2020年01月31日

20200131 D’Angelo: Brown Sugar

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D’Angelo: Brown Sugar (CD, EMI E2-32629/ EMI 7243 8 32629 2 2, 1995, US)


Brown Sugar

Alright

Jonz In My Bonz

Me And Those Dreamin' Eyes Of Mine

Sh*t, Damn, Motherf*cker

Smooth

Cruisin'

When We Get By

Lady

Higher


https://www.youtube.com/watch?v=H_WzjiTzZBA


 1995.01.17を境に全てが変わってしまった。なにもかも。もうそれ以前のようには戻れなくなった。心も体も。それまで集中していたこと、あれほどかけがえのなかったことにも、全く興味が湧かなくなった。空虚な心を、冷たい乾燥した風が吹き抜けた。感情、というものさえ、それがどんなものだったのか、人として一生懸命に思い出そうとしたのだが、全くダメだった。破壊と混乱と喧騒の一ヶ月が過ぎて、重機が街ぐるみ地上を引き剥がして行った後、私は全く何もない状態であてどなく彷徨った。居場所は遠いところにしかなく、そこは別世界だった。私の世界はここにあるはずだったが、ここには何もなかった。こんなことが起こるなんて、誰も全く予想していなかった。それまでは、周りのものは全て正常にそこにあり、社会には秩序が保たれていて、世界は、まだ、平和だった。要するに、概ね万事、順調だった。もちろんすべてに安心して満足していたわけではない。そもそもそんなことはあり得ない。しかし、明日のことを計画し、未来に希望を持つために踏ん張ることのできる足がかりくらいは、確かにしっかりと足元を支えていた。それが全て消えて無くなった。明日の屋根はおろか、今夜すがるべき軒下もなかった。要するにそれまで当たり前のようにあったすべてのものが、跡形もなく消えた。秩序も常識も、感覚も狂った。水平と垂直さえ、おぼつかなくなった。構造物など言うに及ばず、地面が最も恐ろしかった。ゲラゲラと笑いたい衝動をこらえて、狂っていく気持ちを抑えるのに必死だった。たしか、初めて街へ出た時にたまたま手にしたのがこのCDだった。もう一度自分の心を埋め戻していくように、CDショップの試聴コーナーに一日中かじりついていた。それまでのジャンルの音は、とても聞くに耐えなかった。この心の冷たさ、虚無感を真っ当に評価してくれるような音、その片鱗だけでも良いからと思って、心の拠り所を探し求めるように音を貪った。Hi Hopは1970年代後半頃から日本でも伝えられるようになったので、ロックからパンクへと興味が移るにつれて、やがてそれらを耳にすることが多くなった。音楽活動を続けるうち、周囲にも多くのバンドができて、一緒にギグを打つようにもなったので、常に身近にはあったが、自分から身を入れて聞こうとしたことはない。しかしこのことがきっかけで、一時的ではあったが、ぐっとこの世界にのめり込むようになった。にわか仕込みなので、このシンガー・ソング・ライターの来歴や活動、それを取り巻くシーンの流れなど詳しくは知らない。しかし、この独特の重さ、暗さ、彫りの深さは、紛れもなく黒人のものであり、それに惹きつけられ、アフリカとは全く異なる世界へ私を誘ってくれたことだけは確かである。D’Angeloの作品としてはアルバム次作の ≫Voodoo ≫の方が高く評価されている。しかし私にとっては、よりシンプルでメロディアスなこちらの方が心に馴染む。

