2017年02月06日

20170206 Dream Energy

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 おい、またかよ・・・て、ウソよ。旅の情報蒐集で、どうしても中国の領事館で直談判せんなんことになって、ちょっと大阪へ出てたんやが、中途半端に時間が余って悪い癖とは思いつつ楽器屋へ入ってしまった。いやあドエラいもん見つけてしまいました。これはDream Cymbalというて、たしか10年ほど前にアメリカかカナダの愛好家たちが出資して中国の武漢 (Wu-Han) で製造させた一連の企画モノのシンバルで、イスタンブール製Kジルの渋い「鳴り」を追い求めたものなんやが、日本にはほとんど入ってこなかったシロモノである。いまでもアメリカの中古市場を漁ると出てくるんやが、なんせ送料が高くつくので、合計すればアメリカ製のそこそこ良いKジルが新品で買えたりする。現物を見たことがなかったのでかねてより興味津々だったのだが、これである。実は、武漢製のシンバルは、たしか1990年代にかなり大量に出回ったことがあって、主にチャイナタイプのエッジが反り返ったシンバルだが、トルコタイプのものや、反りが緩やかな河南 (He-Nang) タイプ (ジルジャンでいうところのPang) のものもあった。その当時は、シンバルは華やかに鳴るのが良いという感覚だったので、渋い「鳴り」というものに関心が行かなかった。チャイナタイプのものは使えるので持っている。しかしトルコタイプのものは、何度か巡り合ったものの購入には至らなかった。しかし音は覚えている。倍音が多く、暴れるような刺激的な音だった。コントロールが難しそうだが、手懐けると病みつきになりそうで、ジャズ系かなと思って手を出さなかったのだが、ここんとこジャズ・ドラムに挑戦しているので、その音を思い出し、色々と散策していたというわけだ。形状は、ハンド・ハンマーの跡がくっきり残る手作り感満点、シンバルというより、ドラに近い鳴り方がしびれるのである。その後、チャイナタイプのものは日本の代理店がライセンスをとって、K.M.K.とかWu-Hanのブランドで、今も販売されているが、トルコタイプのものは見かけなくなった。で、上のような話を聞いたので、以前から興味があったのである。試奏させたもらった。・・・うううんんん・・・Wu-HanHe-Nangを聞き覚えた耳にはちょっとおとなしすぎるというか、せっかくの荒削りのシャープネスを、わざわざ削り取って光沢を出したこの外観のとおり、個性が薄められてしまって、これならAジルの60年代の薄くて汚いやつがまだ安くゴロゴロしてるから、そっちの方がええな、という結論を得てパソコンの前に座ったのでした。で・・・どうしたかというと、そう、そのAジルのまさに60年代の22インチで2200gくらいの薄いやつが安く出てたので・・・今回は踏みとどまりました。買ってませんよ、断じて買わなかった。断じてポチらんかった。ホンマホンマ・・・でも最近ジルジャンより60年代のパールの日本製のデラックス・シンバルの音が懐かしくなってきてね・・・前のドラムセットには、そんな音が良う似合う。

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2017年01月18日

20170117 Ditumba

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 今日で阪神淡路大震災から22年たった。毎年どん底に落ちる心身状態をなんとかしたいといつも思っているのだが、ひとりでいると、どうしてもあの時あの場所に立ち戻ってしまう。今日は、たまたまお誘いをいただいて、淡河のジェンベ名人宅にて、家主様所有の破れたジェンベの皮の張り替えをお願いする傍ら、私も皮の張りが不十分だったディトゥンバの胴体の補修と皮の交換をすることにした。写真では見えにくいが、この太鼓の道は柔らかい白木でできていて、底のささくれが気になっていたのを、このような手作りの道具で改善していく。


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 このディトゥンバは、2010年にコンゴを訪ねた時に、現地の太鼓作りのにいちゃんに作ってもらったものだ。名前はPapy Kingoloというので「金吾郎」君と呼んでいた。エッジはかなり大雑把な仕上げだったものを、ちょっとは日本人らしく平らに仕上げ、両側からエッジを立てていく。白木なので工作は早い。所々に名人のアドバイスが突っ込まれる。


