2019年02月14日

20190214 シンバル加工

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前々からシンバルを治さな治さな思とって時間がのうて出来んかったんがやっと今日できた。エッジからボロボロに割れた18インチは14インチにサイズダウンしてハイハットのボトムに、エッジからちょっとヒビ入った程度のやつは割れどめして擦れ予防にカット、買った直後にスタンドの角が当たったやつは切り抜く。加工はマキタの電動糸鋸盤MJ-401である。ブレードの寸法が市販のものより短いので、非鉄金属用をカットして使う。糸鋸台を作る。大体の高さを合わせて、楔で微調整できるようにする。円周に切るので、任意のサイズの中心となる位置に、ドラム・スティックの切れっ端を固定して芯にする。極めてゆっくりと、慎重に切り進むのだが、金属の曲線切りは常にブレードが外に振れる。それを修正しようとすると内に回り込む。本当に少しずつ切る。切れ味が悪くなったと感じたらすぐに交換する。二日がかりでやるくらいの根性でかかると、だいたいうまくいく。二日働いて中古シンバル買うた方がマシにはちがいないが・・・エッジなど短い切断は金属用のハサミでいける。あとはヤスリでバリ落とし・・・ほな叩くで !!

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2019年01月26日

20190526 Karly again !!

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 このように取るに足りない私が命がけでやっているバカなことがもう一つある。それが「カーリー・ショッケール」というバンドであって、これほどバカなこともおそらくないのではないかと思う。

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 というのは、このような音楽をやっているのは日本に二つしかなく、もう一つの方も最近またメンバーが集まって再結成したらしいのだが、そっちはまだ良い。

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 なぜなら、オリジナルに敬意を表してリンガラ語で作曲して歌っているのだから。これはコンゴ人にも、コンゴ音楽を愛する世界の人々にも通用し、実際に世界的に紹介されたこともある。

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 しかし「カーリー」は違う。自分たちの言葉は日本語だから日本語でしか歌えない。しかしこのジャンルの音楽はほとんど日本人にアピールしないのだ。

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 スタイルはコンゴのものを土台にしているが、それを聞いていた1980年代後半で時計が止まってしまっているので、今のコンゴ人でさえ呆れてものも言えないくらい古臭い歌い回しやダンスを、そろそろ老境にさしかかろうかというおっさん連中が青筋立てて合奏している。

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 確かにかつての彼の国の国民的大スターたちと共演した栄光の時代はあった。しかし日本で八代亜紀や北島三郎がいかに国民的大スターであっても、若者がそんなものを聞くだろうか ?? 側から見ててこれほど無様なものもない。

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 ミュージシャンを標榜しながら、誰も楽譜の読み書きすらできない。自分たちの曲は自分たちにしか通用しないルールに従って展開されるので、ほかへの応用が全く効かない。

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 ましてや芸術的価値なんて皆無だ。なぜこんなものを始めてしまったのか、さらに再結成なんてしてしまったのか・・・どうせなら、もうちょっと気の利いたジャンルの、もっと広い人脈の中で通用する、開かれた音楽に命をかけるべきではなかったか・・・

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 そう思って、「カーリー」が解散した後に、手持ち無沙汰のあまりブラジル音楽に接近したことがあった。

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 いまだから白状するが、あれは全くの下心からだった。なぜならブラジル音楽ファンにはキレーなねーちゃんがたくさんいたからだ。

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 しかし私はそんな世界でヤッてイケるような人間ではなくなっていたのだ。「カーリー」をやっていたおかげで・・・音楽の奈落の底と自分自身の生の事実を見てしまったからだ。

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 もうこうなってしまっては我が道を行くしかない。私が生きた証として、世の中にふたつとない「日本語によるリンガラバンド」を、命ある限り、無様であろうが、途中で野垂れ死にしようが・・・

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 あのパパ・ウェンバのようにステージでずっこけて死ねたらモォォォォッサイコーッ !! ・・・そんとき「やりきった」と笑って死ぬため、ただそれだけのために、俺はやるぜ。