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2020年01月27日

20200127 私はBossa Novaが好き

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 私はBossa Novaが好きである。Bossa Novaを、当たり障りのないオシャレなカフェ・ミュージックだと思っている人も多いようだが、とんでもない。João Gilberto をよく聴くが良い。リズムと言葉の緊張感極まりない即興的なせめぎ合いである。しかもSambaの基本的なグルーヴが全体に通底していて、そのせめぎ合いを有機的に支えている。ここが大変重要なところだ。つまりそれはブラジルの音楽であって、ブラジルの国境を越えたからこそ得られた普遍性だと思うからである。だからこそ、世界中の様々なジャンルからのアプローチがあり得た。しかしオープン・マインドであるということは、好き勝手な解釈も可能なのであって、技術的に繊細で高度な演奏を求められることや地理的に近いことも影響して、ジャズからのアプローチがもっとも多くなった。しかしそれは往々にしてブラジル的なセンスを捨ててアメリカ風の合理的な解釈を生んだ。結果的に、ジャズ・メンによるBossa Novaの演奏は、Bossa Novaが超越しようとしたにも関わらず最も大切にしていたニュアンスを、ほぼ完全に無視する形で捨象され、安易に展開されることになった。つまり、もともと「ブラジルの音楽」でさえなかったかのように演奏されるようになった。それが良いかどうかは別として、「ブラジルの音楽であって、ブラジルという国境を越えた」ものでなければならなかったはずのものが、性質を変えて拡散してしまったことは否めない。かくてBossa Nova、当たり障りのないオシャレなカフェ・ミュージックになりやすかった。私が初めてBossa Novaを聞いたのは、たぶん小学生の頃だ。まだ実家には、母方の祖母とその子供たち、すなわち私にとってはおじやおぱが住んでいた。応接間にはステレオ・セットがあり、毎夜「軽音楽」が流れていて、そのなかにAstrud GilbertoやSergio Mendesがあった。そして映画のサントラ盤に混じってPierre Baroughもあった。1960年代のことなのでリアル・タイムだ。いまから考えると、よくあんなものが片田舎にあったものだと思う。子供だった私は、もちろんものの区別などわからないから、それらを一緒くたに聞いていた。したがって比較的大人になるまで、Bossa Novaはフランスの音楽だと思っていた。Pierre Baroughの ≫Ce n'est que de l'eau ≫すなわち ≫Aqua de Beber ≫の印象があまりにも強烈だったからだ。それ以後、ブラジル人の手によるものでないBossa Novaに興味を寄せるようになった。特にフランス人の感性とBossa Novaはよく合う。Bossa Novaは、やはりギター一本を軸にして、その音が届く範囲で演奏されるのが基本だと思う。みんなで輪になって演奏するようなものではない。本質的には内向的な音楽である。それがChansonとよく調和する。だからフランス的な、もっと言えばパリ的な、あの陰鬱な空気感とよく合う。ところがパリを出て南下し、地中海のほとりを東に向かってフランスからイタリアへ渡ると、Ventimigliaという国境の町を経て空気が変わる。幾分山を越えた感があるが、同じ晴れた景色でも、幾分くぐもった丸さを持つ陽射しが急にシャープになる。言葉も味覚も、音楽もシャープになる。ここに手にしているのは、たまたまネット上で見つけたBossa Novaの良い歌を調べて行ってたどり着いたNossa Alma CantaというイタリアのBossa Novaグループである。日本では手に入らないし、国外のAmazonなどでも売られてなかったので、彼らのホームページ上からメールを送ったら、なんと返事が来た。全5枚セットで安くしとくよ、てんでPayPalで送金したらすぐ送ってきた。内容は、半分くらいは既存のスタンダードなBossa Novaのカバーだが、半分近くオリジナル曲がある。全体を通して、当たり障りのないオシャレなカフェ・ミュージックとしての味に加えて、かなりエキセントリックなアレンジが施してある。ヨーロッパらしく、エレクトリック・ハウス的なものもある。おもわず昔訪れた南イタリアの古城で行われたフェスティバルで、夜通し暗い石壁の中でアンバー系のハウスに踊り狂うイタリア人と遊んだことを思い出した。ブラジルのものとは明らかに異なる、ヨーロッパ独特の暗さと彫りの深さに、イタリアの地質が持つラテン的なシャープさの加わった良質のBossa Novaである。私の好きな多くのフランスのBossa Novaの作品と同様に、彼らの演奏からも「ブラジルの音楽」対する敬意が感じられた。そしてそのうえで、彼らの文化や風土、彼ら自身のアプローチを込めて作品化した。良い買い物をさせてもらった。お礼に私が伴奏した唯一のBossa Nova作品をお送りしたら、先日お礼のメールが来た。こういう心の通じ合いがとても嬉しい。

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2019年09月04日

20190904 風の盆

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暁には雨は上がった。朝霧にむせぶような石畳の坂道を夜通しぼんぼりが照らしていた。八尾の風情である。