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 で、さらに名人のアドバイスに従って、前日から水に浸けてあったヤギ皮を叩いて伸ばして柔らかくしておく。これをやるのとやらないのとで、皮の持ちや鳴りはじめが大きく違うらしい。ちなみに、真ん中に一本通っている筋が背骨にあたり、これを太鼓の中心線に合わせるのが必須とのこと。私なんも知らんと今までメンテしとったわ。


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 ディトゥンバはゆるゆるに張るので、そんなにテンションを上げる必要はなく、リングを使わなくてもこの程度の引っ張り加減で良い。完成状態を載せるの忘れてたが、これで周囲を釘止めし、余分の皮をカッターで落として出来上がり。鳴り具合は皮を馴染ませたあと後日アップします。


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 一方、ジェンベの方は、皮を載せる前に、一度リングの外周をくぐらせて余白に穴を開け、中心に向かってこのように絞り込んでおく。これで少し水を切れば絞られた部分の滑りが悪くなって締込み中に緩むことがない。このプロセスを入れなければ、ジェンベとして十分なチューニングまで行かないか、行ったとしても、リムが異常に下がって演奏がしにくくなるとのこと。その後、全体にロープを通して、このように仮締めしていく。いやあ勉強になります。


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 何度も増し締めをするのだが、素手で手に負えなくなったら、くわえたら離さないタイプのストッパー付きプライヤーで上を止めておいて、下を棒巻きにして増し締めしていく。何度か増し締めしたら、皮が濡れているうちは無理せず馴染ませる。


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 一週間程度陰干しして皮が完全に乾いたら、この縦ロープにクロスするようにして横にロープを巻き込んで行って、最終締め付けになる。。私はそのプロセスで自転車用のパンク修理レバーを使います。いや勉強になりましたホンマに。ここでコンゴ風の太鼓やディトゥンバ制作したら売れへんかなあ・・・


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2016年09月19日

20160914 直前の悪夢

 「摩耶アコースティックピクニック」と「リュックサックマーケット」には、今後参加しないことを決めました。お客様には大変申し訳ございませんが、やむを得ない判断です。直接の原因は、「リュックサックマーケット10周年記念ピクニック」のトークライブが「アコースティックピクニック」のステージと一体化して行われることがわかったからです。誰が決めたのでしょうか、私はなにも聞いておらず、私たちは自分たちのイベントを自分たちで決めて良いはずでした。でもそうではなかった。私はこういうことが一番嫌いです。自由にやって良いというならば自由にやって良いはず、端で見ていて美味そうになったら横取りする、こんな百姓みたいな根性が私は大嫌いです。

 「リュックサックマーケット」というのは、もともと「六甲山カフェ」のプロジェクトの一環で、芦屋の高座の滝のたもとにある「大谷茶屋」周辺で始まったものです。「カフェ」と名のつくとおり、これは飲食の提供を伴ったものでした。私は途中からこのプロジェクトに賛同して活動に加わりました。「山にカフェを持ち込む」ことにより広範に山を楽しむきっかけ作りは広がりを見せ、摩耶山においてはmayasan.jpにもあるとおり、様々な活動に発展的解消を遂げていきました。その時点で、「リュックサックマーケット」は「六甲山カフェ」の手を離れて公的な運営主体に委ねられました。

 一方、大谷茶屋を拠点にした飲食提供を目的とした実店舗の「六甲山カフェ」は、「日替わりマスター」制を敷いて定期的な活動を続けており、途中参加の私がその代表を務めることになりました。しかし「洞窟カフェ」として人気が出た反面、湿気や漏電、衛生管理状態など多くの問題があって、苦情が相次ぎ、警察・保健所・消防署から行政指導を受ける羽目になり、その対応に追われました。

 最も厳しい指導は保健所のもので、そのうちの一つに「六甲山カフェ」という屋号が「大谷茶屋」の営業許可の要件を逸脱しているから使用しないようにというものがありました。活動を続けるには、一時的に「六甲山カフェ」を名乗ることをやめなければなりませんでした。そのうえで、合法的かつ安全に、しかも「六甲山カフェ」の名称を復活させるために私は様々な努力をし、排水設備や電気系統を改善したり、知り合いの厨房を借りて製造許可を得る努力をしたりしました。また、事故が起こったとき、現状では責任はすべて大谷茶屋が負わなければならなくなっていたのを、資格を修得して私が負えるようにしました。こうした努力で、法的要件を満たしながら「六甲山カフェ」の名を守るめどが立ったのですが、日替わりの各マスターにも、彼らが担当するメニューに応じた資格をとってもらわねばならず、そこで猛反対にあいました。

 その後、何度も話し合いをし、理解を得ようと努力したのですが、ついに意見はまとまらず、私は「六甲山カフェを潰した男」として退場せざるをえなくなり、復活した「六甲山カフェ」では「大谷茶屋」で許可されていないナマモノなども堂々と販売され、代表者として私の連絡先が公表され続けたために、苦情や指導はすべて私の元に寄せられるようになりました。こちらから何度も改善を申し入れましたが現状は変わっていません。つまり、彼らは自分たちのやりたいことを実現するためには手段を選ばないのです。

 その中心人物が、「リュックサックマーケット10周年記念ピクニック」のトークライブに名を連ねている面々です。そしてこれは同窓会なのです。そんなステージには、私は死んでも立ちたくありません。私はmayasan.jpにも問い合わせましたが、人脈が繋がっているので当然ですが、これらの活動は「六甲山カフェ」との一貫性を失ってはいなかった。しかも、「六甲山カフェ」のブログにも、これを期に「リュックサックマーケット」へも積極的にコミットしていくという意思表明がなされており、主催者もその通りという方針を述べられた。

 もちろん反論して戦う方法もあります。しかし、何の関係もないお客様の前で論争なんてできないし、主催者側で決まってしまったものを、私の個人的意見で変えさせることもできない。しかも彼らはエリート中のエリートで頭脳の出来が私とはかけ離れていて、限られた時間で私が彼らを論破することなど到底不可能だと思います。情けなく、残念なことですが、私が退場するしかないのです。

 まあ大体そんなことです。いろいろ楽しかった。感謝してます。次なる活動の場を見つけようと思います。ありがとうございました。

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2016年07月07日

20160703 奈良ボッサ夜会

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 「奈良ボッサ夜会」・・・どんなジャンルであるかにかかわらず、音楽は表現である。その人の生き方、その人がその時に行っていることなど、いろんなことがさまざまに関わり合って、その時どんな音楽になって現れてくるかが決まってくると思う。内から出る叫びが聞こえれば、それが研ぎ澄まされていればいるほど、私の心は動かされる。ジャンルなんてどうでも良い。音楽は自由な表現だ。


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2016年07月01日

20160515 須磨の風

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 56歳、いよいよ還暦も近づく。今日は気楽にアコスティックに「須磨の風」・・・誰にも知らせず告知せず、まあ身内だけでかるーく楽しませてもらったよ。


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2016年03月26日

20160324 Ditumba皮の貼り直し

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 Ditumbaの皮の貼り直し。どうも日本の湿気た気候では鳴りが良くなくて、テンション高めでリトライ。まずは皮を剥がすために太鼓を水に浸ける。木は水に浮くのだが、Ditumbaはどてっ腹゜に穴が空いているので、そこから注水できて便利。


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 半日くらいこの状態で放置すると、皮がべろんべろんになって剥がしやすくなる。釘打ちなので、バールやニッパで釘をこじ抜いて皮を外す。


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 胴体は乾かし、皮は水につけたまま、その状態で皮張り開始。まずは1点を決めて3本ほどで皮を釘止めし、反対方向へ力一杯伸ばして3本釘止めする。3本でなくても良いのだが、1本だと力が集中しすぎて皮が破れんかなと心配してね。


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 それとちょっこうする方向を同様にやり、その中間、その中間と、間を狭めていって全体を張る。だいぶテンション上がったわ、これでいつでも出動できます。およびがかからんかもしれんけど。


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2015年12月31日

20151216 北林純を送る夜

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 「狂気の天才ドラマー・北林純を送る夜」チラシに寄せられたマルタニさんの言葉・・・

 おれたちはよく「リードVo.のようなドラマー」と言ってた。
 どちらかというと貶し言葉だが褒め言葉でもある。
 そのドラミングには「華」があったね。
 単なるドラマーに留まらない。だからこそ長くやれたね。
 おれたちは共に「新しい音楽を作る」ことしか興味なかったから。
 奇しくもカオリーニョも弔電の中で
 「一緒に音楽を作っていた時代が懐かしい」と言っていた。
 アタマの中には音楽のことしかなかった、
 それをおれは一番よく知っている。
 この無慈悲な世の中・音楽の世界で、
 カネにはならないがブランニューな音楽を作って演奏する、
 その素晴らしさを40年近く共有できたことに感謝しています。
 出演してくれるみんなを代表して、Adieu !
 ーーーーーーーーーーーマルタニカズ
 
 そうなんよね、結局のところ全部で13曲演ったんだが、サポートかなにかで仮にも演奏に参加したことのある曲は1曲だけ、演ったことはないが知ってはいた曲は2曲、あとの10曲は全く不明で全容が解ったのが三日前、演奏するメンバーとの初対面が当日、リハのあいだに細かいことが、これが決まらずに本番突入・・・て、案の定やっちゃいましたよドデカイのんを一発、しかも北林純師匠のオリジナル曲の冒頭で、変拍子のアタマ取りきれずに脱線転覆・・・まさに恥も供養のうち、なぜならこんなキョクメンに立たされた時、北林純ならこういう風に乗り切ったのにな、とか、そのまま突っ走ってなんや知らん気ぃついたら自分が間違えたん違て周りが間違えたような結果になったのにな、とか、まあしみじみと故人を偲ぶことが出来るというもんだからである。私は身をもってそんなチャンスを皆に与えてやったのだ。修羅場をくぐり抜けてこそ人は成長する。55歳になんなんとして尚且つこのようなチャンスを与えてくれたマルタニさんに心から感謝。
 そうなんよね、おれたちは共に「新しい音楽を作る」ことしか興味なかったからね、曲そのものは土台であって、その上で何をどう演じるかは、その時のその人の力量なんよね、だから前もって綿密にリハーサルして、リハーサルした通りに本番やるってのは、ちょっと違うんよね、だから出てこいよ、やってみろよ、本番だぞって、こんなこと言うてくれる人はなかなかないんよね。マルタニさんの音楽も、私が参加してた「カーリー・ショッケール」の音楽も、別にどこかの国のなんとかいう音楽ではない。そんなことはどうでもよい。当然特定の演奏を聞いて、それらの産まれた国とか民族とか状況に敬意を表することはあっても、それをそのままやるってことは自分たちのすることじゃない。その演奏に感化された自分を音楽の上でどう表現するか、ということだった。彼等がどう演奏しているか、ということではない。そこが、楽譜通りに演奏される音楽との根本的な違いだ。楽譜を否定するつもりはない。私は楽譜の読み書きが出来ないが、自分に解るようにメモは書く。つまり楽譜だ。しかし、それはあくまでメモに過ぎず、それを基にどう演奏するかはその時次第だ。なぜなら、いくら楽譜に綿密に書かれたところで、楽器から引き出される音は千差万別で無限の幅があるからだ。楽譜の通りに演奏するということ自体、所詮不可能なことだ。
 繰り返しになるが、私は楽譜を否定しない。それどころか、各自に楽譜が配られ、初合わせまでにそれらを完全にマスターして持ち寄り、度重なるリハーサルでは、各自が楽譜通りに演奏した結果、全体としてどのように響くかを真剣に聴くクラシック音楽の演奏家たちと何度もご一緒させていただいているので、楽譜の重要性はよく認識している。しかしその場合でさえ、全体の響きを調整するために、与えられた楽譜にはしばしば変更が加えられる。それは慎重に行われるが、必ずしも楽譜が金科玉条でないことは、当のクラシック音楽家の大家達が常識として明言しておられる。それはあくまで、ある時代に演奏されたフレーズが優れていたために、それを是非とも書き留めておきたいとして後世に伝えられたものにすぎず、そのとき別の素晴らしい演奏がなされていれば、別のフレーズが楽譜として残されたであろう。同様に、同じ音楽的キョクメンにおいて、全く異なる解釈が素晴らしければ、それらは楽譜として残され、事実変奏曲として様々に伝えられているところである。
 先日このようなことがあった。やはり音楽を演奏する緩やかで開放的な集まりの中で、楽譜を中心に演奏が楽しまれていた。しかしそれはかなり古い時代の音楽で、様々な地域の音楽の要素が溶け込んでいる。ある曲が演奏されている時に、私はそれが別の地域から影響を受けた曲であることから、敢えてその地域の音楽の基本的なリズムで伴奏に加わった。それは楽譜には指定されておらず、また参加者が慣れ親しんでいる音楽とは、少し異質なものだった。しかしそれでも、基本的なリズムは別の奏者が出していたし、音楽としてそのようなテンションを与えることは、遊び心を刺激して楽しいものだ・・・と私は思っていたが、彼等の反応は全く違っていた。すぐに演奏が止まり、私の入れていたリズムを止めるようにと言われた。そこでの議論は割愛するが、要するに彼等にとっては、楽譜に書かれていないニュアンスが演奏の中に入ることは、全く相容れない演奏が土足で踏み込んできたほどに不愉快だったようなのである。私はその集まりには、始まった頃から長く参加しているし、その曲も永年親しんだものであった。年月を重ねるにつれてその集まりに参加する人たちのレパートリーも増え、調査研究によって様々な楽譜が手に入り、多くの曲が知られるようになった。その興味から、今は楽譜の解釈に集中したい時なのであろうと理解はするけれども、視野が広がったからこそ、楽譜によって木目の襞の美しさに感じ入ることと同時に、森がどこまで広がっているかをも知るべきではないのか。本の少し視野を広げただけで、その曲のそのフレーズがどこから来たものなのか、いとも簡単に知るところとなるだろう。そうすれば、その寄って来たる地域にあっては当たり前のフレーズのうち、たまたまひとつがその楽譜に採録されたことも自ずから解り、そのフレーズが持つ根源的なリズムが、私の奏でたものと同じであることも理解されるであろう。そのようにして好奇心が広がって行くからこそ、世界の音楽を聴くことは面白い。そして奏でられた瞬間に消えて行くのが音楽の宿命であるからこそ、神経を研ぎ澄ませて演奏に臨む。それは楽譜の解釈の上に立つものであると思う。そういう意味で、私は「現場主義」だ。
 北林純追悼ライブのリハーサルの最中、変拍子からルーツロック・レゲエ、更にヨーロッパ中世の古楽へと展開する複雑な組曲の中で、ワン・ドロップのドレッド・ビートから手ダブを挿入したとき、そのリズムの断絶の飛び石を、共演者であるクラシックのヴァイオリニストと売れっ子のアコーディオン奏者とソウル音楽大学主席卒のベーシストが、各人各様の対応でサーフするのを振り返ってニヤリとしたマルタニさんの表情が印象的だった。そのとき天井からひらひらと舞い落ちるものがあった。誰もがリハーサルに夢中であって、目には入っていても演奏が止まるようなことはなかったが、今思い起こせばそれは生きた蝶、複雑な構成と個々の演奏のフレーズの回数、挿入節や変拍子の扱いなどに難渋する我々の苦労を、舞いながら一瞬のひらめきの中に射止める蝶に化身した北林純だったのかもしれない。
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2015年12月18日

20151218 人情の兄

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 私には実の兄も義理の兄もないのだが、人情の兄というべきものがあって、その人が亡くなった。人はいつ死ぬかわからんものである。今年は、後半になって既に親しかった友人が二人も旅立った。過去に多くの友を失ったが、私の友ゆえいずれ不摂生の報いであって、死ぬ前には癌が蔓延って手の付けられぬ状態になる。したがって末期は所謂緩和療法で、要するに麻薬漬けである。あれほどヤバい橋を何度も行きつ戻りつして苦労して手に入れていたものを、今度は望んでもいないのに潤沢に体内に注入される。本人は嬉しくも何ともない。そして、あれほど明晰であった頭脳が、見る影もなく妄想に蝕まれていくのを見ることになる。我々のようなカスミを食って生きているような人種にとっては、神経からやられるののが一番こたえる。余命が限られているというのに、神経をシャブ浸けにされて死への坂道をまっしぐら、痛くもなんともない。そんなさなかに友は何かを語りかけようとする。しかし意味するところが解らない。こちらが解しかねているのを見て、寂しそうに薄笑いを浮かべて友は諦める。それを見るのは何より辛い。なぜなら、心を分かち合った友だから。
 先月病床の彼を見舞いに行った。20年も前に解散したバンド仲間であるから、一番「効く」のは過去のライブ音源を肴に、その演奏をこき下ろすことだ。
「うるっさいなお前のギター・・・」
「なに言うてんねんお前が走るからこうなるんや」
「人のせいにすな、細かいとこつまずくから全体たてなおさなしゃあないやんけ」
「なんでここでテンポ落とすねん」
「お前がソロ入れるから落とせ言うといて本番なったら忘れとんやんけ」
「ほななんかリフ入れて隠さんかい」
「そない自分の都合のええようにばっかり行くかいや、お前のために伴奏しとんちゃうぞ」
・・・とばかりに、まあ20年以上たっても自分らの演奏を聞くと、ライブ直後の楽屋の喧嘩が再現されてしまう。おかげで麻薬漬けで神経の飛んでた友も、やがて現実に舞い降りて論争に加わり、揚句の果てには、全員楽器を持ちだして20年ぶりの再々結成セッションとなった。最後の奇跡であった。
 兄の死は、事情があって今日まで伏せてあった。連絡の行き渡らなかった友には申し訳なく思う。兄の最後のパートナーとなった女性との幸せな年月は短かった。しかし彼女は心からの誠意を行動で示し、最期の時まで彼の側から離れなかった。寝たきりに近い状態になってから独学で介護を学び、一通りの手当を身につけて彼のために尽してくれた。彼のこれまでの人生、そこに蓄積されてきた50年余りの年月、そこに彼女の人生が共鳴し、「ジェットコースターのよう」に一瞬で駆け抜ける、命がけの共同生活だったという。幸せとはかくも凄まじいものであることかと、しみじみと思い知らされる。
 その凄まじい共同生活の場から、彼がいなくなった。物言わぬ彼を送り出した後の彼女の心境を思いやると、心が引き裂かれそうになる。訃報は彼が亡くなった日の午前中に届けられた。奇しくも先日亡くなった師匠の追悼ライブのために家で曲の確定に取りかかっていた最中だった。涙は、まずはライブ本番を終えてから、ゆっくりと・・・かつての我々の演奏を聞きながら、ゆっくりと・・・

http://jakiswede.com/2mus…/21acts/213karly/2130karly_fr.html

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2015年12月04日

20151216 北林純を送る夜 Vol.2

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 さて大変なことになってしまった。先日なくなったドラムの師匠「北林純」師の追悼ライブで、師匠の代役を務めろという。なんと、人前でまともにドラム叩くのなんて20年ぶりのことだし、ハコは立派なライブハウスだし、対バン共演の面々は、いずれズラリ居並ぶ強者ぞろいだし、できるんかなあ・・・という不安を他所に、「スケジュール入れて名前のっけちゃったし、んじゃ、よろしくねー」て、走り書きの曲名リスト送ってこられてさあ、これがまた読めんのよ、取りあえず解る曲からmp3に落としてディクテイションして行って、それ大音響で鳴らしながらドラムの練習ね、なんせぶっつけ本番やからね、20年ぶりに人前でドラム叩きながら大恥かく私の姿見たい人は是非・・・


