2018年06月11日

20180611 Alice Coltrane: Transfiguration

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Alice Coltrane: Transfiguration (2CDs, Sepia Tone, STONE 01, 2002, US)

1-1Transfiguration11:27
1-2Spoken Introduction & One For The Father7:37
1-3Prema
Cello – Christina King, Ray Kelley
Viola – Janice Ford, Pamela Goldsmith
Violin – Jay Rosen, Murray Adler, Noel Pointer, Sherwyn Hirbod, Michelle Sita Coltrane*
9:19
1-4Affinity10:49
2-1Krishnaya3:38
2-2Leo, Part One16:42
2-3Leo, Part Two20:12

Recorded in performance od Schoenberg Hall, UCLA, April 16, 1978
Originally released as 2LPs (Warner Bros. Records, WB 3218, 1978, US)

 世間の評価はどうであれ、日本のジャズ・ファンやジャズ・ミュージシャンに何と言われようとも、私はAlice Coltraneが好きです。旦那を差し置いて奥さんの作品について何かを書くなんて・・・いやいや、もう旦那の作品は語り尽くされてるからいいじゃありませんか、もちろん私も好きです。よく聞きます。特に1962以降の黄金4以降、特にimpulse!移籍後、フリーに飛んで行く直前くらいまでは、本当に好きです。でも、なんかすごすぎて、何書いていいのかわからんのです。別に私が何か書かんでも、誰でも聞けばわかることですから。でも奥さんの作品は、なんか思い入れが入るというか、この良さを、もう少しいろんな人にわかってほしいと思うのです。旦那との結婚生活はたった一年だったし、彼女の弾くフレーズが旦那のものと一致する部分があったり、遺作となったテープをコラージュして旦那名義でリリースしたり、やがて宗教的な境地に入って行って、音楽というより瞑想や儀式の要素が入り込んだりして、ちょっととっつきにくい。でも、そのものズバリ、このライブこそが、ジャズ・ミュージシャンとしての彼女の最も素晴らしい部分が遺憾無く発揮された名演であり、(そんなに手広く聞いたわけではないが) ジャズ史上においても他に類を見ないほど個性的で優れた演奏であることは間違いない。フリーだとかアヴァン・ギャルドだとか、そんなことはどうでもよい、迸り出る衝動の洪水、音の気高さ、スピード感、緊張感、途切れなく続く宇宙、もう最高です。「これこそジャズだ」とさえ極論したい。とにかく聞いてみるべし。
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2018年05月18日

20180518 奈良

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お世話になってる古楽コンソートの定期演奏会を見るためにバイトの休みをとって早めに家を出て、奈良写真散歩・・・終電でなにげなく電車広告動画を見ていると・・・なんと !!
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2018年05月07日

20170507 このバカどもが・・・

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 この写真をちらっと見た時、私は安倍首相が高槻に来たのかと思った。よくもまあ、こんな大変な時に、まさかおヒマでもあるまいにわざわざ、しかもこの満面の笑顔はなんや、おめでたいこっちゃなと半ば呆れたのだが、記事を読んで驚いた。なんと高槻ジャズストリート実行委員会が、わざわざ上京して首相を表敬訪問したというのだ。こら完全にアウトでしょ。30%にも満たない支持率の内閣の首相を、収支がプラス600万円にも満たないイベントの主催者が、その経費を使って表敬訪問する感覚が全く理解できん。しかも結構な人数が上京してるようやが、それがイベントにとってどれだけ不利な影響を及ぼすことになるか、実行委員会は考えなかったのだろうか。音楽や芸術の政治的中立性云々なんてどうでも良い。20周年の記念のつもりだったのかもしれないが、少なくとも今の安倍内閣がどういう政権で、それを市井の音楽イベントの主催者が、遠路はるばる表敬訪問して笑顔で写真に収まるというその感覚そのものが、もはやジャズを語る資格などないと思うのだ。しかも、ちゃっかり産経新聞が首相の「満面の笑顔」を拡散する宣伝材料に利用してしまった。もう完全にやられてますな。

 そもそもジャズは反骨の音楽や。高槻ジャズストリートが始まった頃、今よりずっと規模は小さくて慎ましい中の手探り手作りのイベントだったし、逆風も強かったのだが、街をそぞろ歩きするだけで良い演奏が聞かれたものだった。しかしいつからか変わってしまった。「入場無料」は確かにそうなんだが、かつては店側もある程度「ただ聞き」を大目に見てくれていたし、だからこそハシゴができたのに、今ではみんな「カネカネ」とうるさい。ジャズが金儲けにつながるとみれば雨後の筍のようにそれにまとわりついて、猫も杓子も「ジャズ」を標榜し、蓋を開けてみたら下手くそな演奏ばかりでもカネだけは取られる。なんか狂って来てるよね。それが、この写真に現れてるような気がしてならない。当然、彼らの費用は運営資金から出ている。それには一般聴衆がカンパしてきたものも含まれている。私は高槻ジャズストリートが始まった時からよく聞きに行ってもいたし、出演もしてきたし、カンパもしてきたし、心から応援している (た) 。しかし、その金がこんなことに使われていることを知ったら、おそらく多くの人がカンパする気をなくすにちがいない。なぜなら、彼らが安倍首相を支持している割合は、おそらく30%以下だからだ。こんな簡単なことを予測できないような主催者は、もはやイベントを仕切る資格がない。だめだな、こりゃ・・・

 まあ今後はね、好きなアーティストが出たら見に行きますよ。こんな機会またとないことは確かやからね。でも応援はできないね。主催者の姿勢が変わらんとね・・・


「知らぬが仏」という言葉がある。知らなくても良かったことを後になって知ってしまうのは不幸なのか、そのときには知らなかったのだから幸いなのか、そのときは幸いだったのだからそれそのものが良かったことは確かなのだけれど、やはり、後になって知らされると不愉快になることはよくある。その不愉快はどこから来るのだろう。自分が感動したことが、全体としては自分の意に介さぬ別のことに組み込まれていたことを、その時は知らずにあとで知った時、しかもそのために自分がなんらかの協力をしていた時。はからずも自分が、自分の意に介さぬもののために協力させられていたことなど知らなければ良かったし、知らなければ満ち足りた気分で追われたものを、深入りしすぎたために要らぬことまで知ってしまう。それが嫌なのだ。


 「知らぬが仏」と言いながら、記事を投稿してしまってから、ふと右に写っている人のつけているバッヂに気がついた。調べてみると、この人は高槻出身の自民党の国会議員である。記事を投稿した時点では、私はまだ「完全にアウトでしょ」などと言う元気があった。しかし、もはや、それすらもない。つまり、「高槻ジャズストリート」というイベントは、音楽的でもジャズでもない、ただの人気取り票稼ぎ賑やかしの政治的茶番劇だということだ。聴衆は、その寸劇の一部を見て感動し、店でワンドリンク注文して演奏者にチップを払い、「カンパをお願いします」というボランティアの切実な声に動かされて、なけなしの金を箱に入れるのだ。私も入れた。その金を使って、主催者はイベントのさらなる肥大化を図り、国会議員は集票を図り、首相は「一億総活躍社会」実現の成功例の一つとして喧伝する。だめですよこれは。「主催者の姿勢が変わらんとね・・・」なんて甘いことを書いた私は愚かだった。初めっからそんな気はないんだこいつらには。「音楽を政争の具に使うな」なんて野暮なことは言わん。こいつらは使うんだから協力するなとだけ言っておく。運営資金不足で一旦破綻してからやり直せ。ほんまになんも知らん方が良かった。一年の楽しみがまた一つ消えた。

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2018年05月04日

20180504 高槻ジャズストリート

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今年の高槻ジャズストリート、期待していたアーティストの内容が残念だったり、たまたま通りかかった道すがらとんでもない名演に出くわしたり、ぐっと集中して聴いているとじんわり味の出てくる演奏があったり、人に勧められて初めて見たものがとても良かったりで、無理して時間作って行った甲斐があった。毎年続けてこられて早20年、これだけのイベントを運営し続けるパワーがすごいし、ご苦労もある。高槻の街も変わった。日常的に音楽の聞ける店も増えて面白くなった。結果を出し続けることの偉大さを思い知る。しかし、残念ながら、規模が大きくなりすぎて、道すがら良いジャズが聞けることが少なくなった。過去に何度か出演したこともあるが、音源を提出してオーディションがあり、その演奏が果たして「ジャズなのかどうか」が厳しく問われたように記憶している。しかし今では音源審査もなく抽選で決まってしまうため、全体の濃度が薄まり、とてもジャズとは言えないものや、それ以前に、人前に出せる状態にない演奏にまで出くわしてしまうのは、少し残念。私はといえば、昨日から急に稲の種籾が発芽しはじめ、慌てて早朝から苗代に這いつくばってこれらを撒き、手を洗って電車に飛び乗るというアクロバット、しかも夕刻からのバイトも休めない。でも音楽を聴く機会を確実に手にするには頑張るしかない。明日から田んぼのほぼ土木工事。また来年 !!

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2017年07月14日

20170714 Zaïre 74

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 田植えが終わった翌日、長らく放置した畑の点検を兼ねて圃場周囲の草刈りに出た。実は先日、中古の草刈機をもらった。それまでは家主さんの30ccのでかいやつを振り回していたのだが、もらったものは20ccの最も華奢なやつだった。手加減したつもりだったが、小一時間も振り回すとエンジンが止まってしまう。だましだまし使ってもすぐ止まるので仕事にならず、昼の休憩でなんだか疲れが出てしまった。草刈機の調子が悪いのか、体の調子が悪いのか、斜面を踏ん張る右足が妙に重いというか・・・とぼやきつつ長靴を脱いで、靴下も脱いでなんとなく右のふくらはぎを見て驚愕した。全体がケロイドのように真っ赤に腫れ上がってパンパンに膨らみ、大小無数の水ぶくれで覆われ、そのうちのかなりがすでに破裂して踵まで膿にまみれていたからだ。思わず全身に悪寒が走り、堰を切ったようにかゆみが襲い掛かった。今朝までは違和感はなかった。田植えに没頭して異変に気づかなかったのか、とにかく草まみれの田んぼでの死闘で、確かに無数の虫に刺され、完全防備の作業服の中にも入り込む。棘や藁や小枝が突き刺さることも多い。いちいち気にしてたらきりがないし、いつしか何も感じなくなっている。そのうちの何かがまずくて、田んぼの水に潜む何かが入り込んだのか、とりあえず写真を撮って、そのまま皮膚科を探して、予約なしに押しかけた。お見せできないのが残念だが、こんなものが世に出たら二度とお嫁に行けなくなってしまうので秘匿することにする。火傷のように花開いたふくらはぎを見て医者は激怒し、三日間の安静が命じられた。作業中断。強制休養である。一日目は一日中寝ていた。二日目に「さなぶり」のお祝いとしてCDを注文した。今日それを聞いた。

 このCDね、発売されたのはもちろん知ってたんやが、田植えの最中で封印、いや、買うまいと思うてたんやな。内容が素晴らしく貴重な音源ということはもちろん知ってた。でもどうせそのうちYouTubeで流出するやろし、それでええわと思うてた。でもね、Muhammad AliGeorge Foremanんの世界ヘビー級タイトルマッチ、「キンシャサの奇跡」ですよ、それに合わせて開催された一大ブラック・ミュージック・フェスティバル「ブラック・ウッドストック」ですよ。「ソウル・パワー」ですよ。1974年ですよ・・・それらをずっと聞いてきた、なんちゅうか、積み重ねがね、やっぱり私はこれを持っとかなあかんなと・・・まんまと敵の策にはまってしまう自分に抗えない自分を別の自分が嘲笑してるねん。どうせこのあと次から次から出てくると思うよ、なにしろ、あれほど巨大なイベントでね、どれほど巨大かというと、去年これについて書いたものがあるから引用するとね、だいたいこのようになるんや・・・

 Zaïre 74は、アフリカの音楽にとって大きな出来事だっただけでなく、アメリカ在住のアフリカ系の人々 (African-Americanと呼ばれることに違和感を感じる人もあるが) にとって、文字通りアフリカへ回帰して演奏するという大きな意味を持っていた。大西洋を越えて旅行することが今ほど一般的でなかった当時としては、それはリアリティがある。いまほど情報はない。行く側も迎える側も、驚きと発見の連続であったはずだ。その手探りの末に遭遇する驚きや喜びが、映像に記録されている。

 このイベントの噂は、私が南の国の音楽に興味を持ち始めた当初から耳にしていたが、全貌はわからなかった。Fania All StarsJames Brownの動画を、ごく短いものを何かのイベントで垣間見た程度だ。Faniaのデスカルガの模様を含めたドキュメンタリーがVHSで出たのが1995年の確か数年前、同じコンサートでCelia CruzをメインにFaniaのバッキング、ゲストにJorge Santanaというライブ映像がDVDで出たのが1998年、しかしこのDVDにはAfricaに関する記述はなく、装丁からしてもなんとなく流出モノくさかった。James Brownの映像も細切れに流出していたと思う。しかし正式にこのイベントと出演者の映像が公開されたのは2008年である。そこで初めて、我々はアメリカ・アフリカの全出演者をはじめ、日程やイベントの企画から開催までの詳細を知ることになる。

 いまでは、「Soul Power」と題されたコンサート全体のダイジェスト版と、Faniaに関する上記2つの記録は、「Fania All Stars in Africa」として2枚組のDVDで発売されている。

 アメリカからJames Brown, The Spinners, The Crusaders, Fania All Stars, Celia Cruz, Danny Ray, Sister Sledge, Bill Withers, B.B. King、現地ザイールからFranco et le T.P.O.K. Jazz, Tabou Lay et l’Afrisa International, Abeti Massikini, Stukas, Pembe Dance Troupと、クレジットはないが、映像からFaniaを迎える面々の中で歌っているTrio MadjesiL'orchestre Sosolisoの姿が確認できる。また南アフリカからMyriam Makeba, Hugh Masekela,、カメルーン人だが当時Dr. NicoAfrican Fiestaに参加して多分キンシャサにいたManu Dibango・・・

 コンサート日程は1974.09.22-24Muhammad AliGeorge Foremannの試合が1974.10.30、当時のモブツ大統領はイベントの開催を了承したが、すくなくともコンサート部分については、たしかイタリアの某実業家が私費を投じたと言われている。調べたはずだが記録を取い・・・云々・・・

 こんなイベントでね、流出したFaniaのライブ映像のクオリティの高さはものすごくて、おそらく当時の最先端技術だったと思うんよね。それだけの投資をして、あれだけの出演者があって、映像や音が残ってないはずがない、絶対どこかにあるはずや、と、これはもうファンならずとも何十年も前から噂されていたことや。それが、やっぱり、あったんや・・・

 まあくどくど言うてもしゃあないし、内容を紹介しときましょ。内容は2枚組CDセットで観音開きのブックレットになっている。CD1は、Tabou Ley et l’Afrisa International, Abeti MassikiniCD2は、Franco et le T.P.O.K. Jazz, Myriam Makeba, Stukas、つまりMyriam Makeba以外はすべてZaïre勢。つまり、全体のイベントの、ほんの序の口というわけや。序の口でこのラインナップでっせ、そらもうコアなファンなら飛びつきますわな。でもね、一応これね、1974年という時代背景、そしてメイン・アクトが、たぶんFaniaJBという当時のアメリカのカラード音楽の最先端を迎え撃つZaïre音楽のショウケースという、かなり特殊なものであるということに興味のある人でないと、ちょっとピンとこないかもしれないなあ。

 まあくどくど言うてもしゃあないし、内容を紹介しときましょ。Tabou Leyね、あんたちょっとJB意識しすぎやねん。なんぼ嬉しいか知らんけど、全体にテンポ早いし音が硬いしもっとあんたらしいええ歌たくさんあんねんからそっち出した方が良かったんちゃうか、ということでAbeti MassikiniとともにCD1についてはノーコメント !! (うわあ) ・・・で早くもCD2、やっぱりね、さすがFrancoですよ、だいたい普通に録音して1曲が15分くらいあるのんを、11曲もやって30分そこそこに納めてるんやが、それでもそのまったり感が違いますね。実にええ味が出てる。特に#4に出てくる"Kasai"、これは本来"Kinsiona"というBas-Zaïreのフォルクロールをもとにした曲で、曲名が違うから気づかんかったんやが、曲が流れ出した途端、苦難に満ち命の危険にまで晒された1991年のZaïre奥地への旅のことを思い出してどっと涙が溢れてきてしもた。すごい情感や、それをメドレーの中に挟むなんて・・しかし曲名間違うてもろたら困るなあ。"Kinsiona"やで。まあそんなこと、一般のファンにとっては本ッ当にドーでもええことなんやけどね。アルバム全体を通して、限られた時間内に多くの曲を詰め込もうとしてメドレー形式で演奏されてるんやが、本家本元に遠慮してか華を持たせるためか、ルンバやファンキーな曲を避けてフォルクロールが多く選ばれてる。しかしその中でピカッと光ってるのんが#6"Balingaka Ngai Te"や。これも曲名を見てあれっと思うた。というのは、この曲は74年にはまだなかったはずや。事実、曲が流れ始めて後半のFrancoの有名なギター・フレーズが出たのでわかったんやが、これは"Monzo"という曲や。この曲にも"Balingaka Ngai Te"という歌詞が出てくるが、それは「俺はみんなに嫌われてる」という、まあ男がよくぼやく文句で、よく歌詞に使われる。よう調べんと曲名つけたんやろ。まあこれもほんまにドーっでもええことなんやけど俺が訂正しといたるわ。まあついでやし#11にもFrancoの有名なギター・フレーズが出てくるが、それは"Minuit Eleki Lezi"という70年代TPOK Jazzの名曲中の名曲のものや。これもわからんと"Instrumental"なんて書いてあるから俺が補足しといたろ。ともあれ、CD2前半のFranco et le T.P.O.K. Jazz編は、大御所らしいアフリカ色に満ちたフォルクロールの中にルンバ感覚が随所に光る凝縮された名演や。で、Myriam Makebaを飛ばして (^^; Stukasや。もうこれがすごい。なにがすごいというてとにかくすごい。最高や。おそらく彼らの録音の中で最も良い音質で残されたもんちゃうか。当時のザイールには8トラックもまだ普及してなかったやろから、彼らの現存する録音は、そのエネルギーを吸収しきれずに、ほとんどクリップしてて音が伸びてこない。それがこの録音では、低音から高音までの分離と伸びがすごい。演奏の方やが、やはり若いだけあって、これより前の大御所たちが色々と気ぃ遣て策を弄してるのを尻目に、いつもやってることをそのまんまやってる。すかっとする。ルンバでありファンクでありパンクであって、最初っからスロットル全開や。この疾走感は彼らだけのものや。FaniaやろうがJBやろうが関係ない。StukasStukasや。もうすばらしいのひとこと。大好きや。で、後日行われたFaniaのライブでRay Barretto"Que Viva la Musica"と叫ぶのを聞いていた若き日のPapa Wembaがそれを自分のバンド名にしようと決めたその同じステージに、自分を引き入れてくれようとしたLita Bembo率いるこのStukasが立っているのを彼が見ていなかったはずはない。今は亡きWembaもまだ独立してなかった。Vivaの結成前や。そう、これはもう43年も前の歴史的出来事なんや。まあ俺も歳とったちゅうこっちゃな。

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2017年01月24日

20170124 CANNED BOX

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Can: Tago Mago (2LPs, United Artists, UAD60009/ 10, 1971, UK)

Paper House

Mushroom

Oh Yeah
Hallelujah
Aumgn
Peking O.
Bring me coffee or tea


2016年はPierre Baroughの訃報で終わり、2017年は、師匠Jaki Liebezeitの訃報で明けた。世の中は確実に不寛容に向かって驀進しており、もはや正義を語ることさえ虚しく感じられる。いかに自分を守るか、正義のためではなく、自分が自分らしく生き伸びるために、それを脅かす物事に対しては、決然と「No !! 」と言おう。一昨年は友人が10人死に、去年は3人死んだ。ビジネスのあり方も変わり、もはや私のような老ぼれに出る幕はない。やるべきことを、いかにやりとげるか、生きている間に、どれだけやりおおせるのか、もはや「やる」しかない。残された時間も、自分の気力体力経済力も、もはや有限で、しかも多くはない。とりかかって散在している細々したことを、形になるまで待っているゆとりはない。行動だ。

Canは、のちの音楽シーンに極めて大きな影響を及ぼしたドイツのプログレッシブ・ロック・バンドである。1968年に結成され1979年に解散するが、重要な時期は1973年にボーカリストであった「ダモ」鈴木が脱退するまでと言えるだろう。この間、「Monster Movie」・「Soundtracks」・「Tago Mago」・「Ege Bamyasi」・「Future Days」という5枚のオリジナル・アルバムを発表している。その次の「Soon Over Babaluma」はまあまあだが、同年に発売された、それまでの未収録曲を集めた「Unlimited Edition」という作品集は非常に重要である。メンバーは、当初Irmin SchmidtHolger CzukayDavid JohnsonMichael KaroliJaki Liebezeitであったが、それは西洋クラシック音楽の素養に基づいた延長線上における実験音楽であり、電気楽器や電子楽器やロック的な手法、さらにアフリカ・南米・アジアの民族音楽を題材にとった演奏を取り入れることにより、新しい境地を模索するものであった。このことは、彼らがロック・バンドでありながら、全くその枠に収まらないスケールの大きさとダイナミズムと、実験的精神を持ち得た源泉であり、これこそCanがのちのちまで高く評価される所以であると思う。しかし、彼らの音楽性がロックに傾倒していったことからDavid Johnsonは脱退し、ボーカリストとしてMalcolm Mooneyを迎えることになる。彼は「Monster Movie」と「Soundtracks」の一部に録音を残すが、精神的な要因で脱退する。その頃のCanの活動は、アルバムに残されたような「楽曲」を演奏するばかりでなく、ライブ・パフォーマンスの上で、極めて長時間、時によっては何日も演奏し続けるようなキョーレツなことをやっていた。肉体的実験音楽の極みである。そんななかでアメリカからヨーロッパを放浪していた「ダモ」鈴木と出会って、その日のうちにライブに参加し、そのまま三人目のボーカリストとして加入することになる。そして彼こそがCanの音楽性を決定付けたと言って良く、その在籍時代の彼らの演奏は他に類するものがないほど素晴らしい。上記のアルバムは、すべて、包括的総合的な意味合いにおいて、私の人生を決定付けた。

 特に、彼らの3作目「Tago Mago」は、最も深く心身に刻み込まれた作品である。なかでもLPB面全体18分強を費やして演奏される ≫Hallelujah ≫は、混沌と反復・呪術的陶酔と刺激的覚醒の連打であって、彼らの音楽的見聞や体験や実践や、その他あらゆることを「缶」にぶち込んで発酵させ、煮詰め、熟成させてぶちまけたものに他ならず、これこそまさにCanCanたる真骨頂、他に適当な言葉が見当たらないが、要するに宇宙 !! である。特にリズムを重視したこの曲と、逆にリズムをことごとく無視した、C面全体17分強の ≫Aumgn ≫2曲は、長時間に渡ったという彼らのライブ・パフォーマンスを彷彿とさせるものであり、多様性に満ちた彼らの音世界の様々な側面を見せてくれる。A面の3曲は比較的まとまった歌もの、そして最後のD面は、狂いに狂いまくった挙句、激しい射精とともに虚脱状態に陥ったかのような、深くだだっ広い虚無感に突き落とされる。この作品は、常にここから始まり、常にここに立ち戻ることができ、しかも無限のアイディアを今も私に与え続けてくれ、可能性という夢に満ちた力で私を奮い立たせてくれ、最後に力つきるほどに脱力させてくれる、かけがえのないものである。

 私の持っているものはイギリス盤の再発ものであるが、ドイツ原盤はボックスセットのスリーブ写真がジャケットになっている。上記の他の諸作品について概説すると、「Monster Movie」は極めてシンプルで一本調子でパンク的ですらあるロックンロール、「Soundtracks」は映画のために作られた小品集、「Ege Bamyasi」は混沌からポップへと徐々に広がりを見せ、「Future Days」は極めてシンフォニック且つプリミティブな宇宙的音世界を現出して彼らの最高傑作と評価されている。「Unlimited Edition」は、結成当初から録りためられたものから選ばれた作品集で、単なるアイディアのスケッチから、額装された大作という体裁を保つものまで、雑多にぶち込まれている。


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このシンバルはあなたの形見になってしもた (;_;) なんということだ。私にとっては、もうこれ以上の悲しみはない。私の全て、私の血肉といって良い。言葉もなく、ただ悲しみだけがある。


https://www.theguardian.com/music/2017/jan/23/jaki-liebezeit-drummer-of-seminal-krautrock-band-can-dies-at-78?CMP=share_btn_fb

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2017年01月14日

20170114 Le Pollen

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Pierre Barough: Le Pollen (LP, Nippon Columbia, YF-7056, 1982, Japan)


L'Autre Rive

Pépé

Sans Parler D'Amour

Perdu

La Lettre


Le Pollen

Parenthèse

Les Uns Et Les Autres

Demain


 今年のレコード・レビューをピエール・バルーから始めなければならないことに複雑な気持ちを持っている。昨年も多くの世界的アーティストが亡くなったが、最後の最後になって届けられたのが彼の訃報だった。大きなショックでかなり落ち込んだ。なぜならこのアルバムに出会って以来、彼の音楽や彼の祖国であるフランスの文化に深く興味を持つようになり、実際彼にも何度かお会いしたこともあるからである。2016年という年は、一体なんという年だったんだろう。世界が崩壊していく予兆を強く感じる。絶望的な暗い闇に向かって加速度的に下り落ちて行くエスカレーターを、人々がひしめき合って駆け上ろうとしている。エスカレーターの速さを超えなければ登ることができないのに、下り落ちる速さがどんどん増している。

 世の中がここまで緊迫していなかった頃、その絶頂期は日本では「バブル時代」と呼ばれている。すべてのものが根拠もなく高級化し、なんとなくクリスタルな空気に酔いしれることのできた時代、どこからともなく、とめどなく金が沸いて出た時代だった。自由な発想、芸術的実験、精神活動の発露が、戦後を振り切るように高度経済成長に邁進した1970年代、これまたなんの根拠もなく無邪気なほど希望に満ち溢れていた1970年代を通り抜け、社会格差から厳しい状況に追い込まれていった欧米先進国を尻目に、ガラパゴス的に守られた楽園の中でひとり勝ちを続けていた1980年代の日本は、その頃になってようやく社会や技術や要するにインフラが整って本当になんでもできる、夢を具体的な形に実現できる、かのような手応えを音楽業界全体が感じ始めていた頃、「テクノポップ」も日本に定着したのであった。飛ぶ鳥を射落とす勢いまさに絶好調、あらゆるものを吸収し、世界の音楽を消化して、泉のように湧いてくる音に満たされていた時代だった。そんな「時代」の音が詰まっている。

 Pierre Baroughは「トレビアーン」な人である。フランス人は、他国の人と比べて感動を重要視する傾向があるように見える。何かと何かを比較してここが違うからこれは良い、とか言わない。俺が素晴らしいと言ってるんだからこれは素晴らしいのだ、と押し込んでくる。しかしフランス人の好きなところは、いや俺はこっちのほうが良いと思う、というべつな考えにも素直に耳を傾けてくれることだ。しかし「トレビアーン」の強い人は多い。感動したら気持ち一発で突っ走ってしまう。途中であきらめたり、客観的総合的判断で軌道修正したりしない。それが非常に良い結果をもたらすことがある、というか、そういう人は、なにがなんでも良い結果を作り上げてしまうのだ。Pierre Baroughにとっては、映画「男と女」であり、「Saravah」レーベル設立すなわちフレンチ・ボッサの確立と実験的シャンソンの創出であり、そして日本との出会いである。このアルバムは、ちょうど私の音楽的な関心が世界へ向き始めていた頃と同時代的にマッチしてくるものだけに、ひときわ感慨が大きい。このアルバムの最も優れた点は、ともに多感で繊細で、微妙な感情の機微を、芸術的な美に昇華することに長けたフランス人と日本人という、まったく異なるけれども世界に類を見ない感性が、アルバムとして音世界に美しく溶け合っていることにある。ロマンチックな、情緒的な、はかない美が、シャンソンという形をとって、時にはそれを乗り越えて垣間見られるフランスの詩の世界、テクノという形をとって、あるいはそこから滲み出るように奏でられる日本の感性、これらが見事に融和した作品になっている。素晴らしい名盤である。

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2016年12月15日

20161215 Uzbek Ney


これか・・・ウズベキスタンを旅行していた時によく聞こえてきた、脳天つきぬけるような高音、アルメニアのドゥドゥックとならんで、心を揺さぶられる笛の音。


https://www.youtube.com/watch?v=7WHsyxMFuH0&feature=share

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2016年09月19日

20160821 Song For Chè

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Charlie Haden: Liberation Music Orchestra (LP, impulse!, AS-9183, 1970, US)


The Introduction / Song Of The United Front

El Quinto Regimento (The Fifth Regiment)

 Los Cuatro Generales (The Four Generals)

 Viva La Quince Brigada (Long Live The Fifteenth Brigade)

The Ending To The First Side


Song For Chè

War Orphans

The Interlude (Drinking Music)

Circus '68 '69

We Shall Overcome


Ornette Colemanのオリジナル・トリオやカルテットのほとんどでベースを担当してきたCharlie Hadenは、ジャズ・ファンク路線への転向後もオリジナル・コンセプトでの演奏によく参加していたのだが、それと並行してCarla Bleyを中心とした、のちのJazz Composers Orchestra Asociation (JCOA) を形成するメンバーとのセッションを盛んに繰り返していた。このアルバムが発売された1970年当時、Ornette Colemanは、アルバム「Crisis」の時期で、参加メンバーも重複している。前者が、よりコアでエモーショナルな演奏であるのに対して、こちらは次世代らしい軽快さと、進取の気迫がフリー・ジャズに込められている。

 A面は全体で一つの組曲を構成しており、スペイン市民戦争の時期に替え歌として市民の間で歌われていた歌にインスパイアされている。行進曲風の憂いを帯びた荘重なテーマを繰り返しながら、その情感を損なわずにフリー・フォームに崩していく様は、まさに彼らならではの持ち味。演奏へのモチュベーション、集中力、反応の鋭さ、音の臨場感、全体の緊張感、バックグラウンドに忍び寄る戦争・・・どれを取っても研ぎ澄まされた刃が放つ一瞬の閃きのような、宝物のような音空間。素晴らしいの一言。

 B面はCharlie Hadenの曲で、Ornette Colemanのアルバム「Crisis」にも収録されたErnesto Chè Guevarraへの讃歌で始まる。前者がエモーショナルな発露の連続として演奏が維持されているのに対して、こちらは実験的要素が強い。途中でCarlos Puebraの作曲でキューバの国家的名曲である"Hasta Siempre ≫が挿入されている。次の曲はOrnette Colemanの曲だが、以下要所要所の作曲とアレンジをCarla Bleyが締めることによって、そのコミカルなテイストが生かされ、全体として明確な反戦コンセプト・アルバムであるにもかかわらず、重苦しくなりすぎないトータルな仕上がりとなっている。このアルバムも、ジャズ史上に確実に残るゼッタイオススメの名盤中の名盤 (^^; 。

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20160820 David Murray

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David Murray: Children (LP, Black Saint, BSR 0089, 1985, Italy)


David - Mingus

Death


All The Things You Are

Tension


Bass – Lonnie Plaxico

Drums – Marvin "Smitty" Smith

Electric Guitar – James "Blood" Ulmer

Piano – Don Pullen

Tenor Saxophone, Bass Clarinet – David Murray


 多作の人で、偶然買ったこのアルバム以外に予備知識もなく、これが大当たりの愛聴盤になった全く珍しいケース。こういう場合、これだけ良い演奏をする人だから、もっと他の演奏も聞いてみたいと思うのが人情だが、それをやると大抵失敗する。この人の場合も同じで、他のアルバムをつまみ食いした限りでは、これのみワン・アンド・オンリーで私にがっつりはまった。

 前評判になった James "Blood" Ulmerとの共演はA1のみ。非常にソリッドで緊張感あふれる演奏が素晴らしい。タイトルの通り、キャリアから精神性に至るまで、この人たちがっつりMingusの影響を受けてるみたいで、その頑固で骨太でわがままで本質的なジャズ精神と、まったく別物だがなぜか波長が合っちゃったUlmerのせめぎあい、というか噛み合いが素晴らしい。ジャズ・ファンク路線の絡みでUlmerにも触れたい気持ちは山々だが、これ以上深入りするとジャズの一線を越えてしまいそうなので、こんくらいにしとこ・・・

 そしてなにをおいてもB1、これぞ全く稀代の名演。曲は非常に有名な、メロウなジャズのスタンダードだが、それを15分近くにわたって崩しまくり暴れまくる変奏曲。まさに神がかったかのようなDon Pullenのピアノ、この人の他の演奏を聴いてもここまでの発露は聞かれないのに、この演奏は全く別物。名曲のメロディをフリー・リズムで奏ではじめ、そのメロウな情感そのままに、原曲の展開の枠もそのままに進行させつつ、演奏の中身を換骨奪胎して噴射し、ぶちまけ、叩きこわし、再構築し、ものすごい演奏。「フリー・ジャズ」なんて言葉がむなしく聞こえるほど。その根性は、まさにMingusの亡霊が、全員のケツの穴から脳天までウッド・ベースのサオを突き刺したかのよう。ジャズ史上に確実に残るゼッタイオススメの名盤中の名盤、ホンマホンマ (^^; 。

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