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2019年09月03日

20190903 風の盆

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 去る93日、富山の八尾へ「風の盆」を見に行ってきた。このような風流な祭りは女連れで行くに限るので、古くからの気遣いのいらない頑丈な女友達を伴って「青春18きっぷ」を使って行ってきた。ちなみにこの切符、JR在来線の優等列車には乗れないのだが、私は北陸本線というものが、金沢以遠が民営化されていることを知らなかった。JRは北陸新幹線のみになっていて、金沢から富山の間は、それぞれ民営化された2社の乗車券を買わなければならないルールである。しかし、実際行ってみるとJR時代と同じく、金沢駅で同じホームで乗り継ぎができ、しかもその列車は富山県内まで乗り入れるので、全く素知らぬ顔で富山駅からJR高山本線に乗り換えた。

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 越中八尾へ到着する終電を狙った。「風の盆」という祭りは、地元八尾町の観光協会が23時まで仕切っていて、それまでは11町それぞれが、それぞれの中で町流しや輪踊りをしなければならないルールになっているが、23時を過ぎれば無礼講で、町の垣根を越えて仲の良い弾き手や歌い手と組んで好きな路地を自由に流すのである。たいがい上手い人は観光協会の言いなりにならないから、「お仕事」は若いのに任せておいて、自分は呑んだくれている。で、日付が変わる頃になるとぼちぼち仲間を語らって街に出る。それが見どころ聞きどころというわけである。だから深夜に到着したわけである。鉄道にしたのは、楽で安いのと、車で行くと遠方の公営駐車場に止めてシャトル・バスで街へ出るしかなく、しかもそれが23時には終わってしまうからである。夜通し歩き疲れた翌朝に街から駐車場へ歩いて行くのは全くの興ざめなので、鉄道利用をお勧めする。

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 今回は、幸い福島 (ふくじま) から始まって天満町 (てんまんちょう) ・鏡町・上新町・諏訪町・東新町と歩いた先々でこれから始まる流しに遭遇し、ランドマークである曳山記念館前の広場でかつての師匠にも会うことができ、無駄な時間の全くない鑑賞であった。しかし2時過ぎに旧な雷雨が襲い、今年の「風の盆」はあっけない幕切れとなった。

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 内容であるが、私が足繁く稽古に通った20年前に活躍していた名人達はほとんど見えなかった。未明からの無礼講でも、町外の民謡歌手や演奏家が入り乱れてのにわか流しも見られず、著名人が私のお師匠様の流しに加わって花を添えるという艶やかな場面もなかった。そのかわり、街にコントロールされた総踊り的な流しや輪踊りが未明以降も続けられ、眠気をこらえ苦痛に顔を歪めながら踊らされている子供達の姿が痛々しく映った。街をあげての一大観光イベントに成り果てていたのが残念だった。

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2019年05月21日

20190521 Fandango

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ええ歌いっぱい聞けて幸せやった。しかしFandangoのステージにドラムセットがない !! のは初めて見た。さて次はうちの出番や !!

