2017年01月24日

20170124 CANNED BOX

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Can: Tago Mago (2LPs, United Artists, UAD60009/ 10, 1971, UK)

Paper House

Mushroom

Oh Yeah
Hallelujah
Aumgn
Peking O.
Bring me coffee or tea


2016年はPierre Baroughの訃報で終わり、2017年は、師匠Jaki Liebezeitの訃報で明けた。世の中は確実に不寛容に向かって驀進しており、もはや正義を語ることさえ虚しく感じられる。いかに自分を守るか、正義のためではなく、自分が自分らしく生き伸びるために、それを脅かす物事に対しては、決然と「No !! 」と言おう。一昨年は友人が10人死に、去年は3人死んだ。ビジネスのあり方も変わり、もはや私のような老ぼれに出る幕はない。やるべきことを、いかにやりとげるか、生きている間に、どれだけやりおおせるのか、もはや「やる」しかない。残された時間も、自分の気力体力経済力も、もはや有限で、しかも多くはない。とりかかって散在している細々したことを、形になるまで待っているゆとりはない。行動だ。

Canは、のちの音楽シーンに極めて大きな影響を及ぼしたドイツのプログレッシブ・ロック・バンドである。1968年に結成され1979年に解散するが、重要な時期は1973年にボーカリストであった「ダモ」鈴木が脱退するまでと言えるだろう。この間、「Monster Movie」・「Soundtracks」・「Tago Mago」・「Ege Bamyasi」・「Future Days」という5枚のオリジナル・アルバムを発表している。その次の「Soon Over Babaluma」はまあまあだが、同年に発売された、それまでの未収録曲を集めた「Unlimited Edition」という作品集は非常に重要である。メンバーは、当初Irmin SchmidtHolger CzukayDavid JohnsonMichael KaroliJaki Liebezeitであったが、それは西洋クラシック音楽の素養に基づいた延長線上における実験音楽であり、電気楽器や電子楽器やロック的な手法、さらにアフリカ・南米・アジアの民族音楽を題材にとった演奏を取り入れることにより、新しい境地を模索するものであった。このことは、彼らがロック・バンドでありながら、全くその枠に収まらないスケールの大きさとダイナミズムと、実験的精神を持ち得た源泉であり、これこそCanがのちのちまで高く評価される所以であると思う。しかし、彼らの音楽性がロックに傾倒していったことからDavid Johnsonは脱退し、ボーカリストとしてMalcolm Mooneyを迎えることになる。彼は「Monster Movie」と「Soundtracks」の一部に録音を残すが、精神的な要因で脱退する。その頃のCanの活動は、アルバムに残されたような「楽曲」を演奏するばかりでなく、ライブ・パフォーマンスの上で、極めて長時間、時によっては何日も演奏し続けるようなキョーレツなことをやっていた。肉体的実験音楽の極みである。そんななかでアメリカからヨーロッパを放浪していた「ダモ」鈴木と出会って、その日のうちにライブに参加し、そのまま三人目のボーカリストとして加入することになる。そして彼こそがCanの音楽性を決定付けたと言って良く、その在籍時代の彼らの演奏は他に類するものがないほど素晴らしい。上記のアルバムは、すべて、包括的総合的な意味合いにおいて、私の人生を決定付けた。