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 こんなバカなことを命がけでやるなんて、ほんまに意味のないことですが・・・もうちょい待ってください。5/26 (日) ・・・おっとっと・・・まだ発表できませんですが、お待たせしました。フルバンドでたっぷりやりまっせ・・・日曜日なんで空けといてください。

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2018年12月24日

20181224 Karly mini set

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Karly Chockers at Corner Stone Bar ものすごく良いライブでした。この場をお借りして、メンバーを代表して、心から感謝の気持ちを伝えたい。ピリピリも降りて来てました。当日の朝、私のアンプが昇天しました。他の複数の出演者の機材もトラブルを起こしていたそうです。また我々の演奏の本番中に何度もギター・アンプの電源が入らなくなりました。ピリピリが舞い降りて泥酔していた証拠です。彼は電気系統にいたずらするのが大好きなのです。彼の10回目の命日に演奏するチャンスを与えてくださった皆様、特に、今回フル・セットでの演奏ではなく、諸般の事情を鑑みてミニマム・セットでやってみてはどうかと提案してくれたHiro Equalizer氏、この困難を乗り越えて、柔軟に受け入れてくれたメンバーに、心からの敬意を表します。そしてその場を本当に心から楽しんでくれていた皆様、10年経つのに彼を忘れるどころか、10年経ったからこそできたとさえ思えるような様々な演奏や、観客としてその場にいてくださった皆様の反応、特にただの酔っ払いの鼻歌でしかない彼の歌を、そのヨレまくった節回しまで覚えていて一緒に歌える皆様に驚きました。こうした全てがピリピリのなせる業、来年以降も彼の命日に、みんなが集えるようになりたいと思います。そしてできれば、みなさんがみなさんなりにアレンジした彼の歌を持ち寄って、一つのアルバムができれば面白いかとも思いました。当日は色々あってその場で飲むことができず、先ほどまで溜まった仕事を片付けておりましたので、ようやく祝杯をあげたところです。カーリーの今年のライブはこれで終わりです。来年のことはまだ未定ですが、いくつかの打診がありますので、次はフル・セットでの演奏を楽しんでいただけると思います。みなさまほんとうにありがとうございました。

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2018年12月22日

20181222 これで復活ピリピリナイト !!

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12/22 Saturday❣️

関西、日本でリンガラと言えばPILI PILIさん❣️

十回忌だそうで、そのパーティーがCorner Stone Barで開催されるんですが、光栄な事にそこにDJとしてお招き頂きました😊🎉💖
ありがとうございます🔥

PILI PILIさんが率いてた伝説のリンガラバンド "CURLY CHOCKERS (カーリー・ショッケール)" も最近再結成され、この日もスペシャルライブを繰り広げてくれます👍🎉🔥

つながらーとのアサヒトくんのマリンバライブや、Aloha FamiliaAkkoさん、お馴染み大先輩のHAVさんにNAMBA MANさん、そして今回オーガナイズされているHiro Equalizerさんと言う分厚い出演者陣です❣️

ほんでまたCorner Stone Barのお酒が美味しいんですわ👍❣️

私も十回忌、忘年会、クリスマス、年末、平成最後、アフリカンパーティー、バンザイ、大好き、全部ひっくるめて兼ねて兼ねてで禁酒解禁🎊しよかと思てますんで、是非ぜひ遊びに来て下さいです❣️🎉🎉😆

#Lingala #Lingalamusic #africanmusic #congo #afro #afrobeat #afrobeats #african #africandance #dance #dancer #dj #band #pilipili #osaka #japan

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 ちゅーわけで音づくりとリハやっとこか、とアンプに電源入れたら飛んだ。やるやんけおっさん、丸腰で来いちゅう意味やな、ほな丸腰で行ったるさかい早よ降りて来んかい何が起こっても知らんぞ !! (クソまたカネが出て行く;_;)

 ピリピリの10回目の命日に彼の曲を演奏できることは、このうえない光栄である。バンド名であるKarly Chockers (1987-95)「カーリー・ショッケール」とは、男性の陰茎のカリ首でショックを与える奴らという意味の捏造語である。我々の演奏した音楽の題材は、アフリカ中部の、旧ザイール共和国(現コンゴ民主共和国)の「リンガラ・ポップス」と呼ばれるアフリカのダンス・ミュージックから採られている。日本の巷にあふれるワールド・ミュージック系の物まねグループと根本的に違ったところは、その「リンガラ・ポップス」をやりたくてやっていたのではなく、「リンガラ・ポップス」がかっこいいと思ったから、そんな音楽を自分たちの手で作って演奏したいと思ってやっていたという点である。

