2014年05月02日

20140417 Homenaje para GGM

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2014年04月18日

20140417 Homenaje para GGM

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2013年03月27日

20130327 雨

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2012年09月11日

20120910 ひょ・・・兵庫様・・・

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2010年07月31日

せやからいうてるやんか

 せやからいうてるやんか

 

 http://jakiswede.seesaa.net/article/156380714.html

 

 こういうことを書くと必ず異を唱える、それもかなり熱狂的狂信的に罵詈雑言を浴びせかけてくる人があって・・・中略・・・この記事についても全く同じ事が言えるのだが、私はこの映画「The Cove」の内容に賛同して日本のクジラ漁を批判しているのでもないし、食文化を否定しているのでもないし、ましてや非国民でも国賊でもない。・・・もっとも私はかなり純粋な左翼的思想を植え付けられた経験があるので、このような言葉に特別の感慨があるのは事実であるが・・・この映画が反日的であるという見解は全く当て外れであるけれども、かといってこの映画がドキュメンタリーとして優れているとは到底思えない。この映画は、ドキュメンタリー・タッチの捕鯨反対のプロパガンダ映画である。ドキュメンタリーであるならば、捕鯨に賛成する人たちや、実際に捕鯨に携わっている人たちへの丁寧な取材がなければ不公平であるが、この映画にはそれは全くない。頭から「彼等」を敵に回す事によって立ち位置を定義し、その一方的なイデオロギーによってストーリーが成り立っている。それは見れば誰でも分かる事である。前評判が八釜しかったのは、日本で反対運動が盛り上がる事はあらかじめ予測できたので、言論の自由を標榜すれば話題になる事が分かっていたからである。なぜなら、どんなに偏った内容の作品であろうと、鑑賞してから批判せよというのは正論であるからだ。しかしその根拠について検証できない観客が、いくら鑑賞したところで、公平な判断を下す事が困難な事もまた事実である。だから、私は映画を見たが、見たあとで「この映画を見るべきだ」・・・とは、率直に人に勧める事が出来ない。しかしもちろん、太地町や漁業関係者の主張するように、クジラが日本の伝統食材であったという事には素直に頷けない。百歩譲って仮にそうであったとしても、膨大な日本の食材のひとつであるというに過ぎず、千歩譲ってクジラの町として太地町が在ったとしても、そこで実際に捕獲されているのはイルカである、という事実はおそらく日本中知っているものはほとんど居なかったのではないか。だから彼等の言っている事には全く説得力がない。

 私が言いたかった事はこういう事である。世界中に無数の音楽が在るのと同じように、無数の食文化が在って食材が在る。その全てについて、世界中の全ての人が、それを食べる方法に不快感を感じないということが、果たしてあり得るのか、不快感を感じるからと言って、特定のイデオロギーに根ざした映画まで制作して興行して回るのか、それに金を出して、「さああなたもこれを見ましょう」と人に勧めて回るのか、世界中の全ての人が全ての食材の処理方法に不快感を抱かなくなるまでそれを続けるのかということだ。確かにこの映画がなければ知らなかった事実はたくさん在る。しかしそんなことは世の中にもっと無数に在る。こういう映画を作って賞まで与えるなら、このテーマに於いて、双方への取材が尽くされた、真のドキュメンタリーを見たかった。そうではなかった事が残念であると、私は書いたつもりである。特定の食材を処理する食文化を攻撃するのではなくて、あんたの背後の身近な食文化が音を立てて崩れ落ちて行っている事に、なんであんたは気がつかないのかと書いているまでだ。

 まあ上映反対の人のほとんどが映画の内容について論理的な批判をしている訳ではないので仕方ないとしても、彼等がどういう主張で支持を広げようとしているのかが、いまいちようわかりませんな。たんに日本人の民族意識の識域下の部分を揺さぶる事によって、感情的に同調者をあおり、別なる目的・・・それが国粋主義か愛国心かはわからんが・・・に駆り立ててひとつの勢力として利用しようとしているのかもしれんし・・・もしそうである事が分かったなら、火炎瓶と時限爆弾で粉砕しにいかなあかんことになるが、そんなときがこない事を祈るばかりである。とにかく、できるだけブログに書かれた事については、ブログにコメントしていただけるよう、お願いしたいものですな・・・こんなこと読んでへんやろけど。

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2010年07月18日

Soul Power

20100712

 

 映画「ソウルバワー「を見に行く。

 

 http://www.uplink.co.jp/soulpower

 

 1974年、当時のザイール共和国の首都キンシャサで行われた、モハメド・アリとジョージ・フォアマンのボクシング世界ヘビー級タイトル・マッチ、所謂「キンシャサの奇跡」として語り継がれている名試合を盛り上げるために三日間にわたって開催された、一大ブラック・ミュージック・フェスティバル「ザイール74」の実況である。このフェスティバルの意義は、数百年を隔てて変容して来たアメリカの黒人音楽と、アフリカの音楽を一緒にやったらどうなるかという、素晴らしいアイディアに石油成金が資金を出して実現した、全く壮大なお遊びである。当時のキンシャサの音楽シーンがどうだったかというと、興味のある人はここに詳しく書いたんで、下記リンクを開いて左メニューの「Stukas」・「Viva la Musica以前」を、時間があったらついでに「T.P.O.K.Jazz」と「Viva la Musica」も読んでみてくだされ。

 

 http://homepage.mac.com/jakiswede/2music/22discs/220discs_fr.html

 

 おおざっぱに概説するならば、キンシャサでアメリカのポピュラー音楽・・・特にロックやファンクを聞いたガキどもがバンドを結成しはじめるのが1968年頃、・・・これらは、それまでのキンシャサの、所謂「ルンバ・コンゴレーズ」のあり方を根本的に変えた。 その古い方のスタイル、キューバ音楽とジャズに感化された世代の二大巨頭、Franco率いるT.P.O.K. JazzとTabu Ley率いるAfrisa l'Internationalに対するアンチ・テーゼとして新しい動きの火付け役となったのが、1968年結成のLita Bembo率いるStukas、そして翌年あのPapa Wembaも参加したZaiko Langa Langaである。1974年頃からZaiko内部で核分裂が始まり、このフェスティバルが行われた頃には「キンシャサ・ロック・シーン」の離合集散劇はまさに始まったところだった。フェスティバルに出演したのは、その古い方のT.P.O.K. JazzとAfrisa l'International、Papa Wembaは客席でFania Allstarsの指揮者兼フルーティストのJohny Pachecoが「Que viva la musica」と叫んだのを聞いて、次の自分のバンド名すなわち「Viva la Musica」を思いついたという有名なエピソードがある。私としては、時代考証からこれには疑問を持っているのであるが・・・まあいい。ザイールは、独立してから14年が経っていた。ようやく旧宗主国ベルギーの影響の排除も進み、ザイール独自の国づくりに着手されてから3年が過ぎようとしていた。モブツ大統領の掲げる「伝統回帰政策」の広告塔としてT.P.O.K. JazzとAfrisa l'Internationalは不動の地位を占める一方で、その規制の枠組みに飽き足らない若い勢力は、有り余るエネルギーが時には意気投合、時にははじけとんで安定せず、その世代の勢いを代弁する形で離合集散を繰り返しながらキンシャサ・ロック・シーンを築き上げていく。ときあたかもFunk全盛時代、その息吹は当然キンシャサにも伝わって、「いい子にしてないとJames BrownがLita Bemboをアメリカに連れてっちゃうよ」というのが、母親がきかん子を黙らせる常套句だったらしい。フェスティバルが行われた当時、Papa Wembaは、Evoloko Joker率いるIsifiでの活動に限界を感じ、次なるバンドYoka Lokoleの結成を準備していたはずである。Viva la Musicaの結成は、3年後の1977年まで待たなければならなかった。

 当時の日本の状況はどうだったかというと、その前年1973年にSantanaがSonyの全面的なバック・アップを得て来日ツアーを敢行している。そのうちの大阪公演二日間の抄録が、「ロータスの伝説」として横尾忠則デザインによる豪華22面ジャケット3枚組LPとして発売された。当時中学生だった私は、なんとしてもこのコンサートに行きたかったのだが、中学生がそんなことを言い出そうものならどんな目に遭わされるかわからないご時世だった。このライブは、Santanaだとかラテンだとか、そんなジャンルなどぶちこわし、ジャズだろうがロックだろうが、プログレだろうが、全部飲み込んで突っ走る勢いに満ちていた。陳腐といわれようが安易といわれようが、ただひたすらに元気で突っ走れば良い結果に繋がる筈だという、何の根拠もない幸せな楽天性、それがもたらす夢と希望というプラスの面だけを謳歌できた素晴らしい演奏である。この時代の来日コンサートには、よくぞここまで作り込んだのか、勢い一発でこうなっちゃったのか、とにかく結果の素晴らしいライブが限りなくある。ポピュラー音楽絶頂の時代であった。

 さてそのCarlos Santanaの弟のJorge Santanaが、翌年キンシャサのこのフェスティバルにFania Allstarsの客演としてステージで、兄貴譲りのハーモニックス奏法でのけぞっているが、ギターそのものはお世辞にも上手くない。その映像は、Celia Cruzがこの日のステージに立った模様を収録したDVDで見た。それはFania All Starsのこのフェスティバルでの演奏を収録したものだったが、その前にはP-VineからFania Allstars in Kinshasaというビデオが出ていた。これらは、ともにFania Allstarsの「OurLatin Thing」を撮影したLeon Gastが監督している。この二つの映像は、Fania Allstarsのこのフェスティバルでの演奏にスポットを当てたものだったが、映像の中に垣間見えるカメラの台数の多さ、撮影つれたアングルやカットの豊富さから、このフェスティバルの膨大な記録が関係者の倉庫の中に眠っているという噂が乱れ飛んでいた。それが陽の目を見た。それをこの目で見た。多くは語るまい。題材の特殊性から、日本ではほとんど見向きもされないだろう。だから興行はすぐ終わるに違いない。出演者の細かい事やデータはすべて上の公式ホームページに掲載されている。それを隅々まで、特に「監督からのメッセージ」を読んで映画館へ直行すべし。待ちきれない人や見る機会のない人は、YouTubeで検索すると、ほとんどすべてのシーンが、細切れながらアップされている。ちなみに「ロータスの伝説」も映像記録が残ってるはずなんよね。ウドーさん、あんた持ってるんやろ ??

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2010年07月15日

The Cove

KIF_7327.JPG

 

20100706 舌癌の手術より5年が経過し、所定の観察期間を終えた。これからの通院は、年に一回程度となる。なによりなにより。せっかく電車で大阪へ出たのだから、ひとりでぶらぶら街を歩く。いいよなあ、気楽でいい。ほんまに大阪の下街をほっつき歩いてると、心が落ち着いてくる。ここは十三、自転車のおばちゃんのちょっと向こう右奥がFandango。陽のある時間帯、まだ目の覚めやらぬ風俗街というのも、なかなかこれはこれで風情のあるもんやな。

 さて、十三へ来たのには目的があって、お気にのホテヘルねーちゃんが出勤してるからではなくて、話題の映画「The Cove」を見に来たのである。いろいろと前戯が八釜しくて大変みたいやけど、ここはやってくれると信じとった。

 

http://www.nanagei.com/

 

 上映するやせんやで伐った貼ったした最近の記憶に新しいんは「靖国」でしょうかな。あんときも反対運動が盛んで、右翼の街宣車はポリ公が張ってて止められへんからのろのろぐるぐる回っとった。ほいで地上部隊はこの映画館へ通じるアーケードの入り口で、「映画をご覧になる方はおられませんかぁぁぁぁあ??」なんてアンケートを装って、ひとりずつ客をどっかへ連れて行きよった。まあ風俗店の客引きと見間違うて誰も怪訝に思わなんだんやろけど、ちょっと感じがちゃうからピンと来た。遊んだっても良かったんやが、上映時刻が迫っとったんで知らんふりして通り過ぎたんや。でも何人か追いかけてきよったな。映画自体は、あんなけ騒いどったにも関わらず、出来としてはそんなに良くなかった。まあ、センセーション巻き起こしとけば、名前は出るし却って駄作に埋もれるより実績が上がるんかもしれん。上映中止織り込み済みの、日本狙い撃ちプロパガンダ映画や。ドキュメンタリーとは言いがたい素人ビデオに毛の生えたような内容やった。

 

http://thecove-2010.com/

 

 そこへいくと、今回はわりと静かやった。長蛇の列かと思うたらそうでもなく、間際に着いたのに普通に入れた。内容はね、映画として面白いと思った。よく出来てる。和歌山県太地町でイルカ漁が行われていて、イルカはクジラの仲間であるから、捕鯨に反対する立場の出演者が、様々な技術を駆使して、「立ち入り禁止」区域内にあるイルカ追い込み漁の最終屠殺現場である隠れた入り江に夜中に潜入して、隠しカメラと遠隔操作で映像をモノにする。カムフラージュのプロ、ダイバー、サーモカメラ・・・隠し撮りへのプロセスが刻々と映し出され、やっては行けない事をする子供のようにわくわくする。これもドキュメンタリーというより、プロパガンダ色のえげつないスパイ映画みたいなもんやな。

 で、その主張するところについてどう思ったかというと、こういう所謂つきのドキュメンタリー映画を見ていつも思うのだが、そこに提示されている主張の根拠となるデータの信憑性がどうなのかということだ。仮に、映画のすべてのデータが正しいとしたら、彼らの主張は疑いの余地なく正しい。あたりまえか・・・太地町でイルカ漁をしている漁師たちは悪者で、イルカ漁を見に来た外国人の女性サーファーを銛で突こうとするほど野蛮で、年間2万頭ものイルカを捕獲 (しているような話の流れになっている) しては、ごくわずかの美しいイルカを法外な値段で水族館やイルカ・ショーに売り、残りは一頭残らず銛で惨殺して「クジラ肉」と偽装して売り、その水銀のいっぱい入ったイルカ肉の売り上げをもっと伸ばすために学校給食にまで取り入れた。その事実を大半の日本人は知らない。それを彼らは日本の伝統文化というが、誰に訊いてもイルカの肉を食べるものとは思っていない。そればかりか、イルカは人間よりも、もしかしたら高い知能を備えているのかもしれず、ダイバーが海の中で彼らと接した体験は実に神秘的なものだった。そんな特別な生き物を殺して食べるなど野蛮きわまりなく、世界のイルカ・ショーの供給基地となっている太地町のイルカ漁は、何が何でも止めなければならない。巧妙な演出と映像技術に支えられて、上手くデータや論理がこのストーリーに沿って見せられる。見終わった後、大抵の人は「そうだそうだ。もっともだ。」と思ってしまう。そのように巧妙に作られているから賞をもらえたのだ。

 では、日本で非難されているように、「靖国」でも同じ事が言われたが、現場に嘘をついて隠し撮りされたから良くないのか、というと、これは寝言や。彼等は告発しようと思っている。たとえばミャンマーの民主化運動のドキュメンタリーを撮影するのに軍事政権の言う通りに撮って作品が出来ますか。ドキュメンタリーとは、隠された物事に切り込むのだから、隠し撮りは当然である。それよりも、隠し撮りが初めてではない筈の太地町が、英語の看板を掲げてまんまと「隠し場所」を見破られ、潜入を許したその迂闊さを自己批判すべきであろう。「落石注意」として「立ち入り禁止」にされているが、実はその先に「隠し場所」があるという事を、警察もグルになって主張する欺瞞が、なぜこの法治国家でまかり通っているのかが糾弾されるべきであろう。「不審人物」を見たら尾行する専門の警官に費やされるカネと時間は我々の税金から捻出されている事を、日本人は知るべきだ・・・ワシ無職やけん払うてないけど。それよりもなによりも、無防備な外国人女性を銛で突く蛮行を撮影されてしまったのは、あまりにも危機意識がなさすぎるんとちゃうか。「女性を銛で突くのが日本の伝統文化」・・・昔、欧米のマスコミに似たようなツッコミ方された外交官がおったな・・・これではプロパガンダ映画の餌食にされて当然である。先方にしてはしてやったり、筋書き通りの演出にエキストラのおまけまで付けてくれたようなものだ。この映画は、別に日本の伝統文化を批判している訳でも、太地町の漁師を攻撃している訳でもない。それは見ればわかる。反日映画などでは到底ない。にもかかわらず、これほど激しい抗議活動が起こるのは、どこかに実利的な何かが動いているからであろうか・・・しかし、そんな事に首を突っ込んでいる余裕は私にはない。

 私自身は、クジラ肉をおいしいと思ったことがない。小学生だった1970年頃には学校給食に頻繁にクジラ肉が出て来た。いずれも甘辛く濃い味付けで、実のところとても食えたもんではなかった。おいしいクジラ肉を食った事がないだけの事かもしれんし、高いらしいから目に入らんのであろう。だから、「クジラを食べるのは日本の食文化」と言われても、まったくピンと来ない。「それは捕鯨が禁止されてクジラ肉が供給されてないからだ」と捕鯨推進派から指摘され、1960年代のクジラの消費量のデータを突きつけられても私には検証する手段がない。「クジラを食うなというなら、牛を食うな」という理屈も乱れ飛んでいるが、世界中の食文化の「負」の部分をいちいちほじくりだして喧嘩してたんでは身が持つまい。牛の食われ方については、かつて「いのちの食べ方」というドキュメンタリーがあって、なかなか鮮烈な内容だった。

 

http://www.espace-sarou.co.jp/inochi/

 

 この映画は、牛に限らずあらゆる肉・魚・野菜・果物・穀物・・・が「食材」としてどのように生まれ・育てられ・処理されて我々の台所までやってくるかを、実に多数の事例を積み上げてグローバルな視点から見せつけた示唆に富んだ作品だった。事実を撮影した積み上げがあるからこそ、ふくれあがる地球上の人類を食わせていくために、どうやって食材が生産されて行くかを考えさせられる。それに対して「The Cove」は、太地町のイルカ漁に絞り込んで、それがどのように行われているかを見せたというよりも、見せるための様々なプロセスを「反捕鯨」という軸に従って面白く見せたもののように思われる。たしかにあの入り江が殺されたイルカの血で真っ赤に染まるのは事実であろう。それを見て衝撃を受ける。しかし映画の力点は、その映像を得るためにどのような手段をとったのかを事細かく見せた時点で、既に「捕鯨に反対する」というイデオロギーを観衆に押し付けることにおかれている。一般の人は、太地町のイルカ漁と、イルカの肉の食べられ方についてほとんど知らない。しかしそれを指摘して何かを知らせるならば、そのイデオロギーに反対する立場の人も含めて、丹念に取材を重ねて証言を重ねていくべきだった。そういう丁寧さと公平なものの見方、多文化に対する敬意が感じられなかった事は、映画を見ていて残念に思った。受賞は短絡的であると言わざるを得ない。

 しかしながら、この映画を見ていて考えさせられた事も多い。人間、食わな生きていかれんから、なにがしかの命を頂戴して糊口をしのがねばならぬ。これはどうしようもない。例えば私は思うところあって、今その「食材」を自ら生産する事の苦しみと歓びと可能性と限界を日々体感しておるのであるが、このことで地球上の人類を食わせていくための一翼を担う事が出来るとは到底思えない。地球上どころか、日本の、阪神間の都市生活者が「安全な米や野菜が欲しい」という気持ちと、農村の代々の百姓が米や野菜を作っている現状との橋渡しさえ出来ない有様である。都市生活者の「安全な米や野菜が欲しい」という気持ちは、「無農薬有機栽培」・「オーガニック」・「自然農法」・・・という特定の概念に直結し、それを崇拝するほどに希求するばかりで、その裏を見ようとしない。農薬を使わないとすれば、それに替わる方法が必要である。つまり毎日すべてのキャベツの葉の裏を全部めくって虫や卵を取り除くのである。田んぼのむせ返る湿気と臭いに耐えながら、顔を突き刺す稲の葉をかいくぐるようにして、その下の雑草を取り除くのである。化学肥料を使わないとすれば、それに替わる方法が必要である。つまり腐敗と醗酵の境界線を熟知して、雑草や食品残滓を丹念に分別し、腐食して堆肥化できるものを無駄なく利用するのである。それをだれがやるのか、健康な男が一日どのくらいの仕事量をこなせるのか。「無農薬」や「オーガニック」という言葉は、自分が農薬を使わないという意味ではない。農薬の影響が定められた厳格な基準以下に抑えられている事が必要であって、隣接する圃場や用水、風による影響もほぼ皆無でなければならぬ。それを実現するためには集落全体での取り組みが必要であって、ところが日本の農業の現状は、機械化された近代農業が始まったその世代が高齢化して、一代限りでいままさに絶えようとしている。彼等は、大型機械と農薬と化学肥料なしには、自分たちが日々生きながらえる現金収入を得ることさえ到底できない。だから彼等は、都会から農業体験をしにくる若者と対立してしまう。

 米や野菜の安全性について、生産者や流通や農協などを批判する事は容易い。しかし、男一匹農薬も化学肥料も使わずに切り盛りできる農地は、せいぜい一反強。それで日本を救おうと思えば、機械化される以前の比率にまで就農者が増える必要がある。そうでなければ「安全な米や野菜」などいきわたるはずがない。だから、都市生活者は「裏」を見て理解して行動する必要があるし、農家は現状を良くわきまえてどうすれば先祖代々の農地をきちんと使えるかを本気で考えなければならない。そのために、私は田畑にあっては草や虫と格闘し、風を読み、世話をし、語りかける。百姓と話すときには、言葉を選びつつちょっと変わった農法をとっているが他意はなく迷惑もかけない事を伝え、実践する姿を見せて理解を積み重ね、都市生活者の友達を誘って、農作業のある暮らし方の提案をする。日本人は、太地町のイルカ漁についてもっと知る必要があるのと同時に、農村のこの現状についても、もっと良く知るべきだ。どちらも明日の食材に関する事だから。

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