2020年08月09日
20200809 宝性寺墓地除草
2020年08月02日
20200801 蘭州牛肉麺「一天一面」
2020年04月06日
20200406 去年の花見て花見た気分
今のバイトはひょんなことから始めて早10年・・・いまや私の生活の一部であり、ブラック企業とは言え、この仕事に誇りを持っている。感染症との「闘い」を戦争になぞらえたくはないが、医療機関が最前線だとすると、食品スーパーは、いわば「兵站」・・・しかも、徐々に戦闘地域に巻き込まれつつある。南スーダンに派遣された自衛隊員のような心境だ。
食品の供給は安定していると政府はいうが、米・スパゲティ・パスタソース・袋物ラーメン5pなどは、ここ1週間ほど品切れ状態で入荷もない。配送トラックのにいちゃん曰くセンターにも在庫はない。他にも多々欠品があるので品揃えは歯抜けになっているものの、最低限の食材の確保はできる。ただ自炊できない人は辛いだろうな・・・
非常事態宣言が出されて食品スーパーは軒並み営業時間短縮、歩調を合わせるようにバイト先も閉店時刻を一時間早めた。余った一時間をどうするのかと思っていたら、なんと仕事が片付き次第帰って良いという・・・違うだろ !! 「俺は契約時刻まで残って商品を全部アルコールで拭くで」と言うたら「またアイツ・・・」と白い視線が矢のように背中に突き刺さる。それがいかに突飛で極端な行動かはわかってる。しかし今はやるべき時。
同調圧力・・・子供の頃、昼前の授業の終わりしな、先生が「なにか質問はあるか ??」と訊く。しかし、みんな腹が減っていて一刻も早く弁当を広げたい。質問したいのにできない、その周りからの強烈な圧力・・・それを突き破って、俺はよく質問したものだ・・・舌打ちして帰って行く他のバイトを横目に、あきらかにありがた迷惑顔の店長と、たまたま仕事が片付かずにその場に居合わせてしまった社員の数人で作業に取り掛かる。
コロナ・ウィルスはプラスチックやラップ・フィルムの表面で三日間は生き続ける可能性がある。不特定多数の人が何度も触って棚に戻す。スーバー・マーケットという販売形式は、接触感染の現場である。感染を少しでも防ぐために商品の表面を消毒する。しかも店内の商品全部だ。効率よくやれば、一人一時間で通路二本の商品を拭ける。常温商品の陳列棚は10本の通路の両側にあるから、5人いればなんとか終わる。終わらなくても、やればやっただけ、感染リスクは下がる。
まず手とカートを消毒して、そこには拭いた後の清潔な商品しか置かない。明確に分けること。アルコール・スプレイとクロスを用意しておいて、クロスにスプレイしつつ棚から商品をとって拭いてカートに置く。ひとつの商品が終わったら、棚も拭いて商品を戻す・・・この繰り返し。特に難しくはない。しかし「俺がなんでこんなこと・・・」という明らかなオーラが漂ってくる。
おまえらなあ、桜の下でバーベキューなんかしやがって、非常事態に打ち勝つやとか、コロナに打ち勝つやとか、そんなとこで精神論振り回すくらいやったら、その意気込みで商品拭かんかい。精神論使うんは今やろ。ほんまにあかんねえ、おわっとるね。日本のれっきとした一部上場企業やでアンタラ・・・ダメアルネ、ニホンジン、ソンナコトシトッタラ、ホンマニホンマニ、ニホンダメアルヨ。ヤラレルヨ。
翌日、流石に本社から人が来て通達していった。「ショッピング・カートとカゴを拭け」・・・おお、確かにそうやそっちが先や、感心感心と思とったら、一時間早よ閉めたんやから作業も一時間浮くはずやとぬかしよる。これやから現場離れた人間は嫌なんや。営業は一時間早く終わってもそれまで散らかし続けたもの片付けるには一定の時間がかかる。趣旨に賛同するから協力はするが、丸々一時間は無理やと言うたら、「やかましい。言われた通りにやったらええんや」「ほな、やり残しが出るで」本社でだいぶネジ巻かれて来たんやろ、やたら高圧的態度や。無視して (これがいかんのよね} 自分の持ち場手早く片付けてから作業に合流しようとして唖然とした。
バイトのおばちゃんとかみんなおののいてしもてカゴやカードぐちゃぐちゃにしとる。「これ拭いたやつ ??」「いや、まだ・・・」「ほなこれは ??」「あ・・それアタシ拭いた」「えっ、これ今から拭くやつやねんで・・・」「ほなこれは ??」・・・もうあかんこいつら。本社の社員はもう帰ったらしい。仕切るんやったらちゃんと仕切っていけよ、拭いたやつはこの線よりこっち、まだのやつはこっち・・・結局、みんなでバラバラに作業して散らかしたからどれが拭いたやつでどれが拭いてへんやつかわからんようになって、全部やり直し・・・みんな慌ててるばっかりでちっとも作業進んでへん・・・店長と社員は本社の言いつけで別の仕事させられてその場に不在・・・岩田教授の気持ちわかるよ、ここはクルーズ船か ?? どうせまたこれで俺たたかれるんやろ、もうええねん感染拡大の防止に寄与したんや、一つ拭いたら冥土に功徳積んだと思たらええねん。言うてる間にここも戦闘地域に入るで、実弾飛んでくるんやでわかってる君ら ??