 この一点は、ややもすると見過ごされてしまいがちであるが、非常に重要なことである。我々は自分たちのライブ本番で、「リンガラ・ポップス」の曲を演奏したことは一度もない。もっともパパ・ウェンバが来日したときに、彼を歓迎する意味合いで彼の持ち歌を演奏したことはある。しかしそれとて、パパ・ウェンバを歌手に迎えて彼が歌ったのであり、我々がリンガラ語を勉強して自分たちで歌うことなど、思いもよらぬことだった。なぜなら、それは我々の言葉ではないからである。

 この一点も、ややもすると見過ごされてしまいがちであるが、非常に重要なことである。我々が活動していた同じ時期、千葉県市川市を拠点とした「ヨカ・ショック」というバンドが存在した。それは、当時の日本でたったふたつしかなかったこのスタイルのバンドのもうひとつだった。彼らのほとんどはリンガラ語を習得しており、オリジナル曲もリンガラ語で作られている。なぜなら、「リンガラ・ポップス」はリンガラ語で歌うものであり、そうでなければ、音楽のリズムや抑揚その他、その音楽の根幹部分が変質してしまうと考えているからである。それはそれとして正しい。我々は彼らにその点で大きな敬意を表していたし、実際、両者の関係は非常に良かった。しかし我々の観点とは根本的に異なっていたのも事実だ。すなわち彼らは、自分たちが「リンガラ・ポップス」に依って立つことを良しとしたが、我々は、「リンガラ・ポップス」をあくまで自分たちの素材としてしか見ていなかった。つまり、わかりやすく言えば、彼らは本物の「リンガラ・ポップス」を演奏しようとしたのであり、我々は自分たちの音楽を「リンガラ・ポップス」の形を借りて演奏しようとしたのである。これは、全く似て非なるものである。

 この一点も、ややもすると見過ごされてしまいがちであるが、非常に重要なことである。既存の音楽形式と自分自身との関係を明確化しておくこと、それはどんな音楽を演奏する場合にあってもきわめて厳粛に受け取られなければならない。これをうやむやにしたままで音楽活動を続けた場合、必然的に既存の音楽形式と自分との間の矛盾を吸収しきれなくなって崩壊するか、低俗な物まねで終わる危険がある。何故矛盾を来たすのかというと、既存の音楽形式を極めれば極めるほど、自分の音楽的ルーツとの決定的な断絶を思い知らされるからである。問題は、その矛盾をどのようにして乗り越えるかであるが、彼岸に乗り切ってしまうか、此岸に留まって自己を見つめ直すかという二者択一でしかない。前者の生き残る道は、神業的な技術を習得して観客を圧倒するのみ。しかしそれでさえ、単なる自己満足か、よくてせいぜい業界やファンたちの連帯満足でしかないのが実際である。音楽留学などとやらを果たして、すっかり向こうの人になった気でいる愚か者はごまんといるが、我々はそんなことで満足するようなオナニストではなかった。音楽は、特定の技術者集団のメシの種ではないし、どんな音楽でも自分の表現として生かす事が出来なければ、何の意味もないと考えていたからである。音楽は、どんな人にも楽しめる開かれたものでなければならない。人を圧倒するものではない。わかりやすく、自分の言葉で、自分自身を表現したものでしか成し得ない筈である。我々はその一点を信じて、というか、特に疑いを容れず、ありていにいえば他の言葉を覚えたり演奏技術を向上させたりなどという、健気な性根と忍耐を持ち合わせていなかったため、極めてガキんちょロック・バンド的に、自分たちの解釈で演奏を押し通したのである。

