:00

毎週火曜日、第1、第3月曜日定休

almulino_pan@cure.ocn.ne.jp

http://almulino.moo.jp

posted by jakiswede at 23:55| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

梅仕事・らっきょ下漬け・シソジュース

KIF_7302.JPG

 

KIF_7303.JPG

 

 20100626 梅雨の間に来るべき暑い夏を乗り切る準備をしておく。やっとのことで良い梅を手に入れたので、梅シロップを作る。梅は洗ってガクをとり、爪楊枝でいくつも穴をあけて、質量の120%のグラニュー糖で漬け込む。2ヶ月以内に梅は取り出してじゃ無にする。らっきょうももう終わりである。今年は大粒のものが手に入らなかったので、仕方なくスーパーで洗いらっきょうを下漬けする。塩梅は、洗いらっきょう1kgに対し、水700ccに塩750gを溶かしたものを用意して、そこへ漬け込む。2週間程度浸けたら、塩抜きをして甘酢に漬け込むのである。

 

KIF_7305.JPG

 

KIF_7306.JPG

 

20100627 お隣さんより青じその葉をたくさんもらったので、しそジュースを作って半分はお隣さんへお裾分け。水2,000ccにシソの葉300-400g、砂糖1kg、レモン汁適宜または粉末クエン酸10g程度。軽く作るこつは、先に水を沸騰させてシソの葉を一気に加える。30cmの鍋が山盛りになるが、手早く混ぜていって、全体で5分で炊き上げる。シソはすぐに取り出す。砂糖を溶かす。人肌程度に冷めてから酸を入れる。飲むときは、これを4-5倍に薄める。炭酸水割りが最高 !!

 

 

KIF_7307.JPG

 

KIF_7307.JPG

 

 壊れた田植え枠を補修する。雑に作ってあるように見えて、結構精密である。

 

 

KIF_7309.JPG

 

20100629 雨が続く。友達に頼んであったらっきょうが入って来たので、早速皮を剥く。いつもながらこの作業が辛い。左のボウルで指先を洗いながら皮を剥く。

posted by jakiswede at 23:44| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夏の序章・・・いや、除草

KIF_7423.JPG

 

KIF_7424.JPG

 

20100710 周囲の農家では共有部分である土手の草刈りが進み、手作業にこだわってての回らなくなった私は追いつめられている。しかし今少し畑の世話を終えたらやりますよってこらえてください。

 

KIF_7416.JPG

 

KIF_7417.JPG

 

KIF_7418.JPG

 

KIF_7419.JPG

 

 うわっ・・・まだまだや・・・

posted by jakiswede at 02:28| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

溝を掘る

KIF_7404.JPG

 

KIF_7405.JPG

 

20100709 お隣さんのハウスでは、三年に一度、土壌の消毒のために全体を潅水なさるのである。それが畑に溢れてくるので、防御のために排水溝を掘り上げておく。仲良くしておくと、互いに影響を与える可能性のある作業については、事前に段取りを伝えてくれる。それはいいのだが、上の写真、左手のハウス脇の雑草の色がくっきりと違うのは除草剤の影響である。近隣の畑で、草を刈って畝のマルチに使ったり堆肥を作ったりしているのは私くらいのもので、ほぼすべての農家の畑では除草剤で対応している。草刈りするのは、土手や水路の斜面である。それだけでも一丁部もあれば、老人にはとてもきつい作業。

 

KIF_7420.JPG

 

 昨年の秋以来積み込んであった堆肥を切り返して冬野菜用に空けた畝に撒く。木枠の傷んだところを補修して、新たにイチゴやジャガイモ、抜いた雑草などを米ぬかと混ぜながら積み込む。梅雨なので蓋をしておいても適度に濡れて醗酵が始まる。

posted by jakiswede at 02:25| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夏野菜の観察

KIF_7382.JPG

 

20100708 人の田んぼを垣間みる。なるほど・・・畦豆は根っこを泥団子にして塗り畦の上に盛り上げてもええ訳か・・・

 

KIF_7385.JPG

 

 ごぼうの花。花芽がつく前は、巨大化した株の真ん中あたりが大きく勢いがあったが、蕾が付きはじめると勢力は上部に集中して来た。

 

KIF_7386.JPG

 

 セレベスの葉にたまった雨水。これでカエルでも跳ねてくれれば最高。

 

KIF_7389.JPG

 

 タンザニア産の白トウモロコシ。やはり熱い国の作物は、梅雨寒の長い日本の気候のもとでは調子が悪い。今年はなぜか、今まで失敗した事のないピーマンとオクラにも同様の虫が・・・

 

KIF_7394.JPG

 

 へうたんが出来はじめる。同じ柵ではキュウリ収穫始まる。ニガウリが今年は遅く、冬瓜もうまくいかない。瓜科はちょっと今年は厳しそうやな。

 

KIF_7402.JPG

 

 ボッキーニに支柱をするという話だけ聞いた事がある。このようにボッキーニは主幹に対してV字型に葉を開くので、誘引しても重さで折れるだろうと思うのだが、コイツを良く観察すると、斜めに誘引しろと言ってるようにも見えるので、ためしにやってみる。

 

KIF_7414.JPG

 

 これはトルコの白ボッキー。この株は匍匐性ではなく、瓜のように蔓を伸ばしはじめたので柵を作って誘引してみる。巻きヒゲだけでなく、カボチャのように根もあるから、もしかしたら地這でないと衰える可能性もあり、注意深く見守る。

 

KIF_7408.JPG

 

 トマトの脇から自然発芽した冬瓜・・・柵を仕立てたところはまだまだなのに・・・

 

KIF_7409.JPG

 

 スイカも実をつけた。

 

KIF_7397.JPG

 

 あっ・・・やってもた。ショウガの葉は雑草とほとんど見分けがつかへん (;_;)

 

KIF_7410.JPG

 


posted by jakiswede at 02:19| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月03日

20100630大祓

 「さなぶり」というのは、田植えを終えて農作業が一段落したのを祝う行事のことをいう。先日水利組合から「さなぶり」を6/20に決めたという旨の紙切れが回って来た。5/23の初湯堰に始まって、川から農業用水を確保しているこの辺りでは、川の水が確保できるかどうかが田植えを終えるまでの心配事なのである。区画整理され、水路もコンクリートで固められた今ではとりたてて祝うというほどのことではないが、忙しい時期を乗り切ったという意味で、心に区切りを付けて一休みし、次への策を練る良い機会なのであろう。今日は昨夜から降り続いた雨がなお勢いを増す気配で、田畑も水浸しでどうにも手が出せないので、私にとっても「さなぶり」には良い一日である。

 さて、あんなどでかい旅行で散財してしまったもんだから、ぼちぼち金策を練らねばならぬのであるが、ここんとこ毎日田んぼの泥を練ってるばっかりでさして良いアイディアも浮かばぬ。農業を軸として生きて行くとは決めたものの、専業で暮らしを立て得ると考えるのは容易でない。もちろん大規模に農地を借りて機械やハウスを導入し、花や換金作物を厳選して農薬と化学肥料をふんだんに使えば、やり方次第ではある程度儲けることは出来る。しかし都会人が転向して農業を志す動機とは、すなわち安全で安心して食べられる食べ物を自分の手で作りたいということであって、その時点でそのような選択肢は外されるのである。なんでもいいから農業をしたいというものではない。転身したからには、シンプルな暮らしが最も良い。