解決策としては、売場通路の中央に客が通って良い範囲をロープで区切って、客は商品に直接触れてはいけないことにする。売り場の棚の一定の範囲ごとにスタッフを1名ずつ配置して、客の指差した商品をとって客に見せ、それでよければ手渡す。客は一度受け取った商品を勝手に戻してはいけない。戻す場合はスタッフに声をかける。スタッフはそれを消毒してから売り場に戻す。こうすれば、感染リスクはかなり抑えられる。しかし人員の手配が間に合わないから、売り場を大幅に縮小する必要がある。生活必需品に絞り込めば、あるいは可能かもしれない・・・けどそんな英断コイツラニハムリアルネ、アンタラ・・・ナサケナイニダ、ニホンジン、ソンナコトイウトッタラ、ホンマニホンマニ、ヤラレルヨ。
20200404 東京一日の感染者100人超え 新型コロナウィルス (2020.04.20追記)
20200407 緊急事態宣言発令 新型コロナウィルス (2020.04.20追記)
2019年10月31日
2019年10月16日
20191016 宍粟市伊和神社秋祭
播州は秋祭りの季節も大詰め。泉州のだんじりの掛け声が「ソーリャ、ソーリャ」と二拍子なのに対して、播州の屋台の掛け声の基本は「ヨーォイヤサアー」であって、これは四拍子に聞こえる。二拍子の音楽よりも四拍子の音楽の好きな私には、この播州の祭りのゆるやかさが肌に合う。(写真は全て宍粟市の伊和神社秋祭)
地域や神社、またそこに出る屋台によって、担ぎ方や掛け声などに微妙な違いがあって、そこに音楽的な変化が聞こえるので面白い。最も有名なのは「灘のけんか祭り」といわれる松原八幡神社の秋祭りだが、これは屋台を担ぐ時にシーソーのように搔き棒を跳ね上げた勢いで担ぐ。最も有名なだけあって、山の下の「練り場」の喧騒は漁師町の荒々しさを最高潮にまで沸騰させて、ここが日本かと恐れるほどの凄まじい熱気となる。
その東隣の高砂の曽根天満宮の秋祭りでは、屋台のかき棒の上に乗った若者が、さながらDJのように様々に節をつけて即興話芸を披露する。三木の大宮八幡神社は屋根に大きな布団を頂いた屋台が神社の境内に至る長い階段を登る。これが壮絶である。
播州の祭りの形式の東の端は、その隣の神戸市北区淡河町までで、その東の八多町や道場町にはない。
むしろ道場町の南に隣接する西宮市山口町の公智神社になると、西宮の越木岩神社の形式になる。そこから東へ塩瀬・名塩から宝塚にかけては同じ形式で、かけごえも「ヨォォイソージャ、ドッコイソージャ」と四拍子二連の掛け合いになる。そこがまた良い。
この「ヨォォイソージャ、ドッコイソージャ」という掛け声は、姫路の西の網干の魚吹八幡神社の秋祭りの屋台にも出てくる。
この祭りは別名を「提灯祭り」といって、宵宮に提灯行列があって、最後にそれを叩き壊して回るのが有名なのだが、ここの屋台は、あの重量屋台を担ぎながら走る。その直後、地面すれすれに下ろした勢いで肩を通り越して一気に腕いっぱいまで差し上げる。
その後、「チョーサ」といってこれを勢いよく宙に投げる。なんといってもこれが魅力でよく見に行く。
ここのまつりは他にも壇尻の上で演芸があったり、夜店も華やかで祭りの風情としては格段に楽しい。
「チョーサ」があるのは西隣の今はたつの市、昔の御津町富嶋神社や春日神社の秋祭り、なかでもその末社で夏祭りにも屋台が出る蛭子神社に奉納される岩見浜は「チョーサ」のタイミングが他とは異なる。それがまたなんとも風情があって良い。
北へ目を転じると、姫路の北西の山間部にある今の宍粟市、昔の神崎郡一宮町の伊和神社の秋祭りでは、なんと屋台を引きずらんばかりの低位置で維持しながら、「カイタデショ、カイタデショ、カイタデカイタデカイタデショ」と叫びながら回転する。
そのあと直接連続「チョーサ」に入ってこれを数セット続ける。播州型の祭りの西の果てまでは探索していないが、きくところによると岡山県東部の大原にも伝わるらしい。山三つほど超えた西である。山崎より西へ行くと、山容もぐっと険しくなり、森の中に響く祭り太鼓の音が、農村生活の厳しさを感じさせてくれる。
伊和神社の秋祭りは、ほとんど情報がないのでここに乗せておきましょう。日程は曜日に関係なく10/15-16。
宍粟市といってわかりにくければ、昔の神崎郡山崎町の北隣が一宮町。中国道山崎ICから国道29号を北上。
その中心にある伊和神社の秋祭りで、式の次第は、午前中に各村を出た4台の屋台が、御旅所になっている「道の駅」駐車場に集まるのが昼頃、そこで練り合わせをしたのちに順次宮入りをして行く時にこの回転する屋台が見られる。その後練り合わせをしたり神事があったりして、宮出しを始める時にも見られる。
その後、屋台は御旅所とは反対の西側に流れる揖保川の河川敷に並んで神事を行い、15時ごろ再び境内に戻って宮入、このとき新規参入の屋台がもう一台加わって練り合わせ、餅まき、宮出しと続き、御旅所に一旦集まって練り合わせしたあと、18時ごろ国道を止めて各村に戻っていく。
付近に駐車場はなく、外から見物に来る客は「スポニックパーク」駐車場に停めて歩いて見物に行くようである。公共交通機関を利用するようにと触れが出ているが、バスは本数が少ない。しかし祭りは18時はほぼ終わってしまうので使えなくはない。
2019年09月10日
2019年09月04日
2019年08月31日
20190831 松原城跡第一回現場説明会
近所にある神鉄道場駅前の「松原城跡」の「第一回現場説明会」というものがあったので、まだ田んぼの除草の途中だったが行ってきた。この城跡は、ここに移り住んできてから登ってみたいと思っていたもので、かつては鬱蒼とした木々の生えた小山で、稲荷神社の赤鳥居が斜めに登っていた。しかしどこからも入る道がなく、周囲の民家の庭先に囲まれていて、全く登れなかったのである。しかし登った人があるので、そのサイトをご紹介しよう。
http://tansaku.sakura.ne.jp/tansaku_siro/sirodata/siro_hyougo/tanpopo01.html
・・・で、その現場説明会が第一回とあるので、また続きがあるものと期待して、しかし無残にも禿山にされて発掘調査されて、まあゆくゆくは取り潰されて川沿いの空き地をその土でかさ上げして宅地にするという。そのための発掘調査である。
http://www.city.kobe.lg.jp/information/press/2019/08/20190826841001.html
城山の頂上からは、西に有野川を望み、その下を走る旧国鉄有馬線の廃線跡をたどることもできる。これもコクメイに辿った人があるので紹介しておこう。
http://www.hotetu.net/haisen/Kansai/160403arimasen.html
ところで当日、現場で村の仲の良い人たち三人と会った。それぞれ集落が異なるので、この四人が顔を合わせるのは初めてなのだが、みな私を見つけると、開口一番に「伊丹さんすごい噂ながされてるのん知っとってか ??」やて、こういう全く村から離れた場所で、人脈の垣根を越えた情報が交換されることは多い。
「まあいつものこっちゃ」「あんたそれでええのんか ??」「ほんなこと言うたかて人の口に戸ォは立てられへんやん」「せやけどなんぼなんでもなあ・・・」「ええねんええねん、ほっときほっとき、オレ痛いことも痒いこともないし」「それもそうやけんども・・・」
とまあ、そういう話がひとしきり続いて、現場説明そっちのけで「話の真相」タイムみたいになってもて、なんや知らんけど三人が出した結論、「噂をもって噂を制する」んやて、まあご好意に心から感謝しつつ、すきなようにやってくれと・・・