2017年07月27日

20170727 自家製ラグメン

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 梅雨の間は雨がなく、梅雨明け三日を待たないうちに曇天の連続、天然の日傘のあるうちに田んぼの除草をほぼ終了。想像してほしい。稲の成長をはるかに超えてはびこる草が田んぼ全面を覆い尽くしている様子を。敷きわらを厚くすれば、除草剤を使わずにここまで草を抑制することができる。旅の思い出に、ウイグル料理のラグメンを真似てみる。一つは焼うどん風、ゴーヤと夏野菜のラグメン、もひとつはそうめんを使ったトマトシチューぶっかけラグメン。右脹脛の状態がまだ良くないので、農作業半分、室内作業半分に軽減する。温度の上がる時期、瓶ものの乾燥剤を交換する。フンザで買って来た干しあんずを水で戻してジャムを作る。極めて濃厚美味 !!


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2017年07月21日

20170721 梅雨明け三日

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梅雨明け三日。暑い時こそ・・・こすりすぎて破れてしもたらイケんので、おとなしく穀物の乾燥とゴミ取りをしとる。余った種もみも精米すりゃ大事な食料。

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2017年07月20日

20170719 蜂伏

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畑に行く度に蜂に刺され、蜂に刺される度に何千円もの出費を強いられるようではとても持たんので、原因を根本的に究明せねばならん。ジーンズと厚手の作業着の上に山岳用レイン・スーツ、長靴の裾を密閉して総ゴム張りの軍手着用、目を残して頭部は布でぐるぐる巻きにしてレイン・スーツのフードをかぶり、畑へ向かう。「見て、また伊丹さんけったいな格好したはるわ」「しっ、黙っとき、なにされるやわからんで」とまあ、相変わらずの変人扱いを横目で素通りして、最後に設置した柵に近づく。やがてどこからともなく蜂が集まってきてほうぼうに止まるが私は動じることなく彼らの巣を探す・・・あった !! なんと、コンクリート・ブロックの破片の穴に営巣していた。小型のアシナガバチや。近づくと蜂は狂ったように攻撃してくる。手薄なゴム軍手にとまったやつを払う以外は、とまるに任せておくと、やがてパニックは収まって巣に戻るやつが出はじめる。こちらもそれ以上近づかずにじっと座っていると、とまっていた何匹かも巣に戻った。ブロックは、穴が貫通していないタイプだった。静かになったのを見計らって、それをひょいと俯けにしてやった。これで出られまい。蜂さんにはわるいが、俺も食うていかなあかんのでね。おかげで汗びっしょりや。昨日やられたところがそろそろキテるんで、今日は保冷剤身体中に貼って横になっとこ。体はいたって元気なんやが、皮膚が擦れると痛い・・・しゃあないな。

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2017年07月19日

20170719 初蝉

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やっと農作業が季節に追いついた。三日ほど前に初蝉を聞いた。今日は夕立があったが、空も空気も、なんか「抜けて」夏になったような気がする。畑で夏野菜の柵物を設置している最中に、突然蜂の群れに襲われた。完全防備していたので、分厚い作業服越しだが、何箇所か刺された。背中や頭部など、見えない届かない場所はひたすら冷やし、見つけ得る場所は順次絞り出して流水で洗うのだが、軽い吐き気と目眩がして動悸が高まった。いわゆるショック症状だろう。とすると、先日足をやられたのは、蜂だったのか・・・とにかく作業中断、再び予約なしで皮膚科に押しかける。ここんとこ立て続けに狙われているが、巣のようなものは見なかった。突然、頭部を襲ってくる。背中と首の処置は、結局刺されてから一時間経過しているのでかなり毒が回っているだろう。自分で手当てした部分は、軽微な腫れで済むかも・・・帰宅してから夕刻、後片付けに畑に戻ろうとすると、20メートルほど手前まできたら、まっすぐ蜂の群れが突進してきた。走って逃げた。あかん。畑に近づけない・・・まあ、柵物の設置はあそこが最後だったし、あとは鎌仕事で盆までちまちまやりゃええんで、三日ほど休養するか・・・しかし夜になって、全身がずしーんときてますね・・・いややなあ、今度は全身ずる剥けか ??

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2017年07月15日

20170715 やりすぎる

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もらった草刈機を手入れする。同じものが近隣のホームセンターで一万円ほどで売られていた。店員さんの話によると、これを修理や調整などしようとするとその経費の方が高くつくが、この店のお客さんの中に三人、これを手入れしながら15年近くも使い続けている人があるという。そんな話を聞くとやりたくなるのが悪い癖で、メーカーに問い合わせてアドバイスをもらった後、自分で手入れして使うことにした。なにしろ連続30分以上は使わない方が良い、一日2回以上使わない方が良い、エンジンが過熱して止まってしまうからである。回転数を上げると早く止まる、かと言って上げなければちょっと大きい株に刃を取られて止まる。要するに騙し騙し使うことだ。草刈機で全部やろうとは思わず、鎌で手刈りするよりはマシだと割り切って、他の作業と並行させながら・・・辛気臭・・・

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というわけで並行して遅ればせながらジャガイモの収穫・・・といえるほどでもないんだこれが・・・というのは、やりすぎる、というのも私の悪い癖で、茅を厚く積みすぎて、土から地上までの距離が長くなりすぎ、結果的にジャガイモの芽が陽の目を見るのが遅くなり茎が大きくならず、そのまま収穫期を迎えて減収になってしまった。過ぎたるは及ばざるが如し。子供の頃から何度も親に諭された教訓だが、まだわかってない。

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前半に田植えした「神丹穂」・「緑糯」・「豊里」の葉色が濃くなった。これは根が活着した徴である。代掻きをする普通の水田では、このタイミングで「初期一発除草剤」というのを撒く。農薬散布をこれ一回に限る栽培方法で収穫された稲からできた米を「特別栽培米」という。この薬はペレット状になっていて、一反あたり1kgを撒く。田んぼをゆっくりと歩きながら、三歩に一回、片手でひとつかみずつを振り撒くと、一反を歩き終えた頃に1kgがなくなっている。白い無臭の錠剤のようなものだが、なんとなく化学的に臭いを消したような感じがあって、一反を撒き終わる頃には、胸の奥に重い圧迫を感じる。効果はてきめんで、実に見事に秋まで草が生えない。これを撒かずに同じ方法で栽培すると、たちまち水性雑草の緑の絨毯に覆われ、あるものは稲を凌駕する。盆までに5回ほど全面的な除草をしなければならなくなるが、炎天下、泥の匂いの立ち込めるぬかるみを這いずり回るその作業は、まさに死と隣り合わせである。全体を枯草で覆う現在のやり方に変えてからは、除草の労は劇的に軽減され、根の張りも強くなったが、このやり方に適した品種を選ぶ必要がある。

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2017年07月14日

20170714 Zaïre 74

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 田植えが終わった翌日、長らく放置した畑の点検を兼ねて圃場周囲の草刈りに出た。実は先日、中古の草刈機をもらった。それまでは家主さんの30ccのでかいやつを振り回していたのだが、もらったものは20ccの最も華奢なやつだった。手加減したつもりだったが、小一時間も振り回すとエンジンが止まってしまう。だましだまし使ってもすぐ止まるので仕事にならず、昼の休憩でなんだか疲れが出てしまった。草刈機の調子が悪いのか、体の調子が悪いのか、斜面を踏ん張る右足が妙に重いというか・・・とぼやきつつ長靴を脱いで、靴下も脱いでなんとなく右のふくらはぎを見て驚愕した。全体がケロイドのように真っ赤に腫れ上がってパンパンに膨らみ、大小無数の水ぶくれで覆われ、そのうちのかなりがすでに破裂して踵まで膿にまみれていたからだ。思わず全身に悪寒が走り、堰を切ったようにかゆみが襲い掛かった。今朝までは違和感はなかった。田植えに没頭して異変に気づかなかったのか、とにかく草まみれの田んぼでの死闘で、確かに無数の虫に刺され、完全防備の作業服の中にも入り込む。棘や藁や小枝が突き刺さることも多い。いちいち気にしてたらきりがないし、いつしか何も感じなくなっている。そのうちの何かがまずくて、田んぼの水に潜む何かが入り込んだのか、とりあえず写真を撮って、そのまま皮膚科を探して、予約なしに押しかけた。お見せできないのが残念だが、こんなものが世に出たら二度とお嫁に行けなくなってしまうので秘匿することにする。火傷のように花開いたふくらはぎを見て医者は激怒し、三日間の安静が命じられた。作業中断。強制休養である。一日目は一日中寝ていた。二日目に「さなぶり」のお祝いとしてCDを注文した。今日それを聞いた。

 このCDね、発売されたのはもちろん知ってたんやが、田植えの最中で封印、いや、買うまいと思うてたんやな。内容が素晴らしく貴重な音源ということはもちろん知ってた。でもどうせそのうちYouTubeで流出するやろし、それでええわと思うてた。でもね、Muhammad AliGeorge Foremanんの世界ヘビー級タイトルマッチ、「キンシャサの奇跡」ですよ、それに合わせて開催された一大ブラック・ミュージック・フェスティバル「ブラック・ウッドストック」ですよ。「ソウル・パワー」ですよ。1974年ですよ・・・それらをずっと聞いてきた、なんちゅうか、積み重ねがね、やっぱり私はこれを持っとかなあかんなと・・・まんまと敵の策にはまってしまう自分に抗えない自分を別の自分が嘲笑してるねん。どうせこのあと次から次から出てくると思うよ、なにしろ、あれほど巨大なイベントでね、どれほど巨大かというと、去年これについて書いたものがあるから引用するとね、だいたいこのようになるんや・・・

 Zaïre 74は、アフリカの音楽にとって大きな出来事だっただけでなく、アメリカ在住のアフリカ系の人々 (African-Americanと呼ばれることに違和感を感じる人もあるが) にとって、文字通りアフリカへ回帰して演奏するという大きな意味を持っていた。大西洋を越えて旅行することが今ほど一般的でなかった当時としては、それはリアリティがある。いまほど情報はない。行く側も迎える側も、驚きと発見の連続であったはずだ。その手探りの末に遭遇する驚きや喜びが、映像に記録されている。

 このイベントの噂は、私が南の国の音楽に興味を持ち始めた当初から耳にしていたが、全貌はわからなかった。Fania All StarsJames Brownの動画を、ごく短いものを何かのイベントで垣間見た程度だ。Faniaのデスカルガの模様を含めたドキュメンタリーがVHSで出たのが1995年の確か数年前、同じコンサートでCelia CruzをメインにFaniaのバッキング、ゲストにJorge Santanaというライブ映像がDVDで出たのが1998年、しかしこのDVDにはAfricaに関する記述はなく、装丁からしてもなんとなく流出モノくさかった。James Brownの映像も細切れに流出していたと思う。しかし正式にこのイベントと出演者の映像が公開されたのは2008年である。そこで初めて、我々はアメリカ・アフリカの全出演者をはじめ、日程やイベントの企画から開催までの詳細を知ることになる。

 いまでは、「Soul Power」と題されたコンサート全体のダイジェスト版と、Faniaに関する上記2つの記録は、「Fania All Stars in Africa」として2枚組のDVDで発売されている。

 アメリカからJames Brown, The Spinners, The Crusaders, Fania All Stars, Celia Cruz, Danny Ray, Sister Sledge, Bill Withers, B.B. King、現地ザイールからFranco et le T.P.O.K. Jazz, Tabou Lay et l’Afrisa International, Abeti Massikini, Stukas, Pembe Dance Troupと、クレジットはないが、映像からFaniaを迎える面々の中で歌っているTrio MadjesiL'orchestre Sosolisoの姿が確認できる。また南アフリカからMyriam Makeba, Hugh Masekela,、カメルーン人だが当時Dr. NicoAfrican Fiestaに参加して多分キンシャサにいたManu Dibango・・・

 コンサート日程は1974.09.22-24Muhammad AliGeorge Foremannの試合が1974.10.30、当時のモブツ大統領はイベントの開催を了承したが、すくなくともコンサート部分については、たしかイタリアの某実業家が私費を投じたと言われている。調べたはずだが記録を取い・・・云々・・・

 こんなイベントでね、流出したFaniaのライブ映像のクオリティの高さはものすごくて、おそらく当時の最先端技術だったと思うんよね。それだけの投資をして、あれだけの出演者があって、映像や音が残ってないはずがない、絶対どこかにあるはずや、と、これはもうファンならずとも何十年も前から噂されていたことや。それが、やっぱり、あったんや・・・

