2020年06月28日

20200628 Was (Not Was)



https://www.youtube.com/watch?v=jlE8YzLRlcI

Orquestra Was:Forever's A Long, Long Time (Enhanced CD, Verve Forecast, 533 915-2, 1997, U
S)

Once Upon A Time In Detroit – 1:55
I Ain't Got Nothin' But Time – 8:27
Never Again (Will I Knock On Your Door) – 3:52
Excuse Me, Colonel, Could I Borrow Your Newspaper? – 4:56
Detroit In A Time Upon Once – 0:58
Forever's A Long, Long Time – 6:50
You've Been Having A Rough Night, Huh? – 4:49
Lost On The River – 13:04
A Big Poem About Hell – 2:48
I'm So Tired Of It All – 3:38

Sweet Pea Atkinson – vocals
Terence Blanchard – flugelhorn, trumpet
Sir Harry Bowens – vocals (background)
Lenny Castro – percussion
Merle Haggard – guitar, vocals
Herbie Hancock – Fender Rhodes, piano
Wayne Kramer – guitar
Harvey Mason, Sr. – drums
Donald Ray Mitchell – vocals (background)
Sheila E. – percussion
David Weiss (Not Was) – performer
Don Fagenson (Don Was) – bass, guitar, keyboards, saxophone
Kris Kristofferson – Performer (Enhanced Content)

 アメリカという国は捉え所のないほど多様で複雑で、魅力に満ちている。その魅力は、ヨーロッパやアジアやアフリカのように、千年単位の歴史の積み重ねによるものではなく、数百年の間に起こった歴史の断絶を含む急激で人為的な変化と、それがもたらした矛盾である。したがって、長い歴史に裏付けられた文化を把握するようなやり方では捉えられないところがある。それを文化不毛とする見方もある。しかし、アメリカ、というよりは、アメリカ人の不思議さ、そもそもアメリカ人という人種すら存在しないのに、アメリカという文化、平たく言えばアメリカらしさは、厳然と存在する。そしてなにより、1960年生まれの私にとって、半生の前半は、日本人にとっての外国という言葉が指すものはすなわちアメリカであった。舶来、外国、輸入物とは、すなわちアメリカのものを指していた。ポピュラー音楽も、いや、ポピュラー音楽こそ、アメリカのものであったことに異論を挟む余地はない。しかし、例えばイギリスの音楽ならば、ダウランドの昔からビートルズもストーンズも、プログレもパンクも、どんなに違っていてもやっぱりイギリスの匂いがプンプンするのだ。ではアメリカではどうかと問われると、知れば知るほど答えが見つからなくなる。歴史的な匂いの欠如と、それによる軽さという別の匂い、その自由でバラバラなところがアメリカらしいと言えば言える。アメリカン・ドリームという幻想も昔はあった。それも確かにアメリカらしさの主要な要素だと思う。それを懐かしみ、そこへ回帰する精神性も、一つのアメリカらしさである。一方で、第二次世界大戦以降、西側陣営の名主として、世界中に戦力を拡大したことによる、実に様々な影響から生まれた文化運動もまた、アメリカらしさである。外に対して民主主義を標榜し、自由と民主主義の精神を謳っておきながら、国内の人種差別は解決されていないところもまた、アメリカらしさである。それがゆえに、たとえばポピュラー音楽でも、人種や地域やポリシーによって、互いにほとんど断絶した音楽が並存していたり、その隔絶が融合されたことによる新しい音楽が常に生み出されているのもアメリカらしい。つくづく、アメリカという国を不思議に思う。そんなアメリカの一つの不思議、別に取り立てて書くほどのことではないone of themなのだろうが、それでも不思議な作品である。曲は往年のフォーク・シンガーHank Williamsと、Detroitで1980年にデビューしたディスコ・バンドの創設者の一人であり、現在のBlue Note RecordsのCEOでもあるアメリカ音楽界の超大物Don Fagenson (Don Was)の曲がほぼ半々で、最後の一曲を除いて、20世紀末感あふれる、黄金時代を懐かしむような、深くて濃いノスタルジーに満ちた、絶望的な脱力感を秘めたHip Hopなムードあふれる演奏である。しかも、極めてジャジーな、要するにアメリカらしい不思議な音楽である。砂漠を枯れ葉色に染めながら沈んでいく夕陽にさめざめと泣く思いがする。
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20200628 Gin And Juice



https://www.youtube.com/watch?v=OKGJOtRaqMg

Snoop Doggy Dogg: Doggystyle (CD, RE*, Death Row Records, CDL 50605, 1996, US)
*originally released in 1993

1 Bathtub 1:50
2 G Funk Intro
Featuring – The Lady Of Rage 2:24
3 Gin And Juice
Vocals [Additional] – Dat Nigga Daz 3:31
4 W Balls
Featuring – Ricky Harris, The Queen Of Funk 0:36
5 Tha Shiznit 4:03
6 Interlude 1 0:37
7 Lodi Dodi
Vocals [Additional] – Nancy Fletcher 4:24
8 Murder Was The Case
Featuring – Dat Nigga Daz 3:38
9 Serial Killa
Featuring – RBX, Tha Dogg Pound, The D.O.C. 3:34
10 Who Am I (What's My Name)?
Featuring – Dr. Dre
Vocals – Jewel, Tony Green 4:42
11 For All My Niggaz & Bitches
Featuring – Tha Dogg Pound, The Lady Of Rage 4:07
12 Ain't No Fun (If The Homies Can't Have None)
Featuring – Kurupt, Nate Dogg, Warren G 4:07
13 Interlude 2 0:33
14 Doggy Dogg World
Featuring – Tha Dogg Pound, The Dramatics 5:05
15 Interlude 3 0:44
16 Gz And Hustlas
Backing Vocals – Nancy Fletcher 3:51
17 Interlude 4 0:56
18 Pump Pump
Featuring – Lil' Malik 3:41

Produced by Dr. Dre

 アルバム・レビュのほうは、たしかアメリカの途中で、SalsaとJazzをやってRBあたりに言及したあたりで止まってたので続きを・・・たまたま持ってるアルバムのレビュなので認識不足など色々あるとは思うし、このジャンルを集中して聴いたのは阪神淡路大震災直後の数年間だけだったので、書くことが偏ってるしかなり古い。もう25年くらい古いので、書く意味なんてほとんどないに等しいのだが・・・やっぱりこの人のこの作品だけは触れておきたいと思う。もう随分と当時の震災によって崩れた街・世界・・・とりもなおさず我々の観念、固定された、絶対不動なる、生存の前提、過去と現在と未来という揺るぎない時間の流れ、なんの疑いもなく、空気のように当たり前にそこに存在していた、あるいは、存在していたと思い込んでいた全てが崩れ去った時の、あの、なんとも知れぬ喪失感と、数日間の極度の緊迫に押し上げられて高揚した精神が、どすんと落ちてきたときに見えた「無」と、気を取り直した時に現れた解放感・・・それがまったく脳裏にこびり付いて宿病のようになってしまった。その心の風景にしっくりと溶け込んでいくこのような音、もはやここには絶望とか反抗とか孤独とか、そんな生易しい感情の入る余地はない。彼の生い立ちや当時の状況、アメリカという国の持つ得体の知れない矛盾が、この音世界を生み出したことに違いはないが、私にとってはそんなことはどうでも良い。出された音が心に響く。この虚無感。絶え間ない破壊と不毛な荒廃、ただそれを見つめるだけの刹那的な感覚、切っ先を研ぎ澄ませておかなければ次の瞬間生きていられるかどうかさえわからない。感覚だけがモノをいう世界。考えることをやめた頭にずっと染み込んで鳴り響く、あまりにも殺伐すぎる音風景。彼のデビュー・アルバムはその普遍的現実を切り取って見せる。
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2020年05月29日

20200529 Attaingnant Danceries

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Ann.: Branle Gay "Que Je Chatouille Ta Fossette" & Branles Gays 28,23,42,7/ Doulce Memoire
(CD, Pierre Attaingnant/ Doulce Mémoire, V.A.: Que Je Chatouille Ta Fossette, Ricercar, RIC 294, 2010, Belgium)
 「引きこもりの美学」・・・楽しい !! Pierre Attaingnant (1494?-1552?)・・・1530年ごろから生涯にわたって1500曲ものシャンソンや舞曲などの楽譜の量産印刷をして音楽の普及に努めた人物。彼の功績のおかげで、現代の我々は500年以上前の庶民の楽しみがどのようなものであったか、詳細に知ることができる。このCDは、Attainganntが発行した7巻の舞曲集からの抜粋で、Pavane・Gailliard・Branle・Basse Dance・Touldion・Allemandeなど、当時の一通りの舞曲の伴奏形式が網羅されていて、しかも様々な楽器による意欲的な演奏の試みに満ちている。多くは作曲者不詳、あるいは不明と思われるか、そんなことは問題にならないような断片であったりもする。また多くはメロディや構成がよく似ており、ごく細かい違いによって呼び方が変わるに過ぎず、その呼び方さえ、ダンスの変遷とともに伴奏も変わったであろうと思われる。ダンス・ミュージックというものは、今も昔も移り変わりの早いものだ。表題のつけられたものには歌詞がある。しかしつけられていないものにも、他の録音で全く別の表題と歌詞を持って演奏されているものもある。作曲者が明記されているものもあるが、全く同じメロディを持つ別の作曲者の曲もあったりする。この時代、何をもとに曲を作るかで、今のような厳格な管理がなされていなかったものと思われる。さてこの「曲」というかトラックも、アルバム・タイトルにもなっている表題のついた曲を含め5曲のメドレイになっていて、それが見事な変奏になっている。特に、リズムを複雑化してダンスの技を競ったと思われる部分や、それに続いてそのまま盛り上がる部分があったり、いろいろな楽器、いろいろな音色で多様に演奏される16世紀ヨーロッパのダンス・ミュージックが、楽しい !! さて、6年分録り貯めた「NHK古楽の楽しみ」の音源から選んだ私のベスト古楽10選これにて終了。
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2020年05月28日

20200528 Odhecaton

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Hayne van Ghizeghem: De tous biens playne a 3/ Les Flamboyants
(CD, V.A./ Ottaviano Petrucci: Harmonice Musices Odhecaton A/ Les Flamboyants, Raumklang, RK2005, 2001, Germany)
 「引きこもりの美学」・・・Gutenbergが活版印刷技術を発明したとされた約半世紀後の1501年に、世界初の印刷楽譜がイタリアのOttavio Petrucciによって出版された。"Harmonice Musices Odhecaton A"(多声音楽百選其壱) と題されたその曲集には、Josquin des Prezをはじめ、フェッラーラ侯爵邸楽長の座をめぐってJosquinに敗れたHeinrich Isaac、そしてJacob ObrechtやAntoine Busnoysなどの世俗歌曲や作曲者不詳の俗謡、さらにはミサ曲の断片などが、約100曲収められている。これに取り組まれた録音も複数あるが、なぜか私はこのCDがとても心地よく、これを聴いているとすぐに眠ってしまうので、実はあまりよく聞いていないのだ。アルバムは、"De tous biens playne"という穏やかで眠りを誘う、どこか『涙のパヴァーヌ』の原型とも思われるような美しく物憂い器楽合奏で始まり、その変奏ロング・ヴァージョンで終わるのだが、初めの曲の終わりを待たずに意識を失ってしまい、後は夢とうつつの間を行ったり来たりして、18曲目あたりで一旦意識は浮上する。しかしその長い変奏曲を聴いている間に二度寝してしまって、最後の曲出始めのテーマが奏されると目が覚めるのである。だから、いろいろ調べたりしてわかったことはあるのだけれども、ここではこれを聴きながら幸せな眠りに落ちることだけをお勧めして・・・ああ・・・zzz
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2020年05月27日

20200527 e-u-e-u-e-a-i-e


Josquin Desprez: Missa Hercules dux Ferrariae/ A Sei Voci
(CD, Astrée Auvidis, E 8601, 1997, FR)

 「引きこもりの美学」・・・Josquin Des Prez (1450?-1521) の生きた時代はルネサンスの絶頂期であった。Leonardo Da Vinci (1451-1519)とほぼ同世代であり、先に言及したGuillaume Dufay (1397?-1474)などの、いわゆる「フランドル学派」の作曲家たちと世代の重なる直接の後輩にあたる。その時代のフランスやイタリアがどのような世界であったか、社会や音楽は、教会や王侯貴族、また庶民生活との関わり方はどんなものであったか、これらについてはすでに学術的な調査研究が尽くされてきている。それは余生の楽しみに残しておくとして、現代に録音された演奏のことだけに集中すると、その先輩たちの世代のものより、もっとポピュラーというか、世俗的・処世的・実業家としての音楽家の性格をより強く感じるものがある。Dufayの音楽が、聖歌や伝統音楽、世俗化曲の定旋律をもとにしたパリエイションの方法を数学的に構築していった感があって、その実験性や複雑さが、一種難解な魅力となっているのに対して、Josquin Des Prezには、よりメロディ・メイカーとしての才能が強く感じられる。テーマが明確で、印象的なメロディが一貫して出てくるので親しみやすい。
 歴史的には、15世紀に入ると、それまでの王侯貴族の権力の淘汰集中が進み、より強大な宮廷の政治力が勃興するようになって、しばしばそれが教会と対立するまでになる。歴史のほんの一部をかいつまんだだけでも、15世紀後半に北イタリアにあったフフフ・・・フェッラーラ公国のエルコレ1世 (Ercole I, 1431-1505) は、ヴェネツィアとの戦いに苦慮して和平に転じ、教会と和解して領地の破壊を免れた。以後長く続くイタリア全土と隣接する地域を巻き込んだ戦争に中立を決め込んで領内の文化芸術を保護した結果、フランドルや北フランスから文化人芸術家がここを頼って移り住んで来た。実はこの戦争は例によっての王侯貴族や教皇の覇権争いだったのだが、その要因の一つに塩があった。当時の塩はトルコ産が主で、オスマン・トルコ帝国がその権益を握っており、コンスタンディノープルが陥落した遠因もこれである。当時のスルタンはいうまでもなくMehmet 2世 (1432-1481) であって、その息子にCem (Djem, 1459-1495) がいて、兄のBeyazıt 2世との皇位継承に敗れて初めエジプトに亡命、その後、地中海の覇権争いをめぐる各国の駆け引きに利用されてイタリアやフランスに身柄を移された。しかしその間も、トルコ帝国からの地位と仕送り、受け入れた側の破格の待遇などもあって、裕福な生活であったとみられる。
 同時代に多くの文化人芸術家が、あのLeonardo Da Vinciでさえもヨーロッパ全域を職を求めて転々としていた。Josquin Des Prezがエルコレ1世のもとに草鞋を脱いで、彼のためにこのミサ曲を書いたのは公爵の最晩年の頃とされている。一聴してわかるように、非常にわかりやすいテーマが全編を通じて繰り返される。それぞれの一小節に通奏される音が決まっていて、それらは8小節で一楽章になっており、その8つの音は、従来のように聖歌や伝統音楽、世俗化曲の定旋律を元に作り出されたのではなく、全く新しい発想で「導き出された(soggetto covato)」ものである。すなわち、「フェッラーラのエルコレ」は、ラテン語で「Hercules Dux Ferrariae」となるが、その母音だけを取り出して並べると、e-u-e-u-e-a-i-eとなる。これを当時の「ドレミ」にあてはめると、「レ・ド・レ・ド・レ・ファ・ミ・レ」となり、これが各小節に通奏され、その上に多声が載っている。今で言うコード展開のようなものである。美しく、印象的で、素晴らしい曲である。ミサ曲を聞いてこれほど親しみを感じたことはない。しかし想像してみれば、繰り返し繰り返し、何度も何度も自分の名前から出た定旋律が繰り返される曲を聞いて悦にいったかもしれない公爵、またそのようなゴマスリ曲を書いたJosquinの阿諛追従ぶりもなかなかのもんである。
 Soggetto Covatoの手法で作られた曲に、"Missa lesse faire a mi"がある。これは、作曲したのに支払いをしない依頼者に催促しても、いつも返事は「わかった、まかせておけ (laissez-moi faire)」であったが、これをイタリア語にすると"lesse faire a mi"となり、ここに「ラ・ソ・ファ・レ・ミ」というメロディが導き出される。この曲では通奏音ではなく、冒頭のメロディに"lesse faire a mi"という歌詞までついて現れる。当て擦りもここまでくると痛快だが、このメロディはのちにまで伝わって、Eustache Du Caurroy (1549-1609) のシャンソンに使われたりもしている。で、その依頼主とは誰だったかというと諸説あって、そのうちの一人が、先に述べたオスマン・トルコのCemではないかというのである。名前が上がるということは、亡命者とはいえそれだけの財力があったということだ。
 その真偽はともかく、キリスト教国家にとって当時の最大の敵はオスマン・トルコであったのだが、地中海の覇権や商取引の上では、様々な事情で取引したようである。キプロスやエーゲ海の島々に、古くからのフランスの民謡が残っていたり、バルカン半島からその西北地方にかけてトルコの古い歌が伝わっていたりして、調べていくと興味は尽きない。人的交流が広く盛んになるにつれて、文化も入り混じる。ヨーロッパ全体で見ると、研究対象になるクラシック音楽のメイン・ステージは、このあと教会と宮廷へ、両者を股にかけて活躍する大作曲家の変遷へと移ってゆく。Clément Janequin・Claudio Monteverdi・Jean-Baptiste Lully・Johann Sebastian Bach・・・しかし、もう私には臭くて堪らなくなる。私が付き合えるのは、このJosquinまで。いささか悪ノリミサ曲でっち上げのきらいはあるが、従来の定旋律にこだわらず、「音楽に支配された作曲家」ではなく「音楽を支配した作曲家」・・・すなわち神に最も近づき得た人間として尊敬された凄み、神が人々の心の中に畏怖の念を持って生きていたからこそなされたこの評価は、これらの音楽で一心に祈ったかもしれない人々のことが想像されて、心に迫る凄みがある。これ以降、私の興味は、教会音楽や宮廷音楽にはなくなり、より広く民衆や民族の暮らしを反映した記録の残る写本を調査研究して、演奏によって世に問うている人たちのものに向かう。


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2020年05月18日

20200518 Dufay: Gaude Virgo, Mater Christi

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Guillaume Dufay: Gaude Virgo, Mater Christi/ Cantica Symphonia
(CD, Cantica Symphonia: Quadrivium, Guillome Dufay, Motets, vol.1, Glossa, GCD P31902, 2005, EU)
 「引きこもりの美学」・・・多声音楽の魅力というものは、クラシックに限らずどんな音楽にもいえることだと思うが、幾重ものメロディが散発的に別々の動きを持って歌われることによる重層性である。単旋律の歌は純粋性を、多声音楽は複雑な苦悩をよく表現できるが、その内容は全く様々である。Guillaume Dufay (1397?-1474) の生きた時代は、ペストの感染爆発が鎮静したものの、ローマ教会の大分裂が深く社会を分断していた.人々の精神的支柱であったキリスト教世界観が、唯一絶対の揺るぎないものではなくなった.神は人々を助けてはくれなかったし、神を信じよと我々に説く者が権威をめぐって争い続けていた.それは、神性を普遍無謬のものとし、その前提のもとで社会が成り立っていた時代とは全く異なる。神が普遍的原理なのではなく、それは別にある。音楽に限らず、人間のあらゆる知性的活動の分野で、改めて原理を問い直し、追い求める衝動が、ルネサンス運動を後押ししたのである。
 Dufayの音楽を調査研究して現代に復興させる試みのほとんど全てで、彼の楽曲にしか考えられない複雑で深刻で、しかも整った構成美を持つ独特の情感に触れるのはなぜだろう。もちろん演奏家による解釈や表現方法の違いは大きいけれども、多くの演奏で極めてDufay的な響きを感じざるを得ないのはなぜだろう。それまでの中世の音楽、単旋律で歌われる、純粋な信仰をイメージする清らかな聖歌、素朴で明るい庶民の歌を取り入れながら、「騎士道」という統一された美学のもと王侯貴族の館に開花した前宮廷音楽、両者を取り入れたり排除しながら発展してきた典礼音楽・・・さまざまな影響を受けながらも醸成されてきたヨーロッパ的な音楽の様々な要素が、一瞬にして彼のもとに結晶したかのような凝縮感を感じる。聞けば聴くほど、それまでに聞いた様々な時代の音楽の結果や、この時代以後に現れるいろんな音楽の萌芽が、多声のそれぞれの動きの中に組み込まれ、前衛的でありながら、全体としては美しい結晶のように聞こえるのである。
 "Gaude virgo, mater Christi"・・・このタイトルは、のちのJosquin Des Prez作曲のものの方が有名かもしれないが、もともとは聖書の詩句によらない古くからの定型句である。「喜びたまえ、処女なる、キリストの母よ」・・・細かい解釈は別として、概ねこのくらいの意味になると思うが、聖母マリアが男との性交渉に依らず、精霊と交わることで処女を維持したままキリストを宿した、という考え方に基づく。この曲は典礼音楽ではなく、それと世俗歌曲との橋渡し的な性格を持つ「モテット」・・・すなわち、グレゴリオ聖歌の定旋律の引き伸ばされた母音の長音に、様々な解釈などを織り込んだ言葉を持つ音楽が、やがて独立してひとつのジャンルになったものである。分類としては宗教曲に含まれるが、内容は両者の中間的な意味合いを持つ。聖母マリアのイメージが、キリスト教文化の中においては、聖なるもの、美なるものから始まって、やがてそれを賛美する内容が、男が女に求める理想の姿を様々に重ね合わせて、やがて複雑化していく。その傾向は、音楽のみならず、宗教画に女性の裸体が多く描かれることにも現れる。これらが調和して存在することが、ヨーロッパ的なるものの不思議と思われて仕方がない。
 重層する複雑さを統率する原理は、古来から数学的にアプローチされてきた.古代ギリシアで、一本の弦を鳴らした音の高さと、その半分の長さの弦を鳴らした音の高さが、同じようでありながら調和して快く聞こえたことをきっかけに「オクターブ」が発見され、やがて音階の数学的な分析に発展した.私は楽典を理解していないので、ここでDufayのこの分野における功績について書くことはできない。ただ、それによって構成された音楽が演奏された結果は、強く圧倒されるにもかかわらず、全体として深い安堵にに満ちたものだった.このアルバムのタイトル、"Quadrivium"・・・すなわち中世の大学における基礎学科「文法学」・「論理学」・「修辞学」に次いで修めるべきとされる四学科「算術」・「幾何学」・「音楽」・「天文学」・・・も、胎内に統合されたDufayの魅力を暗示しているようである。このアルバムは、サブタイトルが示す通り彼のモテット集である。長大な代表作ではなく、珠玉の短編集という趣がある。私は歳を取ったとはいえ自分ではロック・ミュージシャンの端くれのつもりなのだが、この700年もの時を越えてなおかつ奏でられる音楽の生気に触れる時、たかが数十年のポピュラー音楽の歴史が色褪せて見えるのはやむを得ないように思う。

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2020年05月17日

20200517 Hocquetus David


Guillaume de Machaut: Hocquetus David (instrumental)/ Ensemble Musica Nova
(CD, Ensemble Musica Nova: Guillaume de Machaut, Ballads, æon, AECD 0982, 2009, EU)
 「引きこもりの美学」・・・クラシック愛好家やキリスト教関係者とは異なって、私が古学に興味を持ったのは、ドイツのロック・バンド"Faust"に入れあげたことがそもそもの原因だった。Faustのアウト・テイクス集や、そのメンバーのセッションに、多くの実験的反復音楽の録音がある。それらはロックの魂を高揚させるような情熱が昇華されて無機質となり、宇宙に彷徨う光の周期のように感じられる。そこから反復をテーマとした現代音楽へと興味が広がるにつれて、やがてクラシック音楽へ、バロックをかすめて中世の音楽へと聴き進んでいった。私の古学に対する関心は、あまり純粋なものではないし、クラシック音楽の多くがキリスト教文化の基礎の上に成り立っているにもかかわらず、私はクラシック愛好家やキリスト教関係者のように、その歴史や伝統に充分な敬意を払っていない。単に、録音に現れた音の感触を自分なりに評価しているだけである。古楽の歴史を辿るのも、要するに自分が良いと感じる音楽の断片を探し求める道標にしているに過ぎない。
 そういうアプローチもありうるとすると、中世の音楽は、まさに良いフレーズの宝庫である。断片とかフレーズという言葉を使ったのは、これらの音楽が、ヨーロッパでは教会の典礼の式次第によって形作られ、あるいは音楽劇の形態をとって、往々にして長大な組曲の様相を呈するからである。私はそれらを正しく正面から聴き通すだけの忍耐力がなく、本題が始まる前の前奏曲や、その合間に挟まれた間奏曲に関心を持つ。あるいは庶民的な流行歌や、その一節が独立して様々に変奏されていく様子を聴いて楽しむ。宗教曲においてさえ、その一節を強調して歌い込んだり、やがては独立して別の曲に仕立てたりされている。または、逆にそうしてできた曲や断片を、ミサ曲に挟み込んでバリエイションを持たせたりしている。このような関心を持って中世の音楽を聴き進んでいると、似たようなフレーズがあちこちの、しかも時代もかなり離れたものの中に散見される。それらを遡っていくと、多くは作曲者不詳の庶民の歌や伝統的な民謡であることが多いが、時にはイスラム圏の古いマカームの一節だったりする。歌詞のあるものは、その意味を辿っていくのもまた楽しい。多くは結局旧約聖書の詩篇に行き着くのだが・・・
 旧来歌い継がれてきた典礼音楽や庶民の歌を、おそらく楽譜上で加工して作曲したと思われる曲も多い・・・というか、それが作曲家のメシのタネだったようだが、特定の印象的なフレーズを繰り返し、あるいはテンポを変えて、あるいは原曲と重ね合わせて演奏するとどうなるか、あるいはリズムが正確に記譜できるようになったことから、本来グレゴリオ聖歌の文句の抑揚に合わせる形で音楽が成立していった重要性に対して、明らかにリズムを弄んでどう響くかを楽しんだと思われる曲も多く伝えられている。それをシレッとミサ曲に挟んで聖歌隊に堂々と歌わせてみたり、騎士の嗜みなどと言って宮廷に献上し、紳士淑女がそれに合わせて踊るのを眺めてみたり、あんまり雑多になり過ぎたので教会側が怒ってこれらの演奏を禁止してみたり、それでも懲りない作曲家たちが、聖歌の途中に入れる間奏に、もともと卑猥な歌を器楽合奏で挿入し、後で聖歌隊に曲名を当てさせてみたり・・・おまえらなかなかやるのう、こんな、現代音楽なんて腰を抜かすような実験が、早くも14世紀の昔から行われていたことを知るにつけ、ますますその響きに取り憑かれるようになってしまった。
 Guillaume de Machaut (1300?-1377) は、おそらく中世のヨーロッパに現れた最初の大作曲家であろう。その生涯は波乱万丈で興味が尽きないし、代表作とされる「ノートル・ダム・ミサ曲」も、聴き込んでいくにつれて複雑な味わいに惹かれてくのであるが、ここでは異色とされる「ダヴィデのホケトゥス」を紹介したい。この曲は、もともとグレゴリオ聖歌の「アレルヤ唄」のなかのマリア生誕の部分"Maria Nativitas"の最後に家系の祖としてダヴィデに言及される部分の一節を取り出して、多声楽曲に編曲されたものである。複雑なリズムが交錯し、特に細かい連打音が、各声部交互に出現するのが「しゃっくり」に似ていることから、その意味であるところの"Hocquetus"が充てられたと言われている。今でいう「シャッフル」ですな。これは複雑すぎて元の歌詞をもっては到底歌えないので器楽合奏曲ではないかと言われているが、様々な解釈の演奏が存在する。非常に「クラシック臭く」演奏されたものもあれば、むしろコミカルに押し倒したようなものもある。しかしこのEnsemble Musica Novaの演奏は、このアルバム唯一のインストゥルメンタルであり、それがこの曲の正しい解釈だと明記されている。ほとんどの場合笛で演奏されるが、彼らはハープやヴィエールなどの弦楽器を加えている。その響きは、空間に浮遊する音霊の群れのように聞こえ、同じフレーズが時々現れては消える。万巻を読み尽くした老学者の穏やかさというべきか、独特の精神的な高みに誘われたような、不思議な感触がある。
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2020年05月14日

20200514 Che Pana È Quest'al Cor

Francesco Landini: Che Pana È Quest'al Cor/ Ensemble Micrologus
(CD, Ensemble Micrologus: Francesco Landini, Fior Di Dolceça, Zig Zag Territoires, ZZT050603, 2005, France)
 「引きこもりの美学」・・・14世紀のフランスで起こった「アルス・ノーヴァ」の影響を受けて、イタリアでも記譜法の改革による技術的変化によって、一連の多声音楽の動きがあった。1300年代であることから「300」を意味する「トレチェント (trecento)音楽」と呼ばれ、ひとつのカテゴリーになった。南フランスから地中海沿いに東へ進むと、Venghmiglliaの峠を境に風景も光も一変する。明らかに気候と風土が変わるのである。話される言葉もそうだが、料理やパン、ワインの味まで違う。人々の気風が違う。フランスの魅力は、趣向の凝らされた料理のソースの複雑さによく現われていると思う。高級料理に限らず、地方都市の定食屋でもそうなのである。最後に残ったバゲットで皿のソースをねぶっていると店主がむしろ喜んでコーヒーをサービスしてくれるほどだ。これに対してイタリア料理の明快さは格別だ。トマトの酸味、チーズのコク、油やスパイスの使い方も半端でない。これらを使いこなしてあの原色のバリエーションが出る。音楽も、フランスのヴィオール・コンソートの複雑繊細に美しさと違って、あっけらかんと明るくメリハリが効いている。細くくびれたところは抱きしめると折れそうなほどで頭がクラクラ・・・失礼・・・で、Francesco Landini (1325?-1397)は、幼少の頃天然痘によって失明したことがきっかけで音楽の道を志したと言われている。特にオルガンの名手で、墓石に携帯型のポルタティフ・オルガンを携えている姿が映されている。トレチェンと音楽を今に伝える代表的な写本に15世紀に発行された「スクアルチャルーピ写本 (Squarcialupi Codex) 」というものがあって、これをもとに演奏再現が試みられていて、上のEnsemble Micrologus以外にもたくさんある。トレチェンと音楽を復興して演奏、録音したもののうち、私の聞いたものではこの演奏がダントツである。この曲の他の演奏が、どちらかというとイーヴンに譜割りしたリズムの上で丹念に奏でられているのに対して、この演奏はスピードを重視したように思われる。幸い動画がシェアされているので、3'20あたりから始まる演奏をお聞きいただきたい。
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2020年05月12日

20200512 Medee fu en amer veritable

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Philipoctus de Caserta: Medee fu_ fol.24v, Medee fu en amer veritable (ballade)/ Tetraktys
(CD, Tetraktys: Codex Chantilly 1, Etcetera/ Olive Music, KTC 1900, 2008, Netherlands)
 「引きこもりの美学」・・・13世紀までの中世ヨーロッパ音楽は、単旋律のクレゴリオ聖歌を基礎としながらも、吟遊詩人や地方王侯貴族、騎士道による社交界の恋愛の歌が花開いて、まさに黄金時代であったと言える。録音されているものは、残された文献や挿絵などから研究された結果であるが、キリスト教・イスラム・民衆の歌という三つの大きな要因がそれぞれに入り混じってこの時代の音楽の生き生きとした活力を今に伝えてくれているように思われる。なんといっても、グレゴリオ聖歌の単旋律のメロディの、なんとも言えぬ情緒は病みつきになる。時代が下るにつれ、その間に様々な歌曲が挟まれる形でバリエーションが増えていくのが楽しい。さらに間奏として挟まれる器楽合奏の、なんと繊細で緻密で、儚くも美しいことか・・・それらのバリエーションを聞くと、単旋律聖歌と多声歌曲は古くから両立していて、単旋律から多声へ一方的に発展したと言い切るには戸惑いを感じるのてある。アジアやアフリカの伝統音楽にも素晴らしい多声音楽がたくさんあり、ヨーロッパになかったと考えるのは不自然だ。むしろ、キリスト教典礼音楽の歴史を紐解いていくと、たびたび聖歌としてミサに使うことを認める音楽を整理している。つまり、多声の響く楽曲や、リズムを持つ音楽を、聖なるものではなく、俗なるものとして忌み嫌ったかのような記録がある。したがってむしろ、単旋律のグレゴリオ聖歌が当時の典礼音楽として確固たるものがあったのは事実だが、庶民の歌や踊りとして、多声音楽やリズムを持った踊りの音楽が広く分厚く底辺に生き続けていて、教会としても布教の必要からこれに近づき、そこに作曲や演奏の需要が生まれるとそれに携わる者が現われ、やがて彼らが教会音楽をも手がけるようになったのではないか。一方で、教会の権威をいただこうとする世俗勢力、すなわち王侯貴族や騎士団などによって社交界ができてくると、彼らの嗜みとしての舞踊や音楽が重く用いられ、それがのちの宮廷音楽への道を開いていったのではないか。その底辺には依然として庶民の歌や踊りがあって、それらは作曲家の着想や変奏の源泉を供給し続けた。このようにして、歴史的な考察の対象になりうる時代には、すでに教会音楽・宮廷音楽・庶民の歌という三層構造の原型ができつつあったものと思われる。これらが互いに影響を及ぼしあって、現代まで続く西洋クラシック音楽の大きな潮流になったのではなかろうか。
 実際には、教会としては典礼音楽を正しく決める必要があった。まずは正しい聖歌を歌うために、詩編の文句の上に、ルビのように音程の抑揚が書き入れられた。やがて布教の必要性から典礼劇その他のバリエーションが現れると、台本とともに歌が記録され、自ずから学士が集まって合唱や合奏が行われた。原曲つまりグレゴリオ聖歌の一部や、おそらく当時流行していたであろう名もない歌の一節などを基本に変奏が行われたはずである。多くの録音された典礼音楽を聴くと、単旋律のグレゴリオ聖歌のミサ通常文を歌い終わった後、多声による変奏が延々と続くからである。そこに音楽家の活躍の可能性があり、様々な楽曲の発展があったのであろう。要求される複雑な技法を伝達するために、音の記譜法が改良された。最初は音の高低やその度合い、動き方を示すだけのものだったが、やがて音の長さ、小節の分割という形でのリズムの表現方法ができてきた。大きな特徴は、音の長さを厳密に書き留める方法ができてきたことである。これによって、拍子やリズムを記録することができるようになって、それがさらに複雑な演奏を可能にした。このようにして聖歌や一部の世俗歌曲は、手書き写本の形で残された。写本の多くに世俗歌曲が多いことは、すなわち教会以外での音楽の演奏も、同程度かまたはそれ以上に重要だったこと、写本として残すに値する需要、すなわち演奏の機会が多かったことを意味している。逆に、写本の歌曲の多くに同じメロディやテーマと思われるフレーズが繰り返し現われるが、恐らくそれが庶民の歌を反映しているのであろう。それそのものとして書きとめられることがなかったか、あるいはできなかったのかもしれないが、滲み出しているのを見ることができる。
 音楽というものは、発せられた瞬間に消え去る運命を持つ芸術である。それを書き留める方法や動機は、このようにごく限られた人や機会にしか存在しなかっただけだと考える方が自然だ。記譜法の改良という大きな技術的進歩の功績は大きく、それらは複雑な多声音楽の、それぞれのメロディの絡み合いを克明に記録する可能性を示唆した。最初に現れた傾向は、単旋律聖歌の一つの音を長く引き伸ばしたところに、別の旋律で別の言葉を小刻みに乗せていく「オルガス・・・失礼・・・「オルガヌム」という手法である。歴史的な流れで言えば、パリに完成したノートル・ダム大聖堂を拠点に活動した「ノートル・ダム楽派」に属する作曲家たちの作品群が挙げられる。これはひとつの中世ヨーロッパ音楽の到達点だと思う。これを題材に演奏された作品は多く、それ以前のものを題材にしたものとの違いや、その良さはわかる。しかし、いまのところ、私の頭をぶっ飛ばしてくれるような演奏には出会ってない。でも面白そうなので、今後の探求分野になるだろう。しかし、これにはカネがかかりそうだ。
 音楽が技術的に複雑になっていく過程と、それを書き留めて演奏に反映させようとする努力は、互いに関連し合いながら進んでいく。14世紀のフランスで、さらにそれが推し進められた。「アルス・ノーヴァ」すなわち「新しい技法」と呼ばれる音楽の流れである。これは1320年頃に出版されたPhillippe de Vitryの理論書のタイトルが、そのまま音楽楽派の名前になったものである。この時代、西ヨーロッパでは、絶対的な精神的支柱であったローマ教会が二つに分裂し、ローマと、南フランスのアヴィニョンに分かれて対立した。このことは当時の人々にとって天が二つに割けるほどの衝撃であっただろうし、絶対的価値観というものが揺らいで多様化していく重要な過程でもあった。また、時代が相前後するが、この時代に全ヨーロッパを含む西アジアから北アフリカまでの広い範囲で、ペストの感染爆発が起こり、社会不安などという生易しい言葉で現象を語ることができないほどの崩壊、精神的にも物理的にも悲惨な状況が長く続いた。この頃、おそらく厭世観や終末思想から、極端に先鋭的で技巧的な形式を有する一連の音楽の動きが、そのアヴィニョンで発生した。「より繊細な技法」(artem magis subtiliter) を意味する「アルス・スブティリオル (ars subtillior)」である。
 その最も重要な曲集とされる「シャンティイ写本 (codex Chantilly) 」に収められた120曲もの世俗歌曲を、おそらく全部演奏してしまおうと考えているグループがある。 ≫Tetraktys ≫・・・後頭部を思いっきり後ろからはっ倒されたくらいの衝撃。出会った曲のタイトルがわからず、同じメロディを持つ曲をしらみつぶしに調べて突き止めた。リーダーの名前を調べて直接連絡を取って確認した。手軽にここでその音の素晴らしさを聞いてもらいたいのは山々だが、流出しているものはなく、著作権の関係でもめたくないから、勝手にアップロードするのはやめておく。mp3データでしか手に入らないが、iTunesでわずか\255なので、ぜひダウンロードして聞いてほしい。迫力が全然違うので調べてみると、ピッチそのものが全く違う。「a」が、なんと523Hzとされていて、現代の440Hzと比べると1音半も高い。さらにどの演奏もテンポが極端と言えるほど緩いので独特の情感がある。複雑に絡み合いながら進行するメロディ、どこでどう切れてどう繋がっていくのか予測できないリズム、不協和音へ落ちそうで落ちず、混沌に引きずり込まれそうでいて全体が穏やか・・・こんな実験的で美しい音楽がこの世に存在するとは思わなかった。この曲集の楽譜も残されているが、最早それは楽譜ではなく一幅の絵のようで、とてもそれを演奏することなど不可能ではないかとさえ思われる。そして彼らの急進性は、ルネサンス初期以降、ヨーロッパ音楽の和音の基調となる「四つの声部」の確立へと導いたのだが、それは単純化されて解消し、彼らが目指したであろう精神的な緊張感は受け継がれることなく消えた。
 キリスト教典礼音楽は、その後々の現代に至るまで西洋クラシック音楽の大きな基盤であり続けた。一つの宗教音楽が、これほどまでに文化的なレベルで多彩に受け継がれている例は、他の文化圏では見られない。その「聖なるもの」の観念が、多声音楽とリズム、すなわち澄んだ音に対する濁りを忌み嫌った傾向も、また現代に受け継がれているように思われる。そしてルネサンス初期における音楽の混沌を最後に、ヨーロッパ音楽は単純化される方向に向かい、むしろ精緻で構造的な美を求めるような傾向が見られる。しかしその大半を占める主題のない形式的な宮廷音楽など、私には単なる阿諛追従のグロテスクな塊としか感じられない。それがまさに「クラシック臭さ」なのではないかと思うのである。
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2020年04月19日

20200419 Proensa: Paul Hillier

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 「引きこもりの美学」・・・実験的という観点から見れば、このアルバムは、もはや古楽というより現代音楽に近い。さすがECM、Manfred Eicherが仕掛けたんかPaul Hillierが持ち込んだんか書いてないけど、ものすごく良い。出典は、先にも出たGuillaume d’AquitaineやBernart de Ventadornなど、11-13世紀に活躍した吟遊詩人の曲ばかり。リュート、サルテリー、ハープ、ヴィエールという素朴な弦楽器の、なんと即興演奏がつけられている。この手の実験的な音楽は、まったく往々にしてつまらん駄作に落ちてしまうものだが、そこは楽曲の良さ、押しも押されもせぬHilliered Ensembleの指導者、ECMジャズの創設者、そしてStephen Stubbs, Andrew Lawrence-King, Erin Headley ‎という古楽の名演奏家たち・・・しかも一曲目が「本当のからっぽについて」という例のアキテーヌ公が書いた、男なんてものは取るに足りない存在だとつくづく思い知らされるような詩を、大真面目に朗々と朗読するところから始まる。ハープが飛び散る・・・闇が唸る・・・こういうことを名演奏家たちが堂々と大真面目にやってくれるところが懐深い。本来、音楽は作って演奏して楽しむもの。ヨーロッパでは10世紀頃から、教会での典礼用の聖歌集以外にも、音楽を書き留めたものや、それらを筆写した歌集のようなものが散見されはじめる。そこに共通の歌詞やメロディ、作曲者名が見出されるようになるが、これらの特徴は、定旋律定型文の聖歌とは違って、全く自由で、中には取るに足りないありふれた内容の歌詞が多く残されていることである。これは、ずっと昔からこのような民衆の歌が存在していて、それが文書に現れてきたものと見ることができる。現代の多くの演奏家は、これらの文献を研究して実際の演奏に具体化するのだが、ほとんど歌のメロディしか残されておらず。リズムもはっきりしないので、仕上がった音楽の大部分は想像の賜物である。しかしその旋律の動きに一定の法則が見られることから、そこに和声の存在、おそらく音遊びや偶発的に生じた効果などを弄んだものが定式化したと思われるものがあって、それは合唱だけでなく、器楽伴奏として著された時に魅力的な特徴を発揮する。また、その頃までは教会の権威が絶対的に強く、音楽は民衆が聞くためのものというより、信仰のため、神のために捧げるという性格が強かったが、典礼音楽としてのグレゴリオ聖歌も、聖務日課によって様々なバリエイションを要し、また布教にも民衆に寄り添う必要があって、その題材に民衆の歌やその旋法を取り入れた形跡がある。例えば聖母マリアの純潔性を歌いながら、それを現実の処女を賛美する内容にすり替えて楽しんだものが、逆に教会音楽の歌詞の中に散見されるなどである。このように13世紀頃までのヨーロッパ音楽は聖なるものへの指向性が強く、超現実的な響きを持ちながらも、その広がりや多様性を民衆の歌が支えるという、一見矛盾した性格を持っている。そして全体としてはシンプルで、神に対する生身の畏怖、異質なものに対する生身の恐怖、ありのままの混沌などが楽曲ににじみ出ているため、独特の感触を持って耳に響くのであろう。そこが、この次の時代に顕著になる、ヨーロッパ的な構成美を主眼とする音楽との大きな違いではなかろうかと思う。その後の合理主義的価値観が当たり前になってから作られた宗教音楽とは、出来がまるで違うのだ。一方の世俗音楽は、ほとんど記録が残されていないものの、中世の教会音楽を聞くとき、より下った時代のものを聞くよりも荘厳な感銘を受けるのは、おそらくそのためだろう。13世紀頃までは、いわゆる「大作曲家」として後世に名を轟かせるような人物は知られていない。作曲者の主体は、主に吟遊詩人であり、これらありふれた民衆の歌を口伝で集め、そこへニュースや珍しい話などさまざまに即興を取り入れて日銭を稼いでいたものと考えられる。彼らの歌は、南仏から北へ流行し、やがてドイツに入り、またイベリアへも渡り、西ヨーロッパ中に流行した。それを支えたのは当時勃興し始めていた騎士団であり、騎士団を支えたのは地方の王侯貴族であった。歌や詩や踊りは人間の根源的な喜びであったけれども、いや、だからこそ、それは時の宗教勢力や政治勢力に利用されて、民衆をコントロールしたり、自己の権力を誇示することに使われた。良い歌を歌い、詩をたしなみ、優雅に踊ることは、騎士道の嗜みの一つと捉えられ、それが王侯貴族の館での社交につながって文化として花開いた。そのような安定したヨーロッパ中世の絶頂期が、だいたい13世紀頃になる。この頃までの音楽を聴くとき、しかしそれはやがて複雑に変容して、豪勢な歌劇や舞踏などに代表される宮廷音楽に発展した。一方、教会音楽は13世紀頃までは単旋律だったが、やがて上のような世俗音楽の荒波をかぶって変容したり、あるいは取り締まられたりしながら入り混じり、複雑に変容し多声音楽へと発展していった。やがて宮廷音楽にメイン・ストリームが移り、作曲家や演奏家は宮廷に庇護されて教会の楽長も務めるという構造が出来上がった。その主流は、宮廷で上演される歌劇や催される舞踏会に用いられる音楽であった。歌や踊りはキリスト教の布教のための寸劇などから発展して、演劇文化としてヨーロッパの音楽の主要な要素となったことは自然である。しかしこのことが、クラシック音楽のすべての歌曲の発声法を支配し、器楽合奏の音感の序列にまで影響を与えてしまったことは否めない。その精神が、神への畏れから、宮廷への阿りに変化していくとともに、ヨーロッパのクラシック音楽は、どうにも鼻持ちならない「臭さ」を身に纏ってしまったような気がしてならない。それはおそらく、その中にいる人には気がつかない自分の体臭のようなもので、外の人間にはなかなか越えられない一線のように思われる。私の場合、その一線が、だいたい西暦1600年ごろにあるようなのだ。古楽のファンが必ずしもクラシック・ファンでないといわれているが、これが関係しているのではないかと思う。

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