2020年06月28日

20200628 Rahsaan Patterson



https://www.youtube.com/watch?v=0fI-BY96IDg

Rahsaan Patterson (CD, MCA Records, MCD 115591997,1997, US)

Stop By 5:55
Spend The Night 4:52
Where You Are 5:09
So Fine 4:32
Stay Awhile 5:09
Come Over 4:49
Can't We Wait A Minute 4:49
Joy 2:52
My Sweetheart 3:56
One More Night 4:06
Don't Wanna Lose It 4:33
Tears Ago 5:02
Ain't No Way 4:10
Soul Free 5:23

 1995年の阪神淡路大震災直後にのめり込んだものに、同じアフリカン・アメリカンの音楽でありながらRapとは対極にあるNew Classic Soulの機種で、今や押しも押されもせぬシンガー・ソングライターのデビュー・アルバム。文句なしに美しく、甘く切なく、センス抜群、上手い !! もう、ここまでやられると、カラダ全部差し出すから好きなようにして・・・て感じ、いらんやろけど・・・
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20200628 Message From The Tribe



https://www.youtube.com/watch?v=TgATZhG1tQg

V.A.: Message From The Tribe (An Anthology Of Tribe Records, 1972-1976 (CD, comp., Box, Universal Sound/ Tribe, US CD 5, 1996, US)

–Phil Ranelin & Tribe Vibes From The Tribe 3:54
–Phil Ranelin & Tribe Sounds From The Village 4:54
–Doug Hammond Moves 4:31
–Tribe Beneficent 7:01
–David Durrah Space 2 0:39
–Tribe Farewell To The Welfare (1 & 2) 3:15
–Marcus Belgrave Space Odyssey 4:30
–Tribe What We Need 3:59
–The Mixed Bag La Margarita 5:17
–Wendell Harrison Tons And Tons Of B.S. 5:03

 アメリカの一大ブラック・ミュージックの中心地Detroitの裏路地に咲いたSpritual Jazzの仇花、Tribe Recordsに残された音源のアンソロジーで、これを聞くと、いかに当時の音楽シーンに活気と多様性があったかを思い知らされる。BluesだとかJazzだとかR&BだとかSoulだとかFunkだとかSambaだとかジャンルなんて、単なる後付けの理屈にらすぎないことがよくわかる。それぞれの持ち味に名前なんてない。自由奔放で意外性に満ちていて、どうしようもなくかっこいい。それに尽きる。
・・・と言われてもなんのこっちゃわからおヤロから追加して書くと、全体としてはJazzではあるものの、4ビートではなく、ラテン的ソウルフルでファンキーな8ビート・スウィングで、即興が大半を占める。トロピカルでサイケデリックだが、ブラジルっぽくはなく、あくまでアメリカ黒人のくろさが濃厚に出ているところが良い。このCDとは別に、のちに8枚シリーズでこのレーベルのアンソロジーが出たくらいなので、隠れた魅力があるのだろう。とにかく良いです・・・やっぱりわからんかこれでは・・・
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20200628 Was (Not Was)



https://www.youtube.com/watch?v=jlE8YzLRlcI

Orquestra Was:Forever's A Long, Long Time (Enhanced CD, Verve Forecast, 533 915-2, 1997, U
S)

Once Upon A Time In Detroit – 1:55
I Ain't Got Nothin' But Time – 8:27
Never Again (Will I Knock On Your Door) – 3:52
Excuse Me, Colonel, Could I Borrow Your Newspaper? – 4:56
Detroit In A Time Upon Once – 0:58
Forever's A Long, Long Time – 6:50
You've Been Having A Rough Night, Huh? – 4:49
Lost On The River – 13:04
A Big Poem About Hell – 2:48
I'm So Tired Of It All – 3:38

Sweet Pea Atkinson – vocals
Terence Blanchard – flugelhorn, trumpet
Sir Harry Bowens – vocals (background)
Lenny Castro – percussion
Merle Haggard – guitar, vocals
Herbie Hancock – Fender Rhodes, piano
Wayne Kramer – guitar
Harvey Mason, Sr. – drums
Donald Ray Mitchell – vocals (background)
Sheila E. – percussion
David Weiss (Not Was) – performer
Don Fagenson (Don Was) – bass, guitar, keyboards, saxophone
Kris Kristofferson – Performer (Enhanced Content)