 まあくどくど言うてもしゃあないし、内容を紹介しときましょ。内容は2枚組CDセットで観音開きのブックレットになっている。CD1は、Tabou Ley et l’Afrisa International, Abeti MassikiniCD2は、Franco et le T.P.O.K. Jazz, Myriam Makeba, Stukas、つまりMyriam Makeba以外はすべてZaïre勢。つまり、全体のイベントの、ほんの序の口というわけや。序の口でこのラインナップでっせ、そらもうコアなファンなら飛びつきますわな。でもね、一応これね、1974年という時代背景、そしてメイン・アクトが、たぶんFaniaJBという当時のアメリカのカラード音楽の最先端を迎え撃つZaïre音楽のショウケースという、かなり特殊なものであるということに興味のある人でないと、ちょっとピンとこないかもしれないなあ。

 まあくどくど言うてもしゃあないし、内容を紹介しときましょ。Tabou Leyね、あんたちょっとJB意識しすぎやねん。なんぼ嬉しいか知らんけど、全体にテンポ早いし音が硬いしもっとあんたらしいええ歌たくさんあんねんからそっち出した方が良かったんちゃうか、ということでAbeti MassikiniとともにCD1についてはノーコメント !! (うわあ) ・・・で早くもCD2、やっぱりね、さすがFrancoですよ、だいたい普通に録音して1曲が15分くらいあるのんを、11曲もやって30分そこそこに納めてるんやが、それでもそのまったり感が違いますね。実にええ味が出てる。特に#4に出てくる"Kasai"、これは本来"Kinsiona"というBas-Zaïreのフォルクロールをもとにした曲で、曲名が違うから気づかんかったんやが、曲が流れ出した途端、苦難に満ち命の危険にまで晒された1991年のZaïre奥地への旅のことを思い出してどっと涙が溢れてきてしもた。すごい情感や、それをメドレーの中に挟むなんて・・しかし曲名間違うてもろたら困るなあ。"Kinsiona"やで。まあそんなこと、一般のファンにとっては本ッ当にドーでもええことなんやけどね。アルバム全体を通して、限られた時間内に多くの曲を詰め込もうとしてメドレー形式で演奏されてるんやが、本家本元に遠慮してか華を持たせるためか、ルンバやファンキーな曲を避けてフォルクロールが多く選ばれてる。しかしその中でピカッと光ってるのんが#6"Balingaka Ngai Te"や。これも曲名を見てあれっと思うた。というのは、この曲は74年にはまだなかったはずや。事実、曲が流れ始めて後半のFrancoの有名なギター・フレーズが出たのでわかったんやが、これは"Monzo"という曲や。この曲にも"Balingaka Ngai Te"という歌詞が出てくるが、それは「俺はみんなに嫌われてる」という、まあ男がよくぼやく文句で、よく歌詞に使われる。よう調べんと曲名つけたんやろ。まあこれもほんまにドーっでもええことなんやけど俺が訂正しといたるわ。まあついでやし#11にもFrancoの有名なギター・フレーズが出てくるが、それは"Minuit Eleki Lezi"という70年代TPOK Jazzの名曲中の名曲のものや。これもわからんと"Instrumental"なんて書いてあるから俺が補足しといたろ。ともあれ、CD2前半のFranco et le T.P.O.K. Jazz編は、大御所らしいアフリカ色に満ちたフォルクロールの中にルンバ感覚が随所に光る凝縮された名演や。で、Myriam Makebaを飛ばして (^^; Stukasや。もうこれがすごい。なにがすごいというてとにかくすごい。最高や。おそらく彼らの録音の中で最も良い音質で残されたもんちゃうか。当時のザイールには8トラックもまだ普及してなかったやろから、彼らの現存する録音は、そのエネルギーを吸収しきれずに、ほとんどクリップしてて音が伸びてこない。それがこの録音では、低音から高音までの分離と伸びがすごい。演奏の方やが、やはり若いだけあって、これより前の大御所たちが色々と気ぃ遣て策を弄してるのを尻目に、いつもやってることをそのまんまやってる。すかっとする。ルンバでありファンクでありパンクであって、最初っからスロットル全開や。この疾走感は彼らだけのものや。FaniaやろうがJBやろうが関係ない。StukasStukasや。もうすばらしいのひとこと。大好きや。で、後日行われたFaniaのライブでRay Barretto"Que Viva la Musica"と叫ぶのを聞いていた若き日のPapa Wembaがそれを自分のバンド名にしようと決めたその同じステージに、自分を引き入れてくれようとしたLita Bembo率いるこのStukasが立っているのを彼が見ていなかったはずはない。今は亡きWembaもまだ独立してなかった。Vivaの結成前や。そう、これはもう43年も前の歴史的出来事なんや。まあ俺も歳とったちゅうこっちゃな。

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2017年07月11日

20170710 Fandango 30周年

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ライブ・バー大阪十三Fandango 30周年記念ライブにお呼ばれいたしまして、なんと「カーリー・ショッケール」一夜限りの再結成でございます。むかしこんなバンドが一緒になって・・・そう、こんな音楽を本気でやってたんよね。素晴らしい時代だった。たぶん、10/07の早めの時間になると思います。まあ聞いてやってください。他では絶対に聞けません。誰にも絶対に真似できません。音楽は根性です。老体に鞭打って、せいいっぱいさせてもらいます。

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2017年07月10日

20170710 田植え終了

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田植えが終わった。例年より数日遅く始め、例年通り約15日かかって終わった。やはり例年通り途中で二度ダウンを取られ、後半は割れた腰を布で縛り上げ、保冷剤を腰に巻きつけての作業となった。毎年のことだが、田植えはきつい。今シーズンは、タネモミを購入した黒米が、まさかの発芽全滅。メーカーに再度送ってもらって種まきしたものもほぼ全滅。したがって今年の「Farminhos三色玄米」は、田植えすらできずに敗北宣言。こんなのは初めてだ。そこへ友人が中生の黒米の苗が余ったからと言って持ってきてくれた。ありがたくいただき、苗代を潰した跡を代掻きして田植えする。これが私のところで唯一見られる「普通の田んぼ」、夕刻に時間が余ったので植え終わった部分を見直して歩く。茅を積みすぎたのか、苗が隠れるほどになっているものの中にはも虫に食われて葉が欠けているものもある。余り苗で補植。白米うるち「豊里」・インディカうるち「サリー・クイーン」・赤うるち「神丹穂」・「緑糯」苗が余っています。ご入用の方はお早めにどうぞ。私の「さなぶり」は、ささやかに初なりのトルコ原産白ズッキーにレンズ豆のトマトシチューその他・・・以下、バイト (;_;)

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2017年07月07日

20170707 田んぼめくり

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 九州豪雨災害に見舞われた皆様へ心からのお見舞いを申し上げます。近畿地方は、皆様には申し訳ないくらい何事もなく、天然の日傘のおかげで屋外にいてもさほど苦もなく過ごしております。

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 先日、発芽しなかったので蒔き直した黒米、やはり時期が合わなかったのか、苗代との相性が悪いのか、私のことが嫌いなのか、浸水時には発根を確認していましたが、苗代におろしてはほとんど発芽しませんでしたので、引き続き黒米の苗を余らしておられる方がいらっしゃいましたら、何卒よろしくお願い申しげます。

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 雨が適度に降るので、丹波黒大豆の残りを小麦の跡地と、田植え後半の畔にすべて植え終え、田植え後半戦に備えて、畦塗りと整地をした。茅を敷いた田んぼは表面から見ると草が抑えられているように見えるが、それをめくると、特に田芹がこのようにびっしりと地下茎を張り巡らしている。これを放置しておくと、やがて田んぼ中に網の目のようにネットワークが広がって、或る日突然一斉に地表に姿を現し、あっという間に葉を展開させて稲の根を締め上げるのである。そして翌年はさらに蔓延る。しかし不用意にこれをむしり取ると、散らかった地下茎が節目から発根して個体数が増える。したがって、泥の中の根本を探り当ててそれを抜き取らない限り対策にならないのである。自然農は草を敵にしないというが収穫が得られなければ「農」ですらなくなるので、ここはこちらのつごうにあわせてご退席願う。

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 田んぼ全体をめくり取った後、再び茅を被せて田植え後半戦「サリークイーン」スタート。

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2017年07月03日

20170627 スローライフ

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 「スローライフ」というものは、ニンゲンがスローに生きるということではなく、ニンゲンが地球環境に与える負荷をスローにしようという生き方だと思う。ところがニンゲンというものは社会的存在であるので、どうしても社会と関わって生きていかざるを得ない。今回旅した中国やパキスタンは言うに及ばず、2010年に旅したブラジル・南アフリカ・コンゴ民主共和国・エジプト・ポルトガル・トルコなどでも、また2012年に訪れたウズベキスタンでも、主要都市ではすでに日本と同じくらいカネがかかった。1989年や1991年当時では、ザイール (現在のコンゴ民主共和国) の首都の物価はおしなべて日本の1/30くらいだったから私にも師匠を頼んで音楽修行ができたのだが、大多数の「発展途上国」のおかげでごく少数の「先進国」が豊かさを享受できた時代が過ぎ去った今、もはや呑気な貧乏旅行など過去の夢となりつつある。

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 ニンゲンが地球環境に与える負荷をスローにしようという生き方をしようと思えば、このようにおそらく世界中が自動車で走り回っている時代に、足でその速さに追いつこうとするようなものである。私が死ぬほど忙しい根本原因はまさにここにあるのであって、別に私が欲深いわけでも凝り性なわけでも性急なわけでもない (たぶん) 。だって、この梅雨の晴れ間で急に丹波黒大豆が伸びてきて、早く植えなければ徒長して倒れて水浸しになって腐ってしまうからである。

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 すべて自然のなせる業、それに寄り添って生きるということは、今やってる田植えを中断して、夕立が来る前に黒豆を畔に植え終わらせなければならないということである。西の空が暗くなり雷鳴が聞こえる。強雨に叩かれて幹が折れてしまう予備に半分を軒下に避難させておいて、脱水症状でクラクラする頭をシュマグで縛り上げ、どうにか日没までには田んぼのぐるりを終わらせた。田植えそのものも翌日なんとか終えた。くどいようだがニンゲンというものは社会的存在であるので、どうしても社会と関わって生きていかざるを得ない。つまりこのフラフラの足取りのまま深夜までバイトし、帰って一息ついたら日付が変わっているのである。ううむ・・・そろそろこの悪循環から脱却しないと、たぶん老いがこれを許してくれなくなるだろう。

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2017年06月27日

20170625 さなぶり

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 去る6/25 () は村の「さなぶり」であった。「さなぶり」は農村特有の風習で、田植えが無事終わったことを田の神に感謝して祝う行事のことである。私の住む村では、水利組合が管轄する田んぼを見て「終わったな」と思ったら、回覧をまわしてこれを触れる。特に行事らしいものはないが、近在の村ではイベントをやるところもある。といっても公民館に子供達を集めて餅を振舞ったりカラオケ大会をやったりするくらいで、特に厳かなものではない。田植えを共同でやっていた時代には、手伝ってもらった田んぼの家ごとに「さなぶり」が行われ、なかなか盛大な宴会が催されたという。伝統的には、田の神に感謝して田の取水口に苗を供える。

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 例年、「さなぶり」の触れは、私が田植えをしている最中にやって来る。水利組合には「私は見ての通りの変わり者だから私のことは気にせず決めてくれ」と言ってあるので、そのとおり地域特産の「山田錦」を植え終わった次の日曜日が「さなぶり」となる。今年は、その翌日にようやく田植えを始めることができた。ちなみに田植えを始める前に神に感謝する風習のことを「さおり」という。私は例年、「さおり」か「さなぶり」かわからんが、とにかく神には感謝しておこうと思って、田んぼの水口に「神丹穂」の紅白の苗を植えて祈ることにしている。
 田植えを始めた。なかなか良い苗が育っとる。セルトレイの型押し苗代作戦は大成功で、実に見事な等間隔を保っとる。それを鍬で土ごと剥がして、水の中で慎重に苗取りをするのだが、この時間が、おそらくすべての農作業の中で最も好きだ。30cmほどに育った苗はすでに分蘖が始まっており、幹を持つとぐっと力がみなぎっている。

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 ひと区画ごとに苗を取り、取った分だけ植えていく。この写真を見て、これを田んぼと思う人はまずいないだろう。「刈敷」といって、肥料のない時代に、そこらじゅうの草を刈り取って敷き詰め、これが徐々に腐植していくことによって肥料分とした。したがって、苗は敷草の厚み以上に大きく育っていなければならず、しかも枯草の醗酵熱によって根が焼けない程度に丈夫でなければならない。だから苗代で大きくなるまで育て、田植えを遅く設定するのである。この敷き藁は、茅葺の仕事で出た古茅、田植えが遅れたのは、実は遊び呆けていたからだ。とりあえず田植えが終わるまで、息を詰めて走るような毎日が続く。

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2017年06月25日

20170621 当然の報い

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 農繁期を目前に18日間も遊び呆けとった報いだ。6/21に梅雨入り最初のまとまった雨が降ったのだが、晴れ続きの間に小麦・ソラマメ・エンドウなど乾き物の取り入れ、土の乾いている間に田植えの準備と、気負い込んだは良いが、重なる作業に体が追いつかず、そこへタクラマカン砂漠やパンジャーブを思い出させるような乾燥した暑さが追い打ちをかける。体があげる悲鳴は聞こえぬふり、早朝から炎天下の農作業と深夜バイトで、57歳の老体を酷使しまくり、とりあえず持てるだけの物を持ち走れるだけ走った結果、なんとか畦塗りまでこぎつけた。今、外は土砂降りである。これから本価格的な梅雨の毎日となる。少々の雨でも田植えはできる。雨になるとできない作業だけは片付いたことを神に感謝する。

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2017年06月13日

20170613 諦めが悪い

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「最後まであきらめない」と言えば聞こえは良いが、私の場合、それは単に「あきらめが悪い」だけのことが多い。それが私の長所でもあり短所でもある。

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2017年06月12日

20170612 ユキチカラ収穫

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パン用中力小麦「ユキチカラ」刈り取り中、この品種は芒がないのでスズメにヤラレっぱなし・・・まあ、この区画は諦めよか・・・丹波黒大豆の種まき・・・玉ねぎとニンニクは葉が枯れるのを待ってる途中で、中庭が賑やかになってきた。一粒も発芽しなかった黒糯米「紫黒苑」・・・発売元に相談したら無料で送ってくれた。すぐに水につけて温度管理して、昨日ようやく発根、本日苗代へ降ろした。通常よりひと月半遅れでの種降ろし、さて実りますかどうか・・・

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2017年06月10日

20170609 ソラマメとエンドウ

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ソラマメとエンドウがたけなわである。葉物野菜のない端境期には、田ゼリが青物出荷の主役になる。パン用中力小麦「ユキチカラ」がヤラレまくっとんのを横目で見ながら、どれもこれも急ぐ作業に追われまくる。寝かしてある玉ねぎの葱坊主が頭を擡げる。実の養分だけで、玉ねぎは一年以上も生き存える。サツマイモを定植する。品種は、毎年干し芋や料理に重宝する白サツマイモの「イズミ」。明日は麦を刈る。

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2017年06月06日

20170606 玉ねぎ大蒜収穫

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梅雨入り前にやっちまおう。今日はタマネギとニンニクを収穫。タマネギは「はよとらんかい」と言うてるやつと「まだまだ」と言うてるやつが混在しとるんで、虫食い収穫。質・量ともに準豊作てとこかな ??

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2017年06月05日

20170605 麦秋

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麦秋。まだ実の中は乳液状で刈るには早いが、もたもたしてっと鳥に全部ヤラレるのでとっとと刈る。田植えの済んだ隣の田んぼに麦穂が映える。

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2017年05月29日

20170529 放置された畑

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さてと。二週間も放置したんで田畑はどないなっとるかいなあと心配しとったんやが・・・まあ俺なんかおらんでも作物はほぼ元気に育っとるし、ソラマメとエンドウあたりから出荷して行きましょか・・・苗代の方も、セルトレイ押し当て捲種は大成功で、なーなかええ間隔を保って苗が生え揃っとる。とーろが良う見てみたら、なんと品種を変えて種もみを購入した「紫黒苑」という黒米だけが、まったく発芽してない。ううむ・・・三年連続で黒米に縁がないか・・・これはちょっとマズイんで、どなたかお願い、もう種まきは間に合わんやろから、苗の余ってる人、余りそうな人、分けてください。1,000株ほどあれば嬉しいです。黒米やったらなんでもいいです。

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2017年05月27日

20170527 Uyghur-Pamir

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 旅を振り返る。中国へは、以前からとても行きたいと思っていた。なぜなら、隣国でありながら社会体制が異なり、理解しがたい情報ばかりが目につくからである。私は1960年生まれなので、リアルタイムに毛沢東が生きていた。物心ついた頃に聞き知る中国・・・当時は「中共」といった・・・は、破壊と暴力と殺戮と、けたたましい論争に明け暮れている印象だった。世界中が西と東に分かれて罵り合っていた。西でもちょっと東のことを口にすると咎められるので、東に関しては清廉潔白であると演じなければならなかった。なにがどうだからそうなのか、子供には全く分からなかった。万博でソ連館へ行ったと言っただけで職員室に呼び出され、長時間の詰問を受けた。光り輝くソ連のパゴリオンと、光り輝く白人のねーちゃんの美しさが強く印象に残っている。

 それは、いい大人になった今も、実は変わらない。事実上社会体制が変わった今でも、やはり中国という国はわからない。わからないけれども隣国なのだ。いや、それ以上にわからないのは、なぜ多くの日本人が中国を嫌うのか、個人的に恨みを持ったことのない人までが、なぜ中国を悪し様に言うのか、中国製品は粗製濫造の産物だというが本当か、中国人は平気で往来で用を足すというが本当か、そんな国民・・・中国風に人民といおうか・・・が支えている国は、社会は、街は、農村は、一体どうなっているのか、それを是非見てみたかった。

 中国人民の名誉のために、先にこの部分だけに答えておく。決して彼らのほとんどはそんな人たちではない。短い旅ではあったが、公の場所で用をたす人を私は一人も見なかった。中国製の子供のズボンの股は排便のためにあらかじめ開けてあるというのは嘘だ。それより、そんなものを目ざとく見つけてネットに載せる日本人、それを格好の攻撃材料にする日本のネット難民の性根の方が情けないと思う。むしろ中国人民の個人個人はとても親切で、右も左も言葉もわからないこの旅人の手を取ってわざわざ目的地へ向かうバスを探して運転手に伝言してくれ、周りの人たちもそれを聞いていて降りるべき場所が来たら、まるでお輿にでも乗せるかのように降ろしてくれ、行くべき方向を念入りに指し示して教えてくれるほどの人たちだった。物を落としたら拾って手渡してくれるのも日本人と変わらない。危険があれば注意を促してくれるのも普通だ。つまりどこの国とも変わらない。

 しかしそれは例えばバスや建物の中という、閉鎖的な空間の場合である。往来のように、誰が見ているかわからないような場所では、確かに彼らは極端に無表情になり、できるだけ人と関わらないようにする。そのギャップに当初は戸惑うのだ。何事においても几帳面な傾向のある日本人とは違って、まあいろいろと大雑把ではあるが、街も社会も秩序立っていて整然としているし、平時においては特に混乱はなく治安は良く保たれている印象だ。もっとも、これは、もういやというほど書いたが、極めて強力に管理され、監視されている社会だからそうなのであって、公共の場所では声を潜めてそそくさと通り過ぎるのが彼らの法であるようだ。それはある意味、致し方のないことなのかもしれない。そう、そのへんが中国のわからないところだ。

 初めての中国旅行にしてはディープな旅程であることは承知している。私の初めての海外旅行がザイールであったのだから、これはどうしようもない。新疆ウイグル自治区・・・要するにシルクロードへの憧れである。もちろん私がこれに興味を持つ直接のきっかけとなった「NHKシルクロード」の時代から40年近くが経とうとしているので、そこに映し出されたバザールや人々が、そのままの姿でそこにあるとは思っていない。しかし、やはりそこが古のシルクロードであり、その残滓でも伺えるのではないかと期待したことが、この旅の重要な動機となったことは事実である。この部分の結論も一言で片付く。それはまさに残滓であった。詳しくは、これも、もういやというほど書いた。

 日本人にとっての憧れのシルクロードは、中国にとっては民族問題を抱えるナイーブな地区である。同じひとつの新疆ウイグル自治区が、両者にとって全く正反対の意味を持つ。それが、この旅を極めて困難にする要因になった。ここも結論だけを先に書いておこう。私の訪問したカシュガル以外の西域南道に関しては、ここを安全に旅するには、現地の旅行代理店のツアーに参加するか、少なくとも現地人、できれば漢人のガイドをつけた方が良い。しかし、そうすれば莫大な費用がかかり、おまけにこちらの意図とは無関係に、現地地方政府お抱えの観光施設を巡って散財させられる。それが嫌だといって単独で行動すると、絶え間ない検問と身柄拘束の面倒を被り、短距離の移動すらままならず、旅そのものが困難になる。おそらく自治区の他の地区でも同じようなものだろう。

 中国政府や地方政府は、自治区の民族問題が外国人に知られることを嫌う。外国人が政府のコントロールのない状態で、一般のウイグル人と接触することを嫌う。一般のウイグル人も、そのような状態で見知らぬ外国人と接触することを恐れる。どこで誰が監視しているかわからないからである。同様のことは、当然チベットにも当てはまる。チベットは、現在単独での入境すらできない。全てツアーという管理旅行でなければ不可能だ。そこでは宿泊するホテルから食事、アトラクションに至るまで、すべて管理されている。しかも高額だ。歴史的にモンゴルを失ってしまった痛手があってか、中国は国内の民族問題に極めて神経質だ。そのことは、情報として聞き知ってはいたが、実際どのように管理されるのかまではわからなかった。それを痛いほど経験できたことは、今回の旅の収穫であったと言えるだろう。

 つまり、それが中国の実態であり現状であり、要するに中国はロシアと同じく、多数の被支配民族を抱え込んだ、事実上の帝国主義国家だからだ。イデオロギーが共産主義であろうが、被支配者にとっては帝国主義のなかで生きており、支配者はそう振る舞わざるを得ない。それは、まったくイデオロギーとしての共産主義の価値観と相容れないものだが、そうしないと国家体制が立ち行かないのだ。だからかつては鉄のカーテンで遮断して自分たちの裏庭を作り、既成事実作りに汲々とした。その結果、今があるわけだ。奇しくもそれを目の当たりにできたのは貴重な体験だったと言えるだろう。しかし普通の観光旅行としては、決して楽しいものではない。

 新疆ウイグル自治区に関していえば、そこはすでに憧れの対象たるシルクロードではなく、中国の将来の食い扶持を賭けたあらゆる資源、すなわち観光・物流・工業生産の拠点としての実に広大で不毛な開発現場である。それは、未だ市場開拓が十分に進んでいない、西に隣接する広大な中央アジアやロシアを向いている。極めて大規模に、急ピッチで開発されており、そのための労働力は中国内陸部の開発途上のエリアから次々と送り込まれている。私の搭乗した国内航空便は、そんな労働者たちで満席だった。新疆ウイグル自治区は辺境にあるため、出稼ぎ労働者の賃金が最も高いのである。中国は、開発主体に対しては気前よく資本主義を適用するが、開発される側すなわち現地の農民など土地所有者 (??) に対しては共産主義を適用して・・・いやいや、もともと中国政府としては私有財産を認めていないのだから、これを没収して開発に供与するのは当然である。実際に農地をブルドーザーで潰すのは、遠方から送り込まれて来た漢人労働者であって、当然のことながら現地のウイグル人との間で衝突が起こる。それを防止するために膨大な数の警官・・・というか、これも遠方からリクルートして来た貧困な人民に制服を着せ武装させて、町の辻ごとに配置してこれにあたらせる。その光景の異常さについては、これももういやというほど書いたが、騒然・緊迫・異様・異常・恐怖・威圧・・・要するに厳戒態勢であった。

 そんななかでなぜウイグル人が結果的に黙っているかというと、これは私も全く考えが及ばなかったことだが、ウイグル人は中国国籍を持っていながら、漢字の読み書きがほとんどできないからである。漢人との間で簡単な会話はできるが、書かれた文書は、ほとんどこれを理解できない。従って極めて単純な労働にしか就くことができず、いかに誇り高い羊飼いであっても、いかに有能な農夫であっても、経験豊かな職人であっても、牧地を奪われ農地を壊され、家を潰されて財産も没収されて、極めて単純な労働という生活手段だけを与えられ、粗末な集合住宅に押し込められたり、縁もゆかりもない遠方へ送られたりして、社会から浮浪してしまう。私が見たものは、開発の手が伸びてこないエリアで牧畜と農業にしがみつくウイグル人の怯えた目、それらが奪われ、その日の仕事にもあぶれて路上にたむろするウイグル人の死んだ目、運良くありついた警官の仕事で同胞を取り締まらなければならない、あるいは取り締まられなければならないウイグル人たちの麻痺した目、であった。

 西に向かっては以上のようにして、中国は己が生き延びる可能性を探っている。そして南や東に向かっては海洋進出、すなわち南沙諸島や尖閣諸島の問題も、これと全く同根にある。中国人民自身が言っている。尖閣諸島の領有権なんて、後になって言い出したことだと。彼らは百も承知だ。だが撤回はしない。できないのだ。なぜなら国の存立、人民の存立がかかっているのだから。いまや世界の人口の5人に一人は中国人である。つまりこれは地球全体の問題であって、二国間の領有権の問題では済まされない。中国をどう「解決」するのか。世界全体で真剣に取り組まないと、本当に地球が壊滅してしまうだろう。彼らはフェアな取引などしない。すでにケツに火がついているので死に物狂いだ。それほどの勢いで、もう回りはじめている。いや、とっくにそうなっていたのだろう。目の当たりにするのが遅すぎたのかもしれない。

 日本とは、日本人とは全く異なるのだ。同じような顔をしていながら・・・言い方は悪いが、極端に言って、彼らはほんの30年ほど前までは、普通に人民同士、些細なことで殺し合いをしていた。そこへ改革開放政策が持ち上がって、イデオロギー論争よりも経済発展に集中するようになった。歴史的に、集中するとやりまくるのが中国人の特質であって、一方へ振れはじめたら、レッド・ゾーンを振り切るまで止まらない。しかも、今は資源が豊富にあって、人力をはるかに超えた規模で破壊が進んでいる。戦後70年の長きにわたって、安定して成熟した社会を営々と築き上げることのできた、ほぼ単一民族国家の日本とは全く異なるのだ。ある程度共通の常識を持ち、社会が手に届くほどの適当な規模である日本とは違って、中国では、国家は遥か雲の上の存在だ。もはや概念でしかなく、現実のものではない。「有 (ヨウ = あるぜ) !! 」と言って商品を出してくるときの誇らしげな顔、「没有 (メイヨウ = ないよ) 」・・・だってしょうがないだろ、という、きまってやるせない感じと、開き直った、ちょっと怒りのこもった目でそう言う彼らの表情が、なんとなく全てを物語っているような気がするのだ。そうだ、しょうがないんだ、本当に、だって、国家はずっと雲の上にあるんだから、俺にどうしろっていうんだ・・・だから、すくなくとも、私には中国人民を悪し様に言うことはできない。

 そして中国製品を、経済効率を優先して安く買い叩こうとするから、彼らは粗製乱造に走るのであって、ちゃんとしたところへ行けばちゃんとしたものがある。なぜなら、彼らと共に食事をしてみるとわかるのだが、安飯屋でさえ極めて豊かで民族色が濃く、実にバラエティに飛んだ美味しい料理が出てくる。日本のように加工食品の組み合わせでお茶を濁したようなものはない。それに、なにより彼らは我々が常用する漢字だけで会話をしているのである。文字数は二千文字強で、日本語で使う常用漢字とあまり変わらないらしいが、とにかく純度100%、仮名文字のようなツナギが一切入ってない十割そばを常食しているようなものである。膨大な漢字に囲まれた街で過ごしてみると良い。思考回路の層の厚さを実感する。これだけの文字を一つの論理体系の中に落とし込んで文法化されている言語は他になく、それを日々操って生活している民族も、おそらく中国人を於いて他にあるまい。ことだけを見ても、中国人民の頭脳の洗練さを示す証左であると私は思う。

 それにひきかえ日本人は、この中国の漢字を借りて来て、一部は漢語として、それに収まりきらないものは音写して、さらにつなぎにひらがなやカタカナを交え、なんとか「日本語」を形成している。まるで補助輪をつけなければ自転車にも乗れない子供みたいなもんだ。これほど混乱した文法体系を持つ言語も世界にまたとなく、それを理解して日々会話している民族もまた特異な存在であろう。そんな借り物文化で自己のアイデンティティを如何の斯うの言う民族の末裔が、この大陸の超大国で数千年を生き存えてきた民族の末裔に対して、何を物言えるだろうか・・・

 彼らの一人とでも友達になってみればわかる。日本人同士の中で醸し出される平和で平板な単純思考と、彼らとの間で交わされる、さまざまに重層化された思慮深さと慎重さの決定的な違い。複雑な思考の同時進行。彼らは数千年の歴史の中で、支配したりされたりする立場の変遷が血に刷り込まれている。単一民族でそのような歴史の激変の経験に乏しい島国の日本人とはワケが違う。彼らが日本人 (リーベンレン) を「小さい」と感じるのは当たり前のことである。国土といい人口といい、日本は中国よりもはるかに小さいではないか。それを「小さい」と言われて腹を立てているようでは、まだまだ子供だ。補助輪をつけなければ自転車にも乗れない子供だ。その子供が、乏しい自分の経験をもとにちょっとひらめいたアイディアを、不器用に中国人に押し付けて物を作らせ、買い叩いたら粗悪品しか出てこないのは当たり前のことである。彼らは日本人のように一本気に努力すれば必ず報われるなどとおめでたいことは考えない。叩かれれば叩かれてもやっていけるように手を替え品を替えて生き延びるだけである。その手心を積み重ねてノウハウを蓄積し、その宝を集めて今、大きな勢力になっている。それを盗まれたなどとほざくのは寝言である。破れても破れても動かぬ勝者、それが中国であるとすれば、勝っても勝っても走り続けねばならない敗者が日本の姿のように思われてならない。

 さて、とはいっても中国は複雑怪奇で、体良くウイグル人を支配下に置いているのは紛れもない事実である。新疆ウイグル自治区は、果たして「中国」なのか・・・私は表通りから外れて、まだ取り壊されていない、「老城区」と呼ばれるウイグル人の旧市街居住区をさまよい歩いた。それらの多くは、すでに取り壊し予定のために柵で囲われていたが、その中に入ると別世界であった。光も音も、街外れにある麦畑から渡ってくる風の匂いも、羊やロバの糞の匂い、ポプラ並木が延々と続く情景、三輪バイクトラックやロバ車を扱うウイグル人たちの様子・・・それは全く中央アジアの風景であって、そこは明らかに中国の風景ではない。ここは中国ではない。しかし、では歴史的にこの辺り、そして今ウイグル人と呼ばれている人々、さらに彼らの居住するエリア、要するに東西トルキスタンは、歴史的にどういう民族分布をなしてきていたのか・・・私は学者ではないので、俗説に基づいた結論しか出せない。要するに混沌である。

 中国歴代王朝は、周囲の遊牧民の勢力を利用して、敵対する遊牧民や異民族の征服王朝と戦った。シルクロードを往来する商業利権を争った歴史である。中国は漢の時代の昔から、すでにこの地区を支配しては破られ、また支配してきた。そういう意味で、ウイグル人が歴史的に居住してきた東西トルキスタンは時々中国領であった。「誇り高きウイグル人」、「国なき民」などというが、現在のウイグル人と、古代遊牧帝国であった東突厥を滅ぼしたウイグル帝国とは直接的な民族的連続性はなく、「ウイグル」を冠する民族国家は、ごく小規模短命ないくつかの勢力は別として、その後歴史に登場しなかった。現在「ウイグル人」と呼ばれている人たちは、第二次世界大戦末期に共産主義的再編がこの地でも行われたときに、中ソの民族別支配の枠組みを作るために復活した名称であって、実際、同じ「ウイグル人」でも、明らかにモンゴル系の顔をした人から、縮毛のコーカソイド、碧眼の白人までおり、彼らに生物学的な基準における統一性はないといえる。あるとすれば、漠然と「トルコ系」というくくりになるが、それとても、彼らの風習や伝承つまり民俗学的分類からすると、むしろイラン系のソグド人の血を受け継いだと考えられるグループも存在する。

 つまり、「ウイグルの復興」という言葉があるが、実体として何を復興しようとしているのかが、素朴にわからないのである。まあ、部外者である日本人が「ウイグル人」の民族性に関してモノを言うことは差し控えるべきと考えるが、ありもしない民族的アイデンティティを、さもあるかのように仮定して、そこへ特別な感情を注ぎ込むのもどうかと思う。「ここは中国ではない」などと言って中国の支配する現状を批判するのはお門違いだ。「漢人」と「ウイグル人」という二極の対立があると考えると事実を見誤る。ここにあるのは、数千年にわたる民族興亡がもたらした混沌の結果であって、表現は適当でないかもしれないが、現状「ウイグル人」が「漢人」に事実上支配されているのは、歴史的な帰結と考えるべきである。もちろん私は「ウイグル人」を卑下しているのではない。支配されていろと思っているわけでもない。彼らに古くから伝わる多くの音楽をこよなく愛するからこそ旅に出たのである。しかしそれを現状の「ウイグル人」の音楽という枠の中で捉えると、それぞれの伝承のルーツを見誤る。今回の旅でも多くの旋律に触れることができたが、尚一層「ウイグル人」という概念の曖昧さを実感したので、このようなことを書いたまでである。

 「ウイグル人」が、その名のもとに独立するのではなく、もっと普遍的なレベルでの中国からの分離独立が実現しないと、結局のところ新たに細分化された民族紛争をこの地に持ち込むだけのことになるのではないかと危惧するからである。だからといって中国が支配し続ければ良いというわけでもなく、全くわからないというのが本音であって、実に大陸的で巨大な混沌を前にして、それに恐れおののいたというのが正直なところである。中国は混沌。

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2017年05月26日

20170526 Lahore-KIX

Uyghur-Pamir 2017.05.26 Lahore-KIX

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 LahoreBangkok行タイ国際航空TG346便、機材はAirbus A330-300型、23:45 (5.25) 定刻に出発し翌日 (5.26) 早朝6:00定刻に到着した。時差が+2時間あるので、4時間のフライトである。上がってすぐに機内食が出され、すぐにおやすみモードになった。到着時刻が近づくとシートのモニタに地球儀を模したイメージが映し出されて、ご来光を受けて機影が空港に到着する趣向はなかなか凝った作りだった。到着後、乗り継ぎ客はクリアであるにも関わらず再び保安検査があり、これがウルムチ並みの手際の悪い厳しさ、しかも態度の横柄な係員のために、せっかくの旅気分がぶち壊しになった。「ほほえみの国・タイ」・・・。気を取り直して、いよいよ最後の行程、関空行きを待つ。乗り継ぎ時間が1:40で保安検査にだいぶかかったのでそんなに待たなかった。ゲート付近には何もなく、米ドル処分のために免税店でタバコのカートン売りを買ったらバーツの小銭が残った。良い記念だ。これで手持ちの現金は、予備の日本円を除いてほぼ使い切った。

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 バンコク発関空行タイ国際航空TG672便、機材はAirbus A380-800型、帰途は、旅のうちで最もつらい時間だ。目の前のモニタには、全く無慈悲にも、刻一刻と日本に近づく機体が映し出されている。四国上空、もうええて・・・明石海峡大橋、いらんちゅうに・・・あああ、帰ってきてしもた。15:55定刻到着。

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 相変わらずルーズな入国審査をすっぱ抜いて急ぐ。なぜならこれからバイトだからである。そうなのだ。私はバイトの当日に帰国する無茶な計画を立てて飛び出したのだ。関空快速乗って丹波路快速乗って普通電車に乗り換えて、自転車乗って帰宅してそのままバイト先へGo !! 待っていたのは、改装研修で疲れ切ったアルバイト・スタッフとケツに火ィのついた本社社員の罵声のみだれとぶ、壮絶なまでの日本のブラック企業の修羅場なのでした。現実とは、かくも・・・

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