 しかし実際に作物を育てようとすると、どうしても複雑な問題に関わらざるを得なくなる。一般に入手しうる種や苗は、農薬と化学肥料、さらにはハウスや機械を使って栽培するのに適した状態に品種改良されている場合が多く、すなわちプロ仕様の商業用農産物の原料であって、それを「小分け」してホームセンターなどが売り、素人が買い求めるという構図になっている。これをいきなり自然に近い条件下で路地栽培しようとすれば、たちまちのうちに自然の猛牙が襲いかかるのは当然であって、それを指をくわえて見ている訳にも行かないので、なんとかこれを救済しようとするのだが、哀しいかな都会人から転向して農業を志したスーパーシロウトは、これをほとんど素手で救済しなければならず、多くの場合失敗するのである。失敗するから勉強し、勉強するから様々な「農法」の迷路にはまり込む。ある者は、定年退職してふんだんに使えるカネと時間を「安全な」代替農薬と肥料につぎ込んで、北京ダックのような巨大作物を収穫して悦に入る。またある者は、自然にはいっさい手を加えてはならぬと洗脳されて、草ぼうぼうの畑の中で全滅していく野菜たちを飽きもせずに何年も眺め続ける有様である。代々農業を営み、自分自身も、農夫である父の背中を見て育った者であれば、ある程度の予測もつこうものだが、鍬はおろか鎌さえ持ったことのない私ごとき蒲柳のモヤシがこれに丸腰で立ち向かうということは、これまさに無謀を越えて自暴自棄、自殺行為であることを去年は骨身が崩壊するほどに思い知らされた。

 安全な作物を栽培しようとするのなら、まずは安全な種苗が広く一般に供給されるべきである。しかし現実は、プロが商業用に出荷するために改良された種苗を小分けして頒布しているのが実態であって、これは農薬と化学肥料を使うことがほぼ前提にあり、さらにはハウスや機械を使って効率化することによって均一安定的大量に生産されることを目指している。平たくいえば虚弱体質。市販されている種の多くは「F-1」といって、おもに生産性や均一性や安定性を得るという観点から、その目的に合った性質を持つ複数の種を掛け合わせた最初の雑種が最も強い性質を示すという特性を利用した「一代交配」である。繰り返すが、これは生産性や均一性や安定性を得るという観点から開発された技術であって、安全で安心して食べられる食べ物を自分の手で作りたいという観点から改良されたものではない。種に関しては正しい認識が必要なのであるが、近隣の農家の人たちも実は良くわかってなくて、とにかく「農協の先生」のいわれた通りにやれば買ってくれるの一点である。その先生は、必ず毎年種を更新するようにと、要するにウチから買えと言っている。植物は花が咲けば必ず種が出来る。その種を使わずにウチから買えというのはおかしいではないかという素朴な疑問が誰しも生まれるのであるが、従順な百姓はそうではない。「自家採種しても栽培は出来ない」とか、「結果は保証できない」と言われれば、プロの農家はあえて危険を冒さない。科学的な知見に支えられていた筈の元教職員でさえ、「どんな化け物が出てくるかわからん」と言って気味悪がるのである。実際「F-1」に限らず現行売られている種の多くは、交配や化学処理などによって、原種からほど遠いものになりつつある。原種の良さが失われていく代わりに、耐病性が高くなり大きさや品質にムラがなくなり、機械化や均一価格という商業ベースにのせやすい。野菜本来のうまみも何もなくなった代わりに、マニュアルさえ守っていれば大きな失敗もない。しかしそのことは、自家消費者にとっては、例えば一度にたくさん実ってしまって食べきれない、などという事態を招く。しかし本来、野菜の生長には個体差があって、何事も一斉ということはない。「蒔き時」前後数週間にわたって段階的な種蒔きしていけば、長期間にわたって何らかの収穫が得られるはずである。