 アメリカという国は捉え所のないほど多様で複雑で、魅力に満ちている。その魅力は、ヨーロッパやアジアやアフリカのように、千年単位の歴史の積み重ねによるものではなく、数百年の間に起こった歴史の断絶を含む急激で人為的な変化と、それがもたらした矛盾である。したがって、長い歴史に裏付けられた文化を把握するようなやり方では捉えられないところがある。それを文化不毛とする見方もある。しかし、アメリカ、というよりは、アメリカ人の不思議さ、そもそもアメリカ人という人種すら存在しないのに、アメリカという文化、平たく言えばアメリカらしさは、厳然と存在する。そしてなにより、1960年生まれの私にとって、半生の前半は、日本人にとっての外国という言葉が指すものはすなわちアメリカであった。舶来、外国、輸入物とは、すなわちアメリカのものを指していた。ポピュラー音楽も、いや、ポピュラー音楽こそ、アメリカのものであったことに異論を挟む余地はない。しかし、例えばイギリスの音楽ならば、ダウランドの昔からビートルズもストーンズも、プログレもパンクも、どんなに違っていてもやっぱりイギリスの匂いがプンプンするのだ。ではアメリカではどうかと問われると、知れば知るほど答えが見つからなくなる。歴史的な匂いの欠如と、それによる軽さという別の匂い、その自由でバラバラなところがアメリカらしいと言えば言える。アメリカン・ドリームという幻想も昔はあった。それも確かにアメリカらしさの主要な要素だと思う。それを懐かしみ、そこへ回帰する精神性も、一つのアメリカらしさである。一方で、第二次世界大戦以降、西側陣営の名主として、世界中に戦力を拡大したことによる、実に様々な影響から生まれた文化運動もまた、アメリカらしさである。外に対して民主主義を標榜し、自由と民主主義の精神を謳っておきながら、国内の人種差別は解決されていないところもまた、アメリカらしさである。それがゆえに、たとえばポピュラー音楽でも、人種や地域やポリシーによって、互いにほとんど断絶した音楽が並存していたり、その隔絶が融合されたことによる新しい音楽が常に生み出されているのもアメリカらしい。つくづく、アメリカという国を不思議に思う。そんなアメリカの一つの不思議、別に取り立てて書くほどのことではないone of themなのだろうが、それでも不思議な作品である。曲は往年のフォーク・シンガーHank Williamsと、Detroitで1980年にデビューしたディスコ・バンドの創設者の一人であり、現在のBlue Note RecordsのCEOでもあるアメリカ音楽界の超大物Don Fagenson (Don Was)の曲がほぼ半々で、最後の一曲を除いて、20世紀末感あふれる、黄金時代を懐かしむような、深くて濃いノスタルジーに満ちた、絶望的な脱力感を秘めたHip Hopなムードあふれる演奏である。しかも、極めてジャジーな、要するにアメリカらしい不思議な音楽である。砂漠を枯れ葉色に染めながら沈んでいく夕陽にさめざめと泣く思いがする。
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20200628 Gin And Juice



https://www.youtube.com/watch?v=OKGJOtRaqMg

Snoop Doggy Dogg: Doggystyle (CD, RE*, Death Row Records, CDL 50605, 1996, US)
*originally released in 1993

1 Bathtub 1:50
2 G Funk Intro
Featuring – The Lady Of Rage 2:24
3 Gin And Juice
Vocals [Additional] – Dat Nigga Daz 3:31
4 W Balls
Featuring – Ricky Harris, The Queen Of Funk 0:36
5 Tha Shiznit 4:03
6 Interlude 1 0:37
7 Lodi Dodi
Vocals [Additional] – Nancy Fletcher 4:24
8 Murder Was The Case
Featuring – Dat Nigga Daz 3:38
9 Serial Killa
Featuring – RBX, Tha Dogg Pound, The D.O.C. 3:34
10 Who Am I (What's My Name)?
Featuring – Dr. Dre
Vocals – Jewel, Tony Green 4:42
11 For All My Niggaz & Bitches
Featuring – Tha Dogg Pound, The Lady Of Rage 4:07
12 Ain't No Fun (If The Homies Can't Have None)
Featuring – Kurupt, Nate Dogg, Warren G 4:07
13 Interlude 2 0:33
14 Doggy Dogg World
Featuring – Tha Dogg Pound, The Dramatics 5:05
15 Interlude 3 0:44
16 Gz And Hustlas
Backing Vocals – Nancy Fletcher 3:51
17 Interlude 4 0:56
18 Pump Pump
Featuring – Lil' Malik 3:41

Produced by Dr. Dre

 アルバム・レビュのほうは、たしかアメリカの途中で、SalsaとJazzをやってRBあたりに言及したあたりで止まってたので続きを・・・たまたま持ってるアルバムのレビュなので認識不足など色々あるとは思うし、このジャンルを集中して聴いたのは阪神淡路大震災直後の数年間だけだったので、書くことが偏ってるしかなり古い。もう25年くらい古いので、書く意味なんてほとんどないに等しいのだが・・・やっぱりこの人のこの作品だけは触れておきたいと思う。もう随分と当時の震災によって崩れた街・世界・・・とりもなおさず我々の観念、固定された、絶対不動なる、生存の前提、過去と現在と未来という揺るぎない時間の流れ、なんの疑いもなく、空気のように当たり前にそこに存在していた、あるいは、存在していたと思い込んでいた全てが崩れ去った時の、あの、なんとも知れぬ喪失感と、数日間の極度の緊迫に押し上げられて高揚した精神が、どすんと落ちてきたときに見えた「無」と、気を取り直した時に現れた解放感・・・それがまったく脳裏にこびり付いて宿病のようになってしまった。その心の風景にしっくりと溶け込んでいくこのような音、もはやここには絶望とか反抗とか孤独とか、そんな生易しい感情の入る余地はない。彼の生い立ちや当時の状況、アメリカという国の持つ得体の知れない矛盾が、この音世界を生み出したことに違いはないが、私にとってはそんなことはどうでも良い。出された音が心に響く。この虚無感。絶え間ない破壊と不毛な荒廃、ただそれを見つめるだけの刹那的な感覚、切っ先を研ぎ澄ませておかなければ次の瞬間生きていられるかどうかさえわからない。感覚だけがモノをいう世界。考えることをやめた頭にずっと染み込んで鳴り響く、あまりにも殺伐すぎる音風景。彼のデビュー・アルバムはその普遍的現実を切り取って見せる。
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20200627 自家製豆板醤本仕込

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 自家製豆板醤の仕込み。調べれば調べるほどわからなく、というか、豆板醤の種類が多すぎて、全く千差万別ほぼお手上げ状態。そもそも原料も気候も違うので、それぞれの気候風土と原料に合わせた製法を取ることができないでいる。ソラマメの発酵のさせ方が全く違うし、赤唐辛子の品種も状態も全く違う。日本の山椒の風味も豆板醤とは全く違う。なのに日本で手に入る、あるいは自分で栽培できる近親品種で代用すること自体、違うのだ。仕方がない。霉豆瓣を作るのにも、日本で醤油を仕込む際の発酵方法を使った。これからして違う。百も承知だ。ここから先も違う。500gの霉豆瓣にごま油を2ℓも放り込む方法もあれば、油を全く使わないレシピもある。油を先に加熱して唐辛子や山椒の香りを移す方法もあれば、冷暗熟成の製法もある。霉豆瓣の何倍もの唐辛子を放り込むものもあれば、仕込みに使う香辛料の総量が霉豆瓣とほぼ同量のものもある。気候が違うのか、緑色の新鮮な山椒と、赤く熟した唐辛子が同時に収穫されているが、日本ではそのようなことはない。いずれかは保存された乾燥原料を使うことになる。しかも、いずれも三年熟成なので、結果が出るのは3年後、それまでは結果を見ずに作り続けることになるので、霉豆瓣を仕込んで二ヶ月、とりあえず自分の都合に合わせてもっともらしいと思われる方法で、使った原料と量目を記録しておいて、作業を進めることとする。配合は、以下の通りである。

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 2020.04.26-30 原料の異なる三種類の霉豆瓣をまず作った。ついでに、醤油を絞った後のもろみを有効活用すべく、4つめの原料とした。

  購入はじき豆300g・神戸の輸入業者で扱っている中国産の乾燥ソラマメを炒っただけのもの

  赤ソラマメ250g・鳥取で購入した乾燥ソラマメを脱皮せずに使用したもの

  自家製ソラマメ350g・自分で栽培しているソラマメを炒って脱皮したもの

  鶴の子大豆の醪400g・2017年に仕込んだ醤油を絞った後のもので塩分を約16%含む

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 鶴の子大豆の醪400g以外は、すべて蒸して醤油麹をつけて養生し、通常通り派生を見てから塩切りを兼ねて、以下の処理をした。

 高度白酒250cc・胡麻油125g・塩250g

 鶴の子大豆の醪400gは、もともと発酵済みで塩分も含まれていることから、この段階では加塩せず、それ以外のものだけ混入した。

 以上を二ヶ月熟成、この間毎週攪拌した。

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 本仕込みは、鶴の子大豆の醪400g以外の三種類については全く同じ方法をとり、鶴の子大豆の醪400gについては、味見の結果、塩分が足りなかったので醤油100ccを加えた。

 胡麻油400g・なたね油100g・中国産乾燥麻椒100g・自家製乾燥赤唐辛子200g・自家製乾燥生姜10g


 これでいいのかなあ・・・

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2020年06月25日

20200625 「新しい日常」

 「新しい日常」とやらが要するに政府への忠誠を誓うかどうかが試されることが明らかとなった今、日本中に張り巡らされた利権構造の中でも、その末端に至るまで親方日の丸に服従し阿諛追従の輩になり切ることによって延命を図る烏合の衆が満ち溢れている。どこを切っても金太郎飴のような同じ顔をした同じドタマの奴らが同じ声と口調で、お客様のために感染予防対策を徹底し、安心、安全にお買い物をしていただくべく、日夜努力している、わけで、あります。5分で。そう、なんでも5分で出来ちゃうのだ。やればできるぢゃないかお前に今までナニやってたんだ。冷蔵庫の隅に隠れてナニやってたんぢゃないだろうなあ・・・こんどはな、床のタイルに詰まったゴミを書き出せ、お客様からのクレームだよ、床に落ちた商品が汚染されてる、目地の中までくまなく消毒しろ、なに5分ありゃできるだろ、それからなあ、毎日全部棚拭いてんだろ、だったらあと5分やるから全商品日付チェックしろ、月末にはなあ、5分残業つけてやるから毎月棚卸しろ、当たり前だろ株主様に見せるんだからよ。

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2020年06月20日

20200620 猫一家

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 死骸の写真が含まれていますのでご注意ください。猫に名前をつけた。母親は「しゃのあ」にしたが呼んでも反応がないので、和風そのままやんけ「くろこ」に変えた。子供たちは4匹の男の子と1匹の女の子である。母親譲りの全身真っ黒なのは、そのまま「まっくろ」、わずかに白い襟巻きを巻いているのは「ツキノワ」、以下、父親譲りのハチワレの柄に鼻が片方だけ黒いのは「ハナクソ」、背中にちょっと白い毛のあるのが「セジロ」、唯一の女の子で全体がわずかにグレーがかっているのが父親の名を取って「コテツ」である。

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 すでに体格や性格に差が出来はじめている。「まっくろ」は、体が一番小さくて痩せっぽちで、まだ母親のそぱに一番長くいる甘えたである。みんなとよく遊んでは一番よくいじめられている。「ツキノワ」も体が小さく、ヤンチャっぽい目つきとは裏腹に、時々一匹だけ離れたところにいて空を眺めている。なぜか私とよく気が合い、私が出て行くとすぐに走ってきて膝に乗る。「ハナクソ」はごく普通の活発な男の子である。「セジロ」はきょうだいのなかで一番体が大きく強い。餌となると俄然欲を出して他の追随を許さない。「コテツ」は唯一の女の子でとても神経質である。ときどき一匹だけ離れていることがある。私にはあまり懐いていない。

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 5匹ともカエルくらいなら自分で捕獲して食べている。母親は、時々ネズミやスズメを獲ってきて彼らの前に置く。置くが早いか「セジロ」がそれを奪い取ってボロボロに弄んだ後、ちょっとだけ食べて放置する。これはここ数日見られるようになった。その間、他の4匹はじっとそれを見守っている。少しでも近づこうとすると「セジロ」は低く唸って威嚇する。今まで5匹がほぼ分け隔てなく一緒に遊んでいたようだが、徐々に上下関係が生まれつつあるようだ。母親は、「セジロ」が獲物を独り占めするからといって、次の獲物を他の子猫に与えることはない。「セジロ」は前の獲物を放置して次の獲物をも奪う。他の4匹は残り物を力の強いものから取る。したがって一番体力のない「まっくろ」は、ほとんど食べるものがない。

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 猫が5匹も子供を産むのは、その中から1匹でも生き延びれば良いからだとされている。たしかに母親は、すでに「セジロ」を残すと決めたように見える。残る4匹のセフティ・ネットは母乳である。子猫たちはすでにイワシくらいなら骨ごと食べてしまうが、依然として母乳も飲んでいる。しかし、時々、母親はそれを拒んだり、じゃれつく子猫を強く威嚇したりしている。子離れの兆候と見える。乳を与えられなくなったら、残る4匹は自力で狩をして生きて行くことになる。そこに食料の確保という観点から縄張りが必要になり、彼らは単独行動に移り、ここを去って行くことになるだろう。ここ数日、新たなトラ猫の汚いのが周りをうろついている。母親は満更でもなさそうだが、あまり品がよくないので私は好まない。やがて平和な時は終わる。これから彼らがどうして行くかを具に観察することによって、生きるとは何か、群れるとはどういうことか、暴力はどこからくるのか考えてみたい。

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2020年06月16日

20200616 梅雨の晴れ間

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 梅雨の晴れ間、ソラマメとエンドウの完熟を確認してこれらを収穫し、柵と棚を撤去、あわせてインゲンと胡瓜苦瓜の柵を立てる。ソラマメとエンドウは鞘から外して太陽に当て、乾燥と虫の駆逐。大根・タマネギ・ネギの種取り。

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2020年06月14日

20200614 夏への扉

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 食は夏になる。ミシンの使い方もだんだんわかってきた。

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2020年06月11日

20200611 農作業自粛

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 人に農作業を辞めさせておいてどうするのかみていたのだが、全く触る気配もなく、梅雨は押し迫ってくるので、農地法上の管理責任者たる私は止むを得ず雨季の排水を図るために溝切りと周囲の草刈りをやった。

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2020年06月08日

20200608 SINGER 227U1

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 「引きこもりの花嫁修行」ミシン編・・・色々調べて勉強して、ベルトの張り具合やこのミシンの構造を理解して、たぶん壊れていた部分もなんとか修理して、大雑把な図解と格闘してようやく全体が動いた。何度か糸が絡まったが、なんとか縫えた。しかし、たぶん上糸と下糸のバランスが良くないのだろう。その調整さえ覚えれば、とりあえずミシンがけの最初の関門はクリアできたことになる。よしよし、自画自賛・・・

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2020年06月07日

20200604 Ludus Danielis


  「引きこもりの美学・番外」・・・ひとつできました・といっても自分の演奏ではなく、既存音源の加工なので著作権の問題があるでしょうから、一般には公開しませんが、やろうと思っていることのひとつがこういう音楽です。この録音は、ごく短い印象的なフレーズを最初に提示して、続いてそれを半速、1/4速、1/8速に引き伸ばしたものを重ね合わせ、ある部分はカットし、ある部分は逆回転させ、最後にエコーをかけて撹乱してあります。デジタル技術のおかげで、今ではDTMもカンタンです。仕掛け自体はチャチなものですが、ごく短い印象的なフレーズを延々と繰り返し、それに変装を重ねていくことによって得られる音響的な効果に興味があったのです。このアイディアは、1975年にBrian Enoがプロデュースし、Gavin Bryarsが録音した ≫The Sinking of the Titanic ≫という作品に着想を得たもので、私にとってその作品は、どんな苦境の中で喘いでいる時でも、必ず心に平安をもたらしてくれる魔法のような音楽でした。それは、豪華客船「タイタニック号」が氷山に衝突して沈没するまでの間、ホールにいた楽士たちは、客の心を落ち着かせるために最後まで演奏をやめなかったという逸話に基づいています。実際にどのような演奏だたかは明らかではありませんが、この逸話に着想を得てGavin Bryarsが作曲したものです。ひとつの印象的なフレーズが最初に提示され、それをあるいは引き伸ばし、あるいはオクターブ下で倍尺に引き伸ばされた演奏を重ね、さらにその倍を重ねたり、同じテーマによる別の変奏を挿入したりなどという、極めて実験的でありながら、全体としては沈みゆく豪華客船の有終の美を飾るにふさわしい重厚さと気品、繊細さ、美しさを兼ね備えた、堂々たる作品です。それを可能にしたのは、元のフレーズの良さです。その録音では、楽士たちは極めてゆっくりとしたテンポでその曲を演奏していた、という証言に敬意を評して、非常にゆっくりと演奏されており、それがなお一層の効果をあげています。
 今回巡り合ったフレーズは、北フランスのボーヴェにある大聖堂Cathédrale Saint-Pierre de Beauvaisに12世紀頃から伝わる作曲者不詳の典礼劇"Ludus Danielis"の一節である。この大聖堂は10世紀ごろには小さなロマネスク様式の教会であったものが、13世紀に聖堂としての建設が始まり、最終的には16世紀いっぱいまでかかって、悩ましいまでに複雑怪奇な巨大ゴシック建築となったが、増築と崩落を繰り返して未だ未完成で現状維持のまま存続している。そこには中世以来様々な手書写本が残されていて、なかでも正月に行われていたという「愚か者のミサ」、要するに典礼の格式を逆転させた無礼講を大々的にやる儀式で、それはカーニバルの起源とされているのだが、その際に演じられたものの一つという、旧約聖書の『ダニエル書』に題材を取った『ダニエル劇』がこの聖堂に由来するとされている。この典礼劇は中世のものとしては非常に珍しく完全な楽譜が残されていて、上演の機会も多く、これを取り上げた演奏も多い。このうち、Dufay Collectiveの演奏では、随所に器楽合奏が挿入されていて、それらは非常に洗練されていて聞き応えがある。劇の概要は、カルディア王国が復興した新バビロニアで、その王ペルシャザールが宴会を開いていたとき、不思議な手が現れて文字を書いたが誰にも読めず、ユダヤ人捕虜であったダニエルが解読して王に注進した。その内容は、王の神を恐れず豪奢をきわめるを諫める予言であった。国は程なくアケメネス朝ペルシャに滅ぼされ、囚われていたユダヤ人が解放されるという史実に基づく。
 そのうち、私は今回の試みに、不思議な手が現れて会席者が恐れ慄く場面の、歌に続く器楽合奏の部分を抜粋して使った。音楽を聴く楽しみは、つまるところ自分にとって印象に残るメロディなりフレーズを探し求める旅であろう。であれば、それが多く得られれば得られるほど幸福が増すというものである。いまのところこのフレーズは既存音源であるが、これを何らかの楽器で実際に演奏して録音し、同じ効果を得るべき編集して作品にしたいと思っている。
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2020年06月05日

20200605 田植えの予告

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6/20頃かな・・・
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2020年06月03日

20200603 梅雨入り直前

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 今週後半には梅雨に入る。乾き物の始末をつけておく。

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2020年06月02日

20200602 ベト病のタマネギも早めに

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 タマネギは、晩生の場合、ニンニクよりやや遅れて収穫期を迎える。ここ数年「ベト病」が多発しているので、葉が倒れはじめたら、数日晴れの続いた時に早めに収穫する。畔の日向に半日ほど並べて根と土を乾かし、日陰に数日ころがして葉の付け根が乾くのを待つ。

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乾いたら茎の折れたところで切ってネットに入れて軒下に吊るす。紐で束ねても良いが落下することがある。1kgくらいなら潰れることはない。秋にタマネギごと植えたものは、トウ立ちして開花している。タネができたら採取して冷蔵保存し、9月に種まきして11月に定植する。

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2020年05月31日

20200530 Famille de Chat Noir

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 子供たちはようやく私にも慣れて、中庭で一緒に遊べるようになりました。

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母親が食べている魚に興味を示し、傍から舐めてみたりしています。

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母親は、わざと魚を子供達の遊んでいる前で食べてみせたり、子供達の寝ているところへ魚を放置したりしてます。ネズミや小さなモグラ、ヤモリやトカゲなどを捕まえてきて、生きたまま子供達の前に置いたりしてます。こうして子供たちは獲物の味や狩を覚えるのでしょう。まだ母親は子供につきっきりです。私が子供に近づきすぎていると、走ってきて警告します。あまりもたもたしてると猫パンチが炸裂します。

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2020年05月29日

20200529 Attaingnant Danceries

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Ann.: Branle Gay "Que Je Chatouille Ta Fossette" & Branles Gays 28,23,42,7/ Doulce Memoire
(CD, Pierre Attaingnant/ Doulce Mémoire, V.A.: Que Je Chatouille Ta Fossette, Ricercar, RIC 294, 2010, Belgium)
 「引きこもりの美学」・・・楽しい !! Pierre Attaingnant (1494?-1552?)・・・1530年ごろから生涯にわたって1500曲ものシャンソンや舞曲などの楽譜の量産印刷をして音楽の普及に努めた人物。彼の功績のおかげで、現代の我々は500年以上前の庶民の楽しみがどのようなものであったか、詳細に知ることができる。このCDは、Attainganntが発行した7巻の舞曲集からの抜粋で、Pavane・Gailliard・Branle・Basse Dance・Touldion・Allemandeなど、当時の一通りの舞曲の伴奏形式が網羅されていて、しかも様々な楽器による意欲的な演奏の試みに満ちている。多くは作曲者不詳、あるいは不明と思われるか、そんなことは問題にならないような断片であったりもする。また多くはメロディや構成がよく似ており、ごく細かい違いによって呼び方が変わるに過ぎず、その呼び方さえ、ダンスの変遷とともに伴奏も変わったであろうと思われる。ダンス・ミュージックというものは、今も昔も移り変わりの早いものだ。表題のつけられたものには歌詞がある。しかしつけられていないものにも、他の録音で全く別の表題と歌詞を持って演奏されているものもある。作曲者が明記されているものもあるが、全く同じメロディを持つ別の作曲者の曲もあったりする。この時代、何をもとに曲を作るかで、今のような厳格な管理がなされていなかったものと思われる。さてこの「曲」というかトラックも、アルバム・タイトルにもなっている表題のついた曲を含め5曲のメドレイになっていて、それが見事な変奏になっている。特に、リズムを複雑化してダンスの技を競ったと思われる部分や、それに続いてそのまま盛り上がる部分があったり、いろいろな楽器、いろいろな音色で多様に演奏される16世紀ヨーロッパのダンス・ミュージックが、楽しい !! さて、6年分録り貯めた「NHK古楽の楽しみ」の音源から選んだ私のベスト古楽10選これにて終了。
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2020年05月28日

20200528 ニンニクは青いうちにとる

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 ニンニクは、まだ葉が緑のうちにとる。試し掘りして大きさを確認する。

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20200528 Odhecaton

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Hayne van Ghizeghem: De tous biens playne a 3/ Les Flamboyants
(CD, V.A./ Ottaviano Petrucci: Harmonice Musices Odhecaton A/ Les Flamboyants, Raumklang, RK2005, 2001, Germany)
 「引きこもりの美学」・・・Gutenbergが活版印刷技術を発明したとされた約半世紀後の1501年に、世界初の印刷楽譜がイタリアのOttavio Petrucciによって出版された。"Harmonice Musices Odhecaton A"(多声音楽百選其壱) と題されたその曲集には、Josquin des Prezをはじめ、フェッラーラ侯爵邸楽長の座をめぐってJosquinに敗れたHeinrich Isaac、そしてJacob ObrechtやAntoine Busnoysなどの世俗歌曲や作曲者不詳の俗謡、さらにはミサ曲の断片などが、約100曲収められている。これに取り組まれた録音も複数あるが、なぜか私はこのCDがとても心地よく、これを聴いているとすぐに眠ってしまうので、実はあまりよく聞いていないのだ。アルバムは、"De tous biens playne"という穏やかで眠りを誘う、どこか『涙のパヴァーヌ』の原型とも思われるような美しく物憂い器楽合奏で始まり、その変奏ロング・ヴァージョンで終わるのだが、初めの曲の終わりを待たずに意識を失ってしまい、後は夢とうつつの間を行ったり来たりして、18曲目あたりで一旦意識は浮上する。しかしその長い変奏曲を聴いている間に二度寝してしまって、最後の曲出始めのテーマが奏されると目が覚めるのである。だから、いろいろ調べたりしてわかったことはあるのだけれども、ここではこれを聴きながら幸せな眠りに落ちることだけをお勧めして・・・ああ・・・zzz
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2020年05月27日

20200527 e-u-e-u-e-a-i-e


Josquin Desprez: Missa Hercules dux Ferrariae/ A Sei Voci
(CD, Astrée Auvidis, E 8601, 1997, FR)

 「引きこもりの美学」・・・Josquin Des Prez (1450?-1521) の生きた時代はルネサンスの絶頂期であった。Leonardo Da Vinci (1451-1519)とほぼ同世代であり、先に言及したGuillaume Dufay (1397?-1474)などの、いわゆる「フランドル学派」の作曲家たちと世代の重なる直接の後輩にあたる。その時代のフランスやイタリアがどのような世界であったか、社会や音楽は、教会や王侯貴族、また庶民生活との関わり方はどんなものであったか、これらについてはすでに学術的な調査研究が尽くされてきている。それは余生の楽しみに残しておくとして、現代に録音された演奏のことだけに集中すると、その先輩たちの世代のものより、もっとポピュラーというか、世俗的・処世的・実業家としての音楽家の性格をより強く感じるものがある。Dufayの音楽が、聖歌や伝統音楽、世俗化曲の定旋律をもとにしたパリエイションの方法を数学的に構築していった感があって、その実験性や複雑さが、一種難解な魅力となっているのに対して、Josquin Des Prezには、よりメロディ・メイカーとしての才能が強く感じられる。テーマが明確で、印象的なメロディが一貫して出てくるので親しみやすい。
 歴史的には、15世紀に入ると、それまでの王侯貴族の権力の淘汰集中が進み、より強大な宮廷の政治力が勃興するようになって、しばしばそれが教会と対立するまでになる。歴史のほんの一部をかいつまんだだけでも、15世紀後半に北イタリアにあったフフフ・・・フェッラーラ公国のエルコレ1世 (Ercole I, 1431-1505) は、ヴェネツィアとの戦いに苦慮して和平に転じ、教会と和解して領地の破壊を免れた。以後長く続くイタリア全土と隣接する地域を巻き込んだ戦争に中立を決め込んで領内の文化芸術を保護した結果、フランドルや北フランスから文化人芸術家がここを頼って移り住んで来た。実はこの戦争は例によっての王侯貴族や教皇の覇権争いだったのだが、その要因の一つに塩があった。当時の塩はトルコ産が主で、オスマン・トルコ帝国がその権益を握っており、コンスタンディノープルが陥落した遠因もこれである。当時のスルタンはいうまでもなくMehmet 2世 (1432-1481) であって、その息子にCem (Djem, 1459-1495) がいて、兄のBeyazıt 2世との皇位継承に敗れて初めエジプトに亡命、その後、地中海の覇権争いをめぐる各国の駆け引きに利用されてイタリアやフランスに身柄を移された。しかしその間も、トルコ帝国からの地位と仕送り、受け入れた側の破格の待遇などもあって、裕福な生活であったとみられる。
 同時代に多くの文化人芸術家が、あのLeonardo Da Vinciでさえもヨーロッパ全域を職を求めて転々としていた。Josquin Des Prezがエルコレ1世のもとに草鞋を脱いで、彼のためにこのミサ曲を書いたのは公爵の最晩年の頃とされている。一聴してわかるように、非常にわかりやすいテーマが全編を通じて繰り返される。それぞれの一小節に通奏される音が決まっていて、それらは8小節で一楽章になっており、その8つの音は、従来のように聖歌や伝統音楽、世俗化曲の定旋律を元に作り出されたのではなく、全く新しい発想で「導き出された(soggetto covato)」ものである。すなわち、「フェッラーラのエルコレ」は、ラテン語で「Hercules Dux Ferrariae」となるが、その母音だけを取り出して並べると、e-u-e-u-e-a-i-eとなる。これを当時の「ドレミ」にあてはめると、「レ・ド・レ・ド・レ・ファ・ミ・レ」となり、これが各小節に通奏され、その上に多声が載っている。今で言うコード展開のようなものである。美しく、印象的で、素晴らしい曲である。ミサ曲を聞いてこれほど親しみを感じたことはない。しかし想像してみれば、繰り返し繰り返し、何度も何度も自分の名前から出た定旋律が繰り返される曲を聞いて悦にいったかもしれない公爵、またそのようなゴマスリ曲を書いたJosquinの阿諛追従ぶりもなかなかのもんである。
 Soggetto Covatoの手法で作られた曲に、"Missa lesse faire a mi"がある。これは、作曲したのに支払いをしない依頼者に催促しても、いつも返事は「わかった、まかせておけ (laissez-moi faire)」であったが、これをイタリア語にすると"lesse faire a mi"となり、ここに「ラ・ソ・ファ・レ・ミ」というメロディが導き出される。この曲では通奏音ではなく、冒頭のメロディに"lesse faire a mi"という歌詞までついて現れる。当て擦りもここまでくると痛快だが、このメロディはのちにまで伝わって、Eustache Du Caurroy (1549-1609) のシャンソンに使われたりもしている。で、その依頼主とは誰だったかというと諸説あって、そのうちの一人が、先に述べたオスマン・トルコのCemではないかというのである。名前が上がるということは、亡命者とはいえそれだけの財力があったということだ。
 その真偽はともかく、キリスト教国家にとって当時の最大の敵はオスマン・トルコであったのだが、地中海の覇権や商取引の上では、様々な事情で取引したようである。キプロスやエーゲ海の島々に、古くからのフランスの民謡が残っていたり、バルカン半島からその西北地方にかけてトルコの古い歌が伝わっていたりして、調べていくと興味は尽きない。人的交流が広く盛んになるにつれて、文化も入り混じる。ヨーロッパ全体で見ると、研究対象になるクラシック音楽のメイン・ステージは、このあと教会と宮廷へ、両者を股にかけて活躍する大作曲家の変遷へと移ってゆく。Clément Janequin・Claudio Monteverdi・Jean-Baptiste Lully・Johann Sebastian Bach・・・しかし、もう私には臭くて堪らなくなる。私が付き合えるのは、このJosquinまで。いささか悪ノリミサ曲でっち上げのきらいはあるが、従来の定旋律にこだわらず、「音楽に支配された作曲家」ではなく「音楽を支配した作曲家」・・・すなわち神に最も近づき得た人間として尊敬された凄み、神が人々の心の中に畏怖の念を持って生きていたからこそなされたこの評価は、これらの音楽で一心に祈ったかもしれない人々のことが想像されて、心に迫る凄みがある。これ以降、私の興味は、教会音楽や宮廷音楽にはなくなり、より広く民衆や民族の暮らしを反映した記録の残る写本を調査研究して、演奏によって世に問うている人たちのものに向かう。


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