2020年06月07日

20200604 Ludus Danielis


  「引きこもりの美学・番外」・・・ひとつできました・といっても自分の演奏ではなく、既存音源の加工なので著作権の問題があるでしょうから、一般には公開しませんが、やろうと思っていることのひとつがこういう音楽です。この録音は、ごく短い印象的なフレーズを最初に提示して、続いてそれを半速、1/4速、1/8速に引き伸ばしたものを重ね合わせ、ある部分はカットし、ある部分は逆回転させ、最後にエコーをかけて撹乱してあります。デジタル技術のおかげで、今ではDTMもカンタンです。仕掛け自体はチャチなものですが、ごく短い印象的なフレーズを延々と繰り返し、それに変装を重ねていくことによって得られる音響的な効果に興味があったのです。このアイディアは、1975年にBrian Enoがプロデュースし、Gavin Bryarsが録音した ≫The Sinking of the Titanic ≫という作品に着想を得たもので、私にとってその作品は、どんな苦境の中で喘いでいる時でも、必ず心に平安をもたらしてくれる魔法のような音楽でした。それは、豪華客船「タイタニック号」が氷山に衝突して沈没するまでの間、ホールにいた楽士たちは、客の心を落ち着かせるために最後まで演奏をやめなかったという逸話に基づいています。実際にどのような演奏だたかは明らかではありませんが、この逸話に着想を得てGavin Bryarsが作曲したものです。ひとつの印象的なフレーズが最初に提示され、それをあるいは引き伸ばし、あるいはオクターブ下で倍尺に引き伸ばされた演奏を重ね、さらにその倍を重ねたり、同じテーマによる別の変奏を挿入したりなどという、極めて実験的でありながら、全体としては沈みゆく豪華客船の有終の美を飾るにふさわしい重厚さと気品、繊細さ、美しさを兼ね備えた、堂々たる作品です。それを可能にしたのは、元のフレーズの良さです。その録音では、楽士たちは極めてゆっくりとしたテンポでその曲を演奏していた、という証言に敬意を評して、非常にゆっくりと演奏されており、それがなお一層の効果をあげています。
 今回巡り合ったフレーズは、北フランスのボーヴェにある大聖堂Cathédrale Saint-Pierre de Beauvaisに12世紀頃から伝わる作曲者不詳の典礼劇"Ludus Danielis"の一節である。この大聖堂は10世紀ごろには小さなロマネスク様式の教会であったものが、13世紀に聖堂としての建設が始まり、最終的には16世紀いっぱいまでかかって、悩ましいまでに複雑怪奇な巨大ゴシック建築となったが、増築と崩落を繰り返して未だ未完成で現状維持のまま存続している。そこには中世以来様々な手書写本が残されていて、なかでも正月に行われていたという「愚か者のミサ」、要するに典礼の格式を逆転させた無礼講を大々的にやる儀式で、それはカーニバルの起源とされているのだが、その際に演じられたものの一つという、旧約聖書の『ダニエル書』に題材を取った『ダニエル劇』がこの聖堂に由来するとされている。この典礼劇は中世のものとしては非常に珍しく完全な楽譜が残されていて、上演の機会も多く、これを取り上げた演奏も多い。このうち、Dufay Collectiveの演奏では、随所に器楽合奏が挿入されていて、それらは非常に洗練されていて聞き応えがある。劇の概要は、カルディア王国が復興した新バビロニアで、その王ペルシャザールが宴会を開いていたとき、不思議な手が現れて文字を書いたが誰にも読めず、ユダヤ人捕虜であったダニエルが解読して王に注進した。その内容は、王の神を恐れず豪奢をきわめるを諫める予言であった。国は程なくアケメネス朝ペルシャに滅ぼされ、囚われていたユダヤ人が解放されるという史実に基づく。
 そのうち、私は今回の試みに、不思議な手が現れて会席者が恐れ慄く場面の、歌に続く器楽合奏の部分を抜粋して使った。音楽を聴く楽しみは、つまるところ自分にとって印象に残るメロディなりフレーズを探し求める旅であろう。であれば、それが多く得られれば得られるほど幸福が増すというものである。いまのところこのフレーズは既存音源であるが、これを何らかの楽器で実際に演奏して録音し、同じ効果を得るべき編集して作品にしたいと思っている。
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2020年05月12日

2019年10月25日

20191025 Felabrations

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 自分たちが出演するはずだったイベント「Felabration Osaka」へ行ってきた。全く素晴らしいイベントだったし、出演バンドAfrobeat Eat Osakaの演奏も素晴らしかった。よくあそこまで、あの黒くて重たいニュアンスを演奏できたものだと感心した。そしてなにより、アフリカ音楽に関心のある人や関わる人の層の厚さが、自分たちの現役時代と比べ物にならないほど大きくなっていたことに驚かされた。文化として着実に定着している。そしてこれらの演物の中に自分たちが出演できていたら、Afrobeatとは全く異なるRumbaの音世界を提示することができただろうに、このお客さんの前で、自分たちの演奏は行われるべきだった。このイベントは、出るべきイベントだった。初めての本格的ライブハウスでのフルセットでの演奏となった十三Fandangoでのライブは、ステージ感が戻りきっていなかったことによるミスの連発と、かなり無理して突貫工事したステージングにボロが出て、痛恨のライブとなってしまった。これらの修正と、新たな挑戦の雛形が出来上がりつつあったときに、その初めてのステージ・リハを打ち合わせている最中にあいつが死んだ。我々のやっている音楽はギター・ミュージックである。我々のこの感覚、ルンバ・コンゴレーズの持つあの感覚に惚れ込み、自ら音を紡ぎ出していくギタリストに出会えるチャンスなど、ほぼ皆無に等しい。それを待っている間に我々は年を取り過ぎてしまうだろう。イベントを見た後、我々は決意した。メンバーが欠けても、片手片足がちぎられても、何かが足りなくても、妥協するのではなく、我々はやり切る。そんな決意に至るとは思わなかったが、残されたメンバーでやるしかないのだ。せっかくここまで作り上げてきたものが、風雨に蝕まれてしまうよりは、それがたとえどんなに不完全で取るに足りないものであっても、やることの方に意義がある。よし、やろう。

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2019年08月24日

20190824 Karly Chockers 活動休止

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 誠に残念なお知らせです。カーリー・ショッケールは、ギタリスト今井健夫の不慮の死により、活動休止のやむなきに至りました。現時点で打診のありました全てのイベントへの出演は叶わぬこととなりました。楽しみにしていただいていた皆様、招聘をご検討くださっていた皆様には、心からお詫び申し上げます。誠に残念ですが、メンバーがいなくなった以上、演奏することができません。

 先日、残ったメンバーが集まってスタジオを一時間だけ借り、今井の曲を一曲演奏することによって、彼への追悼とさせていただきました。その後、参加できなかったメンバーも交えて飲み屋へ場所を移し、今後どうするかを話し合いました。

 私は当初、重苦しい無力感が全体を支配して、もうどうすることもできない状態で泣く泣く解散を決めることになるのではないかと悲観していました。もう三人もメンバーを失い、二人が脱退してしまったからです。しかし、さすが我がカーリー、誰一人として辞めると言い出した者はありませんでした。ギタリストを新たに探してでもバンドを再起動させる。これが結論でございます。それがいつになるのかは全くわかりません。見つからないかもしれません。しかし、我々は、新しいギタリストを見つけて再起動したい。それまでは残念ながら活動休止です。

 というわけで、我々のような音楽に興味があって、ギターを弾いてみたい人やお心当たりのある人は、どうかご連絡ください。カーリー・ショッケールはギタリストを募集しています。そのための参考になる音源を、これから時々投稿していきたいと思っています。バンドが儲からない限り、多分報酬は出せません。しかし、この、日本では全く他に類を見ない音楽をやっているバンドのギタリストであるという栄誉は、多分日本の音楽史上に残るでしょう。詳しいことは直接やりとりで・・・多数のご応募をお待ち申し上げております。

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2019年08月19日

20190819 memento mori

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 死を想う・・・私は霊感もほぼ皆無と思われ、心霊現象に遭遇したことは一度もない。あるときお世話になった仕事先の社長の奥さんが亡くなり、葬式を終えて、限られた親近者だけで社長を囲んで酒を飲みながら彼を励ましていたときのこと。私は持ち前の器量を発揮して、なるべく場が暗くならないように、面白おかしく仕事上の伝説について話題を振りまいていたのだが、ふとみんなが黙ってしまったのである。

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たまたま私の隣が空席だったのだが、みんなそこを凝視して凍りついている。私は酒も回っていたので、場も空気もわきまえず、「みんなどないしたんや」「アホ、おまえ、となりがみえんのか」「となり、て、最初から誰もおらんやんけ」と言うてその空間で手を振り回したら、みんな顔色変えてアホ、なんちゅうことすんねん、やめんかい」て真顔で怒りよる。

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後で聞いたら、そこに奥さんが座っていて深々とお辞儀をなさっていたらしい。私以外の全員にそれがはっきり見えたのに、私には全く見えなかったのだ。まあ私はそれほど霊感のない男なのだが、それでも何度か、人の死にかんして、説明のつかない現象を経験したことはある。

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ふるくは、私の本家の主人である伯父が亡くなる前、なぜか急に本家へ行きたくなって、わざわざ電車で総社まで行き、伯父に会いに行った。伯父はすでに長く全身付随で車椅子生活だったのを、奥さんが献身的に介護されており、飛び抜けた頭脳を持ちながら若くしてその能力を奪われ、全てを車椅子の上で何も表現することなく生きておられた。しかし私が訪問すると、確かに笑ったのである。別になんと言うこともなく数時間を三人で過ごし、私は退去した。その数日後、伯父の訃報を聞いて全く驚いた。それが私にとって初めての、そして今までで最も強い心霊的な現象であった。

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近いところでは昨年末のピリピリ十回忌イベントの時、曲をおさらいしておこうとしてアンプのスイッチを入れたらヒューズが切れた。それを修理に出そうとして、行きしなにたまたま例の「周記蘭州牛肉面」店を見つけたというおまけ付きだったが・・・しかしライブ当日もたくさんの不可思議な現象に見舞われた。

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リハ時に他の演し物では問題なかった音響システムやアンプ類のスイッチが入らなくなった。出演者の携帯電話が勝手に電話帳の中の電話番号に発信しはじめた・・・その他いろいろあるが、これらはいずれも電源関係だったので、電気系統にいたずらをするのが癖だったピリピリの仕業と誰もが気づいた・・・

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そして先日のFandangoラスト・イベントの時も、私のフット・ペダルのバネが吹っ飛んだ。Fandango備品のシンバル・スタンドの付け根がもげた。本番開始直後、ギタリストのストラップの留め金が抜け落ちた・・・これらはネジ状螺旋状の不思議に取り憑かれていたピリピリの仕業であることはいうまでもない・・・まあピリピリといえば、一夜限りの再結成だったはずの彼の追悼イベントの我々の演奏中、Fandangoのステージ先に白い雪が降ったことは観客も見ていた現象である。

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さて今回、あまりの暑さと悪臭に数日を無為に過ごしていた私は、寝ていてもできる作業として、動作の重くなっていたMacの内部のクリーン・アップを試みていたのだ。まだ今井の死を知る前のことである。外部ディスクにOSをインストールして起動し、起動ディスクを消去してシステム全体を入れ替え、OSも新しいバージョンに載せ替えて置こうとしたのである。何時間も処理を待つ必要があるので、その間寝て過ごせるのでそうしたのだ。作業プロセスが全て終わってPRAMのクリアも実行して再起動した。初期画面が現れてパスワードを入力した。ログインが始まったことは画面で確認できるが、そこから進まなくなったのだ。数時間放置しても変わらず、何度か外部ディスクからの起動を試みたり、考えうるあらゆる手を尽くしたが進展はなかった。バイトへ行かなくてはならなかったので強制的に電源を落とした時に携帯が鳴った。訃報だった。それからは彼の死をどう処理するかの現実問題に関わらざるを得なくなった。彼は天涯孤独だったからだ。それらが片付き、我々友人たちは公的には関与しないことが明らかになったため、カズとともに現場へ花を手向けに行ったというのが、実は最近の投稿になるのだが、帰宅してMacの電源を入れてみたら、まったくなにごともなかったかのように動いたのである。まあ、あいつが何かを知られたくなかったのか、それとも神童と言われた本領を発揮して、手の込んだいたずらを置き土産に旅立って行ったのか、今の所真相はわからない。

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20190819 memento mori

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 今井健夫 (享年53) ・・・岡山から単身大阪へ出てきたところ結成当初の「カーリー・ショッケール」に捕まり、多分これで人生を棒に振った。幼友達の話のまた聞きでは、彼は子供のころ神童と呼ばれ天才だったという。確かにその片鱗は彼の感性と行動に表れていた。私のように理詰めでやっと物事にたどり着くのではなく、直感一発で本質を見抜く鋭い洞察力を持っていた。そしてご多分にもれずロマンティストであった。外見はどちらかというと地味だったが、独特の人間的な表情があった。

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バンドでは歌手を務め、独特のくぐもった声で中音域とアニマシォンというダンスの掛け声を担当していた。自身の曲も、確か2曲あった。弱さをさらけ出すタイプ・・・そして事実、弱かった。職場の人間関係に悩み、トラブルになったことが原因でバンドを辞め、岡山に戻っていた。

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家族の話は聞いたことがなく、どこでどうして暮らしているのかもよくわからなかったが、その後バンドが解散し、20数年が経過する間に、仕事の都合でリーダーが岡山に赴任したことがきっかけで交流が始まった。

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亡くなった当時、河川敷で練習していたというバンドは我々ではない。いわゆる「スピリチュアル系」の文化に交流があって、そのようなイベント、そのような人間関係に身を置いていたが、やはりご多分にもれず一通りのものには手を出して自身を顧みなかったため、やがて身を持ち崩し、ついには健康も定かではなくなっていた。

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岡山の音楽シーンでも、やはり好き嫌いがあって、まあ色々と噂が立っていたらしいのだが、リーダーがこのままではせっかく我々と一緒に活動した彼がくすんだまま潰れてしまうと危惧して、ちょうどFandangoの30周年記念イベントに呼ばれたのをきっかけに、彼をギタリストとして鍛え直してバンドを再結成するという、当時の我々からすると、とても実現不可能としか思われなかった難行に着手することになった。

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事実それは困難な道のりだった。何しろろくにギターを弾いたことはなく、チューニングもおぼつかなかったからだ。しかし持ち前の感性は見事に開花して、これまで在籍したどのギタリストにも出せなかった音色とフレーズで、カーリーの音楽を蘇らせることに成功した。化けた、のである。もちろん、実際に音楽を演奏する具体的な場面ではトラブルを連発した。しかしまあそれは、かならずファンの前でしか演奏しないというマネージメント側のコントロールでなんとか乗り切った。

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そして十三Fandangoのラスト・イベントでの演奏で、ダンサーも交えた往年のスペクタクル・ショウ的な演出の足がかりをつかみ、これを発展させて、我々にしかできないダンス。ミュージックのあり方を創造しようという具体的なリハーサルを固めつつあった矢先の訃報だった。・・・いまだに心は虚無である。喪失感はあまりにも大きい・・・川に佇んで彼の死を悼んだ後、リーダーと私は、彼が出没していた場所を巡った。くしくもそこは私の本家のあるまさにその場所でもあった。そしてよく自然との合体を目論んでイベントをやっていた山にも登った。そのあとリーダーの部屋で酒を飲んで彼の話をたくさんした。

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・・・これで日常に戻ろう・・・翌日、私はいろいろの場所を回って夏の観光気分を味わい、心にけじめをつけることにした。友達が死ぬといつも思う。彼らには、もうこのような景色を見ることはできないのだと・・・それがなんとも理不尽な思いがして仕方がないのだ。

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20190819 メンバーの死を悼む

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メンバーの死を悼む。天涯孤独と言われていたが、ようやく遠縁に当たる人が引き取り手として見つかり、葬儀その他は彼らの手で行われることになった。その希望により、我々友人たちはそれらに関わることができないので、リーダーと共に彼が亡くなった場所へ行ってみた。

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河川敷にある大きな堰である。周辺は広く、国道から容易に入ることができ、自由に駐車もできる。台風の過ぎた翌日だったが、そんなに増水している感じではなかった。堰の下流に、ちょっとした石造りの出っ張りがあって、おそらくここで練習していたのであろう。未明にみんな車に戻って仮眠を取っていた間に、何度か小用に立ったとき、斜面で足を滑らせて落ちたか、斜面は草に覆われているが、結構急である。

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報道では「堰から20m下流」とあったので、大体その辺に佇んでしばらく時を過ごした。体が健康であれば、たとえ落ちたとしても溺れることなく這い上がったであろう。ミュージシャンの多くがそうであるように、彼も理想をイメージとして追い求めるあまり、現実の肉体をほとんど顧みなかった。もろいもんである。いつかはこうなると、誰もが予感していたはずだ。本人も分かっていただろうが既に気力を失っていた。

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もともと「カーリー・ショッケール」の再結成は、次々と死んでゆくメンバーを見て、道半ばで活動を中断させられた我々のとった最後のあがきであり、同じ道を死へと突き進む彼をなんとか更生させたいという思いで始めたことだった。しかしそれがこんなに唐突に、その彼自身の死をもって終わることになるとは・・・なんともやり切れない思いである。こうして我々は、三人のメンバーを失い、二人のギタリストを潰した。手足をもがれ、満身創痍の我々だが、それでも不死鳥のように蘇ることを誓って現場を後にした。

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2019年08月13日

20190813 今井健夫 (享年53歳)


今井健夫 (享年53)

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2019年08月02日

20190802 四川麻辣Fandango

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 暑い !! 暑いんで、久々にソーメンチャンプルー四川麻辣風・・・で、夕刻より十三Fandangoエンドロールを見に・・・途中、シルクロード料理「キローラン」へ、かつてキャバレーだったのか、入りにくさ満点のエントランスから入って、広いフロア脇の小さな席へ案内される。ウイグル料理の定番中の定番「家庭ラグメン」\900・・・麺はうまい。確かに手で打ってるし、現地で毎日食っていたものとほぼ同じ腰と味わいがある。しかし全体が・・・ちょっとおざなりかな・・・これで\900 ?? フロア担当のにーちゃんとねーちゃんは確かにウイグル人、しかしこの無駄に広いフロアでチャージでもとってショウでもやるんかな ?? ドタールが壁にかかってたんで、演奏する人もあるやもしれぬ。

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 引き続きまして十三Fandangoエンドロールへ・・・ライブのないバー営業だけの、32年の歴史にしみじみ思いをはせ・・・ることなんかできんくらい超満員で、しかもみんな若い !! いやいやこれでええんや、この活気熱気本気健在やFandango、このまま大阪のラテン天国、堺の海沿いへGo!! Go!! Go!!

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2019年05月26日

20190526 Karly@Fandango

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5/26 Karly Chockers live @ Fandango Juso

生存確認同窓会ライブ的な側面もあるのだが、Karly Chockersにとっては夢にまで見た再結成ライブで、この再結成が果たして意味のあるものなのかどうか試されるくらい重要なものと位置づけております。Karly ChockersFandangoが産まれた1987年に結成され、事実上1995年の阪神淡路大震災をきっかけに活動を継続できなくなって尻切れとんぼで終わった感がありました。その後、メンバーは別々の人生を歩み、やがて一人二人とこの世からいなくなってしまうのを見て、もういちど、きちんと自分たちの音楽をやり尽くしたいという思いで集まった。ピリピリが亡くなったときと、Fandango30周年記念イベントに呼ばれた時に、急ごしらえで集まったが、そのときは、まあ懐かしく楽しめたらええか、くらいでその場限りのつもりでやったのだが意外に結果が良く、20年のブランクを経てもなお、自分たちの中にKarly Chockersの血が脈々と流れていることを感じたので、せっかくここまでできるのならもう一度・・・と本格的再結成を決意したのでありました。しかし中心メンバーはすでに50代半ば、フロントはともかくリズム・セクションは還暦間近という状態で、若かった頃の体力がない。また選曲も、全盛期のような長時間の複雑な構成を持つ大曲をこなすだけのスタミナがない。むしろ初期の頃の、シンプルでストレートなロックに無理やりリンガラ・ポップスのダンスをくっつけたような曲しかできない・・・というのが却って幸いして初心に帰ることができたような気がします。動画は、なぜかアルバムに収録されなかった初期の代表曲「Kinshasa Rhapsody」・・・イントロはPapa Wembaの名曲「Analengo」のものをそのままパクリ、無理やり歌に続ける。著作権問題が心配といえば心配だが、まあ本人の前で演奏して本人が歌うたこともあったしええやろ・・・歌詞が良いです。

「冷たくされて僕は、星の降る路地を、チンピラみたいに、ただ歩く・・・」

6曲やります。全部は紹介しきれんのですが、まあうちのやりたかった思いを言葉に変えて、当日の楽しみの足しにしてもらえたら幸いです。

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5/26 Karly Chockers live @ Fandango Juso

Karly Chockers1986年に結成されたが、その経緯は少し複雑だ。もともとピリピリがやってたOrchestra Pili-Pili (初代) から発展したNonstop Caïmanに在籍していたメンバーは、大体三つのグループに分かれていて、一つは現在リーダーを務める福丸和久とその兄などの若手 (当時の) 、いまひとつは後に河内家菊水丸や大西ゆかりなどのバックを務めることになる河内音頭系グループ、もうひとつはラテン音楽に傾倒した音楽教師などアカデミックなインテリ・グループであった。それを首謀たるピリピリが酔った勢いだけでなんとかまとめてたものだから、演奏内容は実に雑多というか大雑把で、今聞くとこれが音楽かと耳を塞ぎたくなるものも少なくない。そんな状況に嫌気がさしたピリピリ本人が、リンガラ・ポップスを軸に自らの信じるアフリカ音楽路線を究明すべく、上の後者二つのグループを排除して、もっと気の合ったメンバーとともにバンドを結成したいと密かに考えていた。それとは別に、関西の最も前衛的なオルタナ音楽レーベル「かげろうレコード」のViola Reneaというバンドに在籍していた冨依と大西と私の三人は、その解散後、毎週のように集まっては名もない即興演奏を延々と繰り返し、録音を重ねていた。こちらもReggaeJazz FunkJuju Music・リンガラポップスの真似事など雑多に入り混じった名もない演奏を続けるうち、よりしっかりとした核を求めるようになっていた。このふたつが1985年ごろに接触する。ピリピリは、Nonstop Caïmanと並行して、そのメンバーに我々三人その他を加えた編成でNonstop Caïman New Lookを結成し、現在大阪ミナミのアメリカ村Big Stepの敷地にあった南中学が取り壊される前のお別れイベントに出演している。その後、ピリピリは3度目のアフリカ旅行へ旅立ち、KinshasaPapa Wembaと夢のテレビ出演を果たし、当時のザイール全土にピリピリの名が知れ渡った。ところが日本では、ピリピリ不在のNonstop Caïman New Lookのメンバー全員が福丸和久をリーダーとして造反し、ピリピリとは別バンドとして独立してしまった。こうしてKarly Chockersが誕生し、ピリピリは自分を欺いたメンバーのバンドに、ギタリストとして参加することになる。
さて、この動画は「ワニの王国」という曲で、冨依と大西と私の三人が果てしなくセッションを繰り返していた時期におぼろげながらできつつあった曲なので大変古い。曲は多数の楽章に分かれた組曲のようになっており、これは彼の作風である。楽章が複雑でもっとも長かったのは「ナゼダカ」という曲で、完成した当初は通して演奏するのに実に45分を要した。あまりにも長いので強引に三分の一に縮めたものがCDの冒頭を飾っている。この「ワニの王国」も紆余曲折を経ているのだが、曲想の源泉は萩原朔太郎の「およぐひと」である。これは「かげろうレコード」時代によく一緒に共演した「He Was」というユニットで、演奏、というか朗読に楽器音をひたすら通奏する形でやったものだが、詩の一つのフレーズを果てし無く繰り返す中で派生して来るイメージを言葉にしたものを連ねて行ってひたすらにかきくどく。だから彼の作る曲の歌詞には繰り返しがほとんどなく、延々と口説きが展開するのである。そんな曲を我々は下痢するほど練習するので、すっかり覚えてしまうのである。この曲も短く整理されたものがCDに収められているが、今回のライブでは、体力の限界からさらに短くしたものを演奏することにしている。

「夜の海に出でて、くりかえしくりかえし、寄せては返す黒い波のようなお前を呼ぶ。波の間をしなやかに舞う、透き通るようなお前のからだ、ななめにのびてさまよいながら、月の光を優しく乱す。」

これは歌詞のほんのワン・フレーズだが、こういう詩の世界が延々と続くのである。音楽は表現である。バンドは演奏という形で思想を具現する。人の営みは単純ではない。複雑に重なり絡み合った思想を表現するに、リンガラ・ポップスという形式は我々にとって全く格好の器になった。だから我々はこれを演奏しているのである。だから我々は別にアフリカ音楽を演奏しているわけではない。だから我々の音楽を「アフリカでもなんでもない、大阪そのものだ」と評した人があるが、それは全く正しいし、それを誇りに思うのである。Karly Chockersというバンドは、リンガラ・ポップスを演奏しているのではなく、我々の音楽はリンガラ・ポップスという様式でないと演奏できないのである。これは、ややもすると見過ごされてしまいがちであるが、非常に重要なことである。

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posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 音楽活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする