エロエロ・・・失礼、イロイロあって昨日会えなかった地元バンドは、「L'orchestre Sam Schola」という。いやあ、やっぱり俺こういうのんがええわ。ほのぼのとした80年代ルンバ・コンゴレーズの王道を行ったはるもんね。生ギターに生ベース、どちらも針金の弦、それにコンゴ風の手作りドラム・キット !! スチロールの保冷箱をバス・ドラムにしたのはアイディアやな。ほんまにねえ、この動画を見てもらえればわかる通り、音楽って、機材でも技術でもないんよね。素振りの特訓を逃げ出して去って行った俺の弟子たちよ、この動画を良く見よ。これがドラムというものぞ。これが歌に沿ってリズムを入れるということぞ。ギタリストがなんで壁に向かってるかて ?? あいつ性格が暗いんとちゃうんやで。アンプがないから壁に反響させて、ちょっとでも音量稼ごうとしてるんや。この涙ぐましい努力を、毎日さらっとやってのけるこの心意気こそが、ミュージシャンたるもんとちゃうんか ?? こいつら世に出て成功したろとか、そういう雑念が全然ないねん。誰にも顧みられず、売れる見込みなんか皆無やのに、毎日集まっては練習してる。それは音楽が楽しいからにほかならん。コンゴでは、ほんまにそこらじゅうにこういうミュージシャンが遊んでる。コンゴ人なら見向きもせんが、これ聞いたらほんまに心が微笑むのがわかるんや。
この手作りドラム・キットのペダルを見よ。ゴムで後ろから引っ張ってる。これで結構ちゃんとしたレスポンスがあるんや。ペダルはFP720がええたら、いやFP710の方がクイックでええたら、そんな戯言なんかぶっ飛んでまうで・・・オークションで両方買うてしもた俺がいうのもナンやけど・・・
彼らに会いに行ったのが夕方近かったんで、上の動画の後半は暗くなりかけてる。その後は持参したPCMレコーダーで録音のみ残してあるので、それを聞かれたし。ちなみに上の動画の曲名は「Per Nalture」という。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
Lac Mayi-Ndombe
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
4e Commandement
暗くなって手元が見えないから練習は終わりになった。そのあと、メンバーに付き添われて、昨日閉まっていたCyberinoへ行くと開いていた。こう言っては甚だ失礼だが、このような田舎町にもインターネットを必要としてやって来る若者やビジネスマンがいる。なかにはホテルで同宿している顔見知りもいた。パソコンの間を案内してくれたのは、これも甚だ失礼だが、この街には到底似つかわしくないほどの都会的な美女であった。ううむ・・・このギャップがある意味コンゴの現状を象徴しているようにも見える。さて、肝心のネット環境だが、これが気が遠くなるほど遅い。まず普通にウェブ・ページを表示させるのに数分かかる。「me.com」のメール・ボックスにアクセスするなど無理無理。仕方がないのでブログの更新だけしておこうと思ったが、自分のブログにログ・インするという機能を働かせる事も出来ないので、仕方なく自分のホームページのブログに客としてコメントするカタチで更新する事にした。その結果、ブラジルのRecifeからエジプトのCairoまで更新が飛んでいるように見えるが、その間の記事は、実はここにあったのです。気がついてくれてたかな ??
http://jakiswede.seesaa.net/article/141266711.html
ネット環境という訳ではないが、Inongoでもvodafoneの携帯電話が通じる。コンゴでの携帯電話の課金システムがよくわからなかったのだが、Kinshasaでは道ばたでUSD1.00のチケットが売られていて、スクラッチして現れる数列を入力すればそのポイント分だけ使える。しかしInongoではそのような姿は見かけず、道ばたにいるブローカーに金を払えば携帯電話を操作して、払った分だけ使えるようにしてくれる。操作した後、しばらくすると衛星からメールが来て、残りのポイントを知らせてくれる事で相互に確認し、取引成立となる。このように衛星とアクセスして携帯電話のポイントを売って稼いでいる奴がいて、しかしそいつも夕方しか電気も来ず、水道もないから黒い水をバケツに汲んで全ての用を足している。上の写真は、我々日本人の感じるそういうギャップを良く表していると思う。なかには、棕櫚の家の日よけが、vodacomのマークの入った布だったりする。その夜、実家の母に電話をしてみた。ここまでは、いわば連れて来られた旅である。しかしここを発てば、あとは自分の力で進まなければならない旅である。ここまでなら、まだ文明の助けがあるし、いざとなれば一時間でKinshasaへ戻れる。しかしこの先は、まったく見えない。今回の旅の最も危険かつ重要なプロセスである。死ぬ前に母の声を聞いておきたかったし、母に声を聞かせておきたかった。
さて話は相前後するが、水曜日と土曜日は週二回Kinshasaと連絡する飛行機が発着する日なのである。今日は朝から慌ただしかった。商用を終えてチェック・アウトする客、土産物集めに奔走する客・・・上の写真はワニを活きたまま運ぶための荷造りである。もちろん食用にする。こいつがまた旨いんや。特に背中のイボの部分のゼラチン質が・・・失礼、本題に戻ろう。わいわいと旅支度を整える客に促されて、なんだかわからんけど私も飛行場へお見送りに行く事になった。まあおもろかったらそれでええんや。空港へ着くと、えらいにぎやかにお祭り騒ぎが盛り上がっとる。訊くと、LMCという新興宗教の団体の指導者が到着するという。到着する芝生の遮断機の手前側に、写真付きの大きなプラカードを持った集団が、隊列を組んで一糸乱れぬ振り付けで踊り、見事なコーラスで歌っている。なんにしても音楽の国である。しかし音楽が、特定の目的に利用されやすい国民性でもある。歌と踊りはやがて白熱し、新興宗教特有の熱狂的な空気が漂いはじめる。これがこわいんや。この熱狂のまま、訳もわからずに平気で人を殺す事もある。LMCがそういうものなのかどうかはわからんが、いずれにせよ自発的に音楽を楽しんでいる姿ではなく、踊りやコーラスの見事さは認めざるを得ないけれども、操られたものである事は明らかだ。やがて飛行機が到着し、その主が姿を見せると隊列は崩れて我勝ちに主に群がろうとし、それを静止しようとする警備の者やDGMの職員と激しいもみ合いになる。わたしは、Kinshasaへ帰る同宿の客に促されて建物の陰に身を隠す。
その日からホテルの様相は一変した。その主が同宿する事になったからだ。主の到着を知った信者たちがホテルに押し寄せ、私のために村の楽士たちが伝統音楽を披露してくれた幸福な前庭ばかりか、私の部屋の前に広がる平和な中庭まで信者に埋め尽くされた。我勝ちに主に謁見を求めようとするのだが人数が多すぎて収拾がつかない。コンゴではこういう場面がよくある。熱狂が集中して統制が利かなくなる状態。当然待ちぼうけを強いられた人たちの鬱憤はたまり、珍しい外国人である私を見て、なんとか取り入ろうとしたりカネをせびろうとしたり、危害を加えようという不穏な空気までが漂いはじめたとき、Emmanuelと配下のDGM職員が来て、こん棒で彼らを鎮圧した。私は部屋に閉じこもらざるを得なくなり、Fifiが食事を差し入れてくれた。外では、主を囲んで信者の嘆願が白熱し、興奮を通り越して狂乱状態に近くなる。無秩序な叫びは、やがて主のキーワードに収斂してゆき、主のアジテーションを繰り返すシュプレヒ・コールに爆発し、主が立ち上がって一段と大きな声で「Oh Yeah !! 」と連呼し、「ザ・・・失礼、「Amen !! 」と絶叫すると、信者たちが大声でそれに呼応し、空港で聞いたのと同じ、おそらく彼らのテーマ・ソングの大合唱で収まるのである。そして次の陳情が始められ・・・ということが延々と続く。
いくら熱狂的な宗教指導者とはいえ、何時間も体が持つ筈がないから、疲れたら謁見はおしまいなのである。お付きの者たちによって群衆は排除され、ホテルに静けさが戻る。Emmanuelが来て「出てもいいぞ」と言うので出て行くと、主がほかの宿泊客に「お騒がせしました」という振る舞い酒をしているところだった。熱狂の中心人物の主と相対する。日本人的感覚からすると、はっきり言って悪趣味な成金の強欲な守銭奴としか映らない。目がぎょろっとしていて人相が悪い。コンゴでは裕福である事が正義の証という価値観があるから、ある程度の成金趣味は大目に見るとしても、これは明らかに胡散臭い。その見境をなくしてしまう者が、容易く群れをなすところに、この国の怖さがある。だいぶ時間を空費してしまったので、挨拶もそこそこにそこを抜け出し、市場へ先に書いた地元バンドの連中に会いに行ったのであった。