 この一点も、ややもすると見過ごされてしまいがちであるが、非常に重要なことである。音楽の楽しみは、誰にでも解放されている筈である。しかし、楽器の操作や歌唱には、自ずから習熟するための技術が要求される。才能も技術も金もないただの音楽バカが採りうるただ一つの道は、集まってひたすら練習する事である。音楽への情熱と衝動・・・それは、自分たちにない物への強いあこがれである。なければないほど手に入れたくなるし、手に入れようとすればするほど、それは遠ざかってゆく。我々は偶然にも、同じ時期に同じ場所に居て、同じ音楽、すなわち「リンガラ・ポップス」に触れて、その強烈な魅力に度肝ときんたまを持って行かれた。そこには、一応バンドひとそろい出来るだけのメンツがあった。これは全く持って幸運な事だった。「よし、やろか」これしかなかったのである。それ以後、ひたすらレコードを聴き、押し入れで練習し、川原で音あわせし、スタジオで実験して試行錯誤する日々が続いた。お手本も教科書も参考書もない。あるのはただ、あるべき姿のイメージと、自分たちの現実だけだった。そのあるべき姿のイメージですら、往々にしてすり切れて行く。ひたすら繰り返すコード展開とフレーズ、それにランダムに付けて行くバリエーション、鼻歌をこね混ぜて歌にして往く作業、切りのない言葉遊び・・・繰り返し繰り返し演奏し、実験を重ねて行く気が遠くなるような作業だった。ひと続きの演奏が曲としてまとまる頃には、その演奏のひとつひとつの音が、まるで自分の肉体のパーツのように明確に意識された。曲は「カーリー・ショッケール」という、ひとつの生き物となって生命を吹き込まれ、我々が演奏する事によって、意志を持っているかのように動き出す。その喜びは何物にも代え難かった。そのような、ひとつの有機体としての音楽がひとつのステージを築き上げ、観客がそれを楽しむ・・・ミュージシャンとして、これほどの悦楽が他にあるだろうか。それこそが本物の音楽だと思う。我々は、専門の音楽教育を受けた訳でもなく、特定の師匠についた訳でもない。ただ、自分たちのやり方で、自分たちの納得がいくように、誰の指図も受けずにやって来たのである。そうして最盛期には、関西ではかなり知られたバンドになっていた。しかし、生き物には寿命があって、形式に頼らずに良い状態を維持する事はなかなか難しい。各自が音楽的研鑽を積めば積むほど、自己の美学を独自に打ち立てて行くから、当然グループとしてのまとまりが弱まる方向に働く。成長する個性と、それを纏める努力のせめぎ合いの中で、阪神淡路大震災という巨大災害が、物理的にバンド運営を不可能にしてしまった。

 アルバムを聴いていただければわかるように、曲はほとんど日本語で歌われている。それはまず、外国語では自分たちが物事をストレートに表現できないからであり、客の大多数は日本人だからである。しかし、リンガラ語の持つ特性が曲をよりよくする部分、すなわち「リンガラ・ポップス」の独特のノリを取り入れることができる部分には、簡単なリンガラ語も使われている。例えば、ダンス・パートに於けるアニマシオンと呼ばれるかけ声などである。演奏されている曲は全てオリジナルで、作曲者が大雑把な曲の構成と歌詞を作ってきたあと、バンド全体で、そのテーマについて自由なインプロヴィゼーションを何度も繰り返していった。その際に、気に入った曲で使われているニュアンスや学びとったアイディアを演奏の中で表現してゆき、ライブで実験的に演奏されながら細かいアレンジやダンスが決められていった。「カーリー・ショッケール」は、誰ひとりとして楽譜の読み書きができないので、インプロヴィゼーションという遊びの中で、自然に曲が完成されていったというのが特長である。これは、もちろん自分たちが楽しみでやっていたのだが、それが結果的に客を楽しませることになり、音を楽しむという、音楽の本来の姿を自然に実現することになったと思う。「リンガラ・ポップス」に影響を受けながら、あくまでも自分たちの作品づくりにこだわったこの姿勢は、「カーリー・ショッケール」の音楽を、日本製の「リンガラ・ポップス」ではなく、カーリー・ミュージックとしか言いようのない、摩訶不思議な混血音楽として性格づけていくことになった。こういうバンドのあり方や遊び心を、そしてこのバンドが何をやろうとしていたのかを、ここから感じ取っていただければ幸いです。「カーリー・ショッケール」は、私にとっては一生のうちに二度とあり得ない、かけがえのない経験をさせてくれたバンドだった。音楽の本質の、一面を見たように思った。これによって、私は音楽について、また演奏について、しっかりとした経験と考えを持つに至ったからである。




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2018年11月03日

20181103 Karly Chockers @ AMK

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文も写真も順不同・・・クソッ・・・えらんこと考えとったらステッカーのプリントすんのに左右反転し忘れたやんけ・・・ああいややいややせっかくカーリーの本格的ライブの前にドラムセット磨き上げてヘッドも交換して、バスドラの前にロゴまで入れたろ思てやなあ、はりきってやってきたのに反転するやせんやでややこしい話なっとってつい反転せなあかんとこし忘れてプリントしてシート一枚無駄にしたわ`

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20何年かぶりにPunk a la Bourgeoise、正式には耳の上からこめかみにかけてを斜め一直線に剃り落とす。ロゴもできたし、明日は202曲入魂でいてこましたんで待っとれよそこらのコンゴ人 !!

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イベントとなると・・・

走ってます・・・(^^;

・・・

走ってます・・・(;_;

ついでにリズムも走ります・・・みんなごめんね。

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https://www.youtube.com/watch?v=bysV4_BAdgU&feature=share

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2018年10月06日

20181006 Karly Chockers

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Fandangoに向けて、当日販売するカーリー・ショッケールのライブ音源を収録したCDRを、せっせと焼き増ししながらふと思ったことがある。私にとってこのバンドは、本当に掛け替えのない、人生の全てを引き換えに差し出しても畏れ多いほどあまりあるバンドだった。CDRに収録したうちの一曲をここに添付しよう。非常に長くて聞き苦しい音源だが、最後まで聞いてほしい。ちょっとだけ我慢して耳をすませてほしい。歌詞をよく聞いてほしい。これをアフリカ音楽を模倣した日本人の演奏だと思うだろうか・・・そんなことは絶対にあり得ないはずだ。確かに全体の形式はコンゴのルンバに則っているが、この混沌、暗黒、得体の知れなさ、のたうちまわり、悶え苦しみ、出口を求めて猛り狂うエネルギー・・・これはロックであり、パンクであり、我々が通過してきた闇のようなノイズ・ミュージックの結晶体であり、プログレッシヴ・ロック、これこそまさに宇宙である。カーリー・ショッケールは、アフリカ音楽を題材に自分たちの混沌とした宇宙を表現しようとしてきたバンドであった。弾け飛ぶ個性、それゆえになしえた破壊的なエネルギーの放出、しかしそれは非常に不安定で危うい。世の中には一芸に秀でた人がいて、そんな人は往々にして実生活が破綻しているものである。コンゴの本国においても、身の毛のよだつほど美しい曲を作る歌手が、廃人寸前の生活破綻者であることは珍しくない。カーリーにもそんなメンバーがかなりいて、現役時代であった20年以上前は皆まだ若かったから、ほうぼうに弾け飛ぶ個性も、丸ごと許容できる柔軟性があった。だからバンドは成立した。しかしメンバーのほとんどが還暦を迎えようかという今、その過激性ゆえに現実の肉体が滅びてしまった人もあり、その刹那性ゆえに現実の精神が滅びてしまった人もあって、もはや往年の身・技・体すべてに充実した演奏は望みうべくもないが、自分たちの若かった頃の姿の後塵を拝するほど老いぼれてもおらず、情熱を持続させてきたがゆえに身についた多くの経験が演奏の中に生かされて、カーリーという宇宙の別な局面を見せてくれた。そして演奏の底から湧き上がる混沌のドス黒い煙はまたもやスタジオに充満したのである。カーリーでなければなし得ない音世界、カーリーの他には誰にも表現できない宇宙である。老いぼれの大多数は、生きていくために現実に妥協して、さまざまに姿形を変えてはいるが、なかには往年のゴロツキっぷりを十全に残した奴もいて・・・しかし彼がいなかったら今回のライブは成立しなかったはずだし、こうして自分の立ち位置を振り返り、進むべき道を見直す機会もなかったであろう。音楽は、心地よい快楽の時間を与えるばかりが能ではない。生活と生命を賭けた、命がけのドロドロの、なりふりかまわぬ「もがき」だからである。