 さて、「自家採種しても栽培は出来ない」といわれるこれらの野菜は、本当に次の年から栽培できないかというと、そんなことはない。確かに発芽率は低下し、姿形は掛け合わされた複数のものに戻っていくようであるので、ムラが出来るし能率は悪くなる。しかし所詮自家消費であるので、それは大きな問題ではない。逆にムラがある分長く収穫できるし、野生化していくと見えて、旨いものもあれば、固くてまずくて食えないものもある。「自家採種しても栽培は出来ない」というのは、事実を偽って種を売りつけようとする業界の戦略であり、これに対しては徹底的な情報公開が求められる。まだまだ「安全な野菜」を手に入れようとして無謀な試みに身を投げる人が少ないので、それに特化した種苗を別ラインで供給することは、事実上難しい。日本は資本主義国家であるので、すべての物資の生産と流通は市場原理の支配を受けている。たとえば、5月になれば初夏の陽気となりトマトを食べたがる人が増えるので、「市場」から生産現場へ5月にトマトを出荷することが求められる。そのためには4月の初頭には既に苗が花をつけようとしている必要があって、遅くとも3月の初旬には発芽していなければならない。ところが日本の気候は、その頃はトマトの発芽適温にはほど遠いから、これらは温室栽培が大前提になる。しかし一度トマトを栽培してみるとわかることだが、前年に作ったトマトの実が腐って落ちたところに、毎年5月頃こぼれ種が発芽する。これが通常市販されている苗の大きさになるのは6月の中旬である。これを育てて行くと8月に入ってから実が穫れはじめ、最盛期はお盆過ぎとなる。その頃のトマトが一番うまい。しかし「市場」では既に「秋の味覚」が出回っていて、そんなとこへトマトを持っていっても買いたたかれるだけである。だから、トマトの種の袋の裏には3月に種蒔きするように書かれてあり、ホームセンターで苗が出回るのは4月なのである。ホームセンターもホームセンターで、5月になれば初夏の陽気となりトマトを食べたがる人が増えると見れば、4月にはトマトの苗を大量に仕入れてガーデニング・コーナーに並べる。いくらか注意書きがあるとはいえ、スーパーシロウトは、これを育てれば自家製の安全なトマトが食べられると思い込んでしまっているから、書いてある通りにやってみて失敗する。そこで、マニュアルに忠実な日本人は勉強して、様々な道具や設備や代替農薬や「有機」肥料を購入するので、ガーデニング・コーナーの売り上げが上がる。またガーデニング売り場がにぎわえば、隣接するアウトドア・コーナーが活況を呈し、本来の観光シーズンである5月以降にレジャー用品を売る起爆剤になる。トマトの苗を4月から並べておくことは企業戦略のひとつであって、トマトの生育とは何の関係もない。で、この事態をどう考えるか。正しい理念を持った誇り高い農夫であれば、たちどころにこのホームセンターを一喝し、店長を引きずり出して本来のトマト栽培のあり方を啓蒙し、直ちに売り場から撤去を要求するか・・・というと、もちろんそうではなくて、「農協の先生」のいわれた通りにハウスでしかるべきマニュアルに従ってトマトを早期出荷してカネをもらったヘタレビャクショウは、内心では「まだまだ早すぎるのに」と知っていながら素通りして軍足の予備を買いにいくのである。問題は「まだまだ早すぎるのに」と知っている百姓がどんどん減っているということである。

 このような事例は枚挙にいとまがない。先日、低迷する外食産業界でひとり気を吐く「サイゼリヤ」の好業績の謎に迫るニュースがあった。つまり、厨房に包丁すら置かないプリザーブド・システムを導入して、原則厨房一人体制、ひとりで6分間で11品目ものメニューを調理できるほどの徹底的なコスト削減などが功を奏して、全国どの「サイゼリヤ」へ行っても、同じメニューに同じサービス、徹底的に均一化され低価格を実現した結果、すべてのお客さんに喜んでいただける会社になったともてはやされていた。勿論発注管理や企業体質など、これまでにない合理性が追求されていて、それは農産物の供給体制にも徹底され、企業として生き残るためにやるべき施策をやり尽くしたという評価であったのだが、一方でこの取材では、「サイゼリヤ」は人に人として食事を提供する会社ではないのかという、その「本業」のあり方の根幹に関わる視点が完全に抜け落ちているのが気になった。こうまでしないと企業は生き残ることが出来ない。それはすなわち、ここまですれば生き残ることが出来るかもしれないという期待を経営者に暗示する。とすれば、やってみる企業が当然増える。やがてここまで出来ない会社は淘汰されてなくなってしまう・・・とすると、外食しようと思えばすべて「サイゼリヤ」のような店へ行って、パックの塩化ビニル臭に顔をしかめながらとろんとろんの水ぶくれハンバーグを旨いと思わなければならなくなる。さらに、すべての外食店がそれに倣えば、そのレベルが新たなスタンダードとなるから、さらにそこからのコスト削減が出来なければ新たな生存競争に生き残れなくなって、もっとべちょべちょのハンバーグを食わされるはめになる。これが極度にグローバライズされた資本主義市場経済の成れの果ての姿であって、その最前線にいた私は、舌癌で舌を切除するという禍を以てその堕ちていく地獄を見たのである。これらはすべて、安全で安心して食べられる食べ物を自分の手で作りたいという、都会人が農業を志す動機とは真っ向から対立するものである。すべてを変える必要がある。

 ではこの事態にどう対処するのか。私はこの問題に関して非常に悲観的に考えているのだが、このグローバル・キャピタリズムの「負の連鎖」は、歯止めが利かないばかりか、今までよりも加速度をどんどん増していくように思われる。単に平和な一般庶民のささやかな幸せを求めるだけの行動が企業戦略に取り込まれ、生き残りをかけた企業間の生存競争は巨大な岩石となって奈落の底へ転がり落ちるのである。しかも落ちれば落ちるほどその岩石は磁力によって周辺の岩を吸着し、さらに大きく重くなっていく。誠に残念なことに歴史が我々に教えるところによると、「負の連鎖」を始めてしまったシステムを改革する唯一の方法は実力行使である。これはまったく受け入れがたいことなのであるが、例えばごく幸運な事例を除くと、血の流されなかった革命などほとんどないし、しかも流された血の主は、まぎれもない生身の人間であって、為政者や指導者とは無関係に戦闘という実力行使に巻き込まれた最前線の兵士や一般市民である。理想の実現のために暴力を使うことは、どんな理由があっても許されてはならない。しかしそれでは改革は出来ないのであって、さらに厄介なことに、もはや世界規模で始まってしまったこの「危機」は、利権関係が複雑に絡み合いすぎて、雌雄を分けることが出来ない。このグローバル・キャピタリズムの「負の連鎖」は、なんとしても止めなければならないが、残念なことに、私にはこれを粉砕するための世界的で広範囲で徹底的で全面的な闘争に身を捧げるだけの体力や経済力や気力や時間がない。そもそも先進国と途上国とでは、まさにグローバルに状況が異なるので、タイムラグがありすぎて革命に必要不可欠な大衆的支持を得られない。私が今出来ることは、こぼれ種から自然発芽したトマトの生長を注意深く観察することくらいである。

 グローバライズされた資本主義社会に生きている私は、完全に世を拗ねて隠棲してしまわない限り社会との関係を保たざるを得ない。現在のものの価値すなわち物価は、要するに地球の化石燃料に国際市場がどの程度の値をつけるかによって決まっているから、ここ農村部においてさえ、決められた最低賃金と平均年収の中間くらいの安定的な現金収入がないと、健康で文化的な社会生活を送れない。つまりカネはどうしても必要である。まずは年収100万円程度を目指す必要がある。そのライフ・プランをどうするか・・・

 専業農家で自立する道を果敢にも模索する。農薬不使用とは言いながら、近隣の農家では農薬も化学肥料も使われており、稲の出穂期には空中散布もある。従って自分で使ってはいなくても、農薬の影響が皆無とは言い切れない。JAS認定を受けられるほど規模も大きくないので、「特別栽培米」として出荷するのが限界であろうが、例えば米ならば、仮に\1,000/kgで直販できれば、1tで年収100万円をクリアできる。昨シーズンのアキタコマチは、試行錯誤の末70%程度の出来、5畝で約200kgの収穫であったので、1反に拡張してもいいとこ600kg程度の収入、あとを野菜で補うとしても、旬のものは、巷の旬に間に合わないことが多いから、常用野菜や際物の季節野菜、珍しいもので売り先の決まっているもので年間40万円を確保するには、相当な段取りと知恵が必要になる。冬の間に大豆を味噌や醤油に加工する。白菜や大根を漬け物にする。そのような手作り加工食品を積み上げて生活設計が出来るか・・・このような考え方で農産物を作ることは、現実問題として致し方ないとはいえ、私が農業を始めようと思った動機からは外れるのである。なぜなら、私は農産物を売りたいのではなく、農産物を生産できる人を回りに増やして、農業が基軸にある健康な暮らし方を実践していきたいと思っているからである。しかしカネがなくては何も出来ない。カネを得るためには、次善の策として売ることも考えざるを得ない。この道は厳しい。規模は今の2倍、田んぼと畑を1反ずつ作る必要があるので、今の2倍の労働量が要求されるし、自然の猛威を相手の賭けのリスクも倍になるからである。しかし専業であるということは、ひとつ事に専念できるという強みもある。

 いまひとつは阪神間に近い地の利を生かして、都市生活から農業に転向しようと志すスーパーシロウトの架け橋となることである。農業を基軸とした、可能な限り自給に近いライフ・スタイルは、化石燃料が枯渇し、それを基軸としたグローバル・キャピタリズムが崩壊する近い将来には、人類が避けることの出来ない生活様式である。しかし、いきなり農業とはいっても、これに順応するには大変な時間と労力がかかる。無理のない持続可能な形で、徐々にそのような生活に軟着陸させていく方法を模索するためにも、宿泊や滞在が可能で、人力による農産物の栽培と加工の出来る設備が一通り揃っている今の環境は理想的である。まずは友人関係から始めて、「自然食レストラン」などに集まる客を中心に、小規模で緩やかなネットワークを形成して、この古くて巨大な農家を体験型宿泊施設として、少しずつカネが動かせるようになれば、その先に結果が出てくるのではないか・・・この集落も、10年後には農業後継者が少なくなる。今のままの農地法で行けば、耕作放棄地は増える一方となる。農地法が今一度改正され、こうしたネットワークが広がって、農業で自立できる友人が何人かでも定住することが出来れば、この集落は、都市生活者が農業に身近に触れることが出来、都市近郊に安全な農産物を供給するひとつのモデル・ケースとして成功することになるのではないか・・・。しかし問題点としては、仲間が自立するまでの過渡期において、共同で農作業をした場合の管理責任や、結果の分配をどうするか、そもそも農産物を生産するにあたって、どのような考え方で望むのが良いかという点で、かならずしも全員の持続的な賛同が得られないという事があげられる。すでに私を手伝ってくれていた何人かの仲間は、「農法」を巡る考え方の違いからグルーブを去っていった。

 そこで、ある程度どんな考え方で農業を志しているかを明らかにしておく必要はあると思う。私は特定の「農法」にこだわるつもりはない。かといって、世にある様々な「農法」から自分に都合の良いパーツだけを選び出してつなぎ合わせれば良いとも思っていない。まず第一義に、安全で安心して食べられる食べ物を自分の手で作りたいということであって、これに反対する考え方というものは存在すまい。で、どうやってそれを実現するのかというと、まず田畑にあるものを出来るだけ持ち出さず、ないものを出来るだけ持ち込まない、という事が基本である。そういう点では、故福岡正信氏の「自然農法」に近い。しかし、農業は人間の都合の良いように、人間の都合の良い植物を依怙贔屓して育てておいて、人間の都合の良いときに盗って食おうというものであるから、そもそもが自然破壊の最前線であって、「自然農法」などという用語は形容矛盾であると考えている。私は、特定の「農法」に従ってさえいればなにもかもがうまくいく、として盲目的に特定の考え方や方法論を信じるつもりはない。ましてや、それで「自然に帰る」ことができるなど、読者を誤解に導く最たるものだと思っている。私は「自然農法」の個々の方法論を批判するつもりはないが、個々の方法論の集大成を「自然農法」と名付けたセンスは欺瞞に満ちていると思う。「自然農法の実践者」のところで修行した、あるいは修行しにいく人に共通する傾向として、強くて個性的な考え方を妄信しやすく、自分で判断して行動しないという共通点を感じる事を指摘しておきたい。中には、何年も収穫がないから自分は修行が足りないと真剣に悩んでいる人がある。こうなると方法論を越えて一種のカルト宗教であって、そういう人たちとは絶対に組する事が出来ない。なぜここに言葉を荒げて力説するかというと、私の周囲にさえ、このような狂信的なんちゃら「農法」主義者が多く、時を選ばずに非論理的議論を挑みかかるからである。私は、ある程度柔軟で、しかし理にかなった考え方で栽培するなら、方法論などどうでも良いと思っている。農業は、その土地の土や気候によって大きくやり方が異なるので、すべては対症療法だからである。目の前で枯れていく作物を見れば、なんとかこれを救済したいと思うのは当然であり、何らかの手を打てば、全滅という事はあり得ない。その次は前の教訓を生かすのであって、その積み重ねが農業であると思う。にも拘らずそれを何年にもわたって、すべての作物を全滅させたという事は、余程特殊な方法論か、あるいは根本的に人として生き物を見つめる「目」が狂っていると思わざるを得ない。

 私は長らく加工食品を扱う仕事をしていたので、食品添加物の効罪については熟知しているつもりだ。現在、一般的な消費者が、市販されている加工食品を、日常的な常識の範囲内で使用している限りにおいては、人体に危険の及ぶ事はまず考えられない。加工食品メーカーや食品添加物メーカーは、あらゆるリスク・ファクターを検討し、実験や試験を繰り返し、データを集積して商品を開発している。その基準や検証のプロセスは、実に厳しいものであって、数十年前のグルタミン酸ソーダ万能時代とは全く状況が異なる。しかし、一歩プロの世界、あるいはメーカー側に立ってこれを専門的に扱う立場になると、これらに触れる機会が桁違いに増加するし、検証されていない組み合わせで味覚試験を重ねる事も非常に多いので、リスクは高まる。癌の原因というものは複合的なものなので、その原因について軽々しく断定する事は出来ないけれども、私の舌癌は私の長年の仕事の結果である可能性は極めて高い。私が農業を志してみたいと思ったきっかけは、このような添加物がもしなかったとしたら、日常生活はどうなるのかという事を知りたかったからである。食品添加物に対する考えと同様に、私は農薬や化学肥料についても、日本で使われているものは、適正に使われている限り、極めて安全性は高いと考えている。私はその安全性については、何の考え方も持っていない。私がこれらを使わないのは、それらの安全性に疑問を持っているからではなくて、それらがなければどうなるのかを知りたいからである。化学肥料で結球させたキャベツに、ラベル表示に食品添加物の名前がぎっしり詰まったマヨネーズをかけて食べながらそう思ったのである。化学肥料がなければキャベツはどうなるのか、卵と酢と油だけで、私にマヨネーズが果たして作れるのか、そういうことを知りたかったし、いまでもすべての野菜と、私が口にするすべての食品を加工するすべての段階において、それを検証したいと思っている。その探求は、おそらく終わる事がないであろう。日々実践である。葉もの野菜が生長すれば、一枚一枚虫がついていないか、卵が産みつけられていないか、ひっくり返して毎日調べるのである。二週間に一度は、田んぼのすべての株の間にガンジキを通して除草するのである。すべての畑にある野菜について、すべて個別のやり方で世話をするのである。農薬がなければ当たり前の事である。それに自分が果たしていつまで耐えられるのか、それが最も大切な問題であると思う。

 すべては対症療法である。だから特定の方法論の集大成に概念を規定する事には慎重であるべきだと私は考えている。基本的には、「蒔き時」を見極めたら、その前後数週間にわたって、少しずつ種を蒔く。あるいは定植をする。水やりや除草管理なども、作物や雑草の種類によるが、基本的にはその作物の原種の気候をイメージして手入れをする。除草は、作物の生長を阻害すると思われる場合にのみ、ときによっては抜く事もあるが、だいたいは刈り込んでマルチングに使う。肥料は、作物によって元肥が多い方が良いものについては、抜いた雑草を積み上げて米ぬかと水で醗酵させた堆肥や、土手の草刈りをしたときに出た草や樹木の剪定くずを燃やした灰を鋤き込む事はある。追肥は米のとぎ汁がほとんど。稲わらやもみ殻、刈り取った雑草などは、整地の際に短く切り刻んで鋤き込んでいる。整地も土が堅くて扱いづらくなったときに、年に一回程度しかしない。基本的には表層の雑草をめくって種蒔きや定植をしている。このやり方を始めて、少なくとも野菜に関しては5年以上同じ結果を出せている。「肥料食い」と言われているタマネギやトマトは小さく不揃いで、イチゴは酸っぱく収量は少ないが、白菜は結球するし、大根は見事におばちゃんの太ももを凌ぐ。いずれも食えば大変旨く、ここへ移住してからの5年間、風邪ひとつ引かず、体調はきわめて良い。力が漲っている。農業は自然破壊であるが、人間がその手足で破壊できる程度など、たかが知れていて、大型機械や化学薬品を使ったり、大規模な焼き畑でも行わない限り、いわゆる「自然のサイクル」を大きく狂わせるという事は、まずあり得ない。個々の作物に対する対応の仕方は多様であり、様々な条件下でその対処法は異なる。だからこれに名前を付ける事などあり得ない。本来、自然や宇宙というものは混沌としたものであって、すべてを司る原理というものなど存在しない・・・というか、科学がそれを究明しようとしている途上である筈である。それを、一介の農法家とやらが解明し得たかのように標榜する事は、欺瞞以外のなにものでもない。なにごとも、不確定なものに携わる人は不安を感じる。その不安を一刀両断してくれる人は頼もしく見える。その心情は否定しない。しかし、それは大変危険な考え方であって、自然や宇宙というものは、そんなに簡単ではない。農業もまた同じであろうと思われる。ごく優しい落ち着いた気持ちを持って、生れ出てくる生命に敬意を表しつつ、成長を喜びながらそれを手助けしていれば、作物は答えてくれる・・・たぶん。

 

posted by jakiswede at 22:40| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年06月23日

20100622さなぶり

KIF_7283.JPG

 

 

 コシヒカリの田植えを終えて、余った苗を抜いて片付け、赤米の苗を田植え用に苗とりして牛乳箱に集めておいて、とりあえずザァァァッと除草して、苗代部分を崩して均しはじめる。結構大変。

 

KIF_7284.JPG

 

 こないなって、

 

KIF_7285.JPG

 

 こないなって、

 

KIF_7286.JPG

 

 途中から美女二人の応援も得て、赤米の田植え完了。ちょっと苗が大きすぎたんか、だいぶヨタっとるけど、まあこれでしばらく様子みよ。

posted by jakiswede at 21:45| Comment(0) | 農作業食品加工日誌2010 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする