2019年08月13日

20190813 今井健夫 (享年53歳)


今井健夫 (享年53)

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 音楽活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月02日

20190802 四川麻辣Fandango

KIF_4600.jpgKIF_4606.jpgKIF_4607.jpg

 暑い !! 暑いんで、久々にソーメンチャンプルー四川麻辣風・・・で、夕刻より十三Fandangoエンドロールを見に・・・途中、シルクロード料理「キローラン」へ、かつてキャバレーだったのか、入りにくさ満点のエントランスから入って、広いフロア脇の小さな席へ案内される。ウイグル料理の定番中の定番「家庭ラグメン」\900・・・麺はうまい。確かに手で打ってるし、現地で毎日食っていたものとほぼ同じ腰と味わいがある。しかし全体が・・・ちょっとおざなりかな・・・これで\900 ?? フロア担当のにーちゃんとねーちゃんは確かにウイグル人、しかしこの無駄に広いフロアでチャージでもとってショウでもやるんかな ?? ドタールが壁にかかってたんで、演奏する人もあるやもしれぬ。

KIF_4629.jpg

 引き続きまして十三Fandangoエンドロールへ・・・ライブのないバー営業だけの、32年の歴史にしみじみ思いをはせ・・・ることなんかできんくらい超満員で、しかもみんな若い !! いやいやこれでええんや、この活気熱気本気健在やFandango、このまま大阪のラテン天国、堺の海沿いへGo!! Go!! Go!!

KIF_4608.jpgKIF_4609.jpgKIF_4610.jpgKIF_4611.jpgKIF_4612.jpgKIF_4614.jpg

KIF_4627.jpgKIF_4626.jpgKIF_4623.jpg

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 音楽活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月26日

20190526 Karly@Fandango

61285582_10156343249739033_1662181278746673152_o.jpg

5/26 Karly Chockers live @ Fandango Juso

生存確認同窓会ライブ的な側面もあるのだが、Karly Chockersにとっては夢にまで見た再結成ライブで、この再結成が果たして意味のあるものなのかどうか試されるくらい重要なものと位置づけております。Karly ChockersFandangoが産まれた1987年に結成され、事実上1995年の阪神淡路大震災をきっかけに活動を継続できなくなって尻切れとんぼで終わった感がありました。その後、メンバーは別々の人生を歩み、やがて一人二人とこの世からいなくなってしまうのを見て、もういちど、きちんと自分たちの音楽をやり尽くしたいという思いで集まった。ピリピリが亡くなったときと、Fandango30周年記念イベントに呼ばれた時に、急ごしらえで集まったが、そのときは、まあ懐かしく楽しめたらええか、くらいでその場限りのつもりでやったのだが意外に結果が良く、20年のブランクを経てもなお、自分たちの中にKarly Chockersの血が脈々と流れていることを感じたので、せっかくここまでできるのならもう一度・・・と本格的再結成を決意したのでありました。しかし中心メンバーはすでに50代半ば、フロントはともかくリズム・セクションは還暦間近という状態で、若かった頃の体力がない。また選曲も、全盛期のような長時間の複雑な構成を持つ大曲をこなすだけのスタミナがない。むしろ初期の頃の、シンプルでストレートなロックに無理やりリンガラ・ポップスのダンスをくっつけたような曲しかできない・・・というのが却って幸いして初心に帰ることができたような気がします。動画は、なぜかアルバムに収録されなかった初期の代表曲「Kinshasa Rhapsody」・・・イントロはPapa Wembaの名曲「Analengo」のものをそのままパクリ、無理やり歌に続ける。著作権問題が心配といえば心配だが、まあ本人の前で演奏して本人が歌うたこともあったしええやろ・・・歌詞が良いです。

「冷たくされて僕は、星の降る路地を、チンピラみたいに、ただ歩く・・・」

6曲やります。全部は紹介しきれんのですが、まあうちのやりたかった思いを言葉に変えて、当日の楽しみの足しにしてもらえたら幸いです。

61609708_10156343246104033_1270524907536515072_o.jpg61607644_10156343251579033_1316550636073910272_o.jpg61498993_10156343250939033_7250263683115253760_o.jpg61349506_10156343246049033_119553502765645824_o.jpg61438521_10156343248839033_6834242327507107840_o.jpg61537077_10156343245569033_3163350212160782336_o.jpg61323875_10156343248779033_1514761328084910080_o.jpg61301401_10156343248669033_4152358533343477760_o.jpg61372949_10156343250089033_1599891492606836736_o.jpg61948782_10156343253164033_2016148839488028672_o.jpg61684582_10156343247649033_9205428380751626240_o.jpg