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2018年09月02日

20180901 Karly @ Okayama

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 やっちゃいましたよこないだの「カーリー・ショッケール」岡山ライブ。なんと近隣から苦情が来て警察沙汰になって演奏中止。こんなん初めて。現役時代にも苦情は何度かあったが中止に追い込まれたのは初めて。2曲やって静かな曲を挟んで次でマグマのごとくレッド・ゾーン振り切ってラスト突き破ったろか思とった矢先の出来事だった。10代や20代の若者がやっちゃうことはあっても、主要メンバーはもう50代後半、こんなタイミングでこんなことになるとは・・・

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2018年08月31日

20180831 左手リハビリ特訓中

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左手リハビリ特訓中・・・だいぶスティックの軌跡が一定の弧を描くようになってきた。ノーテク、シングルストロークのみの自己流脱力奏法で4時間演奏し続けたあの頃の感覚が蘇ってきた。
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2018年08月25日

20180901 Karly @ Okayama

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https://www.facebook.com/events/673105936400069/

この歳になって、もう一度カーリーをやれるなんて、もう嬉しくて嬉しくて仕方がない。世の中の理不尽も、俺に対するいわれなき嫌がらせも、すべて許す。なんといっても、俺はこの歳になってもう一度カーリーをやれるんだから・・・それがすべてだ。

2018年9月1日(土) 20:30 - 2:00
9月1日 20:30 ~ 9月2日 2:00

GypsyRose
〒7008200 岡山県 岡山市岡山県岡山市北区表町1-3-10 表町1号ビルB1


 20年以上前の大阪に、こんなバンドがありました。1986年結成、当時のザイール共和国 (現コンゴ民主共和国) に発生したアフリカのロック、Papa Wemba率いるViva la Musicaの音楽に衝撃を受け、それを土台にして自分たちの音楽を作り日本語で歌ったバンド、「カーリー・ショッケール」・・・全盛期には、当時のザイールの国民的スターであったPapa WembaやEmeneya Kesterと共演を果たし、コピーでもカヴァーでもない独自の音楽性で異色を放ったバンド・・・1995年、阪神淡路大震災のためにメンバーが散り散りになり止むなく解散、1997年に1枚のアルバムを残す。それから20年余り、若かった主要メンバーも50代後半、家庭を築き子供をもうけ、その子も手が離れて・・・そうならなかった者もそれなりに余裕が生まれて、ここにめでたく再結成の運び・・・その間に主要メンバーの三人を失いはしたものの、いまやインターネットもユーチューブもある。全盛期には聞くこともできなかった幻の音源も聴きあさり、音楽的経験や感性や知性も磨かれて、若気の至りの要らぬ欲も消え、互いの思いやりに満ちた絶妙のアンサンブルの中にも燃え盛る過激なルンバ・ロック魂。オトナの事情で年数回しかできません。体力の衰えでいつまでできるかもわかりません。やってるうちに聞きにきてください。必ずやあなたの腰は揺り動かされることでしょう。

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2018年08月08日

20180808 Karly Chockers 完全復活

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Karly Chockers (1986-1995) 完全復活 !! 「一夜限りの再結成・・・」などといいながら2009年、2017年に引き続き、なんと三回目の再結成。メンバー同士の心の通じ合いは、落ちて行く体力を補って、回を追うごとにこなれて高まり、これをもっていよいよ本格再起動の運びとなりました。「死ぬまでにもう一度Karlyをやりたい」・・・不遇の解散から23年、その間にメンバー三人を失い、もはや雑念も欲得も枯れ、そのかわり聞きまくった様々な音楽を糧に、演奏体力はないが経験と思いやりに満ちた絶妙のアンサンブルは、まるで生き物のように変幻自在にルンバ・ロックを奏でます。とりあえず岡山を皮切りに、散り散りになったメンバーの「大人の事情」で、年数回の活動となると見込まれますが、ここにKarly Chockers本格的に再起動します。乞う、ご期待。

https://www.youtube.com/results?search_query=Karly+Chockers


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