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2019年05月04日

20190504 高槻ジャズストリート肥大化

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 高槻ジャズストリート肥大化しすぎ。今年は郊外にも会場が増え、富田にも会場ができ、茨木音楽祭とも合流したか・・・招待アーティストにも目玉や斬新さはなく、あまりにも雑多な顔ぶれで、中にはもはやジャズと言えないものまで・・・ホールなどでのコンサートは当然まともなものが見られるものの長蛇の列。本来の姿であるストリートはけたたましいだけの轟音の渦で耳を塞ぎたくなるばかり、カフェや小店で聞こうとしても入り口で必ずワン・ドリンクは要求され、これが結構高い。しかも入ってみると、お前ら人前でやる前にちゃんと練習しろやと怒鳴りたくなるほどの有様で、なんで客が拍手するのかげんなりの連続。結局、無難無難に野外ステージへ足を運ぶことになるも、執拗に投げ銭迫られ、そこも逃げ出す始末。カネカネカネカネ高槻ジャズストリート、始まった頃の初心に帰ってほしい。ちょっと歩けばグッと引き込まれるような演奏に巡り会えた。バック・ステージから奏者の手元足元を凝視することで得られるものも多かった。ジャズの原点に戻ってくれ頼むから。あの頃の厳しい音源審査徹底してくれ。良い演奏であれば、言われなくてもチップ置いていきますよ。地域活性化か何か発信したいんか知らんけど、このままでは豚みたいに膨れ上がって吐く息のくっさぁぁいグロテスクなモンスターのどんちゃん騒ぎになってまうで。もうなってるかも。今回の救いは、師匠に会えたこと。40年近く前に師匠と共に活動しておられたピアニストに救いを求めて並んでる最中に出会えた。演奏が始まると、ただひたすらに音が紡ぎ出され、すべてスタンダードな名曲でありながら、即興が空想的にどんどん広がっていく。伴奏者との掛け合い想像に満ちていて、その場その場で繰り広げられるやりとりが実に新鮮でスリリングだった。余分なMC一いなく、曲が終わったかと思いきやそのまま次の和音に導かれ、新たな世界が始まる。最後にお辞儀をして去って行かれた。これこそジャズ。ロビーに出て、連れの用足しを待っている間にご本人が出てこられ、真っ直ぐ私の方に向かってこられた。驚いたことに私のことを覚えておられたのだ。私は当時その人の主催するスクールでドラムの師匠に手ほどきを受けていたのだが、自己流わがまま放題が治らず破門されたのだ。それが印象に残っていたらしい。と、そこへ師匠も合流され、しばしゆっくりと移動した。次の現場、師匠が一曲だけゲストで叩かれた。私はその手元を埴輪のようになって凝視していた。師匠の黄金の左手は健在だった。師匠のスティックは、まるで射精中のちんぽのように生き生きと跳ね回るのである。プレス・ロールもダブル・ストロークも、一切音が潰れないし流れない。一つ一つの音が綺麗に立っている。師匠の黄金の左手、別名「闇の左手」・・・それを見られただけで涙がにじんできた。毒気の塊のようなリズムだ。降りてこられて曰く、「毒気も色気もない演奏なんか何がおもろいねん」70歳超えてこの台詞。しかもジャズスト発祥のメイン・ステージの主催者の目の前で臆面もなく豪語するこの老人。若い時にこの人に出会っていて本当に良かったと思う。で、私は結局ジャズには進まなかったのである。なぜかというと、要するにジャズがそんなに好きでなかったことと、ほかにやるべきバンドが出来はじめていたからである。ジャズの世界で活動していくには、ロック・バンドのように、気の合ったもの同士でエイ、ヤア、とはいかない。一定の人脈、一定の店の派閥の中に入り、上下関係を重んじつつ、人間関係を構築していきながら、先輩から学び、鍛えてもらったり、後輩の面倒をみたり・・・私には絶対できない団体行動の中でやって行かなくてはならない。ロック・バンドは解散してしまったらたいがい終わり、ミュージシャンは、そのバンドでしか通用しない奏法しか身につけていないので、ジャズのように開かれた世界では通用しない。改めてその世界に入ろうとすると一からやり直しになる。そのかわり、この体育会系的な人間関係の中で耐え忍べば、末長く音楽を続けることができる。・・・まあ私がそうならなかったのは、そうならないように生まれ育ってきたからであって、一度に複数の人生を歩めない以上、これは致し方ない。私はジャズを演奏できないので批判するしかない。師匠は、そして老ピアニストは、演奏を以って、巷の腐った演奏に対するアンチ・テーゼを行ったのである。素晴らしき師匠達・・・

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2019年04月24日

20190424 mahoor

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https://www.mahoor.com

先日見つけたキヨーレツなサイトに敢えて英語でメールを送ってみた。テヘランのCDショップである。イランの音楽への愛をいっぱい込めたメールを送ったら、それを上回る濃厚な返事が流暢な英語で返ってきて、ファルジー語のキーワードをアラビア文字で教えてもらって、サイト上で購入手続きして、PayPalで代金を送金して、待ってたら今日届いた。左手に持ってるのは、来日公演を見に行って以来のファンで、セタール奏者のHossein Alizâdehのソロ作で、ほんまにどこにも見当たらなかったもの、右手のものはイラン領内に住んでいるクルド人によるムカームの一種で、アゼルバイジャンからイラン寄りのテイストを持ったなかなか濃い内容のもの。特にHossein Alizadehのソロ作は、弾いている楽器がセタールではなく、Sallânehという、サズとウードの中間のような楽器の独奏で、豊かな中低音と、独特のくすんだ高音が、なんとも言えぬ哀感を帯びていて、録音技術やそのクオリティの高さもあいまって、おそらく一生ものになりそうな素晴らしい作品である。このような生き生きとした伝統音楽が好きだ。伝統のみに踏みとどまっていてはどんどん干からびていく。だからといって安易なアレンジを施すと途端に陳腐化して取り返しがつかなくなる。決して踏み外さないが、広がり深みがあって生き生きしている。これは本当に難しいと思う。対応してくれたイラン人のスタッフの気持ち良さとともに、2枚とも素晴らしい買い物だった。

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2019年04月02日

20190402 Erol Parlak

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こんどはイスタンブールから、前々から探していたアーティストのCDが届いた。Erol Parlakというサズの奏者で良い歌も持っている。ジャンルをなんというのかわからないのだが、YouTubeで全くデタラメにトルコ音楽のキーワードを入れて自動再生にしていたらよくかかるので覚えてしまった。大編成のトルコ音楽はよく聞いた。しかしサズの独奏や小編成のもので、活き活きとして奥深くてしみじみと良い演奏というものには、なかなか出会えるものではない。農閑期、食品加工の作業中ずっとYouTubeの自動再生をBGMにしていたらいろんな音楽に出会った。作業の手を止めて再生中の音源を落とすことも頻繁にあった。その中から、どうしてもというものをリストアップしておいて、一つずつ捜していくのだが、すんなりと手に入るものはほとんどない。このCDもインターナショナルには売られていない。たまたま思いついて「Istanbul」と「CD Shop」などというキーワードを並べて検索してみたらこの店が出た。そのカタログを紐解いていったら、このタイトルの在庫を確認した。しかしサイトはトルコ語である。Google翻訳を使って問い合わせると英語で返事があった。注文に必要なトルコ語を教えてもらい、サイト内のリンクを正しくクリックして注文したものが先日届いた。店名で検索していくとFacebookのページもあった。その後もメッセージのやりとりは続き、私がどんな音楽の趣味を持っているか、何枚か候補が決まったらまた注文するという話で結構盛り上がる。さてErol Parlak・・・たぶん極めて保守的な歌手で、その良さは、保守の保守たる正道を目の当たりにできるからであろう。ただただ、ひたすらに美しい。

https://www.youtube.com/watch?v=yNFPaA2xZEo&t=881s

https://www.opus3a.com

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2019年03月28日

20190328 Institut du Monde Arabe

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何年か前からシリアのウード奏者Waed BouhassounCDを探していたのだが、どうしても見当たらなかったものが、なんとパリの出版元に在庫があるとわかり、サイトからアクセスしてアカウントとって口座を作って・・・と、そのCDを買うためだけに何日か格闘したのだが、どうしても認証されない。Facebookや直メールでスタッフともやりとりしたのだが、口座の開設ができない。そこで、パリ在住の友達に頼み込んで買ってもらって、たまたまパリに遊びに行っていた別の友達にリレーしてもらって、その人の帰国後に送ってもらったのが先日到着した。なんとスタッフから楽しいお土産までついてきて、こんなトラブルがなかったら叶わなかった心の触れ合いがあった。出版元とは、Institut du Monde Arabe・・・コレクションには貴重なアラブ音楽が膨大にあって、多分ほとんど在庫があるので順番に調べて買っていきたい。後日、スタッフにお礼のメールを送ると、私の本気度が伝わったのか、手作業で架空の口座を新設した上で、私のIDを発行してくれた。これで次からは滞りなく注文できる。このように世界が気持ちで繋がれば良いと思う。特に、情勢の不安定なシリアは、アラブ世界の中でも音楽の宝庫である。美しい音楽が幸せな国民によって守られていくことを祈ってやまない。

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2019年02月27日

20190227 Feel Like Makin' Love

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Roberta Flack: Feel Like Makin' Love (LP, Atlantic, P-8473A, 1975, JP)


Feelin' That Glow

I Wanted It Too

I Can See The Sun In Late December

Some Gospel According To Matthew


Feel Like Makin' Love

Mr. Magic

Early Ev'ry Midnite

Old Heartbreak Top Ten

She's Not Blind


 ソウル・ミュージックでまず何を上げるかというと、兎にも角にもRoberta Flackである。これはまったくリアル・タイムで、この辺りからぐっと洋楽ポップスにのめり込んでいった。時に私は中学三年。前々年に来日したサンタナのコンサートにどうしても行きたかったのだがとてもそんな金はなく、そんなことを親に言おうものなら鼻が折れるほど殴られる家庭環境であったため、悔し涙で枕を濡らしながら当日の夜を明かしたのであったが、ふと、ベッドの下にゲルマラジオとイヤホンを仕込めば、ラジオ放送がこっそり聞けることに気がついた。ラジオを聴くことさえ禁じられていたのである。その日からこっそり本屋でゲルマラジオの作り方を立ち読みして頭に叩き込み、わずかな小遣いを割いて最低限の素子を買い、銅線などは電気屋の裏口に野積みしてあるテレビの裏蓋をひんむいて調達して、なんとか配線図通りに組み上げて、絶対に見えないようにアンテナを窓の外側の木目の隙間に沿って這わせ、床板にキリで穴を開けてアースを出し、布団を挙げられてもベッドの枠からはみ出ないようにイヤホンのコードを隠し、夜な夜な耳をそばだてるように、雑音の中から漏れ聞こえる深夜放送に夢中になったものである。

 当時はCarpentersの ≫Yesterday Once More ≫とRoberta Flackの ≫Killing me Softly ≫が大ヒット中で、アメリカには黒人という人たちがいて、その歌があることを知ったのはこの時が初めてだった。しかも・・・歌の出だしでひっくり返った、寝そべってたのにひっくり返るほどびっくりした。Strumming my pain with his fingersSinging my life with his words…おいおい、耳元で何を歌うんや何を・・・彼は指で私の痛いところをかき鳴らす ?? 耳元で私の生を歌う ?? ああ、その歌で私をイカせてイカせて・・・(くりかえし) ・・・おい、お前ら大人たちよ、お前ら子供に向かってエラそうに暴力振り回すくせに、俺らが寝静まった後でナニしてケツかんぢゃコラ !! その二年後に発売されたのがこのアルバムである。邦題「愛のためいき」コラァ !! 英語は正しく訳せや !! 「アンタとヤリたくなったワ」でしょうよ !! ジャケット見てみいや、大股開いた太腿の間にベッドが置いてあって、アソコから大木が突き立っとるやないけ !! コレがアレでなくてナニやねんちゃんと言うてみいコラ !! 二年も修行したのである。その間には色々あった。見つからんはずのゲルマラジオがバレて鼓膜が破れて鎖骨が折れるほど殴られた。しかしそんなことで怯むような俺ではなかった。今度はベッドの足の真下の床板を切ってその下に全部収まるように仕込んだ。しかしそれも、床下からアンテナ線が出てるのを外から見破られて破壊され、鼻が曲がるほどしばかれた。こうなったら徹底抗戦である。まあそんなことは音楽とは関係ない。世の中というものがいかに複雑であるかを理解したのだ。

 Roberta Flackの ≫Killing me Softly ≫は彼女の6作目、このヒット曲以外はどちらかというとゴスペルに根ざした地味な曲である。そして次作の ≫Feel Like Makin' Love ≫は、より実験的で濃い内容になる。ほぼ全曲、全く違った魅力に取り憑かれる。それは今でも変わらない。やはりタイトル曲、≫Killing me Softly ≫の次の大ヒットとなったのだが、両方に共通するのは反復の美学、アフリカ的なトランスの初体験である。≫Killing me Softly ≫は、短いフレーズの繰り返しと高まりによって曲が構成されており、それは定期的に鳴らされるトライアングルの印象的な響きによって夢へと誘われる。そして≫Feel Like Makin' Love ≫では、より短いフレーズの繰り返しが、低音だけで刻まれるシンプルなドラムによってコントロールされて、徐々に夢の中へ誘われ、やがて消えていくのである。音楽によって陶酔した、初めての経験であった。しかも、雑音混じりのAM放送で・・・

 もう一曲、13分弱を費やして演奏される ≫I can see the Sun in Late December ≫は、特に後半のインストゥルメンタル部分が、宇宙に浮遊していくようなプログレッシヴ・ロック的音空間を現出させている。これがラジオで流れることはほぼなかったが、初めて聞いた時は自分の耳を疑った。こんな世界があるのである。外へ出たい。早く家を出たい・・・まあ、そんなことは関係ない・・・とにかく、このアルバムは全曲、ただのゴスペルを型通りにやったというお仕着せのものでない、極めて強い個性と意気込みが感じられる。バッキングも緻密でとてもソウルフルだ。しかも、ややかすれ気味でトーンが低く、それゆえに温かみがある彼女の声の魅力が、いろいろな曲相の中で発揮されているところが素晴らしい。私の人生をブラック・ミュージックの入口にセットしてくれた一枚である。

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