2015/12/16 (

Adieux mad dog JUN <狂気の天才ドラマー・北林純を送る夜 Vol.2>

@ 西天満 Ganz toi toi toi


[出演]

Sentimiento'15

ザモルモッツ

ターボー&muniels

すっぽんぽんaomi

マルタニカズ


OPEN 19:00START 19:30 

前売¥2500/当日¥28001drink500別)高い !!



 http://ganztoitoitoi.com/201512.html


 なんせ「狂気の天才ドラマー」の代役ですからね・・・左足でキック踏まなあかんしね・・・

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2015年11月19日

20151115 生きろ

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 病床の友を見舞いに急ぎ旅、しかし赤貧、芋を洗うがごとき生活のため、まともな切符を買えないので、現地でフリー・タイムになるパック・ツアーのバラ売りを、ちょっと ?? なルートから仕入れて、なんども白いアヒルに抜かされながら行く。

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 幸い、この土日は雨なので家におってもしゃあない。ちょびっと心の重い旅ではあるが、まあ珍しい景色でも眺めながら、そろりそろりと参ろう・・・

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 ひとはいつ死ぬかわからんのである。今年は、後半になって既に親しかった友人が二人も旅立った。そんなに現世がいやか、と、思うほどであった。まあ、嫌なことも多いが、まだまだ捨てたもんじゃないよ、と、思い直すと、いやいや別に現世がいやで旅立ったわけではない、どうしようもない巡り合わせで旅立たざるを得なかったのだ、と、いう友の声が聞こえる。いずれにせよ、私も、明日死ぬか、一週間後に死ぬか、一ヶ月後に死ぬか、予告なく死ぬのか、充分に予告されて死ぬのか、では、余命一ヶ月と宣告された場合、最優先に取り組むべきはなんなのか・・・

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 過去に多くの友を失ったのだが、私の友ゆえいずれ不摂生の報いであって、死ぬ前には全身に癌が蔓延って手の付けられぬ状態になるのである。したがって末期は所謂緩和療法で、要するに麻薬漬けになる。あれほどヤバい橋を何度も行きつ戻りつしてようやく手に入れていたものを、こんなまっしろな空間で、望んでもいないのに潤沢に体内に注入される。本人は嬉しくも何ともない。そして、あれほど明晰であった頭脳が、見る影もなく妄想に蝕まれていくのを見ることになる。我々のようなカスミを食って生きている人種にとっては、神経からやられるのは地獄である。余命が限られているというのに、神経をシャブ浸けにされて死への坂道を転がり落ちる。痛くもなんともない。友は何かを語りかけようとする。しかし意味することが解らない。こちらが解しかねているのを見て、寂しそうに諦める。それを見るのは何より辛い。なぜなら、心を分かち合った友だから。

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 我々は何度も生きることを試みる。20年も前に解散したバンド仲間であるから、一番「効く」のは過去のライブ音源を肴に、その演奏をこき下ろすことだ。
「うるっさいなお前のギター・・・」
「なに言うてんねんお前が走るからこうなるんや」
「人のせいにすな、細かいとこつまずくから全体たてなおさなしゃあないやんけ」
「なんでここでテンポ落とすねん」
「お前がソロ入れるから落とせ言うといて本番なったら忘れとんやんけ」
「ほななんかリフ入れて隠さんかい」
「そない自分の都合のええようにばっかり行くかいや、お前のために伴奏しとんちゃうぞ」
・・・とばかりに、まあ20年以上たっても自分らの演奏を聞くと、ライブ直後の楽屋の喧嘩が再現されてしまうのである。おかげで麻薬漬けで神経の飛んでいってた友も、やがて現実に舞い降りて論争に加わり、揚句の果てには、全員楽器を持ちだして20年ぶりの再々結成セッションとなった。奇跡である。

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