 特に、彼らの3作目「Tago Mago」は、最も深く心身に刻み込まれた作品である。なかでもLPB面全体18分強を費やして演奏される ≫Hallelujah ≫は、混沌と反復・呪術的陶酔と刺激的覚醒の連打であって、彼らの音楽的見聞や体験や実践や、その他あらゆることを「缶」にぶち込んで発酵させ、煮詰め、熟成させてぶちまけたものに他ならず、これこそまさにCanCanたる真骨頂、他に適当な言葉が見当たらないが、要するに宇宙 !! である。特にリズムを重視したこの曲と、逆にリズムをことごとく無視した、C面全体17分強の ≫Aumgn ≫2曲は、長時間に渡ったという彼らのライブ・パフォーマンスを彷彿とさせるものであり、多様性に満ちた彼らの音世界の様々な側面を見せてくれる。A面の3曲は比較的まとまった歌もの、そして最後のD面は、狂いに狂いまくった挙句、激しい射精とともに虚脱状態に陥ったかのような、深くだだっ広い虚無感に突き落とされる。この作品は、常にここから始まり、常にここに立ち戻ることができ、しかも無限のアイディアを今も私に与え続けてくれ、可能性という夢に満ちた力で私を奮い立たせてくれ、最後に力つきるほどに脱力させてくれる、かけがえのないものである。

 私の持っているものはイギリス盤の再発ものであるが、ドイツ原盤はボックスセットのスリーブ写真がジャケットになっている。上記の他の諸作品について概説すると、「Monster Movie」は極めてシンプルで一本調子でパンク的ですらあるロックンロール、「Soundtracks」は映画のために作られた小品集、「Ege Bamyasi」は混沌からポップへと徐々に広がりを見せ、「Future Days」は極めてシンフォニック且つプリミティブな宇宙的音世界を現出して彼らの最高傑作と評価されている。「Unlimited Edition」は、結成当初から録りためられたものから選ばれた作品集で、単なるアイディアのスケッチから、額装された大作という体裁を保つものまで、雑多にぶち込まれている。


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このシンバルはあなたの形見になってしもた (;_;) なんということだ。私にとっては、もうこれ以上の悲しみはない。私の全て、私の血肉といって良い。言葉もなく、ただ悲しみだけがある。


https://www.theguardian.com/music/2017/jan/23/jaki-liebezeit-drummer-of-seminal-krautrock-band-can-dies-at-78?CMP=share_btn_fb

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2017年01月14日

20170114 Le Pollen

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Pierre Barough: Le Pollen (LP, Nippon Columbia, YF-7056, 1982, Japan)


L'Autre Rive

Pépé

Sans Parler D'Amour

Perdu

La Lettre


Le Pollen

Parenthèse

Les Uns Et Les Autres

Demain


 今年のレコード・レビューをピエール・バルーから始めなければならないことに複雑な気持ちを持っている。昨年も多くの世界的アーティストが亡くなったが、最後の最後になって届けられたのが彼の訃報だった。大きなショックでかなり落ち込んだ。なぜならこのアルバムに出会って以来、彼の音楽や彼の祖国であるフランスの文化に深く興味を持つようになり、実際彼にも何度かお会いしたこともあるからである。2016年という年は、一体なんという年だったんだろう。世界が崩壊していく予兆を強く感じる。絶望的な暗い闇に向かって加速度的に下り落ちて行くエスカレーターを、人々がひしめき合って駆け上ろうとしている。エスカレーターの速さを超えなければ登ることができないのに、下り落ちる速さがどんどん増している。

 世の中がここまで緊迫していなかった頃、その絶頂期は日本では「バブル時代」と呼ばれている。すべてのものが根拠もなく高級化し、なんとなくクリスタルな空気に酔いしれることのできた時代、どこからともなく、とめどなく金が沸いて出た時代だった。自由な発想、芸術的実験、精神活動の発露が、戦後を振り切るように高度経済成長に邁進した1970年代、これまたなんの根拠もなく無邪気なほど希望に満ち溢れていた1970年代を通り抜け、社会格差から厳しい状況に追い込まれていった欧米先進国を尻目に、ガラパゴス的に守られた楽園の中でひとり勝ちを続けていた1980年代の日本は、その頃になってようやく社会や技術や要するにインフラが整って本当になんでもできる、夢を具体的な形に実現できる、かのような手応えを音楽業界全体が感じ始めていた頃、「テクノポップ」も日本に定着したのであった。飛ぶ鳥を射落とす勢いまさに絶好調、あらゆるものを吸収し、世界の音楽を消化して、泉のように湧いてくる音に満たされていた時代だった。そんな「時代」の音が詰まっている。

 Pierre Baroughは「トレビアーン」な人である。フランス人は、他国の人と比べて感動を重要視する傾向があるように見える。何かと何かを比較してここが違うからこれは良い、とか言わない。俺が素晴らしいと言ってるんだからこれは素晴らしいのだ、と押し込んでくる。しかしフランス人の好きなところは、いや俺はこっちのほうが良いと思う、というべつな考えにも素直に耳を傾けてくれることだ。しかし「トレビアーン」の強い人は多い。感動したら気持ち一発で突っ走ってしまう。途中であきらめたり、客観的総合的判断で軌道修正したりしない。それが非常に良い結果をもたらすことがある、というか、そういう人は、なにがなんでも良い結果を作り上げてしまうのだ。Pierre Baroughにとっては、映画「男と女」であり、「Saravah」レーベル設立すなわちフレンチ・ボッサの確立と実験的シャンソンの創出であり、そして日本との出会いである。このアルバムは、ちょうど私の音楽的な関心が世界へ向き始めていた頃と同時代的にマッチしてくるものだけに、ひときわ感慨が大きい。このアルバムの最も優れた点は、ともに多感で繊細で、微妙な感情の機微を、芸術的な美に昇華することに長けたフランス人と日本人という、まったく異なるけれども世界に類を見ない感性が、アルバムとして音世界に美しく溶け合っていることにある。ロマンチックな、情緒的な、はかない美が、シャンソンという形をとって、時にはそれを乗り越えて垣間見られるフランスの詩の世界、テクノという形をとって、あるいはそこから滲み出るように奏でられる日本の感性、これらが見事に融和した作品になっている。素晴らしい名盤である。

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2016年12月15日

20161215 Uzbek Ney


これか・・・ウズベキスタンを旅行していた時によく聞こえてきた、脳天つきぬけるような高音、アルメニアのドゥドゥックとならんで、心を揺さぶられる笛の音。


https://www.youtube.com/watch?v=7WHsyxMFuH0&feature=share

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2016年09月19日

20160821 Song For Chè

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Charlie Haden: Liberation Music Orchestra (LP, impulse!, AS-9183, 1970, US)


The Introduction / Song Of The United Front

El Quinto Regimento (The Fifth Regiment)

 Los Cuatro Generales (The Four Generals)

 Viva La Quince Brigada (Long Live The Fifteenth Brigade)

The Ending To The First Side


Song For Chè

War Orphans

The Interlude (Drinking Music)

Circus '68 '69

We Shall Overcome


Ornette Colemanのオリジナル・トリオやカルテットのほとんどでベースを担当してきたCharlie Hadenは、ジャズ・ファンク路線への転向後もオリジナル・コンセプトでの演奏によく参加していたのだが、それと並行してCarla Bleyを中心とした、のちのJazz Composers Orchestra Asociation (JCOA) を形成するメンバーとのセッションを盛んに繰り返していた。このアルバムが発売された1970年当時、Ornette Colemanは、アルバム「Crisis」の時期で、参加メンバーも重複している。前者が、よりコアでエモーショナルな演奏であるのに対して、こちらは次世代らしい軽快さと、進取の気迫がフリー・ジャズに込められている。

 A面は全体で一つの組曲を構成しており、スペイン市民戦争の時期に替え歌として市民の間で歌われていた歌にインスパイアされている。行進曲風の憂いを帯びた荘重なテーマを繰り返しながら、その情感を損なわずにフリー・フォームに崩していく様は、まさに彼らならではの持ち味。演奏へのモチュベーション、集中力、反応の鋭さ、音の臨場感、全体の緊張感、バックグラウンドに忍び寄る戦争・・・どれを取っても研ぎ澄まされた刃が放つ一瞬の閃きのような、宝物のような音空間。素晴らしいの一言。

 B面はCharlie Hadenの曲で、Ornette Colemanのアルバム「Crisis」にも収録されたErnesto Chè Guevarraへの讃歌で始まる。前者がエモーショナルな発露の連続として演奏が維持されているのに対して、こちらは実験的要素が強い。途中でCarlos Puebraの作曲でキューバの国家的名曲である"Hasta Siempre ≫が挿入されている。次の曲はOrnette Colemanの曲だが、以下要所要所の作曲とアレンジをCarla Bleyが締めることによって、そのコミカルなテイストが生かされ、全体として明確な反戦コンセプト・アルバムであるにもかかわらず、重苦しくなりすぎないトータルな仕上がりとなっている。このアルバムも、ジャズ史上に確実に残るゼッタイオススメの名盤中の名盤 (^^; 。

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20160820 David Murray

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David Murray: Children (LP, Black Saint, BSR 0089, 1985, Italy)


David - Mingus

Death


All The Things You Are

Tension


Bass – Lonnie Plaxico

Drums – Marvin "Smitty" Smith

Electric Guitar – James "Blood" Ulmer

Piano – Don Pullen

Tenor Saxophone, Bass Clarinet – David Murray


 多作の人で、偶然買ったこのアルバム以外に予備知識もなく、これが大当たりの愛聴盤になった全く珍しいケース。こういう場合、これだけ良い演奏をする人だから、もっと他の演奏も聞いてみたいと思うのが人情だが、それをやると大抵失敗する。この人の場合も同じで、他のアルバムをつまみ食いした限りでは、これのみワン・アンド・オンリーで私にがっつりはまった。

 前評判になった James "Blood" Ulmerとの共演はA1のみ。非常にソリッドで緊張感あふれる演奏が素晴らしい。タイトルの通り、キャリアから精神性に至るまで、この人たちがっつりMingusの影響を受けてるみたいで、その頑固で骨太でわがままで本質的なジャズ精神と、まったく別物だがなぜか波長が合っちゃったUlmerのせめぎあい、というか噛み合いが素晴らしい。ジャズ・ファンク路線の絡みでUlmerにも触れたい気持ちは山々だが、これ以上深入りするとジャズの一線を越えてしまいそうなので、こんくらいにしとこ・・・

 そしてなにをおいてもB1、これぞ全く稀代の名演。曲は非常に有名な、メロウなジャズのスタンダードだが、それを15分近くにわたって崩しまくり暴れまくる変奏曲。まさに神がかったかのようなDon Pullenのピアノ、この人の他の演奏を聴いてもここまでの発露は聞かれないのに、この演奏は全く別物。名曲のメロディをフリー・リズムで奏ではじめ、そのメロウな情感そのままに、原曲の展開の枠もそのままに進行させつつ、演奏の中身を換骨奪胎して噴射し、ぶちまけ、叩きこわし、再構築し、ものすごい演奏。「フリー・ジャズ」なんて言葉がむなしく聞こえるほど。その根性は、まさにMingusの亡霊が、全員のケツの穴から脳天までウッド・ベースのサオを突き刺したかのよう。ジャズ史上に確実に残るゼッタイオススメの名盤中の名盤、ホンマホンマ (^^; 。

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20160818 Jamaaladeen Takuma

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Jamaaladeen Takuma: Renaissance Man (LP, Gramavision, GR 8308, 1984, US)


Renaissance Man

Flash Back

Let's Have A Good Time

The Next Stop


Dancing In Your Head

There He Stood

The Battle Of Images in Four Movements

Sparkle


 Ornette Colemanのジャズ・ファンク路線への転向を支えたベーシストのリーダー2作目にして、私見では最高傑作がこのアルバム。バック・ミュージシャン、特にリズム・セクションの人がものしたリーダー・アルバムというものは、おうおうにしてバックからフロントに出たいのがホンネの駄作が多いものだが、彼の1作目と、この2作目は、数少ない例外と言える。想像するに、触発された源泉がOrnette Colemanであり、その高度な精神性ゆえの「初志」が良い形で結実したのであろう。ジャズ・ファンク史上に残る名盤と評価する。

 A面は彼のバンド「JAMAAL」を率いての、実にタイトでコアな、緊張感あふれるジャズ・ファンクの演奏で、この演奏こそがOrnette Colemanの目指した世界の一つの体現ともいえるだろう。ただ惜しむらくは、全員のテクニックが高すぎて、アヴァン・ギャルドにフリーに崩していく演奏が、あらかじめ予定調和されていてキレイに元のテーマに戻るかのように聞こえる点。小憎ッたらしいほど上手い。混沌とした精神的なエモーションの発露としての「崩し」と、技術に裏打ちされた可能性の探求としての「崩し」とでは、まったく意味合いが異なる。それでも前者における、慟哭しながら崩壊していく音の断片のぶちまけられた美とは別の、後者における引き裂かれ分裂していく理性とでもいうべき崩壊感覚は美しい。

 B面はそれぞれ録音された場所も時期もメンバーも異なる4つのセッションで、なかでも1曲目、この世界の金字塔的な曲となった「Dancing In Your Head」をOrnette ColemanとPrime Timeのメンバーを招いて再演している。当時はまだプログラミングされたリズムの上でフリーな演奏をすることが新鮮であったが、今聴くと窮屈さを感じざるをえない。2曲目以下は作り込まれていない分、より自由な空気に満ちた演奏が聞かれるが、凝縮された緊張感は最後まで変わらず、実に聞き応えのある作品となっている。

 しかしそれ以降、残念なことに技術のある人というものは、技術に呑まれてしまうというか、「初志」を貫徹できないというか、演奏は上手いし展開なども見事なのだが、スピリチュアルな意味での内容が無味乾燥な作品が連なり、その最骨頂たる「Juke Box」なるアルバムがグラミー賞にノミネイトされるなど、まったく別の世界へ入ってしまった感がある。俺ぁ違うと思うんだけどなあ、でも世の中の大勢の評価というものがそうなのだから、そういうもんなんだろう。んぢゃPrime Timeやこのアルバムでの演奏はなんだったんだ ?? というギモンもさることながら、私のレビュー読む人は気をつけてね。

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20160816 Of Human Feelings

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Ornette Coleman: Of Human Feelings (LP, Antilles/ Polystar, 25S-3001, 1982, JP)


Sleep Talk

Jump Street

Him And Her

Air Shi


What Is The Name Of That Song?

Job Mob

Love Words

Times Square


 Ornette Colemanはレコーディングも多く、また大御所であって巷での評価も高いため、何とかこれを理解しておきたいという気持ちにかられることは音楽ファンとして理解できる。しかしほとんどの作品は、フニャフニャフニャフニャブリブリブリブリと、全く訳のわからん音の渦巻きや、厳かなクラシックの弦楽合奏に合わせたモンタージュであったり、はたまた1970年代後半からは、やたらハードなファンク・ビートとフリー・ジャズが混在したり、その他エロエロ、全くつかみどころがなく、どこからどう切り込んで聞いていけば良いのかわからんという苦悩も理解できる。しかし私は思う。特に好きでもなければ、無理して今更聞かなくても良い。どうしてもということであれば、極言して ≫Lonely Woman ≫ 1曲で良いと思う。アレやっちゃったら、もうあとすることないもんね、というOrnette Colemanの虚脱感も理解できる。そしてその穏やかな笑みも・・・

 さて、なぜか彼の音が好きになってしまった私であるが、そんなに多くのアルバムを持っているわけではない。友達から借りたり色々して大雑把に全体を把握した上で申し上げられることは、1976年の作品「Dancing in your Head」の前後で二つに分けられるということである。前半は、まあフリー・ジャズ的余生、後半は、それにジャズ・ファンクを加味した余生、近年はそれらが混沌として融合している極楽・・・まあそんなとこでしょう。で、前半のうち、特に重要と思われるものに「*」印をつけ、まあ特に重要と思われる録音とともに羅列すると、「The Shape of Jazz to come*」(再発膨大なため品番省略以下同様) ・「Free Jazz*」・Town Hall Concert 1962*」・「Chappaqua Suite」・「At the Golden Circle 1/2」・「Love Call」・「Crisis*」・「Friends and Neighbors」・「Science Fiction」となる。もちろん選考の基準は、好きだから。

 で、まあエロエロあって大きな転機を迎えるのが、先述した「Dancing in your Head」である。これ以降、Ornette Colemanは、オーソドックスなTrioやQuartetを続けつつも、新しいメンバーによるThe Prime Time Bandの活動に軸足を移していく。主なメンバーは、Bass - Jamaaladeen Takuma・Drums - JackDejonette, Ronald Shannon Jackson, Denald Coleman・Guitar - Bern Nix, Charles Ellerbieなど。演奏は劇的に変わる。もはやジャズとは言えないほどである。最大の特徴はギターが入ったことによるリズムの変化、明らかなファンクの影響、その試みとして最初の「Dancing in your Head」は、タイトル・チューンのインプロヴィゼイションが2バージョンA/B面に分かれて収録され、余った時間にモロッコのJajoukaの現地録音の上に自分のサックスを被せたもので、確かに色々と意義深いことは理解するものの実験的要素が多すぎ、その次の「Body Meta」も好きなアルバムだが紹介するとすれば、やはりこの「Of Human Feelings」、ジャズ・ファンクにおける一大境地を確立したと言ってよく、またもやOrnette Colemanは時代を切り拓いたのである。

 私にとっても自分の一生を変えた・・・とまでは言えないものの、かなり大きな影響を受けた作品となる。発売当時は「Viola Renea」を抜けた主要メンバー3人でひたすら音の実験を繰り返していた時期であり、レゲエ・ダブ・オルタナポップ・フリージャズなどなどがごっちゃになった即興演奏を、誰に聞かせるでもなくひたすらメンバーの一人の旧家の屋根裏で演奏して録音していた幸せな時代であった。何年にもわたるその蓄積が「Karly Chockers」における鎖で泥をかき回すような独特の重さと粘りをたたえた鉄壁のリズム・セクションとして実を結んだことは、私の音楽キャリアにとってかけがえのないものだった。

 まあそんなことはどうでもよい。とにかくジャズ・ファンク路線へ突っ込んでしまった彼の音は、いわば開き直りの美学というか、きわめてシンプル、悪くすると幼稚ですらある短いフレーズをひたすら繰り返し、そこから得られるヴァリエイションを積み重ねては突きくずし、積み重ねては突きくずして何が残るかという実験、特に複雑化することをもってよしとするジャズのリズム美学を、とことんまで単純化して崩れ落ちる崩壊の美学に持ち込んだ、というか、よくそんなことをJackDejonetteやShannon Jacksonにやらしたな、それもOrnette Colemanの威光あってこそ、さらにそこへ息子をあてがってナンセンスなノリまで醸し出してしまうという、その壊し方が半端ではない。で、良い味、というかジャズ・ファンには耐えられない音だろうが、2本ばかり極めてハード・ロック的な電気ギターの音が炸裂して、うねりと混沌と破壊の連続であって、これが好きか嫌いか、諸刃の刃という意味でお勧め出来る作品なのです。で、その後やっぱり疲れちゃったのか、「Virgin Beauty」いがいはちょっと残念な出来で、またあっちへいったりこっちへいったりはながら、ついでに日本にも来てくださり、まあそのまま天へ召されてしまわれた。

 ジャズであるのでセッションによってメンバーが異なり、その編成を追って聞くのも方法です。例えば、ジャズ究極の名曲≫Lonely Woman ≫ の編成で聞くならば、Alto Saxophone – Ornette Coleman・Cornet – Don Cherry・Double Bass – Charlie Haden・Drums – Billy Higginsで録音されたものには、やはりその匂いがする。ベースはCharlie Hadenが、Prime Time結成までのかなり多くと、それ以後の比較的オーソドックスなコンボで努めているのだが、その人脈から生まれる「Jazz Compose'rs Orchestra Association (JCOA) 」の新しい流れとの関連で聞くのも、Prime Timeとは別な意味で良いし、ジャズ・ファンクに傾倒した流れから、ベーシストのJamaaladeen Takuma及びJames Blood Ulmar・・・さらに、ロンドン・パンクの流れから「Pop Groupe」・「Rip Rig and Panic」との関係で録音されたものを追うなど、アプローチの仕方によって様々な表情を見せてくれるところがOrnette Colemanのつきせぬ魅力でありますが、これ以上は長くなるのでやめときます。



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2016年08月15日

20160809 Ornette Coleman: Townhall 1962

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Ornette Coleman: Town Hall, 1962 (LP, ESP 1006, 1965, US)


Doughnut

Sadness

Dedication to Poets and Writers

The Ark


 私はOrnette Colemanが好きである。彼の音に浸っているだけで幸せを感じる。この感覚は、たぶんジャズの本流を行く人にはさっぱりわからんだろう。それで良い。音楽なんて、所詮好きか嫌いかで決めれば良い。Ornette Colemanは、1959年に究極の名盤「The Shape of Jazz to come」を発表してしまって以降は殆ど余生といっても良いくらいで、いろんな試みをしてはうまくいったりいかなかったり、好かれたり嫌われたり、調子に乗ったり壁にぶち当たったりで、まあいろいろやって音楽人生を楽しんだはる。1960年に「Free Jazz」でダブル・カルテットの試みに失敗してからは、もっといろんな形に手を出すようになってきて、その後の彼の多様な音楽性に発展していくのであるが、1962年に録音されたこのライブは、なぜか私の愛聴盤なのである。明らかに寝不足で機嫌の悪い顔、眉間にしわを寄せて俯き加減でおでこから下は鼻以外黒くつぶれている。セルフ・ポートレートとして最低の出来だと思うのだがこれをジャケットに持ってくるあたり、さぞかしなにかあったんだなと想像できるのだが、演奏が良いのか悪いのか、やってて楽しいのか投げやりなのか、それでも一曲として同じアプローチはなく、A3ではviolinとviolaを従えていわゆる現代音楽やってます。基本フリージャズですが、4ビートから定石通りに崩して、普通なら止めるところを止め処なく奈落の底まで落ちていくような・・・落ち切ったそこでこんな困った顔になったのか、なにしろ悲痛なまでにシリアスで、なおかつその後かれが手を出すあらゆるジャンルのショウケースみたいになってて、これはおすすめの一枚です。個人的に。で、1970年くらいまでは、いろいろと試行錯誤が続いて、その間、「Chappaqua Suits」(1965) という名演奏ながらお蔵入りになった映画音楽のスウンド・トラック、これはクラシックの弦楽コンソートとフリージャズのコラボレイションで、個人的には好きだがオススメするには躊躇を禁じえないので割愛。同年「At the Golden Circle」のライブ盤2作で、なんかフツーの演奏してジャズファンをホッとさせたらしいが私にはどうも、でこれも割愛。1967ドラムがJack DeJohnetteに代わった「Love Call」あたりから光明が見えはじめ、「Crisis」 (1969) 、「Friends and Neighbors」(1970) あたりで、主要作品でベースを務めてきたCharlie HadenらとともにJCOA関係の若手フリージャズのミュージシャンと繋がりができたあたりが一つのピーク、その後の大きな転機は、いわゆるPrime Time Bandの先駆けとなる「Dancing in your Head」(1976) まで待たねばならない。ま、いずれにせよ長い余生、ぼちぼちレッドゾーン振り切った演奏がいろいろたまらんのよ彼。

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2016年07月01日

20160522 たまたまザイール

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 続く日曜日、京都堺町画廊にて、コンゴにディープに関わる日本人の集まるイベント、私とともに写っているのは、なんと中央が山極壽一京都大学総長 !!!! 、右は昨年『たまたまザイール、またコンゴ』という本を出版された作家の田中真知氏・・・全く異なるアプローチでコンゴに迫る3人の、それぞれの立場による同じ国の見え方感じ方が大変面白かった。


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山極教授はゴリラの研究のフィールドワークで40年以上もコンゴと関わられ、その研究成果を人類の平和共存の模索に繋げようとしておられる。




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また、田中氏はジャーナリストとしての豊富な体験をバックに、コンゴ河を下るという場面に現れては消えていく現地の人間模様を、ありのままに浮かび上がらせる。




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私は私で遥か彼方に見える光明に向かって、手段も方法も選ばず闇雲に突っ走る音楽バカ。それぞれの生き方、それぞれにまつわる秘話、そしてそれぞれの立場を共にする人々が、普段は全く接点を持たないのに、今日この場所で一堂に会したことが、このイベントの意義。ひとつのありかたとして、三者三様のコンゴへのアプローチを、一般に向けて公開していくことができれば面白いことになるだろう。


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20160509 Free Jazz

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The Ornette Coleman Double Quartet: Free Jazz (LP, Atlantic, SD1364, 1961, US)


Free Jazz (Part 1)

Free Jazz (Part 2)


Left Channel;

Alto Saxophone – Ornette Coleman

Bass – Scott LaFaro

Trumpet [Pocket] – Don Cherry

Drums – Billy Higgins


Right Channel;

Bass Clarinet – Eric Dolphy

Trumpet – Freddie Hubbard

Bass – Charlie Haden

Drums – Ed Blackwell


Engineer [Recording] – Tom Dowd

Recorded December 21th., 1960, in NYC

Design [Album] – Loring Eutemey

Supervised By – Nesuhi Ertegun

Inner Photo ≪ White Light ≫ by Jackson Pollock



 もとい、もちっとまじめにこのレコードについて書いておかなければならない。この録音は、上の通り二つのカルテットが同時に演奏したもので、LP両面に分割して収録されている。まったくフリーに別々に演奏したわけではなく、リズムとモードは共通、インプロヴィゼイションも基本的にソロで、登場する順序も決められていた。試みとしては斬新であり、演奏自体も独特の型破りな緊張感を持っているが、極めて偶発的なセンスに依存しているため、演奏の核をなす部分が曖昧にならざるをえず、またその緊張感を長時間持続、あるいは録音するために反復して再現することなどが非常に困難だったことから、左右別々に同時に演奏するという試みの斬新性の割には、結果として中途半端な仕上がりになった印象は否めない。しかし、演奏内容のそれぞれをよく聞いてみると、その場その場における周囲の演奏の呼びかけに呼応して、ときにはチャンネルを越えて呼応しているのがよくわかり、しかもその演奏がその場の予定調和性を突き崩そうと試みている不断の努力を垣間聞けるのである。そいうい点で、この録音はまさにジャズにおけるFree Jazzの初めての試みといえ、既成の型を打ち破ろうとしたエネルギーの迸りを聞くことができる。しかしそれがOrnette Coleman彼独特の、魂をかきむしられるようでありながら、慟哭する直接的な肉声すなわち実際の泣き声、ではなく、別の次元への昇華を図った・・・それがまさにジャズであると私は考えているのだが・・・別な形での叫びに似た音声に求められた価値観をこの演奏に求められるかというと、少し困難があるように感じられる。私は何度も繰り返しこの録音を聴いていたので、そこに現れては消えていくエモーションの移り変わりを見るのが好きだ。

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