5/26 Karly Chockers live @ Fandango Juso

Karly Chockers1986年に結成されたが、その経緯は少し複雑だ。もともとピリピリがやってたOrchestra Pili-Pili (初代) から発展したNonstop Caïmanに在籍していたメンバーは、大体三つのグループに分かれていて、一つは現在リーダーを務める福丸和久とその兄などの若手 (当時の) 、いまひとつは後に河内家菊水丸や大西ゆかりなどのバックを務めることになる河内音頭系グループ、もうひとつはラテン音楽に傾倒した音楽教師などアカデミックなインテリ・グループであった。それを首謀たるピリピリが酔った勢いだけでなんとかまとめてたものだから、演奏内容は実に雑多というか大雑把で、今聞くとこれが音楽かと耳を塞ぎたくなるものも少なくない。そんな状況に嫌気がさしたピリピリ本人が、リンガラ・ポップスを軸に自らの信じるアフリカ音楽路線を究明すべく、上の後者二つのグループを排除して、もっと気の合ったメンバーとともにバンドを結成したいと密かに考えていた。それとは別に、関西の最も前衛的なオルタナ音楽レーベル「かげろうレコード」のViola Reneaというバンドに在籍していた冨依と大西と私の三人は、その解散後、毎週のように集まっては名もない即興演奏を延々と繰り返し、録音を重ねていた。こちらもReggaeJazz FunkJuju Music・リンガラポップスの真似事など雑多に入り混じった名もない演奏を続けるうち、よりしっかりとした核を求めるようになっていた。このふたつが1985年ごろに接触する。ピリピリは、Nonstop Caïmanと並行して、そのメンバーに我々三人その他を加えた編成でNonstop Caïman New Lookを結成し、現在大阪ミナミのアメリカ村Big Stepの敷地にあった南中学が取り壊される前のお別れイベントに出演している。その後、ピリピリは3度目のアフリカ旅行へ旅立ち、KinshasaPapa Wembaと夢のテレビ出演を果たし、当時のザイール全土にピリピリの名が知れ渡った。ところが日本では、ピリピリ不在のNonstop Caïman New Lookのメンバー全員が福丸和久をリーダーとして造反し、ピリピリとは別バンドとして独立してしまった。こうしてKarly Chockersが誕生し、ピリピリは自分を欺いたメンバーのバンドに、ギタリストとして参加することになる。
さて、この動画は「ワニの王国」という曲で、冨依と大西と私の三人が果てしなくセッションを繰り返していた時期におぼろげながらできつつあった曲なので大変古い。曲は多数の楽章に分かれた組曲のようになっており、これは彼の作風である。楽章が複雑でもっとも長かったのは「ナゼダカ」という曲で、完成した当初は通して演奏するのに実に45分を要した。あまりにも長いので強引に三分の一に縮めたものがCDの冒頭を飾っている。この「ワニの王国」も紆余曲折を経ているのだが、曲想の源泉は萩原朔太郎の「およぐひと」である。これは「かげろうレコード」時代によく一緒に共演した「He Was」というユニットで、演奏、というか朗読に楽器音をひたすら通奏する形でやったものだが、詩の一つのフレーズを果てし無く繰り返す中で派生して来るイメージを言葉にしたものを連ねて行ってひたすらにかきくどく。だから彼の作る曲の歌詞には繰り返しがほとんどなく、延々と口説きが展開するのである。そんな曲を我々は下痢するほど練習するので、すっかり覚えてしまうのである。この曲も短く整理されたものがCDに収められているが、今回のライブでは、体力の限界からさらに短くしたものを演奏することにしている。

「夜の海に出でて、くりかえしくりかえし、寄せては返す黒い波のようなお前を呼ぶ。波の間をしなやかに舞う、透き通るようなお前のからだ、ななめにのびてさまよいながら、月の光を優しく乱す。」

これは歌詞のほんのワン・フレーズだが、こういう詩の世界が延々と続くのである。音楽は表現である。バンドは演奏という形で思想を具現する。人の営みは単純ではない。複雑に重なり絡み合った思想を表現するに、リンガラ・ポップスという形式は我々にとって全く格好の器になった。だから我々はこれを演奏しているのである。だから我々は別にアフリカ音楽を演奏しているわけではない。だから我々の音楽を「アフリカでもなんでもない、大阪そのものだ」と評した人があるが、それは全く正しいし、それを誇りに思うのである。Karly Chockersというバンドは、リンガラ・ポップスを演奏しているのではなく、我々の音楽はリンガラ・ポップスという様式でないと演奏できないのである。これは、ややもすると見過ごされてしまいがちであるが、非常に重要なことである。

61986082_455197951985532_5778832824085774336_n.jpg62038345_455198268652167_1659934912066617344_n.jpg62116924_455198701985457_4480110975214682112_n.jpg62077702_455198235318837_7234757687240556544_n.jpg61998157_455197911985536_8490374565724160000_n.jpg61986427_455198001985527_2933031010364817408_n.jpg62270925_455198895318771_2270757932473778176_n.jpg62318267_455197855318875_48369440651214848_n.jpg62013177_455198041985523_5945187159546789888_n.jpg62057498_455198735318787_4709498431100420096_n.jpg62339796_455198968652097_4618092017983946752_n.jpg62453362_455198171985510_5306913053235740672_n.jpg62489250_455198108652183_2454505721547456512_n.jpg62366822_455198428652151_3558994804102660096_n.jpg63980757_455198141985513_6843693506121170944_n.jpg62466027_455198318652162_3530728310067691520_n.jpg


posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 音楽活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月12日

20190512 須磨から京都へ

KIF_4073.jpgKIF_4078.jpgKIF_4077.jpgKIF_4086.jpg

いくら生活のためとはいえ毎日毎日朝早くから土に埋もれ、夜遅くまでバイトばかりしてたんでは精神の実りがない。今日は音楽三昧で須磨から京都までハシゴするのである。「須磨の風」というフリー・コンサートがあった。細かいことは下記のリンクを見ていただくとして、それがいろんな事情で継続されなくなった後も、毎年この季節になると暗黙の申し合わせで、かつてステージを仮設した周辺に集まってひたすら演奏するのである。その主催者、私にとって魂の音楽の師匠というべき中野いち朗師の心の広さ暖かさがとにかく素晴らしい。それは例えようがないほど素晴らしいのであって、どれほど素晴らしいかというと、あるとき「須磨の風」のステージに、10年前に死んでしまった大阪がアフリカに誇る泥酔の音楽伝道師ピリピリが毎度のごとく乱入した。そこらへんにどこにでもころがっとるありふれた主催者ならば当然乱入した側を責めるであろう。私もそれは当然だと思う。しかし師匠は違う。たかがピリピリごときに乱入されたぐらいで演奏を妨害されるような出演者の根性を問うたのである。私はこの勇気ある行動に涙した。そのときそこに居合わせた全ての人が、最初は理不尽と感じながらも、次の瞬間、このフリー・コンサートの意味を理解したのである。こんな素晴らしい主催者がかつてあっただろうか。これは素晴らしい体験だった。その空気が、この季節の須磨海岸へ行くと、たとえ周辺が開発されて薄汚くなって来たとしても、やはり生き生きと感じられるのである。演奏は、ほぼへべれけに酔っ払ったおっさん連中による、フルーズトもレゲエともよくわからぬ、鼻歌のようなゴタクのような、まあ幸せなひと時でした・・・

「須磨の風」写真集 by Itaminho

http://jakiswede.com/…/31works/…/3126sumakaze2001/index.html

http://jakiswede.com/…/31works/…/3127sumakaze2007/index.html

http://jakiswede.com/…/31works/…/3128sumakaze2007/index.html

こんないべんとでした・・・の巻。

http://jakiswede.com/2…/21acts/710sumakaze/7100sumakaze.html

KIF_4089.jpgKIF_4093.jpg

さてその後、私は京都へ走った。いや、走ったのは新快速であって私は座っていたのだ。おかげで大変京都が近くなった。駆け込んだのは、ブラジルからやって来たショーロのギタリストのワークショップである。ヘタなドラマーである私がギターのワークショップに参加したのは、私は常日頃からドラムやパーカッションなど、なくて音楽が成立するならそれに越したことはないと考えていて、できるだけ叩かないように、もし万一叩くようなことがあっても、できるだけ私の音が聞こえないように努力しているほどである。つまり私は最低限のリズム伴奏者であって、それ以上にで謝儀ってはいけない。そのためには、弦楽器のアンサンブルが基本となっている、この古き良きブラジル都市音楽の原型の、弦の絡みによるリズムのうねりをよく体得しておく必要がある。参加者は多かったのだが、驚くべきことにリズムのうねりがそれだけ分厚く、その美しさは言葉に言い尽くせないほどであった。

このようにこの日は前半と後半で全く相反するほど対極的な音楽のあり方に身をおいて、魂を洗浄したのであった。

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 音楽活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年03月22日

20190526 Karly@Fandango

22291258_120384308637313_3027612645035077876_o.jpg

全国の「カーリー・ショッケール」ファンの皆さま大変お待たせしました。本格再起動一年余を経て、やっとフル・バンドによるライブハウス演奏が実現します。しかも、場所は我々を育ててくれた古巣、大阪十三Fandango。じつはFandangoは事情があって今年の7月にはこの場所での営業を終了する予定なので、あの音で、あの空気の中でカーリーを見られるのはこれが最後です。当日はたくさんのバンドが出演されますが還暦パワーで正面突破、トリで約1時間たっぷり確保させていただきました。さらに往年のカーリーを彷彿とさせることができるか、女性アフリカン・ダンスマスターお二人にもゲスト参加していただき、フロント4人のド迫力で濃厚にお届けします。たぶん、もうこんな恵まれた機会はないと思います。かつての我々をご存知の方もそうでない方も、参加しやすい日曜日、是非ともFandangoへお運びください。お待ち申し上げております。

Mu LAST FANDANGOs "Thanks Otona Bands"

日時: 5/26 () 15:00開場 \2500/ドリンク別

場所: 大阪十三 Live Bar Fandango
大阪市淀川区十三本町 1-17-27 Tel: 06 6308 1621
https://www.fandango-go.com/jp/jindex.htm

出演:

カーリー・ショッケール

Julien Sorel

ぽんこつ音楽隊

Machine Head

トム&ジェリー

Cabo

Gold Dates

前売りご予約はFacebookメッセージにて・・・

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 音楽活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月14日

20190214 シンバル加工

KIF_3089.jpgKIF_3231.jpgKIF_3232.jpgKIF_3233.jpgKIF_3234.jpg

前々からシンバルを治さな治さな思とって時間がのうて出来んかったんがやっと今日できた。エッジからボロボロに割れた18インチは14インチにサイズダウンしてハイハットのボトムに、エッジからちょっとヒビ入った程度のやつは割れどめして擦れ予防にカット、買った直後にスタンドの角が当たったやつは切り抜く。加工はマキタの電動糸鋸盤MJ-401である。ブレードの寸法が市販のものより短いので、非鉄金属用をカットして使う。糸鋸台を作る。大体の高さを合わせて、楔で微調整できるようにする。円周に切るので、任意のサイズの中心となる位置に、ドラム・スティックの切れっ端を固定して芯にする。極めてゆっくりと、慎重に切り進むのだが、金属の曲線切りは常にブレードが外に振れる。それを修正しようとすると内に回り込む。本当に少しずつ切る。切れ味が悪くなったと感じたらすぐに交換する。二日がかりでやるくらいの根性でかかると、だいたいうまくいく。二日働いて中古シンバル買うた方がマシにはちがいないが・・・エッジなど短い切断は金属用のハサミでいける。あとはヤスリでバリ落とし・・・ほな叩くで !!

KIF_3235.jpgKIF_3252.jpgKIF_3256.jpgKIF_3253.jpgKIF_3254.jpg

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 音楽活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月26日

20190526 Karly again !!

01karly87.jpg

 このように取るに足りない私が命がけでやっているバカなことがもう一つある。それが「カーリー・ショッケール」というバンドであって、これほどバカなこともおそらくないのではないかと思う。

02kanio.jpg

 というのは、このような音楽をやっているのは日本に二つしかなく、もう一つの方も最近またメンバーが集まって再結成したらしいのだが、そっちはまだ良い。

04eri1.jpg

 なぜなら、オリジナルに敬意を表してリンガラ語で作曲して歌っているのだから。これはコンゴ人にも、コンゴ音楽を愛する世界の人々にも通用し、実際に世界的に紹介されたこともある。

05eri2.jpg

 しかし「カーリー」は違う。自分たちの言葉は日本語だから日本語でしか歌えない。しかしこのジャンルの音楽はほとんど日本人にアピールしないのだ。

06eri3.jpg

 スタイルはコンゴのものを土台にしているが、それを聞いていた1980年代後半で時計が止まってしまっているので、今のコンゴ人でさえ呆れてものも言えないくらい古臭い歌い回しやダンスを、そろそろ老境にさしかかろうかというおっさん連中が青筋立てて合奏している。

07mandela901.jpg

 確かにかつての彼の国の国民的大スターたちと共演した栄光の時代はあった。しかし日本で八代亜紀や北島三郎がいかに国民的大スターであっても、若者がそんなものを聞くだろうか ?? 側から見ててこれほど無様なものもない。

08mandela902.jpg

 ミュージシャンを標榜しながら、誰も楽譜の読み書きすらできない。自分たちの曲は自分たちにしか通用しないルールに従って展開されるので、ほかへの応用が全く効かない。

12kazlish.jpg

 ましてや芸術的価値なんて皆無だ。なぜこんなものを始めてしまったのか、さらに再結成なんてしてしまったのか・・・どうせなら、もうちょっと気の利いたジャンルの、もっと広い人脈の中で通用する、開かれた音楽に命をかけるべきではなかったか・・・

13itaro.jpg

 そう思って、「カーリー」が解散した後に、手持ち無沙汰のあまりブラジル音楽に接近したことがあった。

15natsuko.jpg

 いまだから白状するが、あれは全くの下心からだった。なぜならブラジル音楽ファンにはキレーなねーちゃんがたくさんいたからだ。

16okgirls.jpg

 しかし私はそんな世界でヤッてイケるような人間ではなくなっていたのだ。「カーリー」をやっていたおかげで・・・音楽の奈落の底と自分自身の生の事実を見てしまったからだ。

17anichai.jpg

 もうこうなってしまっては我が道を行くしかない。私が生きた証として、世の中にふたつとない「日本語によるリンガラバンド」を、命ある限り、無様であろうが、途中で野垂れ死にしようが・・・

21371pili.jpg

 あのパパ・ウェンバのようにステージでずっこけて死ねたらモォォォォッサイコーッ !! ・・・そんとき「やりきった」と笑って死ぬため、ただそれだけのために、俺はやるぜ。

090.JPG

 こんなバカなことを命がけでやるなんて、ほんまに意味のないことですが・・・もうちょい待ってください。5/26 (日) ・・・おっとっと・・・まだ発表できませんですが、お待たせしました。フルバンドでたっぷりやりまっせ・・・日曜日なんで空けといてください。

091.JPG21366kanio.jpg21367jakimbunda.jpg21369fandango.jpg21372tomy.jpg21373onishi.jpg21374ani.jpg21375imai.jpg21377monday.jpg

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 音楽活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月24日

20181224 Karly mini set

48415836_353162938855701_1784485991533248512_n.jpg49326586_353162978855697_4889326151983431680_n.jpg48422837_353163028855692_2134788665270861824_n.jpg48424733_353163108855684_3460860917422489600_n.jpg49449253_353163072189021_3216639761187864576_n.jpg49276796_353162872189041_7946843387808710656_n.jpg49144926_353163198855675_2252414513699618816_n.jpg48423250_353163252189003_3209738869729656832_n.jpg48976901_353162905522371_6750699935085101056_n.jpg49276796_353162872189041_7946843387808710656_n.jpg

Karly Chockers at Corner Stone Bar ものすごく良いライブでした。この場をお借りして、メンバーを代表して、心から感謝の気持ちを伝えたい。ピリピリも降りて来てました。当日の朝、私のアンプが昇天しました。他の複数の出演者の機材もトラブルを起こしていたそうです。また我々の演奏の本番中に何度もギター・アンプの電源が入らなくなりました。ピリピリが舞い降りて泥酔していた証拠です。彼は電気系統にいたずらするのが大好きなのです。彼の10回目の命日に演奏するチャンスを与えてくださった皆様、特に、今回フル・セットでの演奏ではなく、諸般の事情を鑑みてミニマム・セットでやってみてはどうかと提案してくれたHiro Equalizer氏、この困難を乗り越えて、柔軟に受け入れてくれたメンバーに、心からの敬意を表します。そしてその場を本当に心から楽しんでくれていた皆様、10年経つのに彼を忘れるどころか、10年経ったからこそできたとさえ思えるような様々な演奏や、観客としてその場にいてくださった皆様の反応、特にただの酔っ払いの鼻歌でしかない彼の歌を、そのヨレまくった節回しまで覚えていて一緒に歌える皆様に驚きました。こうした全てがピリピリのなせる業、来年以降も彼の命日に、みんなが集えるようになりたいと思います。そしてできれば、みなさんがみなさんなりにアレンジした彼の歌を持ち寄って、一つのアルバムができれば面白いかとも思いました。当日は色々あってその場で飲むことができず、先ほどまで溜まった仕事を片付けておりましたので、ようやく祝杯をあげたところです。カーリーの今年のライブはこれで終わりです。来年のことはまだ未定ですが、いくつかの打診がありますので、次はフル・セットでの演奏を楽しんでいただけると思います。みなさまほんとうにありがとうございました。

KIF_2093.jpg

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 音楽活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月22日

20181222 これで復活ピリピリナイト !!

48397680_1836715453118357_7305246411329634304_n.jpg48386321_1836715459785023_8090398409069953024_n.jpg

12/22 Saturday❣️

関西、日本でリンガラと言えばPILI PILIさん❣️

十回忌だそうで、そのパーティーがCorner Stone Barで開催されるんですが、光栄な事にそこにDJとしてお招き頂きました😊🎉💖
ありがとうございます🔥

PILI PILIさんが率いてた伝説のリンガラバンド "CURLY CHOCKERS (カーリー・ショッケール)" も最近再結成され、この日もスペシャルライブを繰り広げてくれます👍🎉🔥

つながらーとのアサヒトくんのマリンバライブや、Aloha FamiliaAkkoさん、お馴染み大先輩のHAVさんにNAMBA MANさん、そして今回オーガナイズされているHiro Equalizerさんと言う分厚い出演者陣です❣️

ほんでまたCorner Stone Barのお酒が美味しいんですわ👍❣️

私も十回忌、忘年会、クリスマス、年末、平成最後、アフリカンパーティー、バンザイ、大好き、全部ひっくるめて兼ねて兼ねてで禁酒解禁🎊しよかと思てますんで、是非ぜひ遊びに来て下さいです❣️🎉🎉😆

#Lingala #Lingalamusic #africanmusic #congo #afro #afrobeat #afrobeats #african #africandance #dance #dancer #dj #band #pilipili #osaka #japan

49144908_1839398839516685_383090101887959040_o.jpg

 ちゅーわけで音づくりとリハやっとこか、とアンプに電源入れたら飛んだ。やるやんけおっさん、丸腰で来いちゅう意味やな、ほな丸腰で行ったるさかい早よ降りて来んかい何が起こっても知らんぞ !! (クソまたカネが出て行く;_;)

 ピリピリの10回目の命日に彼の曲を演奏できることは、このうえない光栄である。バンド名であるKarly Chockers (1987-95)「カーリー・ショッケール」とは、男性の陰茎のカリ首でショックを与える奴らという意味の捏造語である。我々の演奏した音楽の題材は、アフリカ中部の、旧ザイール共和国(現コンゴ民主共和国)の「リンガラ・ポップス」と呼ばれるアフリカのダンス・ミュージックから採られている。日本の巷にあふれるワールド・ミュージック系の物まねグループと根本的に違ったところは、その「リンガラ・ポップス」をやりたくてやっていたのではなく、「リンガラ・ポップス」がかっこいいと思ったから、そんな音楽を自分たちの手で作って演奏したいと思ってやっていたという点である。

 この一点は、ややもすると見過ごされてしまいがちであるが、非常に重要なことである。我々は自分たちのライブ本番で、「リンガラ・ポップス」の曲を演奏したことは一度もない。もっともパパ・ウェンバが来日したときに、彼を歓迎する意味合いで彼の持ち歌を演奏したことはある。しかしそれとて、パパ・ウェンバを歌手に迎えて彼が歌ったのであり、我々がリンガラ語を勉強して自分たちで歌うことなど、思いもよらぬことだった。なぜなら、それは我々の言葉ではないからである。

 この一点も、ややもすると見過ごされてしまいがちであるが、非常に重要なことである。我々が活動していた同じ時期、千葉県市川市を拠点とした「ヨカ・ショック」というバンドが存在した。それは、当時の日本でたったふたつしかなかったこのスタイルのバンドのもうひとつだった。彼らのほとんどはリンガラ語を習得しており、オリジナル曲もリンガラ語で作られている。なぜなら、「リンガラ・ポップス」はリンガラ語で歌うものであり、そうでなければ、音楽のリズムや抑揚その他、その音楽の根幹部分が変質してしまうと考えているからである。それはそれとして正しい。我々は彼らにその点で大きな敬意を表していたし、実際、両者の関係は非常に良かった。しかし我々の観点とは根本的に異なっていたのも事実だ。すなわち彼らは、自分たちが「リンガラ・ポップス」に依って立つことを良しとしたが、我々は、「リンガラ・ポップス」をあくまで自分たちの素材としてしか見ていなかった。つまり、わかりやすく言えば、彼らは本物の「リンガラ・ポップス」を演奏しようとしたのであり、我々は自分たちの音楽を「リンガラ・ポップス」の形を借りて演奏しようとしたのである。これは、全く似て非なるものである。

 この一点も、ややもすると見過ごされてしまいがちであるが、非常に重要なことである。既存の音楽形式と自分自身との関係を明確化しておくこと、それはどんな音楽を演奏する場合にあってもきわめて厳粛に受け取られなければならない。これをうやむやにしたままで音楽活動を続けた場合、必然的に既存の音楽形式と自分との間の矛盾を吸収しきれなくなって崩壊するか、低俗な物まねで終わる危険がある。何故矛盾を来たすのかというと、既存の音楽形式を極めれば極めるほど、自分の音楽的ルーツとの決定的な断絶を思い知らされるからである。問題は、その矛盾をどのようにして乗り越えるかであるが、彼岸に乗り切ってしまうか、此岸に留まって自己を見つめ直すかという二者択一でしかない。前者の生き残る道は、神業的な技術を習得して観客を圧倒するのみ。しかしそれでさえ、単なる自己満足か、よくてせいぜい業界やファンたちの連帯満足でしかないのが実際である。音楽留学などとやらを果たして、すっかり向こうの人になった気でいる愚か者はごまんといるが、我々はそんなことで満足するようなオナニストではなかった。音楽は、特定の技術者集団のメシの種ではないし、どんな音楽でも自分の表現として生かす事が出来なければ、何の意味もないと考えていたからである。音楽は、どんな人にも楽しめる開かれたものでなければならない。人を圧倒するものではない。わかりやすく、自分の言葉で、自分自身を表現したものでしか成し得ない筈である。我々はその一点を信じて、というか、特に疑いを容れず、ありていにいえば他の言葉を覚えたり演奏技術を向上させたりなどという、健気な性根と忍耐を持ち合わせていなかったため、極めてガキんちょロック・バンド的に、自分たちの解釈で演奏を押し通したのである。

 この一点も、ややもすると見過ごされてしまいがちであるが、非常に重要なことである。音楽の楽しみは、誰にでも解放されている筈である。しかし、楽器の操作や歌唱には、自ずから習熟するための技術が要求される。才能も技術も金もないただの音楽バカが採りうるただ一つの道は、集まってひたすら練習する事である。音楽への情熱と衝動・・・それは、自分たちにない物への強いあこがれである。なければないほど手に入れたくなるし、手に入れようとすればするほど、それは遠ざかってゆく。我々は偶然にも、同じ時期に同じ場所に居て、同じ音楽、すなわち「リンガラ・ポップス」に触れて、その強烈な魅力に度肝ときんたまを持って行かれた。そこには、一応バンドひとそろい出来るだけのメンツがあった。これは全く持って幸運な事だった。「よし、やろか」これしかなかったのである。それ以後、ひたすらレコードを聴き、押し入れで練習し、川原で音あわせし、スタジオで実験して試行錯誤する日々が続いた。お手本も教科書も参考書もない。あるのはただ、あるべき姿のイメージと、自分たちの現実だけだった。そのあるべき姿のイメージですら、往々にしてすり切れて行く。ひたすら繰り返すコード展開とフレーズ、それにランダムに付けて行くバリエーション、鼻歌をこね混ぜて歌にして往く作業、切りのない言葉遊び・・・繰り返し繰り返し演奏し、実験を重ねて行く気が遠くなるような作業だった。ひと続きの演奏が曲としてまとまる頃には、その演奏のひとつひとつの音が、まるで自分の肉体のパーツのように明確に意識された。曲は「カーリー・ショッケール」という、ひとつの生き物となって生命を吹き込まれ、我々が演奏する事によって、意志を持っているかのように動き出す。その喜びは何物にも代え難かった。そのような、ひとつの有機体としての音楽がひとつのステージを築き上げ、観客がそれを楽しむ・・・ミュージシャンとして、これほどの悦楽が他にあるだろうか。それこそが本物の音楽だと思う。我々は、専門の音楽教育を受けた訳でもなく、特定の師匠についた訳でもない。ただ、自分たちのやり方で、自分たちの納得がいくように、誰の指図も受けずにやって来たのである。そうして最盛期には、関西ではかなり知られたバンドになっていた。しかし、生き物には寿命があって、形式に頼らずに良い状態を維持する事はなかなか難しい。各自が音楽的研鑽を積めば積むほど、自己の美学を独自に打ち立てて行くから、当然グループとしてのまとまりが弱まる方向に働く。成長する個性と、それを纏める努力のせめぎ合いの中で、阪神淡路大震災という巨大災害が、物理的にバンド運営を不可能にしてしまった。

 アルバムを聴いていただければわかるように、曲はほとんど日本語で歌われている。それはまず、外国語では自分たちが物事をストレートに表現できないからであり、客の大多数は日本人だからである。しかし、リンガラ語の持つ特性が曲をよりよくする部分、すなわち「リンガラ・ポップス」の独特のノリを取り入れることができる部分には、簡単なリンガラ語も使われている。例えば、ダンス・パートに於けるアニマシオンと呼ばれるかけ声などである。演奏されている曲は全てオリジナルで、作曲者が大雑把な曲の構成と歌詞を作ってきたあと、バンド全体で、そのテーマについて自由なインプロヴィゼーションを何度も繰り返していった。その際に、気に入った曲で使われているニュアンスや学びとったアイディアを演奏の中で表現してゆき、ライブで実験的に演奏されながら細かいアレンジやダンスが決められていった。「カーリー・ショッケール」は、誰ひとりとして楽譜の読み書きができないので、インプロヴィゼーションという遊びの中で、自然に曲が完成されていったというのが特長である。これは、もちろん自分たちが楽しみでやっていたのだが、それが結果的に客を楽しませることになり、音を楽しむという、音楽の本来の姿を自然に実現することになったと思う。「リンガラ・ポップス」に影響を受けながら、あくまでも自分たちの作品づくりにこだわったこの姿勢は、「カーリー・ショッケール」の音楽を、日本製の「リンガラ・ポップス」ではなく、カーリー・ミュージックとしか言いようのない、摩訶不思議な混血音楽として性格づけていくことになった。こういうバンドのあり方や遊び心を、そしてこのバンドが何をやろうとしていたのかを、ここから感じ取っていただければ幸いです。「カーリー・ショッケール」は、私にとっては一生のうちに二度とあり得ない、かけがえのない経験をさせてくれたバンドだった。音楽の本質の、一面を見たように思った。これによって、私は音楽について、また演奏について、しっかりとした経験と考えを持つに至ったからである。




posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 音楽活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月03日

20181103 Karly Chockers @ AMK

45436593_1776962709093632_7137113624400625664_o.jpgKIF_2081.jpg

文も写真も順不同・・・クソッ・・・えらんこと考えとったらステッカーのプリントすんのに左右反転し忘れたやんけ・・・ああいややいややせっかくカーリーの本格的ライブの前にドラムセット磨き上げてヘッドも交換して、バスドラの前にロゴまで入れたろ思てやなあ、はりきってやってきたのに反転するやせんやでややこしい話なっとってつい反転せなあかんとこし忘れてプリントしてシート一枚無駄にしたわ`

KIF_2077.jpgKIF_2075.jpg

20何年かぶりにPunk a la Bourgeoise、正式には耳の上からこめかみにかけてを斜め一直線に剃り落とす。ロゴもできたし、明日は202曲入魂でいてこましたんで待っとれよそこらのコンゴ人 !!

45472293_1777599992363237_8263089994546020352_n.jpg45426786_1777599905696579_5452281439754125312_n.jpg

イベントとなると・・・

走ってます・・・(^^;

・・・

走ってます・・・(;_;

ついでにリズムも走ります・・・みんなごめんね。

45298984_10155908897659033_5680471888254468096_o.jpg45491533_10155908898409033_2627587131140210688_o.jpg45418607_10155908898029033_5064129117612408832_o.jpg45383154_10155908899399033_3660781371489517568_o.jpg45348766_10155908899154033_7057046384507092992_o.jpg45319121_10155908897639033_8837710065600299008_o.jpg45323525_10155908899559033_2948509325175291904_o.jpg

https://www.youtube.com/watch?v=bysV4_BAdgU&feature=share

posted by jakiswede at 00:00| Comment(0) | 音楽活動 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする